第8話 皇帝
「サヨリ軍団が赤母衣衆を撃退しただと?!」
オチデント帝国第一軍団の巨大なテントの中で、情報部からの報告を受けた帝国の将軍ハンニバルは驚きの声をあげた。思わず立ち上がると、椅子がゆらゆらと揺れてから音を立て、倒れた。
「まさか…いくらスキピオがいないと言っても、副官のラビエヌスとて相当できるやつだ。士官学校出たての参謀が勝てる相手ではないだろうに」
ハンニバルは、ギリギリと歯をかみしめた。
実際、ハンニバルは味方の敗戦を予想して、密かに手持ちの精鋭五千を後詰めとして控えさせていたのだった。
報告は続いた。
「まもなくサヨリ姫とその軍幕が皇帝陛下へ戦勝の報告にあがるそうです。将軍閣下にも出席されるよう皇帝陛下からのご命令です」
「言われなくても、行くわい」荒々しくマントを羽織るとテントを出て、自分の黒馬を呼ぶと、あわただしく皇帝のもとへ駆けていった。
皇帝の天幕は、光沢のある緑色の厚い布で覆われている。移動式のテントとは言え、小さな城くらいの広さと高さを持ち、内部に至っては宮殿の中にいるかのような美しい装飾が一面に施されている。リリィたちが奇襲をかけた天幕に比べてひと回り大きい。
一段、高い場所に据え付けられた豪華な玉座に座ったやせぎすの若い男がこの死の軍団の最高司令官である皇帝トシダイ二世だ。いつもニヤニヤといやらしい笑いを見せ、戦にも多くの愛妾を引き連れていく不快な男である。
女のことばかり考えているスケベなだけ、と心の中で軽んじている臣下も多いが、人物眼に優れたハンニバルはそれがうわべだけの姿勢だと気づいていた。
ハンニバルが到着したときには、スキピオなき赤母衣衆を撃破した戦勝報告がすでに始まっていた。ぺらぺらと興奮気味にしゃべっているのが若い派遣参謀のようだ。いかに自分の採った作戦に効果があったかを大げさにアピールしている。
皇帝より一段下にある将軍用の椅子にどかっと座ったハンニバルは舌を打った。
――あんな若造貴族の手柄のはずはない
ハンニバルは若い参謀の隣で跪いているサヨリ姫の顔をじろりと見据えた。そのとき、姫の真後ろに隠れるようにはべる仮面の男に視線を止めた。
――あやつ。どこかで会っているような。「おい、参謀」と突然、ハンニバルは叫んだ。
「なぜ、あのまま追撃せずに、敵の退却を許したのだ。貴様も無傷だが、相手もたいしたダメージを負っていないだろう」
「えっ。それは、あの…」
動揺して言葉が続かないエリートかぶれの参謀を見て、サヨリ姫がすくりと静かに立ち上がり、よどみなく言葉を発した。朗々たる美しい声が天幕に響いた。
「参謀殿の適確な判断と指示により、赤母衣衆を一蹴いたしました。さらに勢いづいた我が軍でしたが、参謀殿が敵の伏兵の存在を懸念されたのです。かつてハンニバル殿との決戦を卑怯にも回避し、奇計を好むスキピオ軍です。それをみすみす深追いして、城攻めのための大事な兵を失ってはいけないと献策していただきました。なおも功を焦る我々に対して、皇帝陛下から受けた命令のみを着実にこなすのが肝要であると、止めていただいたのです」
「そ、そういうわけなのです、ハンニバル将軍」ホッとした様子で若い参謀が言葉を結んだ。
「ふん。確かにスキピオは卑怯だが、戦ったことのないやつに言われたくはない」
立ち上がった猛将は威嚇するようにサヨリ姫に近づくと、おもむろに腰に差した剣を抜くと、姫に向かって剣先を向けた。すぐに剣先を姫の体ではなく、その後ろの仮面の男にずらした。
「どうにも気になる奴だ。貴様、仮面を取って、名を名乗れ!」
顔中を仮面で覆った男は外から表情は分からない、ただ無言のまま身動きもしなかった。サヨリ姫もさして動じた様子もなく、剣を素手で柔らかくはらい、「ハンニバル殿ともあろう豪将が、なにを我らのような小国の一家臣に気をかけますのやら」と微笑んだ。
「口もきかないとはどういうことだ!」
「恐れ多くも皇帝の御前、ましてや尊敬いたすハンニバル殿を前にして、卑属な臣下のものに口を開かすほど、わが国の教育は劣っておりませんことよ」
サヨリ姫は、自分より倍以上の身体の猛将を前に怖気もせずに、笑い声をあげて言葉をつなげた。
「ではご説明しましょう、将軍殿。この男の名はクロフォード。わたくしの幼いころからの武術師範です。多くの戦場での活躍により醜い顔になったため、仮面をかぶらせているのです。おい、クロフォード!将軍がお怒りじゃ。仮面を脱いで平伏せい」
男は慌てて仮面を外すと、中からは包帯でぐるぐる巻きにした顔をさらした。包帯は傷口からでた膿みで汚れている。その顔を地面にこすり付けて命乞いするように頭を下げた。さっきまで感じた余裕のある雰囲気はまるでなかった。
――こいつになにかを感じたのは、ワシの勘違いだったか。
ハンニバルの空気が緩まったのを機に、ニヤニヤしながらやりとりを見ていた皇帝はパチパチと手を叩いた。
「よいよい、ハンニバルよ。たいした貢献じゃあないか。朕の予備の天幕を貸してくれと言われたときはさすがに驚いたがな。貴様の用意した後詰めがムダになったからってそういきり立つものではないわ」
――報告も上げていない後詰めの動きを知っているとはやはりただのアホではないな。しかし、サヨリも単なる姫様かと思っていたが、中々の胆力のある女じゃないか。意外にこいつは使えるのかもしれんな。しゃべりすぎだがな。
「陛下、申し訳ありませんでした」
ハンニバルは仮面の男への関心を無くし、剣をしまうと、皇帝へ一礼してから元の椅子に座った。
それを見て満足した皇帝は、「姫よ、褒美を取らせよう。欲しいのは宝石か? そなたの美しい肌には映えるだろうな、クフフ」と好色なまなざしを送った。武人としての誇りを傷つけられて姫の顔は少し上気した。
「冗談じゃ、冗談じゃ。中々食えない女のようじゃのお。そうであるな、では、かつてそちの島国ヤマドゥと同じ広さの自治国をやろうではないか。二十万石ならどうじゃ?」
破格の褒美に表情が輝いた瞬間に、その後ろで仮面をかぶりなおしたクロフォードがコホンと目立たない咳をした。ハッとした姫はすぐにもとの冷徹な顔に戻った。
「国土のことはありがたき幸せなれど、この戦が終った後ということに。それよりもただいま、皇帝軍にバラバラにされ、いえ、預かっていただいている我々の侍たちを戻していただきたい。さすれば、城攻めではさらに大きな武功を陛下に差し上げましょう。その時は二十万石といわず、百万石を頂きましょうぞ」
帝国軍は反乱を防ぐために、支配下の各国の部隊を小隊単位に解体して分断しているのである。反乱を防ぐ基本戦略だ。
――ムム、それはいかん。ハンニバルが口を出そうとした間際。皇帝も顔をひきつらせた。
「ハハハ! それはいいですな。お前たち将軍もこの豪傑な姫を見習ったらどうだ」
高笑いした帝国ナンバー2の宰相が立ち上がると、臨席する武将たちを見回した。
すぐに閣僚たちが「おー。二十万石を断るとは、なんと謙虚な」「なんともすばらしい忠誠心ではないか」「さすが宰相殿、見事なご褒美ですな」と次々に追従してはやしたてたため、ハンニバルはばかばかしくなって口を閉ざした。皇帝も黙って目をつむった。
――若造の皇帝よ、見たか、ワシの権力を。宰相はあたかも自分が最高司令官のように指令を下した。
「よし、決定じゃ。サヨリ姫の旅団を再編成した上で、第二軍団に組み入れよ」




