第7話 桶狭間の復讐戦
ラビエヌスは廊下を歩きながら、リリィに戦術を説明した。
「一万の兵を使うが、実際に動かすのは百の精鋭だ。むろん君も入っている」
「はい。それは歓迎です。以前にスキピオ大佐に助けられた恩返しさせてください」
「うむ。そうだ、弔い合戦なのだよ。大佐直伝の秘法を帝国のやつらにみせてやる」
ラビエヌスは目の前の扉を押そうとした。「むっ、鍵がかかっているのか」
「いえ、どうぞ」
すーっとリリィが片手で押し開けた。
「さすが若くとも騎士だ。たよりにしてますぞ」
夜のうちに赤母衣衆と騎士団で構成した百騎が静かに城門を出た。すぐあとから残りの一万も続いてきた。
「どこで待ち伏せするのですか」リリィはラビエヌスに聞いた。
「桶狭間だよ」
「狭間っていう地名なら谷ですね。そこに敵がきたら襲いかかるってわけですか」
「そんな簡単にはいきませんな。桶狭間は実は名前と違って丘ですから」
「えっ? じゃあ敵は丘の上に布陣しますよね」
「むろん万全の防御を敷いている。だからこそ、チャンスがある。それが大佐の教えです」
「一万の軍は勝てないのを承知で、全力で正面から万全の備えの敵にぶつかる。敵の注意が正面に向いたときに、そのすきに少数で一気に本営を衝く、そういうことですか」
「正解。リスクは大きいが、ここしか皇帝を討つ機会はないでしょうからな」
それぞれに帝国軍の黒い軍服が手渡された。
「勝利のためにできることはすべてする。それがスキピオ流の正義なのです」と言われ、リリィもおとなしく軍服をまとった。手がじわりと汗でぬれる。
ラビエヌスたちは桶狭間の丘を見上げる谷間の藪にじっと身を潜めた。
「本当にここを通るのかな」リリィがつぶやいたとき、左から帝国軍の大軍が、ザッザッという軍靴のそろった音と、馬たちのいななきともに姿を現した。その列はどこまでも続くようだ。しかし、まるで一つの大きな建物のような天幕が丘の上でとまると、軍列もストップした。「陣を張れ」との声が響く。
「狼煙の準備はいいか、リリノア君。やつらが野営の防備を固めて、食事の準備をはじめるその瞬間だ」
帝国軍は手際よく、木の柵を丘のまわりに何重にも張り巡らした。そして小隊ごとに薪に火を付けた。ピリピリした軍団の空気が、ほんのわずかだがフッと抜けた。リリィは、狼煙に火を付けた。月夜に光る黄色みのかかった煙が、帝国の夕食の煙を抜かす早さで立ちのぼった。
その瞬間、丘の下の正面にブッシュをかぶって擬態していた一万のイズマイル兵たちが雄たけびをあげて一斉に丘の上めがけて突撃した。あわてた帝国軍の囲みを一つ二つと抜いていき、一気に坂をのぼった。
「このまま本隊がやっつけちゃうんじゃないの」
「戦はそんなに甘いものじゃないよ。お嬢さん。さあ、急ぐぞ」
帝国の軍服を着た百人は、十人ずつに分かれて、「伝令! 伝令! 敵襲!」と叫びながら、バラバラに丘の上を駆け上った。
ラビエヌスの予想通り、五分もたたないうちに、帝国軍は冷静さを取り戻していた。中腹までのぼったイズマイル兵たちは、上下の不利で、さらに上へ行くことはできない。次々に矢や石が降ってくる。下からも、電撃的な奇襲に崩された体制をもう立て直そうとして、包囲しようとしている。
イズマイルの将軍は脂汗を流しながら時間をはかっていた。
「よし、約束の五分がたった。全軍撤収! 山を下りろ!」
がむしゃらで本陣を狙っていると思っていた帝国軍は、突然の方向転回に二度目の間隙を取られた形になった。イズマイル兵も帝国兵も実際の被害はほとんどないまま、イズマイルは丘を下り、その勢いで城に向かって走った。
ガキン、キン、キン。
その頃、丘の頂上の大天幕のまわりでは、無事に駆け上った赤母衣衆と騎士団、そして皇帝の近衛兵が火花を散らしていた。
「ぐぬぬ。さすが近衛兵は甘くないの」
ラビエヌスは、帝国兵と鍔迫り合いをしていた。
帝国兵が「ぷっ」と口から毒針を吹いた。
「うお?!」副官はわずかに顔をそらしたが、体のバランスを崩した。
ニヤリと笑った帝国兵が剣を振り下ろそうとした・・・その脇腹を鉄バットがメリメリとへこませると、大きな兵が横に吹っ飛んだ。
「おお、リリノア君。助かった。さあ、テントの中へ。トシダイ2世の首は目の前だ」
「りょうーーーかい!」
二人は何重もの天幕をめくっていった。
「なんだい、こりゃ。タマネギをむいているみたいだよ」
バッ!
リリィが最後の幕をはねのけると正面に玉座があり、両側には異国風の鎧と兜をまとった男女が立っていた。
「あれか! あれ、玉座に誰もいない。まわりにも二人しかいないよ。ラビエヌスさん」
遅れて入ってきたラビエヌスにも目の前の光景には言葉続かなかった。「な、なぜ?」
棒立ちとなった二人の目の前に、玉座の脇にいた女がグンとジャンプしておりたった。女は、目の止まらない速さで、ラビエヌスの剣とリリィの鉄バットを、抜いた刀で払いのけた。
「あれ? あたいのバットがない」
「この技はヤマドゥの居合いか」
冷や汗をたらしながらラビエヌスが問うと、抜いた刀をまた鞘にしまったばかりの女はうなずいて意外なことを言った。
「あなたたちの負けです。さっさと帰りなさい」
すると玉座の後ろに隠れていた、ぴかぴかの帝国参謀服を着た若い男があわてて出てきた。
「ちょっと待ってください。サヨリ姫。殺すなり、捕まえるなりしないと手柄になりませんよ」
サヨリ姫と呼ばれた女は振り向きもしない。参謀は異国風の武装をした仮面の男にとめられた。それをみて女は続けた。
「ヤマドゥは武士道を重んじる。あなたがたの死地はここではありません。次の戦いまでお命預かろうぞ」
「もしや貴殿はヤマドゥの女王か」
「ああ、そうだ。女とはいえ、武士に二言はない。早くいけ」
帝国の参謀の肩をおさえたままの仮面の男は黙ったまま、首をくいと外側にふって、二人に幕の外にでるよううながした。
「ま、負けた。完全に。リリィ君行くぞ」
二人は再び、タマネギの皮のような天幕を抜けた。外で斬り合いを演じている仲間に、ラビエヌスは苦しげに命じた。
「みなのも、退却だ。作戦は失敗なり」




