第5話 スキピオ戦死
その頃、帝国の南に国境を接するサウガリアから沿岸部で帝国水軍の奇襲攻撃を受けたという急報が各国へ送られた。
局地戦とはいえ、久しぶりの帝国との戦いは必至だ。エフェサス共和国の首都のスマヌエ、リリィの故郷である港町において、自由国家同盟の緊急会議が招集された。同盟も警戒は怠っていない、すばやく、同盟軍の精鋭、スキピオ大佐率いる赤母衣衆を中核にした五千の兵の急派を決定された。さらに本隊も早急に集結し、そろいしだい船団でサウガリアへ駆けつけることになった。
「あの予感は、このことやったんか」
馬群の先頭を行くスキピオはいつになく厳しい顔でサウガリアへと馬を進めながらつぶやいた。副官が静かに馬を寄せてくる。
「予感が当たりましたな。大佐のかねてからの危機提言がきいて、いつになく同盟も決定が早く・・・」
「ラビエヌス、油断するんやない。なんかひっかかるで」
前方からサウガリアの伝令早馬が走ってきた。報告では、敵の軍勢はおよそ二万。手薄だった沿岸警備隊は奇襲を受け、突破され、海辺から十キロも内陸にまで帝国軍が侵攻しているという。国境付近で待つサウガリアの本隊と合流して、帝国軍を迎え撃つ作戦が伝えられた。
「二万、それだけの大軍をどうやってサウガリアの哨戒をかいくぐることができたのですかね」ラビエヌスは首をかしげた。スキピオは黙って目を光らせた。
「しかし、隊長。サウガリアの本隊は三万、しかも、たまたま帰国していたイメリアの流星騎士団たちもいる。数で勝る上に、地の利と騎士団、それに我ら赤母衣衆がおれば、万に一も取りこぼしはないでしょう」
「一体、なにを考えているんや? トシダイ皇帝は?」スキピオの顔に笑顔はない。
共に従軍するイズマイルの武将が馬を寄せて話に混ざってきた。
「ただの戯れではないですかな。アホなボンボンとのうわさですからな。たまには外征でもしないと国内の求心力を保てないのでしょう」
「どうかな。確かに帝国の幹部の多くはみな武人あがりや。戦争を常に求める危険な心をいつだって捨てられない人間たちではある。それでも皇帝の真意は分からんよ」
「ははは、スキピオ殿、なにもその皇帝が来たわけではない。まずは目の前の敵を叩きましょうぞ」イズマイルの武将は高笑いした。
途中で、スキピオは赤母衣衆から百騎を選び先遣隊を編成し、サウガリアが合流場所に指定した廃村に入った。廃墟となった建物の壁にはかすれたいにしえの楔文字が刻まれ、朽ちかけた小舟が転がっている。かつては豊かな湖があったのだ。
小舟の影に、キラリと光るものを見つけたスキピオは手綱を引いて馬を止めて、さっと降り立った。そのほかの一行は、隊列を乱すことなく、ゆっくりと馬群を先に進めた。
「これは鎧のコザネ…」
膝をついて、スキピオが手にしたのは親指ほどの大きさもない、小さな黒い鉄のかけら、鎧の一部だった。二ミリほどの赤い塗料が付いている。馬が小舟とぶつかったときにでも落ちたものか。「黒い鉄に、赤…」
黒い甲冑を赤く装飾しているのは、帝国のハンニバル軍の重装騎兵にほかならない。気づいたスキピオは立ち上がると叫んだ。
「伏兵がおるで! 全員散開しいや!」
しかし、スキピオの警告と同時に無数の矢が放たれた。
ヒューン。
風を切る冷たい音とともに、先頭を行く騎兵の胸に矢が突き刺さり、馬から地面へと落ちた。数秒の内に、さらに十人近い騎兵が馬上から転げ落ちた。
スキピオは愛馬に飛び乗った。
「くそ、サウガリア軍も全滅したのか。お前たち退却や。引け!」
鍛えられたスキピオ騎兵は次々に、落馬した仲間に近づくと、身を乗り出すように片手ですくい、馬の背にどかっと乗せて、一斉に今来た道を疾走しはじめた。
弓が飛んでこない距離まで離れると、「スキピオ大佐、あの丘を越えれば、立て直せます」と、副官のラビエヌスが巧みに馬を操りながら、少し安堵した様子で話しかけた。
その時、丘の向こうから「ウオー」と雄叫びを上げて、無数の歩兵が駆け上がってきた。副官は近づいてきた兵の服の色が淡いブルーなことを知り、「サウガリア軍だ。生きていたんだ、助かりましたよ。兵を統合して一気に帝国を返り討ちにしましょう」と早合点した。
「違うで。サウガリアは帝国に寝返ったんや。途中で我々と合流できたはずやのに、やつらは俺たちが通過するのを隠れて見ていたんやで」
「げっ。じゃあ、私達は退路を経たれたので」
「そういうこっちゃ。やつら御丁寧に騎兵の苦手な弓兵と長槍兵を揃えちょる。後ろには帝国の重装騎兵、きっついなぁ」
「せめて大佐だけでもお守りせねば」
「勘違いするんやない。守るのは俺やない。駐屯地には五千の友軍がいる。サウガリアの裏切りを伝えなければ、全滅やで」
「それでは誰がこのことを伝えるのですか」
「誰でもええ。一人でも生き残って伝えるんや。とにかく自分のことを守るんやで。ええな」
「はっ」
帝国の弓兵の初弾を切り抜けた九十騎は速度を抑えることなく密集体形を取った。スキピオは唇を噛み締め、裏切ったサウガリア軍をにらみながら、「突撃!」と自分と部下を死地へと送る命令を出した。
その日の深夜、傷だらけになったラビエヌスが同盟軍の駐屯地に到着した。その後もぽつぽつと騎兵たちが戻ってきたがその数は十騎にも満たなかった。同盟軍五千はサウガリアの裏切りの報を聞き、最も近くで最も堅固な拠点、つまりイメリア流星騎士団病院に向かってあわてて退却を始めた。
城門の内側でトキは赤母衣衆の中からスキピオを探した。だが、入城した軍勢の中にスキピオの姿はなかった。疲れ切った兵士たちの間をうろうろしていると、リリィが「トキ、負傷者が多い。早く来て、二人がいなくて大変・・・」途中で言葉をのみこんだが、トキにはもちろん土方と鈴里のことであることは分かっていた。鈴里はあれから寝込んだまま部屋から出てこない。
第七内科に運ばれてきたのは、副官のラビエヌスだった。全身に傷を負って、なにごとかつぶやいている。
「傷は多いが、命はとりとめました」代理の医師が傷を手早く縫合すると、トキとリリィに後処置を頼んだ。
「・・・スキピ・・・」
「今、なんと言いましたか、ラビエヌスさん?」
トキは眠ろうとしている男の口元に耳を近づけた。
「スキピオ大佐がわれわれの楯に・・・」
「そ、そんな。先生が? どういうこと?」ラビエヌスの肩を揺すりだしたトキを「おい、やめろ。ケガ人だぞ」とリリィがあわてて羽交い締めにした。
一方、帝国軍とサウガリア軍も二晩にわたり、スキピオの遺体を捜索したが、発見することはできなかった。いや、見つけたかもしれないが、戦死した赤母衣衆は斬られても、斬られても、立ち向かい、完全に息の根が止められたときには、もとの顔や姿が分からないほどむごい傷を負っていたからだった。
豪胆冷血で知られる帝国の重装騎兵たちですら、サウガリアの兵に死者を丁寧に埋葬するように命じたほどだった。
サウガリアの裏切りは自由国家同盟にかつてない衝撃を与えた。
帝国の侵攻作戦を知った各国は、「狙われている」はずのサウガリアを救援すべく、軍備を整えていたからだ。帝国との北の国境を接するイズマイル王国はすばやくベガルタに大本営を置き、大回廊を封鎖した。三万の兵を動員した。
残るカスカバラ神国、海洋国家エフェサス共和国、騎馬国家ゼロカツ王国は大量の軍勢を、エフェサスの港スマヌエに集結させ、サウガリアへ出帆する直前だった。
ところが救援する相手のサウガリアが裏切っていたとなれば、同盟軍は出港を躊躇せざるをえなかった。みずから参陣したカスカバラ神国の代王は作戦の強行を主張したが、肝心の船を操るエフェサス共和国の大統領が頑として頭を振らなかったのだ。
まもなく港町にさらに衝撃的なニュースが入電した。




