第3話 いくつもの別れ
狩りに出ていたサウガリア公王のもとにまな娘から手紙が届けられた。臣下たちも公王の溺愛ぶりを知っているので、なにがあろうと姫つまりアマリアの便りは最優先で届けるのだ。
ぺらぺらと紙をめくるうちに公王の顔はゆるんでくる。そして、「ようやく友達ができたか」と喜ぶ。
臣下の一人がすかさず「それはようございました」と答えると、公王は「たいしたことは書いていないから読んでみろ」と命じた。
臣下は読み進めるにつれて青くなっていった。
並んでいたのは、ひたすらリリィという同世代の騎士に対する罵詈雑言であった。
「公王様、これのどこに友達のことが書かれているのでしょうか」
ひきつりながら臣下は尋ねた。
公王は体をのけぞらして高らかに笑った。
「ははは、そのリリィという騎士じゃよ。あの子が他人についてこれほど関心を持ったのははじめてじゃ! いやあ爽快かな。さあ狩りを続けようか」
笑いながらすくっと立った公王の目がとたんに厳しくなった。異様な気配を感じた臣下たちも公王のまわりを固めた。
全員の不安そうな視線の先には、木の陰から現れた黒ずくめのフードをかぶった男がいた。
「誰だ!」
公王の誰何を無視するように、男はするすると足音もなく近づいてきた。
金縛りにあったように公王も臣下達も動けないでいる。男は公王の目の前に立ち顔を寄せると、突然、強烈な風がふき、男のフードを払いのけた。公王は叫んだ。
「あ、あなたは!」
◇
リリィとアマリアの激しい稽古くらいしか話題にならないまま一年を終えようとしていた騎士団に大ニュースが飛び込んできた。年末のあわただしい中、突然、サウガリア公国からアマリアや百田副団長を始めとするすべての公国出身の騎士へ一時帰還命令が出されたのだ。
公王直々の命令である。いぶかしがりながらも、百田らは命令に従うことにした。
サウガリア出身の騎士達が病院を離れる朝、出発の派手なセレモニーが行われた。
アマリアの取り巻きたちが勝手に企画したのだ。ファンファーレとともに、プラチナゴールドの甲冑を着たアマリアらが庭園を一周して、入院患者や残った騎士たちに華やかで有名なサウガリア式パレードを披露した。
本来は晴れ舞台が好きなアマリアだが観客に手を振りもせず、冑のアイシールドを下ろしたまま黙々と馬を進めている。首もとには海のような青い布をスカーフのように巻き付けていた。
派手な行列だけに、日頃娯楽の少ない入院患者は手作りの紙吹雪を投げたり、サウガリアの国歌を歌ったりとお祭り騒ぎだ。鈴なりの屋上でトキも眺めていた。そこにアッシュがいつの間にか横にいて、紙をトキにだけ見えるように開いた。
「俺、今日で退院なんだ。二人きりで話しができないかな」
驚いたトキはうなずいた。ポケットに手を入れると、「瞑膜断騒!(キットギアップ)」と呪文を小さい声で唱えた。見えない透明の膜が二人だけを包みこんだ。
「すごいな。外の音が聞こえない」
「修行の時に集中するために使う術なの」
「俺たちの会話も外に聞こえないんだね」
「ええ。それよりも今日退院って本当なの? 急すぎるわ」
「ああ、回復が思ったよりよくて。それに旅行商の仲間たちにも迷惑をかけているから、そろそろ戻らなきゃ。いちおう俺が旅団のリーダーだからね」
「そうなんだ。また会えるのかな」
「もちろんさ。病院の購買部とさっき商品の仕入れの契約をしてきたんだ。一月に一度は来れるさ」
「わあ、うれしい。来月は何日に来るの?」
トキは両手をぱちんと鳴らした。アッシュは話題を遮るように質問を投げかけた。
「ところで君が病院にきてどれくらいになる?」
「もう半年よ」
「覚えているかい? 最初、君は職員用の扉が重くて開けられなかっただろう」
アッシュが珍しく少年のように笑った。
トキはふくれっ面をつくった。
「ええ、ええ、そうでしたよ。でも私も毎日、騎士のみんなと同じように体を鍛えたのよ。仕事や術の勉強の合間をみての練習は結構きつかったんだから」
「そうか、がんばったんだな。ところで、どこで練習していたんだい。俺たち患者は騎士たちのがんばる姿って見たことないんだよな。先生も看護婦もたいてい、おちゃらけているし」
「ふふふ、そうよね。実はね、地下に洞窟があってそこに訓練の道具がそろっているの」
アッシュの目が光ったが、トキは夢中になって話し続けた。
「地下室だから蒸し蒸ししてそうと思っていたんだけど、涼しい風がいつも流れているのよ」
「ふーん、中庭のオアシスの風かな」
「ううん、たぶん違う。一度、外の入り口が開かれたときに砂の香りを感じたわ」
その時、パレードを眺めていた患者がまわりに押されてか、二人を包む膜にぐいと顔を寄せてきた。
「あっ、しまった」アッシュはトキの言葉を遮った。
「えっ? どうしたの」
「退院の手続き早くしないと超過料金を取られるんだった。じゃあ、俺行くよ」
「超過料金?そんなのあったっけ? まあいいや。絶対にまた来てね!」
アッシュはトキの肩に手を乗せると、顔を近づけてきた。トキは思わず目をつぶった。
――彼と初めてのキスなのね。
心臓がドキドキと高まった。
チュッと音が鳴った。
しかし、アッシュはトキのおでこにキスをした。トキは不満な様子を見せた。いたずらっぽく笑ったアッシュは言った。
「また、必ず会えるという俺の古里の風習さ」
「うん、絶対だよ。約束だよ」
「そうだ。忘れるところだった」
アッシュは少年のような笑みを見せるとポケットから取り出したネックレスをそっとトキの首にかけた。トキは胸にぶらさがる豆粒ほどの淡い赤色で輝く宝石を見て、驚きで目をぱちくりさせて聞いた。
「この石、どうしたの? ルビーみたいだけど、違うわ。私が知らない石があるなんて」
「いにしえの王国の秘宝なんて言われて、昔、泥棒市場で買ったんだ。ルビーだと思っていたけど。ジュエリスタにも分からない石があるんだ」
「私はまだ修行の身だから。きっとお姉さんなら分かると思う。今度、故郷に帰るときに聞いてみるね」
「その時は俺も一緒にカスカバラへ行きたいな」
「え、それってどういう意味・・・」
トキの言葉聞き終える前に、風のようにアッシュは屋上から消えた。
◇
騎士団の最奥にある部屋でキルキルがバンバンと机を叩いた。
「なんだ、この報告は? 五分の会話の記録は一切なし、おでこに接吻、宝石のプレゼント以上だと」
「なにしろあの騒ぎだったので、どういうわけか全く会話が聞こえなかったのです、すぐ隣にはいたのですが」
入院患者に扮した警備隊員がすまなそうに頭を垂れていた。
「ちっ、アッシュめ。仕方ない。とにかく奴のいた部屋を徹底的に調べるんだ」
「しかし、奴の部屋は相部屋ですが・・・」
「うるさい、さっさとなんとかしろ!」
めったにないキルキルの怒号に隊員はあわてて飛び出していった。
「くそっ。俺はなんでいらいらしているんだ。どれもこれもサウガリアのせいだ」
◇
アッシュやサウガリアの騎士が病院を去ってから数か月が経ち、春が来ようとしていた。
だが、「毎月来る」と言っていたアッシュは来なかった。時々、トキあての手紙は届いた。投函された場所は、イズマイル、サウガリア、ゼロカツと東の諸国からだった。
トキは「もう別のところに旅立ってしまうかもしれない」とあわてて手紙を書いたが、その後に来るのはトキの書いた手紙への返事ではなく、ただ、旅と行商の日常を書いてくるだけだった。それでもトキは細いつながりを保てていることに満足だった。




