プロローグ「攻城戦と青い龍」
ビタン、ビタン。パッン。パッン。
背筋を芯から凍らせるあの音を忘れることは、どんな勇者でも不可能だった。
大陸中、最も高い塔の足元を埋め尽くす軍勢は、新月の真夜中に誰も口を開くものもなく、震えながらその不気味な音、つまり、飛び降りた人が地面に叩きつけられ命を亡くした瞬間の音を、聞いていた。
帝国の各地から半ば強制的に徴兵された兵士たちは六百年の歴史を持つスガット王国の最後の瞬間を、感慨よりも帝国への恐怖と服従に心を満たされながら迎えたのだ。
むろん帝国は、恐怖を植えつけることを目的にこの残酷な殺戮を行っているのだが、塔の最上階では王国の竜騎士団が最後の抵抗を見せていた。
王国の主であるミルンダ・スガット十六世はすでに二日前の平地での決戦で戦死していたが、大陸随一の術師と名高い王妃は虫の息ながらまだ生きていた。しかし、それを囲む近衛兵の強硬な壁も、押し寄せる帝国の重装歩兵に少しずつはがされていく。
王妃は声もなく近衛兵長を手招いた。近衛兵長は片手に血まみれの剣を手にしたまま、王妃の顔の近くにまで顔を寄せ、「陛下、ハーモン、参りましてございます」と自分がいることを伝えた。王妃はすでに目が見えないのだ。
「……そちの故郷の件は…」
「ご安心ください、陛下。自慢ではないですが、わが故郷は美しい土地ゆえ、ご安心を……」
剣と剣がぶつかりある激しい金属音が響く中で、なんとも穏やかな会話だった。
「そうか」
安心した王妃は微笑んで、最後まで生き残った臣下たちに謝辞を伝えた。
「そなたたち、よくぞ長く勤めてくれた。感謝するぞ。では、さらばじゃ」
「ありがたきお言葉。私どももすぐに行きます」
近衛兵長の目からは涙が滝のように流れ落ちた。
王妃のもはや見えないはずの目に再び輝きが戻ってきた。王妃は力を引き絞りネックレスを引きちぎるとペンダントトップの大きな蒼い宝石ブルーサファイアを頭の上に掲げた。透き通るような、わずか数時間前までと同じ美しい声が鐘のように鳴り響いた。
「蒼竜霧散!」
その瞬間、部屋の中が青い光で包まれて、敵も味方も視力を一時的に失った。光は空を舞う竜のような無数のかたちになると、松明の灯りを消しながら、ある光は窓からあふれ、ある光は螺旋階段を、人智を超える速さで下っていった。うごめきながら広がる青い光が通過した後は完全な闇に包まれた。
光は塔の周囲を囲んだ帝国の兵士たちの視力も奪った。とは言っても、帝国兵たちが盲目になった時間は一分ほどに過ぎなかった。
しかし、そのわずかな時間は、最後の大魔術で力尽きた王妃を囲む忠臣たちが自決するのには充分な時間だったのだ。
生き残りゼロ。
翌朝からの一週間にわたる城内の徹底的な捜索の結果、帝国軍はそう判断を下し、ようやく軍備をとくことを許した。
帝国の北限の地から動員されたある部族の兵士たちはひそひそと噂話しをしていた。正規軍に分からないように自国の言葉を使いながら。
「お前、見たか? あの夜の塔の最上部から飛んだやつ」
「ああ、そりゃあ見たさ。青い竜だろ。あれだけの巨体を音も立てずに北の空へ消えていった」
「正規軍に伝えなくていいのか?」
「・・・バカやろう!」
「なんだよ。誰かが逃げたのかも知れないぜ」
「そんなことあいつらに言ってみろ。またこの戦は続いて、いつまでも故郷に帰ることができなくなるぞ」
「そりゃそうだな。黙っていたほうが得策だ」
この部族の住む地は一年のほとんどが雪に覆われているため視力が弱く、常に遮光グラスを目に付けて行動している。軍団のすべての目を奪ったと思われた青い光に影響されなかった兵士もわずかにいることはいたのだが、その秘密は封じられた。
大陸の西半分を一つの国家が征服するという、歴史上初めての覇業はここに完成された。それから二十年……。