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神代杏奈の怪異調査FILE  作者: Allen
逸話の王/天秤の剣/斬神の巫女
96/108

96:帰ってきた記憶












「は、はは……っ」



 思わず、笑いが零れる。

ああ、本当に、どうして私はこんな事を忘れてしまっていたのか。

いっそ呆れてしまうけれど、それでも今は気分がいい。

戻ってきた……私にとって何よりも大切なものの記憶が、私の中に。



「あははっ、あはははははははははははははははっ!! そう、これよ! これが私よ!」



 全てを思い出した。何もなくなってしまっている怪異調査部の部室で、今まで何が起こっていたのかを。

全部、しっかりと覚えている。ヒメと賢司が恋人同士になった事も、私の想いを伝えた事も、そして市ヶ谷さんが命を落としてしまった事も。

流石にあの事を笑うわけには行かないけれど、あれも私にとって大切な思い出の一部だ。

彼の事を忘れないように、そして――今この世界にいる彼が偽者である事を、しっかりと意識するように。



『えっと……杏奈、大丈夫?』

「はははっ、大丈夫、大丈夫よ杏奈。戻ってきたのが嬉しいだけだから」



 まあ、実際の所を言うならば、こんな下らない事をしてくれやがった怪異の親玉に対して激しい怒りを覚えていたのだけれども。

それこそ、違和感に苛まれて苛立っていた頃の比ではない。明確に相手を知っていて、何をされていたのかを理解している。

相手を見出すことによって方向性の定まった怒りは、今確かに燃え上がっていた。

許せない……私の大切な日常を汚された。ヒメを狙っていただけでも、市ヶ谷さんを死なせただけでも許しがたいというのに、私の日常にまで手を出すなんて。

絶対に許さない、そして絶対に取り戻してみせる……!



「ふぅ……それにしても杏奈、どうしてこんな所にいたの? あの時々姿を見せてた猫はウツロでしょ? ウツロに運んで貰ったの?」

『ちょっと違う、かな。わたしはずっとここにいたんだよ。この世界に巻き込まれた時から』

「……じゃあ、ウツロは?」

『あの子は杏奈に思い出してもらうための役。実際、ウツロのおかげでここまで来れたでしょ?』

「まあそうだけど……だったらちゃんと説明してくれればよかったのに」



 声を掛けてもらえれば、もっと早く気がつく事ができたかもしれない。

そう思いつつ唇を尖らせれば、杏奈はどこか苦笑するような表情を浮かべて見せた。

相変わらず、イラストの癖に随分と器用だ。



『怪異の根本、この世界の主、逸話の王……あれに気付かれる訳には行かなかったの。ごめんね、杏奈』

「成程ね……けど、今は大丈夫なの?」

『わたしは元々動けないし、あんまりマークされてないんだ。それに、この部屋は煉さんだっけ……あの人に保護されてる』

「煉さんに?」



 確かに、あの人の力ならばそれぐらいは可能だろう。

けど、未だに彼が姿を現さない所を見ると、力ずくで救出するのは難しいと言う事か。

若干期待していたのだけど、そうだと言うなら仕方ないか。

とにかく、今は情報を収集しないと。とは言え、頼れるものなんてこの子ぐらいしかいないのだけど。



「……杏奈は、この世界の事をどれぐらい知ってるの?」

『わたしもあまりよくは分からない。けど、杏奈は多少知ってるはずだよ』

「多少、ね……」



 恐らく、ここに来る前に煉さんから少しだけ聞いていた内容に関することだろう。

この世界を作り上げているのは市ヶ谷さん……市ヶ谷浩介の父親である人物。

そして、その目的は――



「そうだ、ヒメ!」



 あいつは、ヒメの力を食らって自分の力を高めようとしていたはずだ。

となれば、今自分の力の使い方を忘れてしまっているヒメは格好の餌となってしまう。

早く知らせないと……!



『待って、落ち着いて杏奈』

「でも……!」

『大丈夫、今まで襲われなかったでしょう? 今は、やる事があるみたいなの』

「やる事って、一体何よ?」

『待って、今伝えるから』



 そういって、杏奈は沈黙してしまう。

元より声を上げている訳ではないのだから沈黙と言う表現が正しいのかはよく分からなかったけれど。

しばし待ち、反応が無い事に不安を覚えて声を上げようとした、その瞬間。

日記帳に浮かび上がった文字は、この杏奈が話した言葉とは到底思えないものだった。



『杏奈ちゃん、杏奈ちゃーん? そこにいるの?』

「え、これって……」



 日記の杏奈は、私をこんな風に呼んだりしない。

この呼び方をする人物が少ないと言うわけではないけれど……それでも今この場で、思い浮かぶ人物はたった一人だけだった。



「もしかして、テリア先輩!?」

『そうそう、いやぁ良かった、大事になる前に話せたね』



 この部室に入っていた筈の部活、怪異調査部の主たるテリア・スリュース先輩だった。

今こうして話が通じていると言う事は、日記帳の千切ったページを持っているという事だろうか。

確かに、それなら杏奈が通訳する事で通信機の代わりのように使う事が出来るだろう。

まあ、普通に通信機を使った方が早いだろうけど。



「……先輩、今どこにいるんですか? この世界、あの事故が起こってない事になってるみたいだし……」



 私の日常に何かが欠けていると感じていた理由。それはやはり、先輩の存在が大きかったのだろう。

この世界は、7年前のあの事故が起こっていない事になっているみたいなのだ。

あの事故が起こらなければ、市ヶ谷さんがたびに出る事は無かったし、先輩や葵ちゃんが拾われてくる事も無かった。

今ここに先輩がいないのは、そういう理由もあるのだろう。

そう思いつつ問いかけてみれば、返ってきたのは予想だにしなかった言葉であった。



『どこと言われても表現が難しいんだけど……ただただ、真っ黒な空間だよ。光源も無いはずなのに自分たちの姿が把握できるのはびっくりだけど』

「たち? もしかして、他にも誰か?」

『うん、葵ちゃんがここにいるよ。その世界、もしかしたら狭い範囲しか再現されてないのかもしれないね』



 確かに、先輩は海外で暮らしていたはずだし、葵ちゃんもこの町で暮らしていた訳ではなかったはずだ。

もしもこの町の周辺程度しか再現されていないのであれば、二人が本来あるべき場所に納まらないのも頷けるだろう。

しかし、その黒い空間とやらは一体何なのか。



「そこから出られないんですか……?」

『うん、黒い空間がずっと続いてるだけだね。正直、どこから出ればいいかなんて見当も付かない』

「一体どうなってるんだか」



 少なくとも、直接先輩の助力を得られないのは確かなようだ。

若干落胆するけれど、無いもの強請りをした所で仕方ない。

今はただ、出来る事をしなければ。



「とりあえず、ヒメたちの目を覚まさせる事にします。そうしないと何も始まりませんから」

『ん、了解。くれぐれも気をつけてね、杏奈ちゃん』

「分ってます。先輩の方も、どうか気をつけて」



 文章の上からだけでは、流石に先輩の感情を読み取る事はできない。

けれど、市ヶ谷さんが亡くなった直後なのだ。ショックを受けていない筈が無いだろう。

流石の先輩も、今は参っている筈だ。葵ちゃんの事もあるし、早急に解決策を見つけなければ。

そう思いつつ、私は携帯電話を取り出してヒメの番号を呼び出した。

幸い、この世界でも携帯を使う事は出来るようだ。

時間は既に放課後に入ってしまっている。しばしの呼び出し音の後……電話から、ヒメの声が聞こえてきた。



「あ、ヒメ――」

『もう、杏奈ちゃん? 今どこにいるの!? 授業どころかホームルームまでサボっちゃって! 先生に誤魔化すの大変だったんだからね!』

「……えっと、その、ごめんなさい」



 ヒメは割と真面目人間なので、そういうあからさまなサボり行為は好きじゃない。

しかも一度へそを曲げると結構長く続く上に、説教までされてしまう。

流石に携帯越しにそんな事をされては溜まらないと、私は即座に元々の目的を果たす方向へと動き出した。



『大体杏奈ちゃん、皆で話し合おうって言ったのに――』

「ヒメ、その事なんだけど」

『だから、皆で話し合おうって言ってるでしょ? 今日は無理かもしれないけど……』



 駄目だ、これはかなりお冠である。

しかしあんまりゆっくりしている暇も無い訳だし……後で再び怒られるかもしれないけど、ここは荒療治と行きますか。



「あの時の言葉なんだったかしら……『私も、賢司君の事が好き。これからも、あなたを護って行きたい……』だっけ?」

『――――っ!?』

「それから、『賢司君と一緒なら、どれだけでも戦えるから!』とかも言ってたっけ」

『え、ちょ、ちょっと! 何、何それ!? 何か変な感じ!?』



 やっぱり、記憶に残っている。どれがヒメにとって一番印象深いかと考えていたけれど、ここ最近ならやっぱりこれだろう。

あの時覗いていた事がこんな形で役立つとは思っていなかったけれど。

とは言え、まだ完全に思い出すには至っていない。ならば、あの場面をもっと再現してやるほか無いだろう。



「いやぁ、熱かったわねぇ。そのまま二人で抱き合っちゃってさ。ああ、あの時は賢司の方から抱きしめてきたんだっけ」

『な、な、な……』

「とはいえ、あの時はヒメもまったく文句無かったわよね? 本当にもう幸せそうに抱き合っちゃって。それから『何だか、夢みたい……』とかそんな事言ってたし」



 一応言っておくと、別に意趣返しとかそういうことは無い。私はヒメと賢司の幸せを心から願っているのだし。

まあ、多少からかわれるぐらいは仕方ないと思って貰うしかない。

しかしまぁ、こんな方法を取る事になろうとは。出来ればもうちょっと切羽詰った話のほうが良かったのかもしれないけど。

何と言うかこう、雰囲気的に。



「いやぁ幸せそうだったわねぇヒメってば。あのまま放っておいたらキスしてそのまま先まで――」

『あ、ああああああ杏奈ちゃぁぁぁぁああんっ!?』



 咄嗟に、携帯を若干耳から離す。

予想してはいたが凄まじい声量だ。耳元で聞いていたら悶絶していたかもしれない。

もう、電話の向こう側で顔を真っ赤にしながら叫んでいるヒメの姿が眼に浮かぶようであった。

ぶっちゃけ、周囲からはかなり目立っている事だろう。位置的には通学路だろうけど、大丈夫なのか。



『な、な、何でそんな事を言うのかなっ!? って言うかあの時の事を何でそんな詳しく覚えてるの!?』

「そりゃまあ、ヒメの晴れ舞台だし。一言一句忘れる事無く覚えてるわよ」

『忘れて! いいから! 早く! って言うかあの後いい話っぽい流れになってツッコミ忘れてたけど、思いっきり出歯亀だったよね!?』

「それについちゃ全く否定できないわね。でも私は謝らない」

『いいから反省しなさい!』



 さっき以上にお冠であるが、まあ少なくともこれで思い出してはいるだろう。

って言うか、あの時の事をしっかりと思い出している。

とりあえずはこれでいい。落ち着いて貰わなきゃならないけど、ちゃんと思い出してくれた。



「とりあえず反省は後で善処させてもらうから、今はやるべき事があるでしょう?」

『ううう、杏奈ちゃんだけには言われたくない……! でも、分かってる。私はお兄ちゃんと話をつけるよ』

「まあ、今のはちょっとアレだけど……ちゃんと思い出させられる?」

『少なくとも、杏奈ちゃんみたいな酷い事は言いません。私はお兄ちゃんと一緒に暮らしてるんだから、最近の思い出なんていくらでもあるよ。それこそ、怪異の事もね』



 まあ、ここ最近の出来事で最もトモの記憶に残ってるのは、さっきと同じくヒメと賢司がくっついた事だろうけれども。

でも、怪異の事だって色々あった訳だから、ヒメなら思い出させる事も出来るだろう。

何せ二人は兄妹だ。どこを突っつけばいいかぐらい、誰かに言われるまでも無く把握している事だろう。

まあ私は賢司の方の担当って事だろうけど、賢司ならヒメと同じくさっきのネタで行けばいい。

出来れば直接会って話したい所だけど、今日は確か――



「ッ……ちょっと、待ってよ」

『ん? 杏奈ちゃん、どうかしたの?』



 そうだ……賢司は今朝、何と言っていた?

今日はどんな予定があると言っていた?

あの言葉は、確か――



「……ヒメ、急いでトモに思い出させなさい。この際何しても構わない! そしたらこっちにバイクを回して! あいつ普通自動二輪持ってたでしょ!」

『な、何!? どうしたの杏奈ちゃん!?』

「同じ、なのよ……!」



 そう、同じなのだ。あの時と同じ……七年前の、あの時と!

何がどうしてそんな風になっているのかは分からない。

けど……どうしようもなく、嫌な予感がするのだ。

だって、あの時賢司が言っていた言葉は――



「あの事故のあった日と、全く同じなのよ!」

『な――』



 ――七年前の、忌まわしい日。

あの時と、何一つ変わらないものだったのだから。





















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