94:違和感
今夜から完結まで毎日更新です。
ラストスパートですね。
普段通りの通学路を進み、普段通りの待ち合わせ場所に向かう。
いつもと何ら変わらない光景。どう見てもそうだ、周りを歩く人々も、周りの景色もいつも通り。
なのに、何故だろう。何かが引っかかる。
何も変わらない筈なのに、私の大切な日常のはずなのに、何かが。
或いは、そう……私にとって何よりも大切なものであるが故に、何らかの微細な変化を感じ取っているのかもしれない。
ならば、ヒメは一体何を持ってそれを感じ取っている?
「……」
「……」
「……あのさ、何か喋ろうよ。喧嘩でもしたの?」
「いや、してないけど……」
「何かこう、違和感があって……誠也君は何も感じない?」
「違和感って言われても、分らないけど」
どうやら、誠也はこれを感じていないらしい。
どうして私とヒメだけなのか……他の二人はどうなのか。
もしかしたら、あの二人も何か感じ取っているのかもしれない――そう思うと、私たちの足は自然と速くなっていた。
やっぱり、不安なのだ。人間は未知の要素を恐れるようにできている。
訳が分らないって言うのは不快だし、怖い事なのだ。
そう、例えば――
「――――」
何だ、私は今何を考えようとした?
その怖い存在とやらで、私は何を例に上げようとしていた?
分らない、思い出せない。何なのだろうかこの違和感は。
そんなもやもやとした感覚を抱えたまま、私達は通学路を歩いてゆく。
いつも待ち合わせに使っているあの交差点まではそれ程遠いと言うわけではない。
早足で進んでいれば、自然とすぐに辿り着く事ができた。
そこに、見知った二人の姿を見つけ、私とヒメはすぐさま駆け寄る。
「賢司君、お兄ちゃん!」
「おはよー、賢司、トモ」
「ああ、おはようヒメ、杏奈」
「よっす」
いつも通りの挨拶を交わし……しかし、そこにトモのバカな発言が無い事に少しだけ首を傾げる。
見れば、賢司もトモも、何やら少し浮かない表情を浮かべていた。
これは、もしかして――
「ねえ、二人もなんか変な感覚を感じてる?」
「……となると、お前たちもそうなのか。姉さんもだったんだよな……何なんだ、一体」
どうやら、賢司たち……そして、秋穂さんも同じく違和感を感じていたらしい。
それが少しだけ嬉しくて、私は安堵の吐息を零していた。
流石に私たちだけって言うのは、どうにも不安感が募ってしまう。
とは言え、原因が分かっていない以上は、根本的な解決にはなっていないのだけれども。
と――そんな事を話していたとき、後ろで見ていた誠也が私に対して声を上げた。
「なあ、姉ちゃん。賢兄の呼び方いつの間に元に戻したんだ?」
「え?」
「いや、だってずっと苗字呼びだったじゃんか、『嶋谷』って。何で呼び方を元に戻したんだ?」
「何でって、そりゃ……」
――その返答に詰まり、私は言葉を失ってしまう。
私が賢司の事を苗字で呼んでいたのは、私の抱いていた想いを隠すため。
ヒメと賢司がくっついて二人で幸せになるのが一番だと思っていたからこそだ。
だから私は、賢司の名前を呼ばないようにしてその想いを封印していた。
なのに……どうして今、私は賢司の事を名前で呼んでいる?
「え、っと……嶋谷?」
「……何でだろうな、今更そう呼ばれても違和感しかないんだが」
「何か、私もそうなのよね……」
杏奈にも必死になっていたはずなのに、何の気負いもなく賢司の名前を呼ぶ事が出来ている。
むしろ今は、賢司の事を苗字で呼ぶ方が変だと感じていた。
かといって、賢司に対して焦がれるような思いを感じているかと聞かれれば、それも否だ。
嫌いになったと言う事ではない。ただ、賢司の事を強く求める気持ちが無くなっている。
ただ自然体で、賢司の事を見ていられるのだ。
「あー、ええと……まあ、ほら、ちょっとした行き違いがあったというか」
「仲直りしたって事?」
「た、たぶんそんな感じ」
ぶっちゃけそんな感じも何も、私自身が何があったのかさっぱり理解できていない状況ではあるけれども、まあとりあえず誤魔化しておく。
下手に追求されてもどう返していいかさっぱり分らないし。
誠也も私の様子を訝しげに思ってはいたみたいだけど、追求して欲しくない気配を察したのか、そこで引き下がってくれた。
よく出来た弟である。
「ま、まあ、とりあえず学校に行こうよ」
「おう、そうだな」
何だろうか……周りのあらゆる物に対して違和感を感じていると言うのに、私たち四人に関しては全く自然に感じる。
ヒメと賢司が自然に隣同士で並んで、私とトモがその両側を固める……そんな、前は無かった筈の歩き方に。
どうして、普段と違う、日常と違う事を自然に感じているのか。それは分らないけれど。
「っと……今日は俺は遊べないんだ。先に伝えておくぞ」
「ん? 放課後って事?」
「ああ。家族で出かけるんだ。父さんと母さんと姉さんと……それから、浩介兄さんの家も一緒にな」
その、言葉に――私は、特大の違和感を覚えていた。
いや、違和感と言う言葉すら生温い。不快感、或いは敵意とすら呼べる感情。
理由も無く、前触れも無く……そんな強い感情が、私の中に湧き上がっていた。
何故だろう、何故だか分らない。にもかかわらず、何かが許せないと、私の心が叫んでいた。
「杏奈? どうかしたのか?」
「え、あ……いや、何でもない」
何かがおかしい。何かが、何かが――
けれど正体を掴む事は出来なくて、それがただひたすらに不快で。
私は、再び言葉を失ってしまっていた。
――にゃあ。
視界の端に、黒い影。
しかし振り向いた時には、その姿は消えてしまっている。
何なのだろう、あの猫は。何かを知っているのか、それとも私が何かを忘れてしまっているのか。
未知と言う恐怖が……私を、蝕んでいた。
* * * * *
授業も身が入らないままに、時間が過ぎてゆく。
元よりあまり仲のいい友達もいないし、例えボーっとしていたとしてもあまり気にされる事はなかったけど。
しかし、そんな時間すらも、違和感を感じずにはいられなかった。
それがどうにも憂鬱で、零れる嘆息はどうにも止められない。
と――
「杏奈ちゃん、もうお昼だよ」
「え……あ、え!?」
ぽんと肩を叩かれつつ掛けられた言葉に、私は飛び上がりながら周囲を見渡していた。
見れば、教室の中の人の姿はもう疎らで、大半が学食や購買に行ってしまった事が分かる。
どうやら、4限目も完全に上の空のままぶっちぎってしまったらしい。
これは後々の課題が怖そうだ。
「はぁ……ヒメ、調子はどうよ?」
「正直、あんまりいいとは言えないかな……どうしても気になっちゃって」
「まあ、気にしない方がいいのは確かなんでしょうけどね。でも――」
何故だろうか。何となく、この感覚を失ってはいけないと感じていた。
誰かに何か、忠告されたような……そんな気がして。
まるで必死にしがみつくようにこの感覚を忘れないようにしていたから、ずっと気にしてしまっているのだ。
正直、いつまでも続いても困ってしまうが。あんまり続くと原因が分かるよりも先に参ってしまいそうだ。
「気になる事は気になるけど、今はお昼を食べに行こうよ」
「ま、それもそうね……今日はお弁当作って来た訳だし」
言って、私はカバンの中に入っていた弁当箱を取り出し、小さく笑みを浮かべる。
トモが来なかった分の朝の残り物だけれども、いい加減おなかが空いてしまっているのも事実だ。
お昼が楽しみじゃない訳ではない。
自分で作った料理だからあんまり楽しみが無いのは事実だけれども。
笑いながら席を立ち、私達はいつも通り教室を出てゆく。
「それにしても、何なのかしらねぇ、これ」
「うーん……賢司君もお兄ちゃんも感じてたみたいだけど」
「後は秋穂さんもね。一体どういう条件なんだか」
何らかの要因がある事は確かだ。
まあ、何かあるならさっさと知りたいとは思っているけれども……しかしどうしたものか。
何せ、心当たりはさっぱり無い。今日朝起きたら突然こうだったのだから。
昨日特殊な事をしていた訳でもないし、寝ている最中に何かあったとでも言うのか。
いや、仮に何かあったとして、一体どんな出来事があれば私達はこんな違和感を感じ続けることになるのか。
そもそも、何に対して違和感を感じているのか――
「スッキリしないわ。ああもう、イライラする」
「気持ちは分かるけど、暴れちゃ駄目だよ?」
「ヒメ、あんたは私をなんだと思ってるの」
そりゃまあ、フラストレーションが限界まで溜まると感情のままに行動する事はあるけれども。
けどそんな事は滅多にないし、私がそこまでイラつく前に、大抵賢司が問題を解決してしまう。
昔だったらトモも頼りになっていたんだけど、最近はむしろ私の苛立ちを溜める側に回っている気がする。
まあ、真面目な時はしっかり真面目にやるでしょうけれど。
連絡通路を通って、中央棟へ。そのまま奥の方へと進んでゆく。
「まあでも、もうちょっと話し合った方がいいのは確かかもね」
「皆で話し合いかぁ……確かに一人で考えてても思いつかない事ってあるしね」
「煮詰まっちゃうのよねぇ。賢司がいれば話を纏めてくれるし、その方が何か思いつくかもね」
そして扉を開けようとして――がたんと、止まった。
「え――――」
そこまで来て、ようやく気付く。私は何故こんな所にいるのか。
今いる場所は来た事もない場所で、部活をやっていなきゃ来る筈の無い部室で。
しかも、何の部も入っていないただの空き部屋――張り紙も何もない、そんな場所。
どうして私は、こんな場所にいる?
「な……んで」
私もヒメも、この場所に向かっている事に対して何の疑問も抱いていなかった。
それがいつも通りだと、それが当然だと……そう言うかのように。
私達は何も考えず、この場所に辿り着いていた。
違和感に気を取られていたから? ヒメと話し込んでしまっていたから?
そうだとしても、こんな場所に辿り着くはずがない。そう、その筈なのに――
「どういう、事よ……ッ!」
分からない。何も分からない。
ただ溢れかえるのは強い違和感で、不快感を催すそれに苛まれ続けている。
けれどこの苛立ちはそれだけじゃない。私は、それだけでここまで燃え上がるほど熱い性格って訳じゃない。
ただ、許せないと――そう思ってしまうのだ。
違和感の正体は分からない……けれど、この強い苛立ちがどこから生まれているのかはすぐに分かる。
「違う……こんなの、こんなのは……!」
そう、違うのだ。
これは違う、こんなものじゃない。それ自身から違和感を感じている部分も多少なりともあるだろう。
けれど、ただ違うという事それ自体が許せない。
正確に言うなら――そう、足りないのだ。
「こんなの、私の『日常』じゃないッ!」
今あるこれは、私にとって何よりも大切な物ではなくなってしまっている。
何故かは分からない。何が足りないのかも分からない。けれど、漠然と分かってしまうのだ。
違う……何かが足りない、何かがおかしいと。
私の日常はこんな形ではなかった。
こんな形になっていたのかもしれないけれど、今はこれじゃないと確信できる。
根本的な原因も、具体的な内容も分からないけれど――ただ強く、私はそう思っていた。
「絶対、取り戻す……!」
ただ漠然と、それでいて強い思いを抱く。
足りないものを補うだけでは駄目なのだ。とにかく、取り戻さなくてはならない。
私は怒りと共にそんな思いを抱きながら、じっと目の前の扉を睨みつけていたのだった。




