86:浩介の謎
市ヶ谷さんを助けるに当たって、私たちが何をすべきか――ひとまずの指針として先輩が私に言い渡した内容は、『待機』であった。
時間が無いのではないか、とも思ったけれど、生憎と現時点では市ヶ谷さんを蝕んでいる存在が何者なのか判明していない。
しかし本人に聞こうとしても無駄だろう。あの人は他人に出来る限り心配を掛けさせないようにしているのだから。
仮に切羽詰っているような状況になっていたとしても、あの人が自らそんな状況にある事を口にするとは思えない。
先輩も、それは百も承知と言う事なのだろう。もしかしたら、昔ダメ元で聞いてみた事があるのかもしれないけれど。
「……けど、それでいいんですか?」
「それしかないって言うのが実際の所だろうね。杏奈ちゃんの所の不思議な力を持つ人たち、彼らでもダメなら打つ手なしだ」
「ミナさんがいれば、いけると思うんですけど……」
あの話の翌日、私達は部室に集まっていた。
そして先輩の言葉に対し、私は首を横に振る。残念ながら、今はミナさんの力には頼れそうにない状況だった。
そもそも、ミナさんが私の家を訪れる事自体が凄まじく稀だ。
一応こっちに来れないかとお兄ちゃんには聞いておいたのだけれども、今は向こうで用事があるから無理だろうとの事。
あの人がいれば、確かに簡単だろう。一目見ただけで相手の心の内を読み切ってしまうのだ。
しかしながら、無いものねだりをしても仕方ない。今は現実的に考えるしかないだろう。
「あの姫乃ちゃんのお師匠さんでも? あの人、私でも理解不能な情報収集能力を持ってたような気がしたんだけど」
「あ、はい……いづなさんでも、分からないみたいです。何だか凄く不機嫌な様子でしたけど」
そんな風に、先輩の言葉に返したのはヒメだ。
今回の件は、私一人が協力した所で何とかできるような内容ではない。
無論、全員が協力したからといっても、所詮学生でしかない私たちに出来る事は限られているけれど――それでも、無いよりはマシだろう。
そして何より、ヒメやトモが困っている友達を見捨てる筈が無い。
「うーん……神頼みみたいだからあんまり頼りたくなかったのは事実なんだけど、無いなら無いで残念だね。他に何か分かりそうな人はいないの?」
「……いるには、いるんですけど」
「その人は? 頼れないの?」
口調はそれなりに落ち着いているけれど、先輩の必死さが見て取れる。
それだけ、追い込まれているという事なのだろう。
けれど、残念ながら私はその言葉に首を横に振っていた。
「ここ最近こっちに来た事がないですし……それに、話を聞いてくれるかどうかも微妙です。お兄ちゃんが実力行使しても言う事聞きそうにないですし」
「何でいきなり脳筋思考に走るんだお前は」
「だってあの人、自分に興味のある事にしか手を出さないんだもの。いきなり他人の事なんか頼み込んでも、まず聞いてくれないわよ」
あの人――煉さんはそういう人だ。
普通にしている分には特におかしい所なんて見受けられない。
普通に笑い、普通に怒る、どこにでもいるようなお兄さんだ。
けれど、あの人の中身はそんな生易しいものではない。
極度の自分勝手で、気に入ったものは自らの手にしなくては気が済まない欲張りな人。
普通に接している分にはいいのだけど、深く知れば知るほど近づきたくなくなるような人物だった。
あの人の力は、お兄ちゃんたちの力の中でも群を抜いて強く、そして異様なものだった。
正直話を聞いてもさっぱり理解できなかったのだけれども、あの人ならもしかしたら何か分かるかもしれないと思えてしまう。
が――あの人も姿を現さないし、あまり積極的に力を借りたいとも思えなかった。
「けど、どうするんだ? 時間が無いのも事実なんだろ?」
「ああ、分かってるよ。けど、具体的な方法が無いのも事実だ。だから、地道な方法しか取りようが無い」
「地道って……どうするの? ちょっとずつ関係ありそうな怪異を調べるだけ?」
「いや、それだと時間が足りなさそうだったからね。今回は、コースケにちょっとした監視をつける事にしたんだ」
監視と言う言葉を聞き、私はそっと机の上においてあった本の表紙を撫でる。
昨日、私が先輩と話し合った結果思いついた方法――それは、身近にある存在たちに手を貸して貰うと言う事だった。
「いるだろう? コースケの近くに、気付かれないようにあいつのことを監視できる貴重な存在が」
「ふむ……つまり、葵ちゃんか!」
「んな訳あるかバカ。あの子がその手の行動をしてもさっさと気付かれるのがオチだろう」
あの庫なら訳を説明すれば積極的に手を貸してくれるだろうけれども、あの子にあまり心配を掛けさせたくなかったのも事実だった。
だから、葵ちゃんには市ヶ谷さんの体の事は伝えていない。
……これから事態が悪化するような事があれば、伝えない訳には行かないのだろうけれど。
まあとにかく、市ヶ谷さんの監視を行っているのは葵ちゃんではない。
あの子にはそのような行動は荷が重い。あの人の監視をしているのは――
「ほら、いるだろう。浩介兄さんの近くにいて、人に気付かれ難く、そして常に監視する事が出来る奴が」
「……あっ、あの猫ちゃん!」
そう、つまり――『人面猫』、人の知能を持つ化け猫の怪異であるウツロだった。
あいつならば人の目に付きづらく、そして本気で隠れていれば市ヶ谷さんにも見つからない。
そして――これに関しては私も先輩も予想外だったけれど――もう一つだけ仕込みがあった。
「それに、『杏奈ちゃん』のおかげでコースケの情報はリアルタイムに伝わってくるからね」
「え? 杏奈ちゃん、何かしたの」
「あはは、私じゃないわよ。私じゃなくて、こっちの杏奈」
先輩の回りくどい言葉に苦笑しながら、私は手元の本――『森杏奈の日記帳』をぽんぽんと叩く。
そしてそのページを開いて皆に見えるように立てると、そこに白い着物を着た少女の絵が浮かび上がった。
怪異を宿した日記帳であるこの子には、ある特技が存在していたのだ。
「この子のページを一枚だけ破って、ウツロの首輪に付けてあるの」
『そのおかげで、わたしは今でもウツロと同じ光景を同時に見ていられるんだよ』
「これに関してはワタシも驚いたけどね……まさかこんな事が出来るとは思わなかったよ」
それに関しては私も同意だ。
ページを破る事でその分だけ目を増やす事が出来るとは、また便利なのか捨て身なのか。
まあ、破ったページが元通りになる訳ではないので、この子としても多用したい手段ではなかっただろう。
けれど杏奈は、自らそれを言い出してくれた。
だから私は、その想いに応えたいと思う。
「えっと、それって日記の杏奈ちゃんは痛くないの?」
「……当然問うべき疑問と言うべきなのか、それともヒメらしいというべきなのか。まあぶっちゃけた所、私もよく分からないんだけど……杏奈、本の状態なのに痛覚とかあるの?」
『ううん、無いよ。ページ破られたりしても痛みは無い。ただ、喪失感みたいなのがある感じかな……あんまり何度もやりたくは無いよ』
まあ、そういう事らしい。
とにかく、こんな真似を何度もするつもりは無いのだから大丈夫だろう。
ともあれ、今重要な事は市ヶ谷さんの様子を監視する事だ。
「それで、杏奈。市ヶ谷さんはどんな様子なの? って言うか、ちゃんと見えてるのよね?」
『うん、大丈夫だよ』
吹き出しを浮かべて喋る杏奈は、かなり得意げな表情だ。
まあ、こんな風に私たちと一緒に活動できるのが嬉しいのだろう。
私も何だかんだで毎晩話をしてはいるのだが、やっぱり一人でいる時間は暇で仕方ないらしい。
「それで、コースケは今何してるの?」
『えーと……何だか、たくさん書類を読んでるみたい。凄く積みあがってる紙の束があって、それを捲って見てるよ』
「紙の束……何かの資料か?」
机の真ん中に広げられた杏奈の言葉に、賢司は小さく呟きながら考え込む。
市ヶ谷さんが読んでいる資料となると、やはり怪異に関連したものだろうか。
「杏奈、市ヶ谷さんは何か喋ってたりしない?」
『ええとね――――』
私の言葉を了承して、杏奈は市ヶ谷さんの話している事をそのまま文章にし始める。
そうして日記帳に浮かび上がってきた言葉は――どうやら、怪異に関する情報であるらしかった。
けれどその種類は非常に多岐に渡り、有名なのから聞いた事も無いようなものまで、いくつもいくつも名前が挙がってきていた。
これは――
「先輩、何か分かりますか?」
「ん……そうだね、ワタシにはどっちかと言うと資料の整理のように思えるかな。こんな多種多様な怪異を一度に対決する事は不可能だよ。そもそも、一箇所にまとめて発生するような怪異じゃない」
「ですね。しかし、となるとこれは一体……?」
先輩の言葉に賢司が同意する。
二人の意見が一致しているのであれば、疑う余地は無いだろう。
しかし、本当に一体どういう事なのか――挑むつもりが無いのであれば、どうして怪異の情報を集めているのだろう。
そう思いつつ皆で日記帳を見つめていて――ふと、私達はありえない記述が発生した事に気付いた。
「え、嘘……」
「これ、学校の七不思議の奴の名前じゃねぇか」
杏奈が挙げた怪異の名前の中には、あの時遭遇した学校の七不思議に関する情報も存在していたのだ。
当然、あの怪異はこの学校にしか発生するはずが無い。
確かに市ヶ谷さんならその情報を調べる事も可能だとは思うけれど――
「どうして、学校の七不思議の情報を……? あんなの終わった怪異だし、今更被害も何もないでしょう」
「やっぱり、これから怪異に挑むために情報を集めてるって感じじゃないね」
「しかし、それでも理由が見えてこないな……」
私と、先輩と、賢司。頭脳労働担当がこぞって疑問符を浮かべる中――ふと、ヒメが何かを思い出したかのように顔を上げ、唐突に声を上げた。
「あっ! あの、杏奈ちゃん!」
「ん?」
『なぁに?』
「あ、えっと、日記のほうの杏奈ちゃんね。それで、市ヶ谷さんのすぐ傍なんだけど……古ぼけたラジオみたいなのは置いてないかな?」
ヒメの質問の意味をつかみかね、私は思わず目を白黒させる。
が、ヒメはいたって真面目な表情でそれを問うており、何かしらの考えがある事を伺わせた。
何かに気付いたのだろう……ならば、ここは口を挟まずに黙っておくべきだ。
そしてしばしして、日記の杏奈が声を上げる。
『うん、あったよ。何だかよく分からない機械に声を吹き込んでるみたい』
「となると……やっぱりあのラジオなのかな」
「ヒメ、何か知ってるの?」
「うん、知ってるって言うか、見た事あるって言うか……たぶん市ヶ谷さんがやってるのは、怪異に対する汎用的な攻撃手段の強化だと思うんだ」
「汎用的って……ああもしかして、あの力技のラジオの事?」
どうやら、先輩もその存在を知っていたらしい。
詳しく話を聞いてみれば、どうやらどんな怪異にも一律で効果を発揮するような武器を作る事が目的だったらしい。
成程、確かに市ヶ谷さんのような立場では有用だろう。
が、その為にどんどん危険を冒していかなければならなくなると思うと、何とも言えない。
「成程、あれの強化ね……とはいえ、この大量の情報の出所がどこなのかはさっぱり分からないけど」
「自力で調べたって言う線は無いんですか?」
「あまりにも多すぎる。いくらコースケでも、これは無理だ。それに――」
先輩はそう断言し、日記帳に書かれてゆく内容を凝視してゆく。
その視線の中に含まれているのは、疑念とも呼ぶべきものだった。
「あのラジオには、怪異の顛末全てを録音しないと意味が無い。となると、コースケはあの学校の七不思議の顛末まで知ってる事になる。それは、いくらなんでもおかしいだろう?」
「……」
そんな先輩の言葉に、私達は揃って沈黙する。
何も言い返す事が出来なかったのだ。あの顛末の全てを知っているのは、私達だけのはずなのに。
奇妙な不気味さに視線を彷徨わせ――
『あっ!?』
唐突に、杏奈がそんな吹き出しを発生させた。
それと共に羅列されていた市ヶ谷さんの言葉が増殖を止め、そこで終了してしまう。
「杏奈、どうしたの!?」
『あ、うん……ウツロが葵ちゃんにつかまっちゃった』
「……あー」
昼寝でもしてたのね、あの猫。
多少の情報を得る事はできたけれど、結局全容を掴む事は出来ず――私達は、揃って嘆息を零していた。




