84:遅れての帰還
あの縁結びの怪異の事件以来、私達は平穏な日々を過ごしていた。
ここで言う平穏と言うのは、要するに怪異に襲われる事が無いという意味だ。
あの事件から二週間、道祖神を真っ二つにしてしまった件も含め、いろいろと後始末に苦労する事になったけど、危険な目には一切遭っていない。
まあ、怪異が起こらなくなったなんて楽観視するほど気楽な性格はしていないけれど、それでも多少は安らかな生活を送れている。
……うん、まあ、安全性という点ではこの上なくそうなんだけど――
「賢司君、これ美味しいよ!」
「ああ、姉さんの自信作だからな。今度、店のメニューに並べる予定なんだ。俺はまだ食べてないけど」
「そうなの? それじゃあ……はい、あーん」
正面の席に並びながら座ったバカップルを見据え、私は思わず半眼を浮かべていた。
まあ、ヒメは天然だ。自分が今ものすごく恥ずかしい事をしている自覚はないだろう。
が、賢司の方は確信犯だろう。『まだ食べてない』とか言えばヒメがこういう反応をしてくる事は分かりきっていたのだから。
美味しいケーキを味わい、それをヒメ手ずから貰い、更には後で我に返って羞恥に悶えるヒメを見て楽しむ。
つまりは一石三鳥。なんて無駄な所で知略を使ってるんだろうコイツは。
「む……うん、いい出来だ。流石は姉さんだな」
「あはは、そうだね。私も習おうかなぁ」
「いいんじゃないか? ヒメの手料理も食べてみたいしな」
「わ、私の手料理!? 賢司君に私のお弁当を!?」
「いやそこまでは言ってないが、そこまで期待してもいいんだな?」
「う、うう……時間が出来たら頑張るよ」
何と言うか、これ以上なく置いてけぼりだ。
私もトモも、口を挟むことも出来ずに沈黙しつつ目の前の二人を眺めている。
ついでに、今日はコーヒーをブラックで貰った。
普段は苦いのはまり得意ではないけれど、今日に限っては何も入れないままに飲んでいる。
正直、それでちょうどいいぐらいだ。
しかし――
「……賢司の奴、性格変わってない?」
「まあ、ハイになってるんだろうな。ヒメが可愛いからそれも当然だ」
「それに関しちゃ同意するけど、何かSっ気が出てきてるような気がするわ」
「あれじゃね? 好きな子の事をいじめたくなるみたいな」
「小学生か」
ヒメと賢司に聞こえないように小声でそう言い合いつつも、私は小さく嘆息を零す。
別に、悪い事じゃないのだ。二人を焚き付けたのはこの私だし、二人が幸せそうなその姿に満足している。
それにヒメが自分の行動を思い返して身悶える姿とか、私にとってもご褒美だ。
そういう点に関しては、賢司にGJと言ってやりたい。
が――
「あんた達……ちょっとは周りの目を気にしなさいよ」
「え?」
私が半眼で言い放った言葉に、疑問符を浮かべつつ反応を返したのはヒメだけだった。
賢司は薄く笑ったまま――要するに、確信犯なのだろう。
やっぱり前よりもはっちゃけてるなぁとは思いつつも、私は嘆息を零しながら続ける。
「あんた達が出来立てほやほやの幸せカップルなのは分かるし、二人が幸せそうにしてるのはこちらとしても嬉しい限りだわ。けどね――」
そして、周囲へと視線をめぐらせる。
それと共に視界に入ってくるのは、こっちの方へと色々な視線を向けてくる他の客たちだった。
こっちの方――というかむしろ賢司に敵意にも似たものを向けてくる人、微笑ましそうに二人を見守っている人、あまりの仲のよさに顔を赤くしつつチラ見してくる人、そして割とジェラシーっぽい視線を向けてくる先輩。
先輩のあれは恐らく、幸せなカップル全員に向けられているのだろうけれども。
相変わらず、市ヶ谷さんとは微妙な関係であるようだ。
まあ、それはとにかく、この二人は――
「――あんたたち、目に毒なのよ」
「ちょっ、杏奈ちゃん酷くない!?」
「酷くない。ってか事実よ事実」
私の言葉が聞こえたのか、近くの席に座ってた人たちの内の何人かが同調するようにこくこくと頷いている。
見れば、男ばかりのテーブルとなっている。お洒落な店に来る面子ではないが、どうせ先輩とか秋穂さん目当てだろう。
そんな連中にとっては、この二人の仲睦まじさは直視しがたいものであったようだ。
「別に仲良くするなとは言わないけど、もうちょっと回りの目を考えなさいな」
「あ、あう……賢司君」
「いや、見せ付けてるんだから別にいいんだよ。ヒメは俺のものだってな」
「そんな、『俺の』だなんて……もう、賢司君ったらぁ!」
「あーはいはい、ご馳走様ゴチソウサマ」
やはり賢司の奴は確信犯だったか。
まあ、今までもヒメが告白される度に気が気じゃなかったんだろうし、そうしたくなる気持ちも分からないではないが。
どちらにしても、この二人が独り身には目に毒だという事には変わりはない。
でもまあ……幸せなようで何よりだ。
「はぁ……まあいいか」
「諦めんのかよ」
「まあ、そりゃ私にとっても目に毒なのは確かだけどさ。二人が幸せそうな所見られるなら……まあ、悪くないわ」
周りの人たちが『諦めるな、もっと頑張れ』みたいな視線を送ってくるが、それはスルー。
まあ、出来るだけここでいちゃつかせないようには気をつけるから、今回は勘弁して欲しい。
いくら嬉しいといっても、こう周囲を気にしないでやられると、私としても困る。
そう言ってしまうと向こうも遠慮してしまうだろうから、それもあんまりしたくないのだけど……私の立場はちょっと複雑だし。
まあ、その辺はトモに頑張って貰うかな。
「っと、そういえば――」
ふと気付き、私はきょろきょろと周囲を見渡す。
ちょっとだけ気になった事があったのだが、今はその姿を見つける事は出来なかった。
「葵ちゃんがいないって事は、市ヶ谷さんは帰ってきてるの?」
「いや、まだ帰ってきてないな。葵なら今二階で猫と遊んでる」
「ああ……そりゃまあ、こっちに降りて来る訳にも行かないか」
飲食店に動物は厳禁。いくらウツロが怪異を宿した猫で清潔にしているからと言っても、それは変わらないだろう。
あの猫も結構気まぐれだから、昼間はその辺を勝手にうろついていたりもする。
そういう時は、葵ちゃんはこっちの方まで出てきて大人しくしているんだけど、今は二階にいると言うわけだ。
そうね、まあどうせ暇だったし――
「じゃあ、ちょっと会いに行ってみる?」
「あ、いいね! 二人だけよりも皆でいたほうが楽しいし」
「浩介兄さんが戻ってこなくて寂しそうにしてたしな。いいんじゃないか?」
「つーかあの人、何してんだかな」
出されたメニューも片付け終わってたし、ちょうどいいタイミングだろう。
私達は会計を済ませるために、レジの方へと向かってゆく。
そんな私たちの姿を見た先輩は、素早くレジに回ってくれていた。
「はーい、お会計は1490円です」
「じゃあ、これで」
「はい、1500円お預かりします」
「後で割り勘? それともそれぞれの分を出す?」
「いや、ここは俺の奢りでいいさ。二人には付き合ってもらったからな」
賢司はそう、お金を出しながら笑みと共に口にする。
そういう気配りができるなら店の中にいる時からやって欲しかったところだけど、まあ今更言った所で仕方ない。
コイツも何だかんだで子供な所がある奴だ。ああいう子供じみた独占欲を出す事もある。
まあ普段から冷静な用で好奇心旺盛だし、ある意味いつも通りの姿と言えなくもないのだけれど。
ともあれ、奢ってくれると言うのならば奢られておこう。こいつも、何だかんだで店の手伝いはバイト扱いされてるから、お金がないわけじゃないのだ。
それを言うなら、私の神社のお勤めもしっかりお給料を貰ってる訳だけど。
正確に言うとお給料ではなくお小遣い扱いだが。
「でも、やっぱり悪いよ」
「いいから。その分、葵と遊んでやってくれ」
「……うん、そういう事なら」
賢司の言葉に、ヒメは小さく笑みを浮かべる。
ヒメも結構子供好きだから、葵ちゃんの相手をするのは嬉しいのだろう。
会計を終えて出て行く賢司の背中を追いかけながら、私はふと考える。
そういえば――
「……あの人」
「ん? 杏奈、どうかしたのか」
「いや、何でもないわ」
小さく声に出ていた事に気付き、私はトモに対して首を横に振る。
こいつに言っても仕方ない事だし、恐らくヒメは気付いていない。
これが関係あるとしたら、賢司か先輩のどちらかだろう。
店の周りをぐるりと回って裏手にある入り口の方へと向かいながら、私はぼんやりと思考する。
私が疑問に思った事はただ一つ、市ヶ谷さんの事についてだ。
正確に言えば、あの人が未だに帰ってこない理由。
あの後すぐに返ってくるのであれば、あまり悩む必要もなかった。
事後処理をして戻ってきたと言う、ただそれだけの事なのだろうから。
けれど、今回はあまりにも遅い。ただ報告するだけならば、一週間もかからない筈だから。
「別の仕事か、それとも――」
別の仕事をしに行ったのであっても、一度ぐらいは戻ってくるだろう。
あの人は本当に葵ちゃんのことを大切にしているのだから。
けれど、今回はそんな報告すらもない。
一応、何となく気になって逐一賢司から話を聞いていたのだ。
その結果判明した事が、市ヶ谷さんが今日まで一度も戻ってきていないと言う事実。
一体あの人は、何をしているのか。
その答えになるかもしれない事、その答えにはなって欲しくないと思う事――それが、一つだけ思いつく。
「……ヒサルキ」
あの人を馬鹿にしたような態度をとる、正体不明の怪異。
あいつの怪異としての性質は、傷ついた人間に取り憑き、動物を殺してその命を喰らう事で宿主の身体を癒す事。
もしもあいつがこんな力を持つと知らなかったら、こんな風に悩む事はなかっただろう。
けれど――思いついてしまった。それを明確に言葉にする事は怖いけれど。
考えたくは、ない。
「もし、そんな事になっていたとしたら」
そうあるべきではない。分かっている。けれど、辻褄は合ってしまうのだ。
全てに予想がついているわけではない。その結論に達するには、まだまだ情報が足りていない。
けれど、思いついてしまったその言葉は、酷く説得力があるものだった。
だって、そうだとするならば――
「……二人が必死な理由、納得できるもの」
賢司と先輩が必死なまでに怪異を追う理由が。
もしもその焦りが、時間が無いが故のものだったとしたら――
「おい、杏奈? 大丈夫か?」
「ん……ま、いつも通りよ。色々気にしすぎなだけ」
「そーかい。ま、お前は平然としてろって。あの二人、お前の事を気にするからな」
「分かってるわよ」
手を繋いでいるヒメと賢司の姿を見て、私は頷く。
私自身があの二人の笑顔を曇らせてしまったのでは本末転倒だ。
気にしない訳ではないけれど、気にしすぎる訳にもいかない。
私に出来る事は限られているのだ。私が焦っても、事態は好転しないだろう。
――そう思った、瞬間だった。
「お、賢司!」
「え……浩介兄さん!?」
唐突に響いた声に、賢司は珍しく驚愕を交えた声と共に振り返る。
そこには声の通り、市ヶ谷さんの姿があった。
いつもと変わらぬコートを身にまとって、ひらひらと手を振りながら。
「ただいま。ちょっと留守にしちゃったな」
「……数年間どっかに行ってたのよりはマシだと思うが、遅かったな」
「まあ、ちょっと野暮用があってな。他の皆も、こんにちは」
「は、はい」
ちょうどこの人の事を考えていた所だったので、思わず硬直してしまう。
まあ、流石に考えている事がばれる訳ではないだろうけれども。
しかし、どうしたものかしらね。直接聞く訳にもいかないし……聞くとしたら、賢司と先輩の方か。
私がそんな事を考えているとは知らず、市ヶ谷さんは視線を少しだけ下げる。
その行く先は、どうやらヒメと賢司が繋いでいる手のようであった。
その姿を見た市ヶ谷さんの口元が、どこか悪戯っぽく歪む。
「ほほう……賢司にもついに春が来たか」
「ああ、そんな所だ」
「何だ、恥ずかしがらないのか?」
「恥ずかしがってどうするんだ? 可愛くて勇気もある、最高の彼女だと思うんだが」
「け、賢司君ってば!」
臆面も無く言い放つ賢司とか、恥ずかしがるヒメとか――普段なら、色々と見るべき所はある。
けれど私には、どうにも市ヶ谷さんの事が気になって仕方がなかった。
「で、賢司たちはどうしたんだ?」
「ああ、葵が暇してると思ったから、ちょっと相手をしようと思って」
「成程、そりゃありがたい。俺も混ざるから、また皆でゲームでもしようか」
笑いながら、市ヶ谷さんは家の中へと向かってゆく。
その背中を見つめて――私は、静かに思考をめぐらせていたのだった。




