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神代杏奈の怪異調査FILE  作者: Allen
逸話の王/天秤の剣/斬神の巫女
83/108

83:過去の傷痕












 暗く冷たい夜道――寒風吹きすさぶそこは、雨こそ降っていないものの、人が留まるにはあまりにも辛い場所だ。

けれどその場所に、一人の男が蹲っていた。

人の気配はない、住宅地からも離れた街道。しかして田舎道であるそこは、車が通る気配すらも存在していなかった。



「は、はは……」



 道の脇には寄りながらも、それ以上動く気力も無く、男――市ヶ谷浩介は乾いた笑みと共に空を見上げた。

明かりの少ない場所では、見上げた星もよく見える。都会では見る事の出来ない光景に、浩介は半ば苦笑のような笑みを浮かべていた。



「ああ……こんなのも、いいかもしれないな」



 熱に浮かされたように朦朧とした意識の中、浩介はそんな言葉を口にする。

体中が鈍い痛みを発し、まるで爆発してしまうかのような熱さを感じる。

しかし体中から溢れる冷や汗で、彼の身体は酷く凍えていた。


 ――市ヶ谷浩介は、正義の味方だ。

彼を知る人間は、半ば冗談のような調子でそう揶揄する。

その言葉は、決して間違いではなかった。

自らの身を投げ打ってでも他人を助けようとする。

人の頼みを聞き、その願いに応える事こそが自らの願いだと、本気でそう思っているのだ。


 故に、この状態は当然であるとも言えた。



(十分、だよな)



 最早言葉を口に出す気力も無く、浩介はただ胸中でそう呟く。

これでいいのだと、これで満足なのだと。自分はもう十分に、戦い抜いたのだと。



(たくさん、人を救った……テリアも、秋穂に預けた。やれる事は、やった――)



 だから、もういい――音に出さぬままに口にして、浩介は目を閉じる。

あの日に壊れた肉体を何とか引きずって生きてきた。限りあるのならば、やれるだけの事はやったのだと、そう信じて。

けれど――その瞼の裏に浮かんだのは、自分が救った少女の泣き顔だった。



「ッ……!」



 ただそれだけで、消え行こうとしていた意識に火が灯る。

それが、市ヶ谷浩介と言う男だから。何もかもを諦めきれない、ただ汚く生き足掻くしか出来ない、そんな人間だったから。

一度抱え込んだ相手の涙など、絶対に無視できるものではなかったのだ。



「ああ……くそ……そう、だよなぁ……まだ、子供だもんなぁ……」



 掠れて、殆ど音にならぬような喉を動かし、浩介はわずかに唇を歪める。

それは苦笑か、はたまた不敵な笑みであったか――少なくとも、死の影に覆われようとしていたその姿は見る影も無い。

ただ、何が何でも立ち上がろうとする諦めの悪い男がそこにいた。



「将来の、事……考えて、やらないと……未来が、あるんだ、から」



 地面に手を着き、立ち上がろうともがく。

限界など当に超えてしまった筈の身体に鞭打って、それでも前へ。

強い意志は、最早執念と言っても過言ではない。

ただそれだけが、浩介の体を突き動かしていたのだ。



「そう、だよ……まだ、辿り着いてない、だろ……終われない、こんな所で――」



 動け、動けと強く念じる。

意志が肉体を凌駕しろと、ただその魂に突き動かされるように。

無様に地を這いずり回っているはずのその姿は――それでも、強い意志と共に輝くような美しさがあった。


 ――故に。



「才能を持たずにこれだけの強い意志。ああ、大したもんだよ。あんたの魂は本当に綺麗だ」



 ――その存在が呼び寄せられてしまったのは、ある意味当然であるとも言えた。


 いつからその場に立っていたのか、浩介が上げた視線の先、闇に紛れるように立つ一人の少年の姿があった。

まだ成人していないであろう背格好、少年と青年の中間であろうと言うような容姿。

黒いジャケットを纏うその見は明かりの無い夜闇の中に紛れるようではあったが、その強烈な存在感ゆえ、浩介が視線を迷わせるような事はなかった。

ちり、と――わずかに、銀色に輝く火の粉が散る。



「なん、だ……?」



 異常な状況に、浩介は己を苛む痛みすら忘れて相手の姿を凝視する。

弱っているためだったのか、浩介にはその存在の異常性をこれ異常なく感じ取る事ができたのだ。

人の姿をしているが、決して人ではありえないほどの強大な気配。

けれど怪異と言う訳ではなく、それよりも遥かに密度が高く猛々しい力を感じていた。

その異様な気配を纏う存在は、口元に歪んだ笑みを浮かべて声を上げる。



「へぇ、身体が壊れかけてるってだけじゃないな。不自然な力の干渉がある……命が流れ出してるぞ? そんな状態でよく動き回れるもんだ」

「な――」

「……成程、大元はずいぶんと隠密性が高いみたいだな。今の今まで存在すら気付かせないとは、中々やるもんだ」



 どこか楽しそうにそう口にし――そして次の瞬間には、不快そうに眉根を寄せる。

酷く歪だと、浩介はそう感じていた。

この少年の姿をした何かは、とてつもなく歪んだ何かを持っている。

そんな警戒心と共に、浩介はその姿を見上げた。

再び、少年の口元に笑みが浮かぶ。



「なあ、アンタ……市ヶ谷浩介。俺はアンタの事が気に入った。だから、選択肢をやるよ」

「な、に……?」



 突然名前を言い当てられ、けれど今更何に驚けばいいのかも分からぬまま、浩介は疑問符を浮かべる。

遥か高みに存在するかのような口ぶりのその少年は、そんな浩介の様子になおさら笑みを深くして。



「この地を離れ、俺と共に来るか。それともこの地に留まり、終わりまで歩き続けるか」

「どういう、事だ」

「そのままの意味だ。前者を選ぶなら、アンタの命は助かるだろう。そして己の望む己の在り方の為に戦い続けられるだけの力もやろう。

後者を選べば、このまま変わらない。一応多少の延命はしてやれるが、終わりが来るのは確定している。あまり力を分け与えると、この不快な干渉してやがる奴に吸い取られるからな」



 その言葉の意味を理解し――浩介は、言葉を失っていた。

それが嘘ではないと、直感的に理解してしまった為だ。

どちらかを選べば、その通りになるのだろう。浩介はそう納得できるだけの力を、僅かな片鱗からだけでも感じ取る事ができたのだ。



「まあ言うまでもないが、前者を選ぶなら戻ってこれないぞ? 繋がりを絶つ為にそう言ってるんだからな。まあ俺のお勧めはそっちな訳だが……さて、どうする?」



 銀色の影は、笑みと共にそう告げる。

目の前の相手は理解不能で、荒唐無稽であった――だが、それでも。

浩介の選ぶ答えなど、最初から決まりきっていたのだ。



「俺、は――――」











 * * * * *











「よぉ、どんな調子だ?」



 目を覚まし、そのタイミングを見計らったかのごとく掛けられた声に、浩介は小さく嘆息を零していた。

身体はだるいが、意識ははっきりとしている。その声が誰のものかと、悩む必要は全く無かった。

ちょうど、その相手との出会いの事を思い返していたのだから。



「アンタか……ずいぶんと暇してるみたいだな」

「まさか。日々忙しく働いてるさ。真面目に働いてるからこそこうして時間が取れるんだぞ?」

「どうだか」



 苦笑し、浩介は身体を起こす。

あまり綺麗とは言えない古い家屋、その一室。そこにあるのは、浩介と目の前の少年の姿のみ。

もう一人あると思っていた姿が見えない事に、浩介は眉根を寄せていた。



「あいつは……」

「気持ちぐらい察してやったらどうだよ? 別れは告げたくないみたいだったぞ?」

「……猫じゃないんだから、気にしすぎだろう」

「鈍感だねぇ。それに、向こうが猫ってのは立場が逆じゃないのか?」



 揶揄するようなその言葉に、浩介は肩を竦めて沈黙した。

決して、それを否定する事はできなかったから。

終わりが近い――この処置・・が終わっても尚抜け切らない気だるさが、それを物語っていた。

手を握り、開いて、その感覚の弱さに浩介は苦笑を零す。



「時間が無い、か」

「いや全くその通り。別にのんびりしてた訳じゃないんだろうけど、いくらなんでも寄り道のし過ぎじゃないのか」

「そう言っても、アンタは俺が寄り道を止めたら見限るだろう?」

「ま、確かにな。アンタが自分を変えない限りは協力する約束だから」



 くつくつと笑い、少年は浩介の傍から身を離す。

非常に身軽な様子の彼はそのまま窓際に寄ると、傍らに立てかけてあった小さなカバンを手に取った。

そしてそれを、浩介と向けて軽く放り投げる。

驚きつつも受け取ったそれはずしりと腕に重みを伝え、浩介は思わず目を見開く。



「これは?」

「言っただろ、協力する約束だってな。一応、俺は約束は違えない事で有名なんだぜ?」

「そんな話は聞いた事もないが……」



 浩介が半眼を向ければ少年は小さく笑い、そして顎でしゃくるようにしながらカバンを示す。

開けてみろ、と言うその合図に不信感を抱きながらも、浩介はファスナーを開いてその中身を取り出した。

その中に入っていたのは――



「何だ、書類……?」

「うちの参謀にはバレないように隠れながら作業してきたんだぞ? あの図書館を勝手に使うと怒られるからな……いや、別に怒ったって怖い訳じゃないんだが、地味に嫌な報復に出てくるし……」

「って、これは!?」



 どこか言い訳じみた言葉を並べる少年を尻目に、浩介は驚きと共に書類をめくり、その内容を確かめてゆく。

そこに書かれていたのは、無数の怪異の情報であった。

浩介が今まで相手にした事があるもの、無いもの、それこそこの世のすべての怪異を記録したのではないかと錯覚するほどの情報量。

10cmを超えようかと言うほどの紙の束は、浩介にとっては宝に山にすら見えるほどのものだった。



「アンタ、これをどうやって……!?」

「だから、俺がどんな存在なのかは知ってるだろうに。とにかく、そんな事はどうでもいいんだ。それはアンタにとって必要なものだろう?」

「あ、ああ」



 腑に落ちない事ではあったが、それでも助かる事は事実。

それに目を通して行く浩介の口元は、僅かな笑みが浮かべられていた。

その様子を隣で眺めながら、少年は苦笑交じりの声を上げる。



「ま、それだけあれば足りるんじゃないのか?」

「ああ……だが、どうしてこれを?」

「だから、手助けだよ」



 そう告げる少年の声は――親愛に満ちたもの。

或いは、敬意とでも呼ぶべき感情を交えたものであった。



「片時も……そう、例え一瞬であろうとも、アンタは道を違えようとはしなかった。己の信じた道を進み、願いに殉じた。その在り方は、本当に美しいものだと思う。だから俺はそれを応援したい――そう思っただけだ」

「利己主義の、癖に……随分、面白い事を言うんだな」

「ああ、利己主義だよ。アンタは俺にいい物を見せてくれる。だから、最後まで突っ走れるように手助けをする」



 彼の言わんとしている所を理解し、浩介は小さく苦笑する。

成程、確かに利己主義だ、と。しかし、そんな様子に対して少年は半眼を向けて声を上げた。



「言っておくが、アンタが最初の選択肢のときに違う方を選んでいたら、こうはなっていなかったんだぞ?」

「分かってるさ。けど、俺はこの道を後悔しない。俺には、やらなきゃならない事がある」

「ああ、それでいい。俺は見届けてやるよ。例え結果がどうなろうと、アンタが自分の道から外れないなら、約束は果たしてやる」



 ――それは、或いは友情とも呼べるものであったかもしれない。

不敵な笑みを浮かべる少年は、その点に関しては限りなく誠実であった。

故に浩介は安堵し――そして、準備を始める。



「さて、忙しくなるな。けど……これで、本当に最後だ」

「楽しみにしてるぜ、市ヶ谷浩介」

「ああ。そっちも、絶対に目を離すなよ――九条煉」



 その言葉に――銀の炎を想起させる少年は、小さく笑みを浮かべていた。





















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