81:想いを繋ぐ
普段余りあるか無い山道を進んでいた賢司は、休憩がてら足を止め、ポケットから携帯電話取り出していた。
そこで呼び出すのは、先ほど杏奈から送られてきたメールだ。
「例の怪異の所に来て欲しい、ねぇ」
普段とは様子の違うその文面に、賢司は訝しげに眉根を寄せる。
とは言え、送られてきたアドレスは間違いなく杏奈の物であった以上、何かしらあるのだろう――そう考え、賢司はこの場に足を運んできていたのだ。
しかしながら、いかな賢司とは言え、現状からではどのような事が起こっているのかの予測を立てる事は難しい。
杏奈が普段とは様子が違う点も、その一助となっていた。
「……しかし、縁結びの怪異か」
タイムリーな上に厄介な事だ、と賢司は小さく嘆息を零す。
よくある『必ず成功する』類ならば良かったものを――そこまで考え、賢司はかぶり振ってその思いを消し去った。
弱気になっている自分を、苦笑交じりに消し去るように。
(そんなモンに頼ってるんじゃ駄目だよな)
努力を認め怠惰を許さない――それが、賢司が持つ己に対するスタンスだ。
新たなものを取り入れ効率化する事は善しとするが、努力無しに手に入れた力など認めない。
新たな技術でさえ、しっかりと学んでものにする、それこそが自分の力になると賢司は信じていた。
故にこそ、そんな自分以外の力に頼るような手段を、賢司は認めたくなかったのだ。
(俺の意志で、俺の想いを、俺の口から伝える……ただ、それだけだ。怪異なんて必要ない)
怪異と言うものが力を持つ事を知るが故に――否、例え知らなかったとしても、それに頼る事は無く。
ただ、己の力で成し遂げる事に意味があると信じ、賢司は再び歩き出す。
この確かな芯を忘れずに、怪異に影響される事が無いようにと。
賢司としても本音を言えば、未だ調査が終わっていない怪異にはあまり近づきたいとは思わない。
けれども、それを押してでも、友人からの呼びかけと言うのは足を運ぶ価値がある事柄だった。
それ相応の理由があるのだろうと、僅かな疑いすら持たずに信じる。
それほどに、賢司は仲間に対して強い信頼を寄せていた。
「ふぅ……さてと、この先か」
話にあった場所の付近まで到達し、賢司は気を引き締める。
いかに危険度の低い怪異だとしても、油断は禁物だ。
そう思いながら歩を進めた所で――ふと、前方に一人の人影がある事に気がついた。
「杏奈?」
「え……け、賢司君っ!?」
「な、ヒメ!? どうしてここに!?」
「それはこっちの台詞だよ!」
呼び出した張本人かと思い声をかければ、返ってきたのはその相手とは違う声。
そして少し近づいて見えてきた姿は、紛れも無くその声の主、姫乃のものだった。
一体どういうことなのかと思考を巡らせ――賢司は、一つの可能性に行き当たる。
「……まさか、杏奈に呼び出されたのか?」
「う。って事は、賢司君も?」
「ああ、そういう事だ……要らん気を回しおってからに」
後半は姫乃に聞こえないように小さく嘆息しながらも、賢司は既に杏奈の思惑を――実際のところ全てではないが――察し始めていた。
杏奈が姫乃の変化に気付かないはずが無く、そして姫乃ならば杏奈に相談していてもおかしくは無い。
賢司は、彼女の観察眼を高く評価していたのだ。故に賢司は、自分が抱いている感情すらも杏奈が察している事を予測し、小さく息を吐き出した。
ここまでお膳立てされてしまっては、逃げる訳には行かないと。
(けど――)
どうしてこの場所なのかと、賢司は疑問を抱く。
怪異の付近、しかも内容が内容だ。このような場所は避けるべきであるはずなのに、杏奈は何故この場所を指定したのか。
彼女が自分たちを嵌めようとしていると言う可能性は、最初から排除する。
それ以外に何かしらの理由があるはずだと、賢司は姫乃のそばへと歩み寄りながら、その先にある怪異の現場へと視線を向けた。
と――
「な……!? ヒメ、どうしたんだこれは?」
「いや、私もよく分からないんだけど……来た時にはこうなってたから」
視線の先、その場所では異様な光景が広がっていた。
真っ二つに割れた道祖神と、それがあった地面に走る一筋の傷。
見たままを受け入れるならば、とてつもなく鋭利な刃で道祖神が地面ごと叩き斬られたかのような、そんな印象を受けるだろう。
「これは……ヒメがやったんじゃないのか?」
「わ、私じゃないよ!? 確かに出来るけど……」
先日話に挙がっていた例の力、あの力さえあれば、木刀どころか木の枝でこのような惨状を作り上げる事も容易い。
しかしながら、姫乃はそんな賢司の言葉に、若干憤慨しながら声を上げた。
「私、こんな罰当たりな事しないもん。それに、斬るなら地面まで斬ったりしないよ」
「そういう問題なのか……?」
「そうだよ。私はこんな風に剣を止め損ねるような事はしません」
「しかしそう考えると、どれだけ長い剣だったんだこれは?」
剣を持つ者としての感覚なのか、姫乃は最初から、『剣が振り下ろされた』ものとしてこの状況を見ている。
しかし賢司の素人目からでは、『地面に突き刺さっていた刃をそのまま振り上げた』ようにしか見えなかったのだ。
けれど、言われて観察してみれば、確かに溝の深さなどは姫乃が言った状況と合致する。
どちらにしろ、異常な状況には変わりないが。
「それに……」
「ん? どうかしたのか?」
ふと、言いよどむように小さな声を上げた姫乃に、状況を観察していた賢司は視線を上げる。
姫乃はただ視線を細めて真っ二つになった道祖神を見ながら、少し自信無さげに声を上げた。
「怪異が……消えてるんだと、思う」
「何?」
「このお地蔵さんからも、この周囲からも……怪異の気配がなくなってるの。前に一度来た時は、確かにあった筈なのに」
「前にって、ここに一回来たのか?」
「え? ……あっ!? い、いや、違うんだよ!? 勝手に怪異と戦おうとしたんじゃないんだよ!?」
わたわたと慌てる姫乃の姿に、賢司は小さく肩を竦めて苦笑する。
長年に付き合いから、それが誤魔化しているのではなく、純粋に言葉の通りであると察する事ができたのだ。
しかし、そうなれば誰が怪異を片付けたと言うのか。
ここに来ても何も起こらず、あらゆる情報を見通す姫乃の感覚ですら感じ取れないのであれば、怪異が消え去っていると言う言葉の信憑性も高い。
それを成した可能性といえば――
(……杏奈の仕業、か?)
怪異を己の手で片付け、その上で呼び出したのであれば、彼女がこのような場所を指定したのも頷ける。
安全であると分かり切っているからだ。その上で、元々存在していた怪異の性質上、相手の事を意識せざるを得なくなる。
つまり、そういう事なのだろう。
あまりにも遠回しで面倒な背中の押し方に――賢司は、小さく苦笑を零していた。
「……ここは、縁結びの怪異があった場所なんだよな」
「え……あ、う、うん」
自分の手で成し遂げたい――その意志はある。
けれど、友人の手をここまで煩わせた以上、それを無視する事は賢司にも出来なかった。
だからこそ、その一歩を踏み出すのは己の勇気でなくてはならないと、そう決意して口を開く。
「俺は、それを言い訳にしたいとは思わない。あんなふざけた逸話の内容に乗ってやろうとも思わない。だから、これは俺の意志だ」
思いを抱いたのはいつの事だったか――賢司は、そう思い返す。
それは恐らく、あの事故の後であっただろう。両親を失い、続くと思っていた平穏な日々があまりにも呆気なく崩れ去ってしまった時。
絶望の淵にあった賢司を必死に繋ぎ止めていたのは、他でもない姫乃だった。
「最初から、思いを抱いていたわけじゃない。元々、恋愛だのなんだのは、俺には無縁な話だと思ってた。我ながらガキっぽいが」
「……それを言うなら、私もだよ。ついさっきまで、全然分かってなかったんだもん」
賢司が一体何を話しているのか――それを察して、姫乃は少々俯きながらも頷く。
その頬が上気しているのを認め、賢司は小さく笑みを浮かべていた。
「ただ、恩を感じているだけだと思っていた。トモの奴に言われた言葉も、最初はそこまで深く考えていた訳じゃなかったんだ」
好奇心の塊であった賢司には、その当時そういった感情を理解する事ができなかった。
けれど、事故を通して物事を深く考えるようになり、元の好奇心を持ちつつも慎重さをえる事となった賢司は、かつての友紀の言葉を幾度となく反芻していたのだ。
「けど、きっちり考えてヒメを観察していれば、変化に気がつく事ができた。ヒメの在り方がそれまでと違っていた事も、俺に対してはその変化が顕著だった事も。最初は自惚れかとも考えていたけど……確信を持てる程度には、ヒメの事を見てきたつもりだ」
「ごめん、なさい。ずっとずっと、待たせちゃって」
「いや、いいんだ。それもそれで楽しかった。杏奈じゃないが、それが俺達にとっての日常になってたんだから。でも……それも、ここまでだ」
そこまで口にし、賢司は息を吐く。
既に答えは出ているようなものではあるが――それでも、ここから先を有耶無耶にする訳には行かない。
若干の緊張と膨れ上がる期待。それらを同時に感じながら、賢司はゆっくりとその言葉を口にしていた。
「ヒメ……俺は、お前の事が好きだ。お前の事を、これからも支えて行きたい。今まで以上に、大切にしながら」
「ッ……!」
その言葉に――姫乃は、歓喜に打ち震えるように感極まった表情を浮かべ、顔を上げた。
緊張と羞恥に上気し、それでも喜びに染まったその瞳には、歓喜の涙が浮かべられている。
そして、姫乃もまた、その言葉を口にしていた。
「うん、うん……っ! 私も、賢司君の事が好き。これからも、あなたを護って行きたい……賢司君と一緒なら、どれだけでも戦えるから!」
「ああ……ッ!」
「わっ!?」
返答の言葉を受け、賢司は我慢の糸が千切れるのを自覚していた。
咄嗟に姫乃の手を掴み、その身体を引き寄せて抱きしめる。いきなりの展開に姫乃は目を白黒させていたが、やがて頬を緩ませてその身を預けていた。
密着したその体勢のまま、二人は小さく囁き声を上げる。
「何だか、夢みたい……こんなに幸せだなんて、思ってなかった。もっと早く気づけてれば良かったのに……」
「ああ、俺もだ。初めてだよ、こんなのは」
かつて幸せだった日々ですら感じる事の出来なかった多幸感に酔いしれ、賢司は陶然とそう口にする。
それは今まで感じていた想いと確かに同一のもので――けれど、比べ物にならないほどに強いものとなっていた。
もっと沢山触れたい、もっと深く繋がりたい。沸々と湧き上がって来る想いに抱擁だけでは満足できなくなり、身体を少し話して見詰め合おうとした所で――賢司は、視線の端に入った道祖神に僅かな違和感を覚えた。
(そういえば、この場所――)
――その可能性に思い当たり、賢司はぎくりと身を硬くする。
そんな賢司の反応は、未だ半分以上密着している姫乃にも伝わっていた。
「賢司君……?」
上気し、熱に浮かされたように潤んだ瞳に、賢司は己の理性が大きくぐらつくのを感じた。
思わずその唇を貪りそうになるのを何とか堪え、胸中で悪態を吐く。
むしろ気がつかない方が良かったかもしれない、と。
(ああくそ、可愛いなコイツは!)
普段の冷静さが形無しとなっている事を自覚して嘆息し、賢司はその表情を見ないように再び抱きしめながら、姫乃の耳元に囁いていた。
「なあ、ヒメ。この周辺、誰かの気配を感じないか?」
「ふぇ……?」
「蕩けてるな……具体的に言うとだな、杏奈とかトモとか」
賢司のその言葉を耳にし、姫乃はしばしぼんやりとした表情のまま動かずにいたが――その言葉の内容を5秒ほど掛けてようやく理解し、先ほどの賢司と同じようにぎくりと身体を震わせた。
そして、最近己が力を把握する事でより上手く操れるようになった周辺把握を用い、周囲の気配を探ってゆく。
――その気配は、程なくして見つかった。
「あ……杏奈ちゃん、お兄ちゃんもッ! そこにいるんでしょ!?」
「げっ、見つかった」
「しっかり隠れてたんだけどなぁ……もうちょっとって所で気付いたわね、賢司」
姫乃が賢司の腕の中から離れ指差した先。その林の中から、特に悪びれる様子も無く残る二人の親友は姿を現した。
特に友紀は異様に長い包みを持っていたが、今の姫乃にはそんな事を気にする余裕も無く。
「いっ、いつから見てたの!?」
「告白が始まった頃からかしらね。ヒメが怪異を探ったりすると気付かれそうだったから、それまでは遠くから観察してたわ」
そういう杏奈の首元には、やたらと大きな双眼鏡が掛けられている。
姫乃にも見覚えのあるそれは、友紀の私物であった。
そしてその代わり友紀の片手にあるのは、小型のビデオカメラ。
それを認め、賢司は思わず頬を引き攣らせる。
「……撮ってやがったのか」
「無論! 妹の晴れ姿を記録せずに何が兄か!」
陶然であると言わんばかりに胸を張るとも乗りに、二人は思わず言葉を失い――そこで、すかさず杏奈が声を上げた。
「二人には……どっちかと言うと賢司には言っとかないといけない事があったからね。後回しにする訳にも行かないし」
「あ、杏奈ちゃん……?」
怒ろうとした所で突然真面目な調子で話しかけられ、タイミングを失った姫乃は困惑した声を零す。
そしてそれは、賢司も同様であった。杏奈の様子が普段とは違うことも確かだが、呼び方が以前のものに戻っているのだ。
一体どのような心境の変化なのかと賢司は彼女の姿を凝視し――
「賢司……私、アンタの事が好きだったわ」
――その言葉に、思わず目を剥いていた。
姫乃も同じく絶句して、言葉を失っている。今の言葉は決して場を逃れるための冗談などではないと、理解できてしまったのだ。
そこに込められているのは限りなく本気の感情。それ故に、賢司は真っ直ぐとその視線を見つめ返した。
親友として――その言葉には、誠実に返さねばならないと分かっていたから。
「その言葉は嬉しい。だが杏奈、俺はお前の想いに応える事は出来ない」
「それは、ヒメがいるからよね?」
「ああ、俺の恋人はヒメだけだ」
その、言葉を受けて――杏奈は、心底安堵したように表情を緩めていた。
深く息を吐き出して、憑き物が落ちたような晴れやかな表情を浮かべながら、杏奈は声を上げる。
「ありがとう、賢司。真面目に答えてくれて……謝罪もしないでくれて」
「お前がそんなものを求めていない事ぐらい分かってるさ。何年親友やってると思ってるんだ」
「ん、流石よね、賢司」
クスクスと悪戯が成功したように笑い、そして杏奈は改めて姫乃のほうに向き直る。
姫乃は、その視線を受け、身じろぎ一つする事無く真っ直ぐと見返していた。
その毅然とした態度が嬉しくて、杏奈は再び微笑を零す。
「ヒメ……私が求めてる事、分かってるわよね?」
「うん。私、幸せになるよ。それに、賢司君の事も幸せにしてみせる」
「ええ、そうよ。それでいい……本当にありがとう、二人とも」
頷く杏奈の表情はとても晴れやかで、それを隣で見ていた友紀は、にやりと笑みを浮かべて声を上げる。
その表情の中には、先ほどあんなに見せていたような重い気配は欠片として存在しない。
「さぁて、それじゃあ秋穂さんの所でパーティと行くか! カップル成立記念パーティだ!」
「って、ちょっと待てトモ。勝手にうちの喫茶店を――」
「ふははは! 残念だったな賢司、既に料理は用意されている!」
「……お兄ちゃん、それって私たちが告白する前から既に用意始めてたよね?」
何かが決定的に変わっていて、けれど普段と変わらぬ形を保った四人の関係――それを目にし、杏奈はただ、穏やかな笑みを浮かべていた。




