80:振り下ろす刃は誰が為に
突然の衝撃――それと共に私の中に入り込んできたのは、一つの映像だった。
直接脳内に映像を叩き込まれているような不快感。
けれどそれは、これ以上無いほどの臨場感をもって私にその光景を伝えてくる。
場所は同じ、この山道だろう。けれど今のように整備されている気配は殆どなく、鬱蒼と生い茂る木々の中に二人の人の姿があった。
――目に映えるのは、長い黒髪を持つ女性の姿。
「これ、は……」
これは一体どれほど昔の話なのだろうか。
その女には、一人の愛する男性がいた。
その男は村一番の武芸者で、弓矢の扱いも上手く、狩人として生計を立てていた。
昔からの馴染みであるその男に、女はかねてから想いを寄せていたのだ。
けれど、大して自慢と呼べるものも無く、学も無かった女には、想いを告げるような勇気も無かったのだ。
『どうか、私とあの人を繋いで下さい』
女の日課はいつからか、山道の奥にある道祖神にそのような願いを唱える事となっていた。
神に関する知識など無く、道祖神が一体どのようなものなのかも知らない女にとって、神仏に関するものなどどれもこれもが同じような得体の知れないものであった。
詳しく知る私からしてみれば馬鹿馬鹿しいとしか言えないが、それでもそのひたむきさだけは本物だったのだろう。
果たしてそれは偶然か、或いは想いを聞き届けた神の悪戯だったのか――ある日、狩りで深追いをしてしまった男は偶然その付近を通りかかり、女の言葉を聞いてしまったのだ。
真っ直ぐな気質を持つその男は女の言葉を無視する事はできず、深く考え抜いた末、それを聞いてしまった謝罪と共に女の思いを受け止めた。
「……で、何よ? 自慢話でもしたい訳なの?」
そんな映像に対し、私は苛立ち混じりにそう声を上げる。
ぶっちゃけた話、興味など無い。正真正銘の他人を相手に、恋がどうたらなんて言ってやる筋合いは無いのだ。
勝手にしろ、としか言いようが無い。
だが、その映像はそこで終わりではなかった。
『どうか、行かないでください』
戦が始まってしまったのだ。
大きな戦であったが故、土地を治める者たちは片っ端から力を持つものをかき集めた。
そして、男もそれは決して例外ではなかった。
男は土地を治める者からの言葉を受け、兵士として召し抱えられる事になったのだ。
そして、気の弱い女には、それを無理に押し留める事もできなかった。
『ああ、どうか、どうか、私とあの人を繋いでください。決して離さないように』
女の日課は、再び戻ってきた。
毎日道祖神の元に通い、男の無事を祈る日々。
風の日も雨の日も変わらず通い続け――ついに、女は倒れてしまう。
流行り病は日々の無茶で弱った女の身体に耐えられるものではなく、女はついに男の帰還を待つ事無く、命を落としてしまったのだった。
「――だから、何だってのよ」
続く茶番劇に、私はそう呟く。
そんなどこにでもあるような当たり前の不幸を見せ付けて、一体何のつもりだと言うのだろうか。
私だって女だ、その一途な想いには思う所が無い訳ではない。
けれど、何故か――この女だけは、どうしても認められそうに無かった。
理解不能の苛立ちを感じながら、刀の重みで痛み出した肩を軽く動かす。
すぐにでも振り下ろしてしまいたい、お兄ちゃんの刀。けれど、それはまだだ。
相手を確実に叩き斬れる、その確信があるまで刀を振り下ろす訳には行かない。
あまりにも重いこの刀は、私程度の力では二度も振るう事は出来ないだろうから。
「同情でも求めてる? 悲恋に共感でもすればいいっての? ふざけんじゃないわよ」
何故か分からない、けれど心の内側から湧き上がってくる苛立ち。
何故だろう、分からない。どうして、コイツは――
「こんなものを見せ付けて、一体何をしようっての!?」
苛立ちを交えて、吼える。
その瞬間――私の目の前に、一つの気配が湧き上がった。
目には見えないけれど、理解できる。そこにいるのは先ほどのあの女であると。
ぎり、と奥歯を噛み締めながら、私はその気配を強く睨み据える。
いつでも刀を振り下ろせるようにしながら、私は油断なく構えた。
――瞬間、再び声が響く。
『私のような悲劇は、要らない』
「ッ……!」
周囲の気配は普段と変わらず。
異界を形成できるほどに強い怪異という訳ではないのだろう。
それどころか、しっかりとした自意識があるのかどうかすら曖昧だ。
まるでテープレコーダーで決められた台詞を再生しているような、そんな弱々しさがある。
ともあれ、気配は徐々に近づいてきているようだった。
このまま引き寄せ、必殺の間合いで叩き斬る。それを狙い、私は息を殺してその瞬間を待ち続ける。
『だから、私があなた達を繋いであげる』
相手は徐々に近寄ってくる。
ただ静かに意識を研ぎ澄ませれば、相手の姿すらも見えてくるようだった。
イメージする事は簡単だ、先ほどの映像の中にあった女の姿そのものなのだから。
そいつは、私に手を伸ばすようにしながら――
『その代わり――あなたの想いを、頂戴。私があの人を、想い続けられるように――』
――刹那、私の意識は沸騰していた。
「ふッ……ざ、けんなああああああああッ!!」
怒りに、憤怒一色に意識が塗りつぶされてゆく。ああそうか、理解した。どうしてコイツが気に入らないのか。
ふざけるな、何だそれは、自分が想い続けられるようにですって!?
そんなものを恋だの愛だのと言っていたのか、コイツは――――!
「自分の事が好きなだけじゃないのよ、アンタ! その人に恋している自分を気に入ってるだけじゃないの!
悲劇のヒロインぶってれば皆が慰めてくれたか! 他人の想いを奪わなきゃ保てないような弱い想いで、その人を愛していたって!?」
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
そんなものが恋であってたまるか、愛であってたまるものか。
そんな自己愛で、男を愛していた等とのたまうのか!
「ミナさんみたいにとは言わないわよ、あの人は別格だもの。けどね、愛ってのはあの人が抱いてるようなものの事を言うんでしょう」
穏やかな笑みを浮かべる美貌の少女を思い浮かべる。
あの人は純粋に、何よりも煉さんの事を想っている。
まるで疑う余地も無く、ほんの刹那であっても想いを揺らがせる事なく、己の半身であるかのように。
愛ってのはああいうものでしょう? あの抱擁のような優しい感情のはずでしょう?
だと言うのに、コイツは――
「私だって、あの人には及ばない……けどね、本気で想ってきたのよ、私は!」
強い視線で、前を見据える。
そこに存在するはずの怪異――そいつは、僅かながらに揺らいだように見えた。
「ああ、情けないわよ……こんなのに頼れば自分の想いを消せるかもなんて、一瞬でも考えた私が馬鹿だった!」
ほんの刹那であろうとも、そんな迷いを抱いた自分が腹立たしい。
末代までの恥だと、そう感じてしまうほどに――私はこいつが許せなかった。
強い怒りは殺意と呼んでも遜色無いほどに鋭く尖り、目の前の怪異を貫いてゆく。
その怒りに反応したのか――怪異は、掠れるような声を上げた。
『どう、して? あなたも、想っている――』
「ええそうよ、大好きよ、決まってるでしょう! 私は――」
もう、我慢ならない。
私は強く、体を前に倒すように踏み込んでゆく。
そして梃子の原理のように肩を支点にしながら、私は思い切り長大な刀を振り下ろした。
私の中に存在する、本当の想いを吐き出しながら。
「――賢司とヒメ、二人の事が同じぐらいに大好きなのよッ!!」
そう、それが私の答えだ。
私は選べない、選ばない。だから敗北したんだ。
ヒメに、賢司に――私はあの二人に敗北した。今まではそれがどうしても認められなくて、悔恨が残りそうだと二の足を踏んでいたのだ。
けれど、今は違う。私はようやく、自分の想いと向き合う事が出来た。
だから、私は私の敗北を誇る事が出来る。私の大好きな二人は、こんなにも幸せになれるんだと。
どちらかが不幸になる事なんて無く、二人が一緒に幸せになる事――それこそが、私にとっての心からの願いなのだから。
だから――アンタなんか、認めない!
「ぁああああああああッ!!」
それは刀を振るうと言うよりも、刀身ごと倒れ込んだと言った方が近かっただろう。
半ば無理矢理に振り下ろした長大な刃は、正面にあった怪異の気配に衝突し――確かな手応えと共に、それを真っ二つにしていた。
感触としては豆腐に包丁を入れたような物。
抵抗と言うほどではない負荷と共に刃は目の前にあった道祖神に叩きつけられ――その刀身は石で出来たそれを真っ二つに斬り裂いて、地面に埋まっていた。
「はぁっ、はぁっ……」
どれだけ凄まじい切れ味なのか、振り下ろしただけで石の塊を斬り裂いて深々と地面に埋まってしまった刀の柄を掴み、私は荒い息を吐き出す。
道祖神を斬り裂いてしまったとか、皆に相談もせずに無茶苦茶な事をやってしまったとか……色々考える事はあったけれど、それでも私の意識はとてもすっきりして清々しい気分になっていた。
最早怪異の気配は感じない。どうやら、お兄ちゃんの刀は切れ味も含めて私が思っていた以上に凄まじいものだったようだ。
けれど――それすらも、どうでもいいと思えてしまう。
「そう、そうよ。これが私だ」
どっちつかずで、大切なものが決められない――いや、正確に言うなら、それら全てが大切なものなのだ。
私は、『日常』と言うものを何よりも大切だと思っているから。
だからこそ、私は賢司一人を何よりも大切なものだと思う事が出来なかった。
ヒメの思いを、理解してしまっていたから。私の愛する『日常』が、壊れてしまうかもしれないと思ったから。
結局のところ、そこを踏み越えられなかったから、私は敗北を認めたのだ。
ヒメと賢司がくっついて、二人が一緒に幸せになる――そんな光景に、私も幸福を覚えてしまったから。
「だから、これでいい」
意地っ張りでもなく、負け惜しみでもなく――純粋に、そう思う事が出来た。
悲しさも辛さもない。あるのはただ清々しく、自然体の思いだけ。
その感覚はどこか、大泣きした後の気分にも似ていた。
本当なら誰かの胸でも借りて、ようやく決着を着けられるような想いだったのかもしれない。
でも、私一人でそれと向き合う事ができたのだ。それが、何よりも誇らしい。
一人の男を好きになって、けれど好きになった瞬間に敗北を悟って――それでも未練がましく想いを捨てられなかった、どこにでもあるような恋愛話。
これがその結末だと言うのならば、ある意味お似合いだと言えるだろう。
未練も後悔も無くそう思う事が出来て、私は心の底から安堵していた。
これで、心置きなく決着を着ける事ができる。
「さて、と」
よっこらよっこらと刀を引っこ抜き、投げ捨ててしまった鞘の中に苦労しながら納める。
先ほどの切れ味を見た後では、緊張感も一入だ。
軽く触っただけで指が切断されてしまいそうで怖い。
それでも悪戦苦闘しながら納刀し、そして袋の中に刀を入れて、一息つく。
これで、今回の怪異も終了だ。
「……今更だけど、結構怒られそうね」
全員に怒られそうだけど、何だかテリア先輩に特に怒られそうな気がしてならない。
我ながら思い切った事をしたものだけど、これは神代家の血筋と言えるのではないだろうか。
って言うか、見れば見るほど異常な光景である。
地面に真っ直ぐに走る異様に長い太刀筋と、真っ二つになった道祖神。
一体何があったんだと言いたくなるような光景だ。
「えーと……まあ、気にしないようにしときましょうか」
苦笑しつつ、私は携帯電話を取り出す。
そしてメールを呼び出し、二人に対して同じ文章を書き込む。
送る相手は当然、ヒメと賢司だ。
「さてさて、あっちにもそろそろ決着つけて貰うとしましょうか」
そうして私は、小さな笑みと共に送信ボタンを押していたのだった。




