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79:葛藤と決意












 喫茶『コンチェルト』の店内。

その一番端の方には、他の席から見えづらいように配置されたテーブル席が存在していた。

あえて狙ったかのように物を配置してあるその場所は、設計者が一体どのような意図を持って作成したのかは定かではない。

しかしながら周りからの視線が届きにくいその席は、店の関係者が時間を潰す場合に適した場所となっていた。

そんな座席に座り、店の中の様子をぼんやりと眺めているのは、一人の少年――嶋谷賢司だった。



「……はぁ」



 賢司は、そんな場所に座りながら小さく嘆息を零す。

例え辛気臭い雰囲気を醸し出していたとしても、この席ならば店の邪魔になる事はない。

その為、賢司はこの場所で思う存分思い悩む事にしていたのだ。



「一度にいろいろな事がありすぎて……ああくそ、パンクしそうだな」



 頭を抱え、賢司はそう独りごちる。

ここ最近、あまりにも多くの出来事が賢司たちに降りかかってきていたのだ。

去年から比較すれば比べ物にならないほどの怪異の発生率、しかも起きるものは危険性の高いものばかり。

しかも、それらの怪異に姫乃が狙われていると言う事実――それだけでも、賢司を慌しくさせるには十分な要素だったと言うのに。



「超越者、能力、ヒメが狙われる理由、それに浩介兄さんの事……」



 人知を超えた力を持つ、怪異の発生源たる存在の事。

そのような存在の発生源となる、限られた人に生まれつき備わった特殊な才能。

それを備えていた姫乃が、同じ力を持っている怪異の発生源から狙われてしまった事。

そして――敬愛する、兄貴分の事について。



(ただでさえ、やらなきゃならない事が多いってのに……)



 今朝の姫乃の態度を思い返し、賢司は小さく嘆息を零す。

悪い事ではない、自分にとっても姫乃にとっても重要な事は、賢司にもよく分かっている。

けれど、それでも思わずにはいられないのだ。今この場でなければ――と。

あの日の約束以来待ち続けていた事であっただけに、このタイミングでそれが訪れた事に、賢司は口惜しさを感じてしまっていた。



(本気で相対さなきゃ、ならないだろうが)



 賢司には、決して姫乃を蔑ろにするつもりなどない。

むしろ、逆なのだ。他に気にする事など何もなく、ただ全身全霊で姫乃の前に立つべきだと、賢司はそう信じていた。

けれど、そうするにはあまりにも様々な要素が重なりすぎてしまっている。

中でも気になってしまっているのは――



「ヒサルキの性質、それに浩介兄さんがそこにいた事……」



 彼の過去を知る賢司にとって、それはあまりにも不吉な符号であった。

それはまるで、もう時間がないと告げるかのように――賢司とテリアが恐れていた事態が、もう後一歩先まで迫ってしまったかのように感じられたのだ。

その為の怪異調査部、その為の活動――それすらも無駄になってしまうのかと、賢司は内心の焦りを感じずに入られなかった。

と――



「ん……?」



 唐突に、目の前の座席ががたんと動く。

僅かながらに引かれたそれに、横からよじ登ってきたのは――



「よい、しょっと」

「……葵? どうしたんだ、お前?」



 浩介が留守の間、秋穂が面倒を見ている市ヶ谷葵であった。

普通の座席ではあまり背丈が足りていないのか、両腕をテーブルの上に投げ出すようにしながらも、彼女は賢司の顔を見上げる。

その表情の中に浮かべられているのは、どこか好奇心旺盛そうな光だ。



「お兄ちゃんが『しゅっさんまぎわの妻を待つ夫』みたいにおちつかないみたいだったから、ようすを見に」

「……そいつはどうも」



 この子供に妙な事を教えたのはどこのどいつだ、と視線を巡らせ、一人視線の合う存在を発見する。

大方賢司が予想した通りではあったが――そこにいたのは、バイトに精を出すテリアであった。

とは言え、既に客足は若干落ち着いているので、今は暇であるとも言えるのだが。

そんな状況であるためか、テリアも賢司のようすを確認すると、彼のほうへと近寄ってきた。



「やほー、初めて女の子に触る童貞君みたいな動揺してるねぇ」

「あながち間違いじゃないのが腹立ちますねアンタ」

「あっはっはー」



 普段とあまり変わらぬ態度を見せるテリアに、賢司は小さく嘆息を零す。

彼女も外見は余裕そうな態度を取り繕っていたとしても、浩介の事がある限り、心中は決して穏やかなものではない。

なぜなら、それは二人が必死に怪異を追い求める理由であるからだ。

そうである以上、決して無視する事など出来ないのだ。

けれど――



「まあでもさぁ、賢司君の優先順位の場合、姫乃ちゃんの方が大事だよね?」

「な……部長、俺は!」

「きっさてんではおしずかに」

「ぬ……」



 幼子である葵に窘められ、賢司は思わず言葉を失う。

そんな様子に、テリアは再びくすくすと笑い声を零していた。

その笑みの中には、決して無理をしているような色はなく――ただ純粋に、案じているような意思すら滲ませて。

そんなテリアの気配そのものに、賢司は訝しげに眉根を寄せる。



「部長、一体どうしたんですか?」

「ねぇ賢司君、ワタシは確かに勝手な人間だよ」



 唐突な物言いに、賢司はきょとんと目を見開く。

その言葉は突拍子もないもので、賢司からしてみればそのような言葉が出てくる事などまるで予想していなかったのだ。

しかしそんな賢司の様子すらも楽しむように、余裕の無いはずのテリアは笑みと共に声を上げる。



「部長の仕事ってのはさ、部員のコンディションを最良の状態にもっていく事にもあるのさ」

「……だから、俺は向こうの事で悩んでいろと?」

「コースケの事を気にするなとは言わないよ。ワタシが言えた義理じゃない。この子だって同じだ、ワタシ達は皆あの人の事を心配してる」

「ん……」



 言って、テリアは軽く葵の頭を撫でる。

普段駆る口を叩き合っている仲ながら、葵がそれを拒まないのは、偏に同じ想いを抱いているからだろう。

けれど、だからこそ――テリアは、今の賢司の態度を認める訳には行かなかった。



「君は真面目で誠実な男だよ、賢司君。ワタシはそう思う。でもその真面目さが、今の君を縛り付けている」

「それは――」

「否定できるかな?」



 どこか面白がるような口調に、賢司は小さく嘆息を零す。

そんな事、出来る訳がないのだ。彼女相手に本心を偽ったところで意味は無いと、賢司は理解してしまっていたから。

多くの事を考慮している、それは紛れもない事実だ。

普段ならばそれも問題はない、嶋谷賢司はあの仲間たちの中では頭脳を担当しているのだ。

元より考える事が仕事である以上、多少頭を使う事など日常茶飯事だったのだ。

けれど――



「……キャパを超えてるのは、自覚してますよ。それでも、考えてしまうんだ」

「まあ、無理はないだろうね。ワタシも、こんな形で真相に近づく事が出来るとは思っていなかった。でも、今君が気にすべき事はそちらじゃない」

「あちらよりも重要だと?」

「そうは言わない。口が裂けてもそんな事は言えないよ。ワタシが言いたいのは――」



 テーブルに手を着き、テリアは賢司に顔を寄せる。

嘘偽りを許さないと言うかのように真っ直ぐと瞳を覗き込み、その口元を少しだけ笑みの形にゆがめながら。

上に立つ者として、テリアは言い放った。



「――君なら、すぐに決着が着けられる。全部を同時に気にするんじゃない。一つ一つを気にして、終わらせればいいんだ」

「それは……」

「君ならできるだろう? それに、大切な想いを抱いている子がいるんだ」



 誰とは言わず、テリアはそう口にする。

瞳は外さぬまま、けれどその脳裏に見知った姿を描いて。

少しだけ、悲しげな色をその瞳の中に映しながら。



「ワタシも、似たような思いを抱いている身だよ。そんな想いを無視する事なんて、ワタシには出来ないよ」

「部長……」

「だから、気にすべき事はワタシに任せておけばいい。賢司君は、賢司君のすべき事を成すべきだよ」



 ――それは、君にしか出来ない事なんだから。

そう、小さく言い残して、テリアは元のフロアの方へと去っていった。

賢司はその背中を見送り、そして目の前に取り残された葵へと視線を向ける。

幼い少女は相も変わらず愛想の悪い無表情のまま――無遠慮に、一歩を踏み出していた。



「ねえ、賢司お兄ちゃん。姫乃お姉ちゃんの事、好きじゃないの?」

「……誰に聞いた?」

「ん」



 そう言って示されるのは戻っていったテリアの姿。

その答えに深々と嘆息し――そして再び、真っ直ぐ正面から葵の視線を受け止める。

子供だからといって、今の言葉は決して軽んじてはならないと、そう理解していたから。



「正直なところで言えば、考えないようにしていたんだろうな」

「どうして?」

「自分でも、いまいちな。けど、もしかしたら……変わってしまうのが怖かったのかもしれないな」



 女々しい理由だと、賢司は自嘲気味に苦笑する。

けれど賢司にとってみれば、それは軽んじられる理由ではなかった。

愛する両親を失い、姉は生きる為に必死で働き、兄貴分は遠くへ行ってしまった。

それは賢司にとってあまりにも劇的で不幸な変化であり――大きな変化を恐れさせるのには、十分すぎる要因であった。

怪異を調査している事も、元を辿ればそれが理由なのだ。命がけの場所に身を置いてでも、賢司は『不幸な変化』を避けたかった。

けれど今、賢司は自らそれを変えようとしている。



「怖かった。いや、今でも怖いのか。でも……このままじゃ、いけないんだよな」

「……行くの?」

「ああ、行かないとな。いつまでも踏み出せないままじゃ、俺も成長できない」



 その言葉とともに賢司は立ち上がろうとし――それと同時、携帯が音を鳴り響かせた。

ポケットの中のそれを手に取り、そして表示された名前が、自分が今想像していた相手とは違う相手であった事に眉根を寄せる。



「杏奈……?」











 * * * * *











「はぁ……重い、わね」



 ずるずると長大な包みを引きずるようにしながら背負い、私は必死に山道を登って行く。

同じ道を行ったり来たりするのも若干馬鹿らしい気がしないでもなかったが、今回に限って言えば必要な事だ。

とは言え、このでかい荷物を引きずるのは流石に辛いのだけれども。



「お兄ちゃん、よくこんなもの片手で振り回せるわね……」



 これの中身は、両親に捕まっているお兄ちゃんに内緒でこっそりと借りてきた、巨大な一振りの刀である。

長さは私の身長から頭一つ分以上に長い。そして、その重量はおよそ20kg。

とてもじゃないが、普通の人間に振り回せる物体じゃない。

改めてあの人たちのとんでもなさを確認しながら、私はそれを背にゆっくりと山道を登っていた。



「別に、これじゃなくても、よかったんだけ、ど」



 武器なら、別にこれじゃなくてもよかったのだ。

桜さんさえいれば、あの奇妙な形をした短剣を借りてこようかと思ってたのだが。

生憎と桜さんはうちにおらず、いづなさんは刀を持ってきてなかった為、結果的にお兄ちゃんの刀に手を出す事になったのだ。

しかしまあ、これがまた重い。正直、一回振り下ろしたらもう持ち上げられそうにない。

けれどこの刀――霞之宮景禎・天津は、いづなさんが散々自慢するほどに凄い武器らしいから、あの桜さんの短剣に劣る事はないだろう。

これだけの武器ならば、きっと十分だ。



「そう……アンタをぶった斬れるなら、それで十分よ」



 そして、私は足を止める。

目の前にあるのは、今日の話で聞かされた道祖神。

――普段ならばやらないような事を、私はやろうとしている。


 ああ、やっぱり、私も神代家の人間なのだ。

追い詰められれば、やる事なす事は結局感情的な部分に影響される。

まあ、思いついてしまった以上はやるしかない。私の手で――私の想いを、叩き斬る。


 だから――



「ほら、出てきなさいよ怪異」



 刀を隠すのに使われていた弓道用の袋を外し、現れた刀を苦労して鞘から引き抜く。

そしてそれを何とか肩で担ぐようにしながら、私は目の前の道祖神を睨みつけた。



「――恋する乙女のお出ましよ。私の想いを喰らえるってんなら、喰らって見せなさい!」



 そして、その言葉と共に――周囲に、異様な雰囲気が放たれたのだった。





















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