77:姫乃の悩み
いつも通りの帰り道、あんな話の後でも、普段とは変わらない様子で私たちは道を行く。
私も、いい加減慣れてきたという事だろうか。あの程度の怪異ならばもう動じなくなってきていた。
まあ、それは怪異の危険度と言う話であって、内容に関してはまた別だったけれど。
それでも、命が関わってこないだけマシだ。気をつけていれさえすればどうとでもなる。
「んじゃ、また明日な」
「はーい、またねー」
「おう、秋穂さんによろしくな」
「……賢司君、また明日」
ちらりと、私はヒメの方へ視線を向ける。
普段なら真っ先に元気よく挨拶していると言うのに、今日は若干俯いた感じで声を上げている。
とは言え届かないほどではないし、嶋谷も少し訝しげな表情を浮かべてはいたが、あまり気にせずそのまま軽く手を振って去ってゆく。
その背中を少しだけ見送ってから、私たちは再び歩き出した。
「……」
何となく、沈黙が続く。
別に、普段からこういう事がない訳じゃない。
毎日あっているのだから、特に新鮮な話題でもなければ口数が減ってしまうのは当然の事だ。
無論話題が盛り上がればずっと喋っているし、喋らなかったとしても雰囲気が悪くなるような事は決してない。
けれど――今日のこれは、少しだけ違っていた。
「……ねぇ」
「……あぁ」
ちらりと、私はトモに目配せをする。
トモの方も普段とは違い、どこか憮然とした表情で肩を竦めて見せた。
ヒメと一番長い時間を共にしているのは間違いなくコイツだ。
トモは頭は悪いけれど、大事な事に気づけないような馬鹿ではない。
ヒメの様子の事は、もっと前から気にしていたのだろう。
そしてこの子の様子を見れば、何を悩んでいるのかぐらいはすぐに見当が付く。
嘆息を零し、再び視線を上げれば――またも、トモと視線が合った。
――任せられるか?
視線の中にある意図に気付き、私はこくりと頷く。
トモは、自分だけはヒメにとって安らげる場所でいたいんだろう。
ヒメの帰って来る場所だから、いつでも頼る事ができる場所だから。
家の中でそういう話をしてしまっては、ヒメも安らげる場所がなくなってしまうだろう。
「おっと! 今日は買いたい本があるんだったぜ。俺は寄り道してくるから、二人は先に帰っててくれ!」
「はいはーい、ごゆっくりー」
「……え? あ、ちょっと、お兄ちゃん!?」
私が頷いた事に満足したのか、トモはわざとらしく大きな声を上げながら商店街の方へと走ってゆく。
流石にヒメも反応がワンテンポ遅れては止められなかったのか、大人しくその背中を見送る事となった。
半ば呆然とした様子で消えてゆくトモの姿を見つめているヒメの様子に、私は小さく苦笑を零す。
「ほらヒメ、行きましょ」
「あ、う、うん」
若干目を白黒させながら、私の言葉にヒメは頷く。
そして歩き出そうとした所で――ふと、ヒメが私の服の袖を引いた。
「ん? どうかしたの、ヒメ?」
「あ、うん……あのね」
何となく、言いたい事は想像が出来る。
こちらから切り出さずい済んだのは、私としても助かる所だ。
けど――流石はヒメと言うべきか、しっかりと予想外の所まで足を踏み込んできたのだった。
「さっき先輩が言ってた所……行ってみない?」
「……は?」
思わず、呆然と聞き返す。
一体何を言ってるんだこの子は、と。まさか私たちだけで怪異を何とかしようとしているのか。
そんな風に考え、言葉を失って硬直していた所、ヒメはわたわたと手を振って、誤魔化すように続けてきた。
「あ、ち、違うよ? 遠くからちょっと様子を見てみようってだけだよ? 手を出そうとか考えてないから」
「あ、ああ……そう、分かったわ」
まあ要するに、整理する時間と静かに話せる時間が欲しいと言う事だろう。
そういう事だったら、私としても異存は無い。
この子も、簡単に整理できないからそういう方法を選んだのだろうし。
それなら私は、静かにこの子の言葉を待つ事としよう。
「じゃあほら、行きましょうヒメ。ゆっくりでいいからさ」
「う、うん……ありがとう、杏奈ちゃん」
小さく微笑むその姿は――少しだけ、無理して笑っているようにも見えてしまった。
* * * * *
普段どおりの道筋を通り越し、そこから山道に入る。
舗装されている訳じゃないけどちゃんと道にはなっているから、進むのにはそれほど苦労しなさそうであった。
石段に比べればまだマシと言える傾斜を進みながら、私は静かにヒメが話し始めるのを待っていた。
ヒメはあれから、一度も声を上げていない。ずっと俯いて、それでもしっかり障害物は避けながら、私の半歩後ろを進んでいた。
そんな姿をちらりと見つめて、私は嘆息を零す。
これは、少しリードしてあげないと駄目そうだ。
「ねえ、ヒメ。ミナさんが言ってた事、気にしてるの?」
「ぅ……うん、そうだと、思う」
そんな歯切れの悪い言葉に、思わず苦笑してしまう。
これはまた、随分と意識していたものだと。
確かに、ミナさんの言葉は無視できるものではない。あの人の発言はそういうものだ。
的確に相手の心のうちを暴き出し、触れたら絶対に反応せざるを得ない所を突いてくる。
それも、ごく自然な表情で、何の含みも持たせずに。
それはあの人の技なのか、或いは天然でやってるのかはわからないけれど――ヒメも、その術中にはまってしまったと言う事だろう。
「ミナさんは本当の事を言ってるでしょうね。それで、あの人の言葉が嘘じゃないと、自分でも悟っちゃったと」
「あう……な、何でそこまで分かるの?」
「何年親友やってるのよ。あんただって、私の事ぐらい分かるでしょ?」
「んー、でも杏奈ちゃん、私の知らない事もよく知ってるから……」
すっかり普段通りに話しているヒメの様子に安堵を零して――その表情が悲しいものじゃなかった事に、僅かに笑みを浮かべる。
自覚した心はこの子にとって悪いものじゃなかった事が、私にとっては嬉しかったのだ。
だから、話を先に進めよう。私自身も、決着を着けるために。
「ま、単刀直入に行きましょうか。ヒメ……あんた、嶋谷の事どう思ってる?」
「っ……」
私の言葉に――ヒメは、言葉を詰まらせていた。
ヒメの事だ、私がこう来る事ぐらいは予想できていただろう。
それでも咄嗟に返せなかったと言う事は、ヒメの中で未だに葛藤があるという事なのだろう。
ヒメは私の言葉に少しだけ顔を俯かせ、声を上げた。
「……ねえ、杏奈ちゃん。恋するって、どんな気持ちなんだろう?」
「それを私に聞くか、あんたは」
「分からないんだよ、本当に……ずっとずっと、遠いところのものだと思ってて……だからあの時ミナさんに言われた言葉も、実感が持てなかったんだ」
「けど、いざ自分の行動を省みてみたら、もろに心当たりがあったと」
「……うん」
まあ、そうだろう。
傍目から見ていても、ヒメが嶋谷の事を信頼しているのは簡単に見て取れる。
それこそ、実の兄であるトモよりもだ。基本的に他人の言葉を疑わないけれど、嶋谷に関してはその言葉に従わなかった事は皆無。
ヒメが『護りたい』と口にして、真っ先に思い浮かべていたのはあいつだろう。
常に近くを歩いて、隣で笑い合って――それが、ヒメにとっての『普通』だった。
あまりにも自然に、あまりにも日常的に――ヒメは、嶋谷に恋していたのだろう。
「私からしてみれば、さ――」
――思わず、苦笑する。
そして身を翻して、私はびしりとヒメに対して指を付きつけた。
「ようやく自覚したかこの天然鈍感娘ッ!」
「えええ!?」
「――とまあ、そんな所なんだけど」
くすくす笑い、ちらりとは以後へ視線を向ける。
しばし進んだ場所には曲がり道が見え、そこのところにお地蔵さんが立っているのが見て取れた。
恐らく、あそこが怪異の現場なのだろう。それなら、これ以上近づくべきではないはずだ。
手を出すつもりは毛頭無いけれど、こんな話をしている所であんな所には近づきたくない。
「まあ、さ。そうなっちゃうのも分かるわよ。私たちは近すぎるんだもの。嶋谷がいる事はあまりにも当然だったから、ああやって最も近い場所にいようとする事だって、ヒメにしてみれば当然だったんでしょ?」
「え、と……それは、その」
「今更言いよどむ事もないでしょうに。まったく、剣を持ってる時の度胸を今持ってこないでどうするのよ」
「いや、あれはそういうのじゃないんだけど……」
「そんなんだから天然って言われるのよ」
「私、天然!? え、私そんな事言われてたの!?」
逆に問わせてもらえば、ヒメは天然以外の何だと言うのか。
まあ、そのおかげで今まで他の告白は華麗なまでに躱していたんだけど。
でも、それもここで終わりにして貰いたい。
「ねえ、ヒメ。ミナさんが言ってたじゃない? 一番最初、ヒメが『護りたい』と思った気持ち、思い出してみてよ」
「私の、最初の気持ち?」
「どうせヒメの事だし、明確な答えだそうとぐるぐる悩んでるんでしょ。そういうのはさ、もっと単純でいいのよ」
そう、単純でいいのだ。
人間の重いってのは確かに複雑なものだけど、これに関しては深く考える必要なんて無い。
だって、ヒメが最も強く信じてたその想い、その理由は必ずそこにあるのだから。
「あの時が最初だって言うんなら……どうしてヒメは、嶋谷の事を護りたいと思ったの?」
「――――っ!」
事故で両親を失った嶋谷は、あの時廃人も同然と言うほどに強いショックを受けていた。
そんなあいつを心配するのは当然だろう。だけど私は、護りたいとは思わなかった。
支えたい、助けたい――傷ついたあいつを、普段どおりの友達に戻したかった。
でもヒメは、嶋谷の事を護りたいと願ったのだ。
「私……そうだ、私……」
ヒメは目を見開き、呆然と呟く。
私やトモがあの時嶋谷に対して抱いていたのは『同情』だっただろう。
けど、ヒメが抱いていたのはきっと『共感』だ。
普段自分を護ってくれていた嶋谷が弱っている姿を見て、自分を護ってくれていた嶋谷の姿を強く想起したはずだ。
「私は、ずっと護られていた事……あの時、ようやく気付いて……」
護られる事が当たり前じゃなくなった瞬間。
ヒメにとって、『護る』と言う行為そのものが神聖なものへと変化したその瞬間――それが、始まりだ。
ヒメが一番最初に護りたいと思ったもの。初めて明確に、『手放したくない』と想ったもの。
「護ってくれていた事が、本当に嬉しかった……!」
ヒメは、自分の体を抱きしめるようにしながら顔を俯かせる。
そんな俯いたヒメの顔からは、光る雫が零れ落ちていたのが見て取れた。
抑えきれないほどに強い想い――ああそうだ、ヒメは確かにあの時も泣いていた。
虚ろな表情でベッドに横たわる嶋谷の手を握って、堪え切れない涙を流していたのだ。
あの時は、悲しいから泣いているのだと思っていた。けれど、本当は違ったのだろう。
今と同じように――ヒメは、嬉しさを堪えきれずに泣いていたのだ。自分を護っていてくれた事が、何よりも嬉しくて。
――敵わないな、と思う。
「私っ、私、ね……ずっとずっと、賢司君の背中ばっかり見てて……今度は、私が賢司君の前に立つんだって……!」
「……そうね、いつだって前に立ってくれてたのは、嶋谷とトモだったわ」
私の仕事は泣いてるヒメを隣で支えてあげる事で、矢面に立つのはいつもあの二人だった。
私だって同じだ、いつだってあの二人の背中を見ていた。
だから、あの二人の事を本当に信頼しているのだ。
あの背中が裏切る事は、絶対にないのだと。でもヒメは、それで満足しなかった。
「ずるい、よね。賢司君の事ばかり、護ろうと思って」
「あの時だったら当然でしょ。あいつ、本当に弱ってたんだから」
だからヒメは、献身的に嶋谷の事を助けようとしていた。
親に怒られても、病院の人に呆れられても、例え大雨だろうがなんだろうがあの病室に向かう事を止めなかった。
その時に抱いた思いが、嶋谷が退院しても残っていて、それが今のような形になったのだろう。
それでも、一番最初がそれである事に変わりは無い。
「……ねえ、杏奈ちゃん」
「何よ、ヒメ?」
ヒメは、顔を上げる。
そこに浮かんでいたのは、晴れやかな笑顔だ。
自分の想いの根本に触れて、ようやく自分を理解したヒメの笑顔は――本当に、綺麗で。
――良かった。
自然にそう思えた事に、私は何よりも安堵していた。
「私、頑張るよ」
ありがとうや、ごめんねの言葉は無い。
ヒメも私の事を分かってるから、だから今は口にしなかったのだろう。
それを口にするべきときがいつだか、ヒメは理解しているから。
だから――私もまた、笑顔を浮かべた。
「ん、頑張って来い」
心配するまでも無い、私はちゃんと笑えている。
ちくりと滲む鈍痛を抱きながらも、私は本心から笑えていた。
そんな時――ふと、煙草の匂いが鼻に届いた。
懐かしさすら感じるそれに、私は思わず目を見開く。
「……ヒメ、そういえばうちでいづなさんが呼んでたわ」
「え? そうだったの?」
「時間的には間に合うと思ってたから言わなかったんだけど……ちょっとぎりぎりになってきたわね。ヒメ、先に戻ってて」
「あ、う、うん」
どうやら、ちょっと不審に思ったらしい。
けどまあ、いづなさんが来ているのは事実だ。
どうせあの人の事だし、私の事情ぐらいはどこかしらから察知しているだろう。
それなら、今はそれに頼ろう。
「じゃあ杏奈ちゃん、先に戻ってるね」
「ええ。色々と、頑張りなさいよー?」
「もう、ここぞとばかりにからかわないでよ!」
ちょっとニヤついたようなニュアンスを交えてそう言えば、僅かながらに憤慨した様子を見せながら、ヒメは踵を返して走ってゆく。
その背中が見えなくなるまで見送って――私は、周囲の山林へと向けて声を上げた。
「――ねえ、煙草は止めたんじゃなかったの、トモ?」




