76:新たな怪異
「っと。ああ、その前にあらかじめ聞いておきたいんだけどさ――」
神楽坂さんに話を促そうとした時、先輩はふと思い出したかのように声を上げた。
先輩の視線はじっと神楽坂さんの瞳を射抜き、いつもよりも真面目な表情で問いかけている。
既に怪異の話だからか、或いは――
「今回、本当に危険の無い怪異なんだろうね?」
「はい、そうですよ。少なくとも現状までの調査では危険は無いと判断されています」
先輩は、そんな普段では言わないような事を口にしていた。
そんな先輩の言葉に面くらい、私は思わず目を瞬かせる。
普段の先輩なら怪異とあればすぐに飛びついていくから、そのような事を言うとは露ほども思っていなかったのだ。
そして、それは神楽坂さんにとっても意外な事であったらしい。
「珍しいですね、テリアちゃんがそんな事を言うなんて」
「うん、まあそうなんだけどね」
小さく、先輩は苦笑を零す。
自分が普段ならば言わないような事を言っていると、どうやら自覚しているらしかった。
そして、普段の己を曲げてでもそのような事を言った理由は――
「最近、命の危険がある怪異ばかり相手にしてきたからね。それに、杏奈ちゃんと姫乃ちゃんは旅行先で怪異に襲われたばっかりだ。ここまで短い間隔で来ると流石にきついだろうからね。無茶な事はさせたくないんだ」
「あら……」
先輩の言葉に、神楽坂さんは目を見開く。
かく言う私も、先輩の言葉には若干驚いていた。
先輩が優しい人だというのは知っている。色々と変わっているけど、市ヶ谷さんの影響を受けているのだから、優しくない訳がない。
けれど、先輩にとって怪異は何よりも優先すべきものなのではないかと私は思っていたのだ。
だから、私たちを気遣って怪異を遠ざけるなんて、予想外の行動だった。
そして、それは神楽坂さんにとっても同じだったらしい。
「テリアちゃんがそんな事を言うなんて……何か心境の変化でもありました?」
「いや、まあ……色々と知っちゃったからね。あんまり無茶はしない方がいいと実感しただけだよ」
「あ――」
その言葉を聞き、理解する。
つまり、先輩はヒメの事を気にしていたのだ。
ヒメの力を、そしてヒメが強くなりすぎてはいけない事を。
あまりヒメを追い詰めてはいけない、だから危険な怪異は避けるべきだ――そういう事なんだろう。
それを理解して、私は小さく微笑む。自分よりもヒメを優先してくれたその理由が、少し嬉しかったのだ。
「ふむ……まあ、必要以上の詮索はしない約束ですからね。それはいいでしょう。まあとにかく、危険な怪異でないのは確かですよ。それは私が保証しましょう」
「……」
「何でしょう、嶋谷君? その『信用ならねぇなコイツ』みたいな顔は」
「表情から人の心を読むな」
「嶋谷君の表情が読みやすいだけです」
どうやら、神楽坂さんは嶋谷にとって本気で相性が悪い相手らしい。
まさか、いづなさん以外が相手で嶋谷がここまで手玉に取られている光景を見るとは思わなかった。
相手が新聞と言う報復手段を持っているだけに、下手に手が出せないのだろう。
本当に怖いわね、この部長さん。
「……とにかく、大丈夫なんだね?」
「はい、それは保障しましょう。新聞部は嘘を吐きません。脚色はしますが」
「だから性質が悪いんだよ」
「嶋谷君、何か?」
「いんや、何でも」
ボソッと呟いた嶋谷の言葉をしっかりと拾いつつ、神楽坂さんはにっこりと笑う。
近くに座っていた私ですらぎりぎり聞き取れるかどうかというレベルだったのに、本気で地獄耳だわこの人。
嶋谷の方も慣れた反応で、嘆息交じりに肩を竦めつつ目を逸らしていた。
「まあ、了解したよ。少なくとも命の危険はなさそうだね。それで、一体どんな怪異なの?」
「はい、今回のは縁結びに関係した怪異ですね」
その何気なく放たれた神楽坂さんの言葉に――隣に座るヒメの方が、ピクリと跳ねていた。
この人に知られるのは恐ろしいので、出来れば過剰な反応はしないでいて欲しいのだけど。
先輩もちらりとヒメの方へ一瞬だけ視線を向けてから、神楽坂さんへと問いかける。
「縁結びと言うと?」
「そのままです。テリアちゃんは玉之瀬神社の縁結びに関して知ってますか?」
「玉之瀬神社……? ちょっと待って、流石にそこまで細かい内容は記憶が薄い。場所はどこだっけ?」
「埼玉県の桶川市ですね」
「了解、賢司君ちょっと手伝って」
神楽坂さんの言葉に頷き、嶋谷と先輩は棚からファイルを漁り始める。
手伝いたいところだけど、流石に私もどこに何があるかを詳しく把握してはいない。
以前色々と読ませてもらった時に、ある程度有名な物がどこにあるのかは覚えておいたのだけど、先輩ですら詳しく内容を覚えていないような怪異は流石にどこにあるか分からない。
まあ、ここはおとなしく先輩に任せて待っている事としよう。
「っと……埼玉県桶川市の玉之瀬神社……ああ、これだこれ」
程なくして見つかったのか、先輩は大きめのファイルを取り出してどんと机の上に置いた。
開かれたページには、写真つきでどこかの神社に関する資料が載せられている。
埼玉県の玉之瀬神社。私の家も神社だけど、流石にそこまで離れた土地にある神社は知らない。
一体、ここにどのような逸話があるというのか。
「ええと、どんな話だったっけ……あーあー、そうだそうだ、こんな感じの話だったね」
「むしろ私としては、そんな遠くの場所にある都市伝説の内容までよく覚えていますねと突っ込みたいです」
「んー、まあ縁結びに関する都市伝説ってぶっちゃけ少ないからねぇ」
「で、どういう内容なんですか?」
先輩にも乙女な所があるんだろうなぁ、などと思いつつも、それを突っ込むと拗ねるだろうから特には口にせず、私は先輩に続きを促す。
それに頷き、先輩はいつも通りの調子で声を上げた。
「まあ、割と単純な話だね。って言うか、複雑な所なんて全くないものだ。この神社に縁結びのお参りに行くと、その願いは必ず成就すると言うものなんだよ」
「わぁ、素敵ですね」
「……ふむ」
先輩の言葉にヒメは目を輝かせるが、その様子を見ていた嶋谷が口元に手を当てる。
何か気になる事があるのか――と言いたい所だが、私も嶋谷が何を考えているのかは察する事ができた。
ぶっちゃけた話、そんな程度の噂は珍しくも何ともないのだ。
どの神社にお参りすると必ず恋が叶う、どこかの木の下で告白するとそのカップルは幸せになれる――その程度の話なら、探せばごまんとあるだろう。
そして、そんな話をわざわざこの新聞部の部長が持ってくるとは考えづらい。
故に、この話には続きがあるのだ――そう、私も嶋谷も考えていた。
案の定と言うか何と言うか、目を輝かせるヒメの様子に、先輩はどこか苦笑の混じった表情を浮かべる。
「それだけならよかったんだけどねぇ……このお参りには、代償を求められるのさ」
「だ……代償、ですか?」
「そ。神様なら気前よく叶えてくれればいいのにねぇ」
神社側からすればむしろ風評被害と言うべきものではないだろうか。
はてさて、それが一体どんな代償だと言うのか――正直な所、あまり気持ちのいい内容ではなさそうだ。
不穏な空気を感じ取ったのか、ヒメやトモも表情を歪め、先輩の言葉を待っている。
そんな私たちの様子を受け、先輩はその続きを口にした。
「この神社に縁結びのお参りをしたものは、必ず願いが成就する。ただし、そのカップルは決して長続きしない」
「え……?」
「そう怖い話じゃないよ。この時代償として求められるのは……『相手を恋い慕う心』、なんだそうだ」
その言葉を理解する為にしばし沈黙し、内容を吟味して――私は、思わず顔を顰めていた。
つまり、相手と結ばれたいと思ってお参りすれば、相手は必ず自分を好いてくれる。けれど、相手を好いていた筈の自分はその好意を失ってしまう――とどのつまりが、そういう事なんだろう。
皮肉と言うか、最早嫌がらせとでも呼べる代償だった。
ヒメにとってもそれはショックだったのか、驚いた表情で声を上げる。
「な、何でそんな……!」
「いや、ワタシに言われてもそれは分からないけどさ。都市伝説なんだし、理由なんて何もないと思うよ」
「それは、そうなんですけど……酷いです、そんなの」
「まあ、それに関しちゃワタシも同意だけどねぇ」
やれやれと肩を竦め、先輩は嘆息する。
まあ、私も似たような気分ではあった。詐欺もいいところだろう。
実際にそうなってしまうのかどうかは知らないけれど、神社を運営している側からすればいい迷惑だろうし。
けどまあ――
「で、そんな遠い所の都市伝説が何か関係あるんすか?」
「だよねぇ。そんな所まで調査に行けといわれても、流石に無理だよ?」
「それは分かってます。流石に、そんな無茶は言えません。これは、もっと近場の話です」
思わず、きょとんと目を見開く。
埼玉県の話をしていたはずなのに、何故地元の話が出てくると言うのか。
要領を得ない話に首を傾げていると、神楽坂さんは小さく苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「今の話は例として出しただけです。そうですね、簡単に言うなら……それと内容の似通った噂が流れている、と言った所でしょうか」
「似通った噂、ねぇ。つまり、成功するけど破局してしまうと言う噂を持った何かがこの近辺にあると?」
「そういう事です。まあ、噂はまだ流れ始めたばかりのようですが、そのての話は女の子に回りやすいですからね」
「それはまあ、確かにそうだと思いますけど……失敗すると分かっててやる人なんているんですか?」
「所詮は噂話ですからね。そんな事が起こる訳がないと考えて、軽い気持ちで手を出してしまう人は多いでしょう」
まあ、それはその通りだろう。
私たちだから噂話には過敏に反応するけれど、普通の人たちからしてみれば単なる話の種に過ぎない。
それに乗っかるような気持ちで手を出してしまう人も、決して少なくはないだろう。
そしてその時点で怪異が発生していたとすれば、それが現実となってより信憑性が増し、怪異の存在が確かなものになってしまう。
問題は、今現在はどんな状況なのかと言う事だ。
もし既に怪異が発生しているのであれば、早くしないとより存在が強固になってしまう。
「……それで、その具体的な場所は?」
「この町の山のほうです。そこの神代さんの神社がある方ですね」
「って言っても、うちの神社って訳じゃないんでしょう? うちは縁結びは全く関係ありません。って言うか、そんな噂が立ったら困ります」
「ああはい、それは大丈夫ですよ。ご安心を。噂になっているのは山の中の方です」
その言葉に、私はとりあえず安堵の吐息を零す。
うちの両親が帰ってきているとは言え、そんな面倒な事になっていたら流石に困る。
ともあれ、うちでないのであれば何だって問題はない。
「場所は、あなたの神社の前を通り過ぎて、そのまま山道の方に入っていった先です。ずっと道なりに進むとお地蔵さんがあって、そこが噂の現場となっています」
「……道祖神で縁結びって」
「まあ、その辺はよく分かってない人が話を流し始めたのでしょう」
何だか、神様に関連したものは何だって縁起がいいと考えてる人結構いるからねぇ……もうちょっと由来とか気にして欲しい。
けどまぁ、場所が分かっているのならそれほど悩まないで済むだろう。
解決できるのであれば、さっさと解決してしまいたい。
が――先輩は、そこでふとこんな事を口にした。
「ふむ。じゃあそれに関してはワタシの方で調べとくから、今日は解散しとこうか」
「え……行かないんですか?」
「簡単な怪異でも油断しちゃ駄目だよ、杏奈ちゃん。出来るだけ情報は集めないと」
その言葉は限りなく正論で、私は言葉を返せず頷きながら沈黙する。
が、先輩の考えは口にした言葉とは別の所にあるのではないかと思えてならなかった。
どちらかと言えば、私たちの事を気遣っているような――そんな様子。
向こうで起こった事を市ヶ谷さんから聞いて、気を使うようにとかそんな事を言われているのだろうか?
流石に聞く気にはなれないけれど、まあそういう事ならありがたく受け取っておくべきだろう。
「ん、じゃあそういう事で。たぶん明日には情報が纏まってるだろうし、そしたら全員で行こうか」
「報告を期待してますよ」
「はいはい。分かってるよー」
何だか随分、気を使われてしまっている。
まあ先輩の言う事は確かだし、今日は大人しくしておくか。
――そんな事をぼんやりと考えていた私は、ヒメが沈黙している事に気づけないでいたのだった。




