73:師の言葉
「うし、こんなもんでええやろ」
整体を終えたいづなさんが、ぺちんとヒメのお尻を叩く。
それに対し若干恥ずかしそうにしながらも、ヒメはぺこりと頭を下げながら起き上がった。
顔を赤くしている様子が実に可愛い。
「あ、ありがとうございました」
「身体の調子はええ感じなん?」
「はい、とっても軽くなりました。やっぱり、ちょっとやってないだけでも違うんですね」
ぐるぐると肩を回し、ヒメは笑顔を浮かべる。
まあ、何でも出来るいづなさんの事だ、腕は確かなんだろう。
ただ、この人の事を完璧超人と呼ぶ気にはなれないのだけど。主に性格面のせいで。
と、そんなヒメの様子に興味を持ったのか、トモがいづなさんに対して問いかけた。
「へぇ、そんなにすごいなら俺にもやって貰えませんか、師匠」
「えー、嫌や」
「即答!?」
が、いづなさんはにべもない。
別に大した労力でもないのだろうし、やってあげてもいいんじゃないかなぁとは思うんだけど。
トモの奴も、今回は別に下心があって言ってるんじゃないんだろうし。
と、そんな私の隣で、ミナさんがくすりと笑みを零す。その視線が向いている先はいづなさんであり、この人が何かを考えたと言う事だろうけど――まあ、大方の予想はつく。
「だって、男の身体触ったっておもろくないやん」
「ぬぅ……っ、だが、確かに!」
「あんたはそれで納得すんのか」
思わず半眼でそう突っ込み、嘆息する。
まあ、本人が納得しているのであればそれでいいのだけれども。
ともあれ――揃うまで、あと二人か。
一応約束していた時間まではもう少しあるし、あいつは時間ぴったりに来るだろうからもうちょっと暇があるだろう。
そんな事を考えていたところで、ふとヒメが声を上げた。
「あの、いづなさん」
「おん? どないしんたん?」
「今日の私、どんな感じでしたか?」
どうやら、自分の成果を聞きたかったらしい。
先ほど十分褒められていたような気がしたけど、たぶん具体的な所を聞きたいのだろう。
ただ褒められるだけでは意味が無い。ヒメは、叱られた事も飲み込んで成長できるタイプの人間だ。
要するに、良かった点と悪かった点を聞きたいという事だろう。
その言葉を受け、いづなさんはふむ、と口元に手を当てつつ声を上げる。
「せやね、かなり良くなってたっちゅーんは言葉通りや。勇み足に踏み込み過ぎとったんも直っとったし、武器の重さで腕が上がりきらんかったんもどうにかなっとる。
まさか、短期間にこれだけ成長できるとは思わんかったで」
「はい、ありがとうございます。でも、どこか直す所とかは……?」
「とは言うても、ひめのんは自分でどこが悪いか分かっとるやろ? 自分自身の状態を把握する事に関しては、うち以上に才能があると言うても過言やないんやし」
「きょ、恐縮です」
いづなさんの賛辞に、ヒメは体を縮めて恐縮する。
私としても、その言葉は少々以外だった。いづなさんがヒメの事を『自分以上』なんて言う事、今までに一度も無かったからだ。
そしてそれが本当に本心からの言葉である事が分かるから、ヒメは照れてしまったのだろう。
いづなさんは、嘘も吐くし冗談も言うけれど、真面目な表情の時は決して嘘は吐かないのだ。
「まあ、それでもあえて修正点言うなら……せやね、攻め方辺りやないかな」
「攻め方、ですか?」
「ん。何ちゅーかね、ひめのんの攻撃は素直すぎるんや」
ちらりと、いづなさんは視線を外へと向ける。
そこは先ほど二人が修行していた場所で、地面は二人の踏み込みによって固く踏み固められてしまっている。
それだけ普段の修行が激しく、そして長い間続けられてきた事が分かるだろう。
ヒメはそこで、ただひたすら実直に修行をこなしてきた。
そんな真面目で素直な努力が、今のヒメをここまで押し上げているのだろう。だが――
「性格的には努力に向いとるんやけど、戦いの際にはちょいと邪魔になってまう性質やね」
「そうなんですか? 私には良く分からないんですけど」
いづなさんの言葉に、私は首を傾げながら問いかける。
攻撃が素直すぎる、と言うのは私には良く分からない感覚だった。
ヒメは少しだけ心当たりがあるのか、沈黙しながらいづなさんの言葉を吟味しているようだったけど。
そしていづなさんは、私の問いかけに対して軽く肩を竦めながら声を上げた。
「さっきの修行のとき、うちは余裕なのにひめのんは息が切れまくっとったやろ? あれ、どうしてか分かる?」
「え? そりゃまあ、いづなさんの方が基礎体力が高いからじゃないんですか?」
「ま、確かにそれもあるんやけどね。せやけど、短い戦闘でだってうちも息を切らす事はある。単純な時間や体力の問題だけやない」
「……つーと、緊張って事っすか?」
と、そこでヒメに代わってか、トモがそんな事を口にした。
緊張、なるほど緊張か。確かにそれも疲労に関わってくる要素だろう。
いづなさんは、ヒメの剣を前に全く緊張していなかったと言う事なんだろうか。
「おお、流石やねトモちん。そーゆー事や。でまあ、それがひめのんが素直っちゅー事に繋がるんやけど……なあひめのん、ひめのんはどうやってうちの攻撃を防いどったん?」
「え? それは……いづなさんの動きから攻撃の軌道を読んで、そこに合わせるようにしてたんですけど」
「せやね、無拍相手ならそうするように教えた。せやけどな、ひめのん。ひめのんの攻撃は、うちには動作に入る前から読めとったんやで?」
「え……!?」
その言葉に、ヒメは目を見開く。
けどまあ、ようやくいづなさんの言葉の意味が分かってきた。
その理由こそが、ヒメが素直すぎると言う事なのだろう。
「言うたやろ? ひめのんの攻撃は素直すぎる。あまりにも定石どおり過ぎて、攻撃する前から攻撃箇所が分かってまうんや。せやから、うちは殆ど疲れへんかった」
「でも、突然それ以外の攻撃が来たらどうするつもりだったんですか?」
「それやったら目ぇ見とれば分かるよ。どんな行動でも、視線に変化が現れるもんやからね」
さも常識のように言ってるけど、ぶっちゃけさっぱり分からない。
視線って、あんな素早くぐるぐる動きながら打ち合ってるのに、そんな所を見ている暇があるのか。
しかしヒメはその言葉にいたく感銘を受けたのか、キラキラした尊敬の視線でいづなさんの事を見つめている。
駄目だ、こいつらの感覚がさっぱり分からない。
「虚実織り交ぜる、なんて口で言うんは簡単やけど、実際はそこまで単純な問題やないからね。これに関しちゃ経験を積む他ない。まーくんみたいに相手を防御の上から叩き潰せるようなパワーファイターやったらそんな小細工も殆ど必要無いんやけどね」
「はぁぁ……凄いです。分かりました、頑張ってみます!」
「ういうい。期待しとるよ」
気をつけて何とかなる物なのかどうなのかは知らないけど、いづなさんの言葉にヒメは素直に頷いていた。
出来るならば、こういう訓練の間にそういう技術を身につけて欲しいものだ。
ヒメは、今回の怪異を相手にする中で、飛躍的に技術を上昇させた。
実戦は訓練の数十倍も価値のある物だという話は聞いた事があるけれど、だからと言って積極的にそういう場に出るのは止めてほしい。
ヒメに向かって薙刀が振り下ろされていたあの場面、あれは本当に心臓に悪かった。
「ったく……あんまり無茶しないでよ、ヒメ」
「うん、でも杏奈ちゃんもね」
「私はあんたほど無理してないっての」
私に出来る事なんて限られてるんだから、出来る事だけをする。
分不相応な事には手を出さない。熱海での怪異は……まあ、若干首を突っ込んでしまった感はあるけれど。
と――そんな事を考えていた時だった。
『ごめんくださーい』
『やほーい、デリバリーだよー』
『あ、賢兄に先輩。姉ちゃんなら奥の部屋にいるよ』
待っていた残りのメンバーが、我が家に足を踏み入れる。
そしてそんな声が響いた途端、隣にいたヒメがピクリと肩を跳ねさせていた。
どうやら、随分と意識してしまっているらしい。まあ、私としてはその方がいいのだけれども。
足音は迷う事無く徐々に近づいてきて、この部屋の扉を開ける。
そこには先ほど聞こえた声の通り、嶋谷とテリア先輩の姿があった。
「やっほー、よく来たわね」
「出来るだけ急いできたんだが……流石にトモには勝てないか」
「って言うかあんな石段を毎日上り下りしてるんだね……流石のワタシも疲れちゃったよ」
一応ながら慣れた様子の嶋谷と、ちょっと疲れた表情を見せる先輩。
しかし、先輩もいつかの梓のように疲労困憊という様子ではなく、ちょっと息が切れただけと言う感じだ。
何だかんだで、先輩も結構体力があるらしい。
と、そこで二人の視線が私の隣に集中する。まあ、いい加減これも慣れてきたけど。
「紹介するわ。この人は、お兄ちゃんの友達のミーナリアさん。あと、先輩は初めて会うと思うので、こっちの人は同じくお兄ちゃんの友達で、ついでにヒメの師匠のいづなさんです」
「ミナで、いい」
どうやら、ミナさんはこの二人にも心を許してくれたらしい。
とりあえずそれに安堵したところで、今度はいづなさんの方が声を上げた。
「うむ……ええおっぱいや」
「真顔でいきなり何言ってんですか」
無駄にシリアスな表情で言い放ったいづなさんに、私は深々と嘆息する。
まあ、そうだけどさ。テリア先輩の胸は大きいけどさ。って言うか来る時点で何かしらやらかすだろうとは思ってたけど、一言目からこれか!
これは流石に先輩もドン引き――
「あなたこそ……かなりやるじゃないか。そして、かなりのおっぱい鑑定の技量を持つと見た!」
「ええ目利きや、同志は歓迎せなあかんね!」
「黙れ、頼むから黙ってくださいあんたたち」
ああそうだったわね、ここの所怪異続きでシリアスな場面ばっかり見てたけど、先輩はこういう人だったわね。
真面目にやろうって気は無いのかこの変態共は。
いい加減物理的な説得手段に頼ろうかと考え始めたところで、ふとヒメが私の袖をくいくいと引いてきた。
この面子の前で何の内緒話があるのかと、私は疑問符を浮かべながらも振り返る――そこには、ちらちらと嶋谷のほうを見ながら顔を赤らめるヒメの姿があった。
「あ、杏奈ちゃん、私汗臭くないかな……?」
「あー……まあ匂いは多少あるんじゃない」
「ふえぇ!? わ、私、もう一回お風呂入ってくる!」
「落ち着け、大丈夫だから」
慌ててお風呂場へと向かおうとするヒメを捕まえ、強制的に座らせる。
実際のところ、汗の臭いなんてほとんど感じないのだ。
午前の練習が終わった後に一回お風呂に入ってたし、その時にしっかりと身体を洗っている。
その後運動した為か、むしろ石鹸やシャンプーの匂いなどが強くなっているように感じられた。
それを伝えると、ヒメはあからさまにほっとした表情で息を吐き出す。
「気になるんだったら制汗スプレーでも使う?」
「う……ううん、大丈夫だと思う。ありがとうね、杏奈ちゃん」
何かこう意識しちゃってる姿を見ると、ミナさんがやった事も正解だったんだなぁと思えてくる。
これなら、遠からず私の願いも果たされそうだ。
そう安堵して視線を戻せば、どうやらそれぞれ自己紹介を終えた所だったようだ。
そして、本題に入る。今日、私たちが集まった理由を。
「ほんなら、説明を始めよか。ひめのんに一体何が起こっとるのか、その真相について」
そんないづなさんの言葉と同時に、皆の視線が一斉にヒメへと集まる。
ヒメは若干一命の事を気にしていたみたいだけど、どうやらそれを気にする必要もなくなったようだ。
今はそんな、浮いた話が出来るような状況ではない。
これからするのは、私たちの今後に関わる話だ。
「全員、今やっとる活動がお遊びやないってのは分かっとる。せやけど、ここから先は本当に危険や。せやから――」
いづなさんは一度言葉を切り、ぐるりと全員の事を見渡す。
皆の表情から、覚悟の程を確かめようと言うのだろう。
けれど、そんな事は確かめるまでも無く分かりきっている。
多くの話を聞いて最も状況を理解しているのは、恐らく私だろう。そんな私から見て――このメンバーが、ここで引き返すような連中だとは思っていない。
そして、いづなさんは口元に小さく笑みを浮かべる。
「――ほんまに、覚悟して貰うで」
後戻りできなくなる場所へ――私たちは、躊躇う事無く踏み込んで行ったのだった。




