07:正体を探りに
「しかしまた、新年度早々大層な話になってきたわね」
「う、うん……」
やれやれと息を吐き出してから私が言い放った言葉に、未だ動揺した様子が抜けないヒメは頷く。
普段ぼんやりしてるヒメとは言え、あんな話を聞かされれば気にせずにはいられなかったみたいだ。
まあ、それも当然と言えば当然だけど……ただヒメの場合、ちょっと『ひきこさん』に共感と言うか、同情してる部分があるんだろう。
私も多少の同情はあるけれど、最終的には不気味な印象しか得られていない。
ただヒメの場合、それに加えてホラーとしての恐怖と、その逸話に対する悲しみが混ざった複雑な感情と化してしまっている。
優しいヒメらしいと言えばその通りなんだけど……私としては、『どうしてそうなったのか』という話より、『これからどうなるのか』の方が気になっているのだ。
直感でしかないけれど……この事件は、これだけでは終わらないような気がする。
「しかし……」
「ん、どうかしたのか、トモ? 珍しく真面目な面して」
「ははは、褒めるなよ賢司。ちょっと気になった事があるだけだって」
根本的にアホな事を言ってるけれど、とりあえずそれにはツッコまないようにする。
トモの言動を一々気にしていたらきりがないのだ。
で、トモは一体何が気になったって言うのかしら?
「いやな、あの先輩、一体何を調べてくるつもりなのかと思ってな」
「あー、そういえば最後、よく分からない事を言ってたわよね。実話がどうとか」
「ああ、その事か」
納得した様子で、嶋谷は首肯する。
どうやら、コイツはそれがどういう事なのかを知っていたらしい。
と言うか、コイツが知らなかったら、他に知ってる人なんていないんでしょうけれども。
ともあれ、何かを知っている様子の嶋谷に対し、ヒメが疑問符を浮かべる。
「賢司君、知ってるの?」
「ああ、まあ……とりあえず、都市伝説の事はある程度分かっただろう?
噂話に語られている事が現実に起こる現象……どういう原理なのかは良く分からないが、根本になっているのは噂話だ」
うん、それは理解する事が出来た。
いや、理解と言うか何と言うか……とりあえず、そういうものなのだという認識を持つ事は出来た。
まあ、色々とこの世の常識やら法則やらを無視しちゃってるっぽいし、それで納得するのも無理な話だけど。
でも、それは現実に起こっている。この目で見た訳じゃないから鵜呑みには出来ないけれど、蘆田先輩の怯え方は本物だった。
もしもこの目で見ることがあったら……その時は、全面的に信じざるを得ないだろう。
正直、猜疑的なのは否定できない。
「けど……ただ噂に流れているだけじゃ、都市伝説が実体化するような事は無いみたいなんだ」
「噂だけじゃ、駄目? 他にも必要なものがあるって事?」
「まあ、これもある意味噂の一部であるとも言えるんだが……『信憑性』が必要なんだよ、都市伝説には」
嶋谷の言葉に、私は目を細める。
説明はしづらいけど、感覚的には理解できる。
つまり……『その話を本物だと思わせる何か』が必要だっていう事なんだろう。
「例えば、その噂話の内容を本当に見た、という目撃談。それが見間違いであったとしても、信じてしまう人間がいれば影響を受ける……らしい」
「それ、先輩が言ってた訳?」
「まあ、そんな所だ。で、それに近い内容として、『噂話に近い事実』って言うのもあるらしい。先輩が調べに行ったのは、多分これだろう」
あのひきこさんの話……それに近い事実があれば、それを根拠に噂話を信じてしまうかもしれない。
都市伝説―――怪異が現れるには、その噂を信じてしまう人間が必要っていう事なのかしら。
で、今回のひきこさんに関して言うならば。
「……過去にこの近辺でいじめを苦に自殺した子供がいるかとか、そういう話?」
「まあ、そうだな。どのぐらい共通項があるかは分からないが……例えば、過去にいじめ側であった人物が、それを後悔し続けていた時に、ひきこさんの噂話を聞いてしまった場合。
人間は、色々な話を自分に当て嵌めて考えやすいからな。自分が苛めていた少女が、ひきこさんになってしまったら―――まあ、こういう思い込みだけなら弱いかもしれないが、そういう認識の積み重ねだ」
もしかしたら、本当なのかもしれない……そう思うことで、都市伝説は実体を得る。
まあ、それに関しちゃまだ信じ切れてる訳じゃないけど、話の上では理解できた。
けど、もしそれが本当だとしたら―――
「……それって、拙いんじゃないの?」
「え? 何が?」
「流石、杏奈だ。都市伝説を何とかしなきゃいけない理由、よく分かってるな」
私の発した言葉にヒメとトモは疑問符を浮かべ、そして嶋谷は小さく苦笑のような表情を見せた。
しかし、そんな風に笑ってる場合ではないと、そう思ってしまう。
何故なら、噂によって生まれた実話ならば、更なる噂を呼んでしまうのだから。
「もしも、犯人がひきこさんだって言う噂が流れたら、ひきこさんの噂を信じてしまう者が増えてしまう」
「そうすれば、ひきこさんはより現実に近付き……そして、誰にも止められなくなってしまう。そういう事でしょ?」
「え……っ!?」
「マジかよ!?」
「現実主義の杏奈にしては随分と理解がいいとは思うが……先輩はそう言ってたよ」
「いや、まあ……それはそうなんだけど、色々とありえない人達が身近にいるから」
お兄ちゃんとか、桜さんとか、いづなさんとか……後はまあ、いづなさんとか。
まあ、それはとにかく、先輩の言っている事を事実とするならば、それは本当に危険だ。
このまま行けば、雨の日に現れて子供を引きずり回す怪人が、いつまでも出現し続ける事になってしまうのかもしれない。
それだけは、阻止しなければならないだろう。だからこそ、先輩はあれほど真剣だったのだ。
「……止めないと」
「ヒメ?」
「止めないと、いけないんだよね。そして賢司君は、今までこういうのを何とかしてきたんだよね?」
「あー、いや……前も言ったけど、こんな危険性の高い都市伝説は初めてだからな?」
「でも! それでも、賢司君達はこの都市伝説、何とかするんでしょ?」
ヒメの言葉に返す事ができず、嶋谷は沈黙する。
まあ、そうよね。これは何とかしなきゃいけない。
現状を理解していて、そしてテリア先輩が動いているのであれば、嶋谷も同調して動くだろう。
今日だって、コイツはひきこさんの事に関して調べに行くつもりだったはずだ。
けど……たった一人で行かせる事は、私達が許さない。
「だったら、私も協力するよ、賢司君。そんなのは私も無視できないし、賢司君一人に危ない事はさせられないよ」
「よく言ったぞヒメ、お兄ちゃんは感動している! ってか賢司、お前一人にそんなゴーストバスターみたいなカッコいい事やらせてたまるか! 俺にも活躍の場を寄越せ!」
「……ま、そーゆー事ね。嶋谷、分かってるでしょ?」
トモの分かりづらいツンデレはともかく……ヒメの思いは、何処までも本物だ。
何かと仲のいい私達四人の中でも特に仲間想いなこの子は、誰かが危険な目に遭っていたら無視する事は出来ない。
―――相手が賢司ならば、それも尚更だろう。
まあ、嶋谷は細かな事までは気付いてないでしょうけれども、ヒメの真っ直ぐさ加減は十分に理解しているはずだ。
「こうなったら、ヒメは『賢司君を護る!』って言って聞かないわよ?」
「うん、私が賢司君を……それに、皆を護るよ!」
「はぁ……ったく、お前らは本当に……」
嶋谷は、深々と嘆息を零す。
いい加減付き合いも長いし、早々に説得は無理だと判断したんだろう。
そりゃまあ、当然だ。私だってこうなったヒメを説得するなんて不可能だろうしね。
「……分かったよ。三人とも、手伝ってくれ」
「ぁ……うん!」
実に嬉しそうに笑うヒメに、私とトモはちらりと視線を合わせて苦笑する。
やっぱり、これでこそヒメだ。
「さて、そうと決まれば善は急げね。一応、何か当てがあるんでしょ?」
「ああ……それじゃあ三人とも、付いてきてくれ」
何処となくスッキリした表情で、嶋谷は笑う。
それに対して頷いて、私達は学校を後にしたのだった。
* * * * *
私達が向かったのは、事件の現場になった……と言うか、子供の死体が見つかった公園。
事件から数日程度だから、入れるかは疑問だったけれど―――
「あれ、開いてる……」
「まあ、広い公園全体を封鎖するなんて非効率的だからな。最初はそうだったけど、一通り調べ終われば大半は開放されるさ。
流石に、死体が見つかったあの茂みの中はまだ入れないだろうけどな」
私の呟きに対し、嶋谷は肩を竦めながらそう呟く。
まあ確かに、こんな広い領域を封鎖して見張り続けるのは、人の数もそれ相応に必要になるから仕方ないだろう。
とりあえずある程度近づけるだけでもありがたく思っておく事にしましょうかね。
「よし……ならば潜入だぁッ!」
「やる訳ないだろうがバカ」
……まあ、それで満足して無いバカもいるみたいだけど。
拳を振り上げて堂々と宣言したトモに嘆息し、嶋谷はその後頭部を平手で叩く。
割と力が篭っていたのか、後頭部を抑えて恨めしそうに振り返ったトモへと向けて、嶋谷は肩を竦めながら声を上げた。
「あのな、トモ。確かに事態は切迫し始めているが、そう易々と犯罪犯すような事でも無いんだからな?」
「ロマンが分かってないぞ、賢司! あえてリスクを背負いながら、周囲にとっては間違いであると呼ばれるような領域へと手を伸ばし、そして皆を救う! これがカッコいいんだろうが!?」
「……はい、ヒメ。言ってやりなさい」
「お兄ちゃん、悪い事しちゃいけないんだよ?」
「はいっ、分かりました!」
あっさりと意見を翻すトモに、私も嶋谷と同じように嘆息する。
っていうか、下手しなくても公務執行妨害でしょうが。
そういう発言を堂々と、真昼間から、しかも大声で言うんじゃないわよ、全く。
「で……どうするの、嶋谷?」
「お兄ちゃんが言った事は駄目だけど……でも、他の所なんて警察さんたちが調べ尽くしてるよね? 何か、見つかるのかな?」
「ああ、それはそうだが……まあ、理由はいくつかある」
言って、嶋谷は歩き出す。
向かっている先は、公園の入り口近くにあるパネル―――ある程度広い公園にはよくある、その周辺の歴史やら何やらが書いてあるアレだ。
私達はそちらへと向かってゆく嶋谷の背中を追いながら、彼の言葉に耳を傾けていた。
「まず、現場を直接見ておきたかったという事。まあ、これは単純な好奇心だ」
「相変わらずね……で、他にもあるんでしょ?」
「ああ、そりゃあな」
パネルの前まで辿り着き、嶋谷は足を止める。
若干その得意げなドヤ顔に腹が立ったが、それは気にしないようにしよう。
さて、それで……この公園の歴史が、一体どんな関係があるっていうのかしら?
「俺達には、警察の知らない情報というものがある。言わずもがなだが、ひきこさんに関する詳しい逸話だ」
「あ、もしかしてまだ情報があるの?」
「まあ、な。けどヒメ、大丈夫か?」
ホラーが苦手なヒメに対し、嶋谷は若干心配そうな表情で聞き返す。
先輩から話を聞かされてる時は、真っ青な顔で固まってたからねぇ、ヒメは。
好奇心旺盛でホラーに耐性のある嶋谷や、ある程度楽しめる私、そして盛大に怖がってるように見えて実は楽しんでるトモはいいけど、ヒメにはちょっときついんじゃないかしら。
そんな懸念の元に皆の視線がヒメに集中する―――けれど意外や意外……いや、意外でも無いのかな。
ヒメは、至って落ち着いた表情で、笑みすら浮かべながら頷いて見せた。
「大丈夫だよ、賢司君。私、皆を助けるって決めたから。だから、怖いのだって平気……ううん、怖い事は怖いけど、皆を助けるためだったら、私頑張るから」
「っ……ああもう、ヒメは本当にいい子なんだから!」
「うおおおおっ、感動したぞ妹よ!」
「トモは抱きつくな!」
「へぶぁッ!?」
「わぷっ!? ちょっ、杏奈ちゃん!?」
本当にこの子は健気なんだからもう!
思わずぎゅっとしてしまい―――私ごと一緒に抱きしめようとしてきたトモは蹴倒して、私はヒメの耳元で小さく感謝の言葉を発する。
一応、この子の事だから、こういう風に言ってくる事は考えられなくはなかった。
仲間想いで、それを実行する為に剣の腕まで磨いて……だからこそ、私もその想いに応えたくなる。
そしてそれに関しては、嶋谷の方も同意見だったらしい。
「……分かった。改めて、協力頼む」
「う、うん……ちょっと杏奈ちゃん、離してってばー」
ふかふかの抱き心地を堪能していたかったのだけど……まあ、仕方ない。
解放されて安堵の息を吐きつつ、ヒメが視線を嶋谷へと戻す―――それを確認してから、嶋谷は改めて話し始めた。
「全く……重い話で申し訳ないが、続けるぞ。ひきこさんには一つ、習性のようなものがある」
「習性って、動物じゃないんだから……」
「そうだな、性質と言い換えてもいいかもしれない。とにかく、ある行動パターンがあるんだ」
「……それって?」
一瞬詰まりつつも、ヒメは聞き返す。
そこには、絶対に逃げないとでも言うような強い覚悟が秘められていた。
その真っ直ぐな瞳に小さく微笑み、嶋谷は続ける。
「……ひきこさんは、引き摺り殺した子供や両親を、自分の部屋に飾るんだ。だから、死体が捨てられていた場所というのは即ち―――」
「ひきこさんの、棲家であるかも知れない、と?」
「って、それってここ危ないんじゃねぇのか!?」
「落ち着け、トモ。そもそも、ひきこさんは小学生しか襲わない」
肩を竦め、嶋谷は苦笑する。
去年までだったら誠也が狙われていたかもしれないけれど、今年は中学生。
そして言わずもがな、私達も中学生以上。
ひきこさんがそういう性質を持っているのであれば、仮に出会ってしまったとしても、私達は安全だろう。
「とは言え、蘆田の話だと、実際の逸話とは若干違う部分も出てきている。用心するに越した事は無いだろうな。ヒメ、杏奈、手鏡か何か持ってるか」
「ええ、一応持ってるけど」
「でも、ちっちゃいよ? これで大丈夫かな……?」
「そして俺は持っていない!」
「……まあ、無いよりはマシだ。とりあえず、いざとなったらそれで身を護れ」
トモの戯言は華麗にスルーし、嶋谷は私達に対してそう告げる。
コイツも、一応手鏡ぐらいは持ってきてるかもしれないわね……用意がいい訳だし。
とりあえず私達も若干の緊張を滲ませながら頷くと、嶋谷も首肯を返して、先ほど近寄っていたパネルへと向き直った。
書いてあるのはごくありきたりな内容。よくある、この公園の成り立ちやら、街の歴史やらそういうものだ。
「……この公園が出来たのは、1978年。国が土地を買い取っている」
「へぇ、そこまで歴史は深くないんだね」
「それはそれで以外だけど……問題はそれ以前でしょ」
「そうだな。ひきこさんが本当にあの茂みの中に死体を飾ったのだとしたら、そこに『ひきこさん』の家があった可能性は高い」
ひきこさんと言うより、今現れている『ひきこさん』の信憑性を高めてしまう存在がそこにいたかもしれない、という事。
一応、あの茂みは住宅地寄り……元々あの辺りに家が建っていた可能性もなくは無いだろう。
ただ、そんなモノはどうやって調べればいいのかは分からないけれど。
「まあ、その辺りの裏付けは先輩がするだろう。俺達は精々、その裏付けになるような情報を得られればいい」
「……改めて、あの先輩何者なのよ」
「さあ……あの情報網に関しては、本当に謎だ」
こういう場合には本当に頼もしいんだけど……何だかなぁ。
まあ、それはともかく―――
「それで、その家があったであろう頃を調べてどうするの?」
「とりあえず、先輩との情報共有がしたいが……まあ、まだ調べられる事は他にもある。この辺りだとすると、通っていたのは第三小学校か?」
「んー……そうだね、近いし」
「俺達が通ってた学校だしな! で、そこに行くのか?」
「ああ。古くからいる先生が何か覚えてるかもしれないしな」
市立第三小学校。私達が通っていた公立の小学校だ。
まあよくある普通の小学校で、公立校らしく結構昔から存在している。
三十五年前なら、普通に存在していたはずだ。
ただ、その頃からいた先生となると、少々難しいかもしれないけれど。
「まあ、とりあえず先輩と連絡を取りながら向かって―――」
言いながら嶋谷は踵を返し―――ふと、足を止めた。
私達の横を通り抜けようとした瞬間に動きを止めた嶋谷に、思わず疑問符を浮かべながら呼びかける。
けれど嶋谷は答えず、ある一点をじっと凝視し続けていた。
それに対して首を傾げながら、私はその視線の先を追い―――思わず、硬直した。
「ひ、ひひ、ひひひひひひひひひ―――」
桜の花弁が雨のように舞う中。
白い着物を着た幽鬼の様な少女が、じっとこちらを見つめていたのだ―――