69:旅の終わり
あの山の中から戻った後は、色々と面倒な事になってしまった。
まずうちの班の連中についてだけど、あいつらは私達がいなくなってしまった事を誤魔化す為に、自分達まで山の中で迷った事にしていたらしい。
思わず呆れてしまったが、まあ私達がいなくなった理由を説明する事なんて出来ないんだし、それも仕方ないだろう。
おかげで説明しやすくなったと安堵して戻ることになった訳だが……まあ、こっぴどく怒られる事に変わりは無かった。
まあ、それでも――
『仕方ない事だったんだ。俺も少しは助けになるよ』
そういってくれた市ヶ谷さんの援護によって、叱責は最小限で済んだのだけれど。
市ヶ谷さんは迷っている私たちを発見してくれた人物として名乗り出てくれたのだ。
先生たちも外部の人の前で生徒を大きく叱る事も出来ず、そして市ヶ谷さんがテキトーにでっち上げてくれた話のおかげで、何とか事なきを得られた。
まあ、私が小さな崖から落っこちて、それを皆が助けようとした結果二次災害が起きたという内容だった訳だけど……この山、本当にそんな感じの崖があるのかどうか。
ちなみに、私の胸元のボタンが二つほど千切れているのは、その時に引っ掛けたのが原因ということになった。
ちょっと無理があるような気はしないでもないのだけど、市ヶ谷さんもその言葉を否定しなかったから、先生も有耶無耶の内に納得する事となった。
「先生も、事を大々的にしたくないんでしょうね」
「そりゃ仕方ないわよ。突然の予定変更があったって言っても、監督不届き行きだったのは確かなんだし」
「流石に、人目を忍んでいなくなった私たちの事を監督が不足してたって言うのは可哀想だと思うけど……」
多少時間は遅れてしまったものの、今日はこの後の予定なんて特には無い。
そこまで急ぐ必要はないということで、市ヶ谷さんにお礼を言う事だけは許してもらえた。
という訳で、私たちはそんな事を口にしながらも、市ヶ谷さんの所へと挨拶に向かう。
彼は、私たちのバスからちょっと離れた辺りの所で、ヒサルキと話しているようだった。
レンタカーがそっちの方にあるのだろう。
「市ヶ谷さん!」
「ん、ああ。神代さんたちか。どうかしたのかい?」
「いえ、お礼をと思いまして」
言って、私はちらりと皆の方へと視線を向ける。
最初こそ市ヶ谷さんの事を警戒していた皆だけど、私が彼の事を信用している姿を見て納得してくれたようだった。
ちなみに、ヒメが信用しているだけでは納得してくれなかっただろう。ヒメは誰でもすぐに信用してしまうから。
警戒心の強い私が気を許している相手だから、という事らしい。
まあヒサルキの事は警戒している訳だけど、助けられた事もあるし、あんまり警戒に満ちた目で見るのも気が引けるようになってしまった。
あんまり信用できない性質してるんだけど……そこは私としてもちょっと複雑だ。
――まあ、それはそれとして。
「今回は、助けて頂いてありがとうございました。市ヶ谷さんたちがいなかったらどうなっていた事か……」
「私からも、ありがとうございました。ヒサルキさんも、杏奈ちゃんを助けてくれてありがとうございます」
「礼には及ばない……と言いたいけど、ここは素直に受け取っておこう。遠慮しても納得してくれなさそうだからね」
市ヶ谷さんはそう言って小さく笑う。
まあ確かに、お礼を受け取ってもらえなかったら私もヒメも納得できなかっただろうし、正しい判断だ。
そこまで私たちの事を見透かされてると思うと、ちょっと恥ずかしいけれど。
「とは言え、今回の怪異は元々俺が請けた仕事だからね。図らずも、君たちに手伝って貰った形になる訳だ。実際、君達がいなければこんなに早くは解決しなかっただろうし、怪異相手にも苦戦していた筈だ。だから、こちらからも礼を言わせてくれ……ありがとう」
「い、いえ、そんな――」
「ヒメ、受け取っときなさい。それでもお礼がしたいなら、葵ちゃんの事を気にしてあげればいいでしょう?」
「あ……うん。それじゃあ、どういたしまして、です」
「こちらこそ、どういたしまして。葵の事も、よろしく頼むよ」
言って、市ヶ谷さんは嬉しそうに微笑む。
その優しい笑みは、葵ちゃんの事を心の底から思っているような表情だった。
本当の親子じゃない筈だけど、それでもそれに負けないぐらいに愛情を注いでいる……その事に、私は安心していた。
私の予想が確かなら、葵ちゃんは本当に辛い経験をしている筈だ。
でも、この人ならそれを癒してあげられる。そんな確信が、私にはあった。
「さて、あまり長話する訳にも行かないんじゃないのかな?」
「あっと、そうでした――」
「あ! じゃああたしたちからもお礼を! 今回はありがとうございました!」
「あ、ありがとうございました」
「どうもっす。マジで助かりました!」
「ありがとうございました。機会がありましたら、何か手伝わせてください」
そろそろ時間と言う事で、班のメンバーたちが口々にお礼の言葉を発する。
それを一様に受け取り、市ヶ谷さんは柔和な笑みを浮かべてくれた。
父性に満ちた表情と言うべきか。先輩がこの人に惹かれるのも、若干ながら分かる気がする。
まあ先輩見たく長い間付き合ってるわけじゃないから、『優しそうだな』程度にしか思わないけれど。
「それじゃあ、私たちはこの辺で失礼します。また『コンチェルト』ででも」
「ああ。俺はこの土地にもうしばらく用事があるから、それが終わってからかな。それじゃあ、また」
「はい」
その言葉に頷き、一度深々と礼をして、私たちは市ヶ谷さんの元から離れていった。
途中でちらりと視線を向けると、こちらの事を向いていたヒサルキがそれに気づき、ひらひらと手を振ってきた。
さっきは喋らないようにしていたのは、怪異としての正体不明という性質をアピールするためなのか。
まあ、どっちでもいい。苦手意識も若干ながら解消されているのだし、もう会う事もないだろう。
だから最後に、こちらも笑みを浮かべながら、ひらひらと手を振り替えしておいた。
「ふふっ」
私のそんな動作に対し、ヒサルキは笑みを浮かべる。
いつもの皮肉ったものではなく、純粋に嬉しそうなそれを。
そんな表情が何となく意外で、思わずまじまじと見つめてしまったけど……ヒサルキは気にした様子も無く、さっと踵を返していった。
その背中に、私もまた小さく笑みを浮かべる。
「……ありがとう、ヒサルキ」
何だかんだで、あいつは人間の事が好きなのかもしれない。
そんな事を思いながら、私は踵を返す。
さて、さっさと戻るとしましょうか。
「しっかし……随分と濃い研修旅行になったわねぇ」
「あはは……思い出には残りそうだね」
「嫌な方面の思い出だけど――」
まあ、所々悪くない所もあった、かな。
出来るならば旅行の思い出のみが欲しかったところだけど、今更言った所で仕方ないだろう。
辛かったし、嫌だったと思ったけど、それでも不思議と悪い気分じゃない。
それがどうしてかなんて分からないけど……それはそれでいいか、と自分を納得させる。
問題は山積みだ。ヒメの力の事も、そして私の気持ちの事も。
これからの事を考えると、思わず頭が痛くなってきてしまう。
けれど――
「杏奈ちゃん、どうかしたの?」
「……ううん、何でもない」
ヒメの言葉に、私は小さく笑う。
なぜかは分からないけど、『どうにかなるだろう』と楽観的な気分になる事ができた。
どうしてそんな風に思えるのかはさっぱり分からなかったけれど、それでも、これは考えなきゃいけない事だから。
それに対して前向きに当たれるなら、それはいい事だろう。
「行きましょう。これ以上遅くなったら、余計に怒られちゃうわ」
「うん、そうだね」
もうこの土地に怪異はいない。まあ、ヒサルキを除けば、だけど。
とにかく、もう危険な怪異はいない訳だ。それなら、ここから帰るまでの旅行を楽しむ事ができる。
もう半分以上の行事は終わってしまっているけど――ああ、いい気分なのはこのせいか。
私は自分の事をさめていると思っていたけど、何だかんだで旅行を楽しみにしていたんだろう。私が思っていた以上に。
「ははっ」
「杏奈ちゃん?」
「半分以上終わっちゃったけどさ、楽しみましょ、ヒメ」
「あ……うん、そうだね、杏奈ちゃん」
私の言葉に、ヒメは満面の笑みで頷く。
私が言わんとした事を、そして私の内面の思いを、しっかりと理解してくれたのだろう。
それが嬉しくて、私は小さく笑みを浮かべる。
――さあ、楽しむとしましょうか!
* * * * *
「やれやれ……慌しかったが、結果よければ全てよし、と言った所かな」
「終わりよければ全てよし、じゃなかったっけ?」
ヒサルキの言葉に肩を竦めながら、浩介は去ってゆくバスの姿を遠めに見つめる。
神代杏奈と篠澤姫乃、怪異に深い関わりを持つ事になってしまった二人が乗ったバスだ。
あの年で難儀なものだ、と浩介は小さく嘆息する。
「……怪異に年なんて関係ない、か」
「ん? 何だい、それ?」
「いや、ちょっと思っただけだ」
かつての己の事を思い返し、浩介は若干ながら苦笑する。
果たして自分は、あれほどに強く行動する事ができていただろうか、と。
――あれだけの強さがあれば、誰かを傷つけずに済んだだろうか、と。
(みっともないな、子供相手に嫉妬とは)
胸中でそう呟き、浩介は再び苦笑する。
自分には無い物を持ちながら、深く信頼し合っていた二人の少女に、浩介は羨望に近い感情を抱いていたのだ。
そしてそれを冷静に認められるだけの経験を、浩介は積んで来ていた。
自分は、自分に出来る限界を見極める。すべき事は、目指すべき場所は、既に見えているのだ。
「さて、と……今回の事は、運がよかったかもしれないな。報告までは多少時間がある。それまで、お前の世話になるよ、ヒサルキ」
「前も言ったけどさ……焼け石に水って物だよ、これは」
浩介の言葉に対し、ヒサルキは呆れたように声を上げる。
その言葉の中には、若干ながら諦観じみた感情も浮かべられていた。
根本となっているのは哀れみか、或いは別の感情か。それを隠そうともしないままに、ヒサルキは続けた。
「君のそれは、器が傷ついているんだ。壊れた器にいくら水を注いで行ったって、すぐに零れ落ちてしまうのが関の山だ。それは、君自身分かっている事だろう?」
「ああ、分かってる。分かってるよ。単なる時間稼ぎにしかならない事ぐらいは分かってる……実際、本当なら当の昔にタイムリミットを迎えていた筈なんだからな」
浩介は、そう自嘲気味に告げる。
その手をそっと、自分の胸元へと当てながら。
ヒサルキの声の中にあるのが諦観だとするならば、浩介の中のそれは不屈であると言えるだろう。
事実は認めている。その上で、限界まで足掻こうとする覚悟を決めているのだ。
あらゆる事象を考慮して、その上で見つけ出した限界へと――その一点へ、ただ邁進すると己を定めている。
「それでも、やらなきゃならない事がある。俺がやるべき事が、俺がやらなくちゃならない事が……だから、時間をかけてゆっくりと、なんてやってられないんだ。それに、時間をかけた所で意味は無いからな」
「……人間らしくないね、君は。普通、怖がるものじゃないの?」
「さて、な。不思議と、恐怖は感じていないと思うよ」
ヒサルキの言葉に対し、浩介はただ、自然体でそう口にしていた。
それがまぎれもない本心であると、そう証明するかのように。
実際、浩介は恐怖など感じていなかった。あるのはただ、己が指名として掲げた目標のみ。
そんな浩介の姿に対し、ヒサルキは深々と嘆息を零す。
「はぁ……分かったよ、協力する。だけど、周期が短くなってきている事は自覚しておいてよ。君の限界は近い」
「……ああ、分かってる。感謝するよ、ヒサルキ」
ふん、と――ヒサルキは、視線を逸らしながら小さく息を吐き出す。
その姿はどこか、怪異の抱くはずもない悲しみのようなものを纏っていたのだった。




