68:上書きの刃
ヒメが薙刀の上から怪異を真っ二つに斬り裂き、私の祝詞で薄れていた隠れ婆の体は完全に消滅した。
そしてそれと共に、この異界も崩れ、姿を消してゆく。
「ってこれ、ちょっと拙いんじゃないの?」
「いや、大丈夫だろう。俺たちが無理矢理入ってきても問題なかった程度の異界だ、たぶん現実世界に近いんだと思う……ほら、見てごらん」
いつだったかの学校の七不思議のように、異界が消えたらあの黒い空間に落ちてしまうのではないかと危惧していたけれど、市ヶ谷さんが指し示した方を見て思わず安堵の息を零す。
そちらの方向では、ぼろぼろと皮が剥がれるように崩れてゆく空間の向こう側から、光が差し込み始めていたのだ。
どうやら、元の山の中にある林のようだ。
あの黒い空間が現れる気配はなく、どうやら普通に戻れそうである。
「はぁ……今回もきつかったわね……遅れてごめん。大丈夫、ヒメ?」
「え、あ、うん」
「ん……?」
何やら歯切れの悪い様子の姫に、私は思わず疑問符を浮かべる。
護ると豪語していながら護られる形になってしまった事を不甲斐ないと思っているのかと考えたけど、どうやらそれとは別の感情のようだ。
私に対して申し訳なさそうにしているのではなく、手の中の木刀を呆然と見つめている。
「ヒメ? どうかしたの?」
「えっ? あ、ううん。ちょっと、びっくりして……」
「びっくり?」
異界の崩壊は私たちの足元にまで及び、踏みしめていた地面は今まで以上に柔らかな腐葉土に変わる。
それと同時に私たちの周囲から異界の影は完全に消え去り、元の世界へと戻っていた。
とりあえず何も問題ないことを確認して、ようやく気を抜いてその場にしゃがみこむ。
「あー……毎度毎度思ってる気がするけど、今回のは前よりやばかったわ……」
実際のところ、七不思議の時の方がやばかったんだと思うけど、今回は独りきりになってしまったのが精神的にきつかった。
ヒサルキが助けに来てくれなかったら、と思うと背筋が寒くなる思いだ。
周囲を見渡してみると、あんまり見覚えの無い景色になっている……内部で移動している間にこっちでも移動してしまったのか。
相変わらずどういうルールになってるのかがさっぱり分からない世界だ。
「時間は……ああもう遅刻だわ。ホント嫌になってきたわね……」
中の時間と外の時間の進み方が違うのかどうかは知らないけど、あんまり時間が経ってないって事はないだろう。
って言うか、どうやって戻ろうかしら。ここがどこだかさっぱり分からないんだけど。
と――ここまでぶつぶつと文句を言った所で、さっぱりヒメの反応が無い事に気づき、私は顔を上げた。
「ヒメ? さっきからどうしたのよ?」
「あ、うん。ちょっと……確かめたい事があるんだけど」
「篠澤さん?」
ヒメの様子がおかしい事に気づいたのか、市ヶ谷さんも近づいてくる。
そんな間にもヒメはきょろきょろと周囲を見渡し――何かを発見したのか、ある方向へと歩き出した。
しかし止める間もなくヒメは立ち止まり、視線を正面にある木と向ける。
少し細くて小さめの、特に何の変哲も無い木だ。
「その木がどうかしたの?」
「うん……ちょっと、見てて」
行って、ヒメは無造作に木刀を振り上げた。
その動きに、一体何をするつもりなのか図りかねて、一瞬呆然としてしまう。
そしてその一瞬の間に、ヒメは木刀を振り下ろしていた。
相変わらず見えないほどに速い一閃は、何の抵抗も無く最後まで振り切られ――いや、ちょっと待て。
今、何が起こった?
「う、そ」
私が抱いた疑問は、その次の瞬間には解明される事となった。
ヒメの正面にあった細い木――それが、斜めにずれて倒れてしまったのだ。
私は即座に立ち上がり、斬断された木の元へと走り寄る。
近寄ってみて見れば、その切断面は非常に綺麗で傷の無い状態となっていた。
これにニスでも塗れば、テーブルの表面のように滑らかになる事だろう。
とてつもなく鋭利な刃物で斬られたような、そんな切断面。しかしそれを成したのがヒメである事は、最早疑いようもない。
ヒメに、こんな事ができてしまうなんて――
「あ、杏奈ちゃん……ど、どど、どうしよう、これ」
「いや、自分でやっといてなんで自分が一番動揺するのよ?」
――が、当のヒメが顔色をころころ変えて動揺している様子に、私は思わずツッコミを入れてしまっていた。
驚いたのはこっちなんだけど、おかげで妙に冷静になっちゃったじゃないの。
しかしまぁ、成程……これがヒメの力って事か。
ヒメはいづなさんたちと同じような力を持っている。けど、今まではそれを意識して使う事ができなかった。
それが、今回の怪異を相手にする事で、使えるようになってしまったんだろう。
「あー……うん、ヒメ。ヒメのそれについて知ってそうな人に心当たりがあるから、今は落ち着きなさい」
「ほ、ホント!?」
「うん、だから落ち着きなさいって。今度、一緒に相談しましょ?」
「う、うん! ありがとう、杏奈ちゃん」
心底ほっとしたような様子で、ヒメは安堵の息を吐き出す。
しかしまぁ……ヒメのこの力、一体どういう物なのだろうか。
件の、怪異の根本とやらと同じ力なんだろうという予測はついたけど、一見するだけじゃ全く違う系統に思えてしまう。
ヒメの力って、一体どういうものなのだろうか。
と――そこで、後ろから市ヶ谷さんが声をかけてきた。
「それは……篠澤さん。君はそれが、どういう理屈でできたのかという自覚はあるかい?」
「え? えっと……その、少しだけ」
「分かるの、ヒメ?」
「うん、何となくなんだけど……『上書き』をしてるんじゃないかなって、思うんだ」
「……『上書き』?」
その言葉を理解できず、私は鸚鵡返しにそう問いかけてしまう。
『上書き』……パソコンなんかである上書き保存と似たようなものなのだろうか。
しかし、それがどうして斬撃と繋がるのだろう?
そんな私の疑問に気づいたのか、ヒメは言葉を選ぶようにしながら声を上げた。
「上手くは説明できないんだけど、斬れてない状態の木に斬れている状態の木を上書きした、みたいな?」
「……ごめん、ちょっと良く分からない」
すっごいふわふわしてて曖昧だ。
しかしヒメも具体的なニュアンスまでは思い浮かばないのか、何だかもやもやした表情を浮かべている。
と、そこに、何かを思いついたのかヒサルキが言葉を挟んできた。
「へぇ、またすごい力だねぇ」
「……何か分かったの、ヒサルキ?」
「彼女が言った事はそのままだよ。これは正確に言えば斬ったんじゃない、存在を書き換えたんだ。斬れていなかった状態の木の存在を書き換えて、斬れている状態の木に変換してしまったって事さ」
「刃物で斬っている訳ではなく、そういう風に変化させているって事か……成程、木刀で物が斬れる訳だ」
ヒサルキの言葉に市ヶ谷さんも納得し、そして私も何となくニュアンスを掴む事ができた。
パソコンで言えば、書いてあった文章を消してべつの文章に書き換え、上書き保存したようなもの。
元々あったものを消して完全に新しいものに作り変えてしまう力。
それで、『上書き』って事なのか。
「実際の所、かなり強大な力だ。意識して使えるようになったのなら、暴発しないように気をつけて、濫用を控えた方がいい」
「は、はい。分かってます」
市ヶ谷さんの警告を素直に受け取り、ヒメはこくこくと頷く。
一番驚いているのはヒメ自身だろう。いきなりこんな力を使えるようになってしまったのだから。
正直、すぐにでも説明して安心させて上げたいのだけど、私はあんまり詳しいとはいえない。
やっぱりこれは、専門家に話を聞いた方がいいだろう。
家に誰かいるだろうか……いづなさんでも十分詳しく話してくれるとは思うけれど。
「さて、とりあえず元いた場所に戻ろう」
「って、道分かるんですか?」
「正直微妙だが……まあ、何とかなるだろう」
市ヶ谷さんが割と適当な事を言っている。
山道を甘く見ない方がいいと思うのだけど、何か自信があるのだろうか。
そう思って市ヶ谷さんの方を向いたところ、彼はそれとほぼ同時にヒサルキの方へと向き直っていた。
「ヒサルキ、人間の気配がする方へと行ってくれ。お前なら分かるだろう」
「まあ、そりゃ分かるけど……締まらないねぇ、君」
ヒサルキは呆れた表情で嘆息し、周囲をきょろきょろと見渡し始める。
人間に憑く怪異だからだろうか。人間の気配が分かるって言うなら、確かに戻ることも難しくは無いだろう。
あんまり距離が離れてても大丈夫なのかという疑問はあるけれども。
「……ん?」
「お、見つかったのか?」
「ああ、うん。見つかった事は見つかったんだけど……数人だけ、なんだか近い場所にいるね。これは……うん、四人ぐらいかな」
「山道を外れたこんな場所に、四人?」
「迷っちゃったのかな?」
ヒサルキの言葉に、私とヒメは揃って疑問符を浮かべる。
こんなちょっと外れたような場所に、何故そんな中途半端な人数の人がいるのか。
ヒメの言ったとおり迷ってしまったのかもしれないし、もしそうじゃないのだとしたら――
「うーん……何か、変な人たちじゃないといいんだけど」
「とりあえず行ってみようか。本当に迷っていたら大変だしね。ヒサルキ、頼む」
「はいはい、分かったよ」
市ヶ谷さんの言葉に頷いたヒサルキの先導の下に歩き出す。
今回の怪異も何とか無傷に終える事が出来たんだし、さっさと終わらせたいところだ。
しかしこんな場所に四人って、一体何だって言うのかしら。
「ふむ……この場所も、あのアスレチックコースからそこまで離れてるって訳じゃなさそうだね」
「あ、そうなんだ。それならちょっと遅れるぐらいで済みそうかしら」
時計を改めて確認したところ、異界の中ではやっぱり時間がずれてたのか、今ちょうど集合時間に差し掛かる程度になっていた。
これなら、大騒ぎになる前には戻ることができるだろう。
まあ、怒られそうな事には変わりないけれど。
とりあえず何かしら言い訳を考えておかなければ、と思っていた所で――ふと、私の耳に声が届いた。
酷く聞き覚えのある、その声が。
「あ、え……み、皆!?」
『ん? 今、杏奈の声が聞こえなかった!?』
『何っ、マジか!?』
「あ……あはは! 杏奈ちゃん、皆だよ!」
『あ、ヒメちゃんの声も!』
『良かった……二人とも無事だったみたいですね』
私とヒメは顔を見合わせ、そして声が聞こえた方へと走り出す。
そしてほんの数秒走っただけで、木々の間に隠れていたその姿は見えるようになった。
梓、深琴、相場、大河内――私たちの班の仲間が。
「あ、いたわよ! 杏奈ー! ヒメちゃーん!」
「はぁ……良かった、心配したよ……」
「お前はちっと心配し過ぎだって」
「まあ、仕方ないでしょう。笹原さんは一番事情を知っていたんですから」
私たちの姿を見つけた深琴が、私たちの方へと駆け寄ってくる。
そして、私とヒメの事を、二人同時に抱きしめていた。
その大げさな反応に、私は思わず面食らう。
「ちょ、ちょっと深琴?」
「あははっ……ホント、心配したわよ。二人とも、よく無事に帰ってきたわ……おかえり」
「深琴ちゃん……うん、ただいま」
「ただいま。心配かけてごめん、それとありがとうね」
涙を浮かべつつも笑顔を見せてくれる深琴に、私とヒメも小さく笑みを浮かべる事ができた。
怪異との戦いの後っていつも後味が悪くて疲れた感じばっかりだったけど……何だか、今はそんな気分がしない。
すごく穏やかで安らいだ気分になれる。理由は分からないけど、悪くない気分だった。
「杏奈ちゃん、ヒメちゃん」
「梓……ありがとう、皆の事任せちゃってごめん」
「ううん。私にはそれぐらいしか出来なかったし……それすらもしっかりと出来ていたかわからないけど」
「彼女はしっかり出来ていましたよ。俺が保障します」
「ま、ちょっと慌ててたけどなぁ」
他の三人も私たちの方へと寄ってくる。
市ヶ谷さんとヒサルキは、後ろで事の成り行きを見守ってくれているようだった。
周りにたくさんの人がいる。それはいつもの事だと思っていたけれど、あの異界で一人ぼっちになったからか、より強く感じられるようになった気がする。
当たり前に慣れちゃいけない。私は日常を何より大事だと思うから。
その大切さを、決して忘れちゃいけないのだ。
「皆……ありがとう、ただいま」
そんな想いを込めて――私は静かに、そんな言葉を口にしていたのだった。




