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神代杏奈の怪異調査FILE  作者: Allen
ヒサルキ編
62/108

62:内部では












 ひらりと、破かれた包みが宙を舞う。

その内側から現れたのは、一振りの木刀だった。

黒塗りのそれは観光地ならばどこにでも売っているようなもので、一つ千円強程度の安物だ。

間違っても、彼女が所有しているあの木刀には遠く及ばない。

けれど――



(まあ、箒とかよりはマシだよね)



 胸中でそう呟き、姫乃は木刀を軽く振り下ろした。

それだけで鋭く空気を斬る音が響き渡り、地面すれすれで止まった切っ先は触れることもなく落ち葉を舞い上がらせる。

姫乃の技量は、既に剣道スポーツという領域から見れば十分すぎるほどに高まっていた。

霞之宮いづなの持つ才によって最適な指導法を見出され、そして剣術を極めたと言っても過言ではないいづなの手によって直接の指導を受けている。

これ以上なく恵まれた環境の中で、姫乃は人間相手ならほぼ無敵と言ってもいいだけの剣を手に入れていた。



「……よし」



 無論ながら、霞之宮の剣士としては、まだまだ十分とは言えぬ領域だ。

しかしながら、姫乃の力は既にその門下生の技量を超えている。

彼らの目指す剣士としての基本にして究極へ、僅かながらではあるが近づいてきているのだ。


 ――即ち、無拍子へと。



(行こう、杏奈ちゃんを探さないと)



 生き物の気配を感じない森の中。

姫乃はこの場所ならば、声を張り上げて探すよりただ静かに自らを研ぎ澄ませ、自分以外の気配を探るほうが早いと判断していた。

その技術もまた、いづなより伝えられていたのだから。


 無駄を省け、目的へと手を届かせる事のみを目指せ。

それこそが、霞之宮の剣術における基本理念。

余計な力を使わず、最小の動作で最高の効果を――故に、声を上げて探すと言う体力を使う方法よりも、自らの感覚を研ぎ澄ませる事を選んだのだ。

その行き着く果て、霞之宮いづなの操る無拍剣を目指すために。



「……」



 ただひたすらに沈黙し、姫乃はそのままに歩き出す。

自分の声は邪魔にしかならない。周囲の音を掻き消してしまう。

そして薄暗い森の中、視覚による情報は殆ど役に立たないだろう。

聴覚によって感じ取れる範囲のほうが、視覚よりも明らかに広いのだ。

故に、姫乃は目を閉じる――それも、歩みを止めないままに。



(大丈夫、怖くない。足音の反響で木の位置は分かる……空気の流れが殆どないのは痛いけど、それでも全く無い訳じゃない)



 杏奈が聞けば、驚愕を通り越して呆れ果てるであろう発言であった。

既に常人の領域ではないと、そう言いたくもなる内容であろう。

けれど、《情報》を読み取るという事に関しては、姫乃は非常に高い才能を持っていた。



(生き物がいない……森の中なのに、葉擦れの音も木々の呼吸すらも感じられない)



 通常人間には感じ取れないような情報までもを読み取りながら、姫乃の感覚は一切の死角を潰して行く。

己自身の意識が薄く広く広がってゆく感覚。

微かな音の動きから感じ取れる領域は、360°全方位に対して非常に広い範囲をカバーしていた。

ふと、姫乃は手を上げ、横薙ぎに振るった刃で木の幹を叩く。

それと共にカン、という若干高い音が響き渡り――姫乃が脳裏に描く周辺の地図は、さらに広い範囲へと広がった。



(……誰もいない)



 杏奈の気配も、それ以前にこの異界に捕らわれていたと思われる人々の気配も存在しない。

いっそこの異界の中には自分一人しか存在しないのではないか――そう思ってしまうほどの静けさだ。

しかし、姫乃はすぐさまその考えを消し去る。

その想像に意味は無い。何故なら、姫乃は誰かを護る事でのみ力を発揮する事が出来るからだ。

杏奈を護ると言うその意志こそが、今の姫乃の動力源。故に、姫乃は自意識からその可能性を排除してゆく。



(傍にいないと。私が傍に。じゃないと杏奈ちゃんを護れない)



 極限の集中力で澄み渡った思考。その奥底で煮えくり返る妄執のごとき想いを滾らせながら、姫乃はただひたすらに杏奈の事を思い続ける。


 ――認めてくれたから。


 学校の七不思議の時、杏奈は姫乃の利己的な感情を認めてくれた。

それでも構わないと、例えそうだとしても大切な仲間なのだと、杏奈が、友紀が、そして賢司が認めてくれたのだ。

故に、姫乃はただ覚悟を決める。例え耐え難い恐怖の中であったとしても、己自身の芯を見失わないために。

『仲間を護れる自分で在りたい』――ただ、そう強く想い続ける。



「だから――」



 すっと、姫乃は瞳を閉じたまま身体を半身に傾ける。

せつな、そんな姫乃の腕を掠るように、彼女の身体の横を棒状の何かが通り過ぎ――その先の木に激突した。

瞳を閉じている姫乃にはそれが何であるか見えない。が、その気配からそれが何であるかは十分に見当が付いていた。

背後の暗がりから伸びてきたそれは、細い枯れ枝のような一本の腕。

しかしながらその腕は異様に長く、そして強力だった。

何故なら、その腕は激突した木を掴み取り、その幹を握り潰してしまっていたからだ。

一度掴まればひとたまりもない。それは紛れもなく、恐怖そのものであると言えた。

けれど――



「――邪魔、しないでよ」



 姫乃は木刀を振るう。

自分の横に伸びている存在・・に対して。

そして姫乃の振るった木刀は――その細い腕を、何の抵抗もなく断ち斬っていた。


 ――世界が、俄かに鳴動する。それはまるで、痛みに喘ぐかのように。



「私は杏奈ちゃんの所に行かないといけないんだから……邪魔、しないで」



 現れた怪異に対して恐怖するでもなく、かと言って奮起するでもなく、姫乃はただ静かに木刀を振るう。

何故なら、自分が在るべき場所は今ここではないから。

こんな場所で時間を食っている暇は無いのだと――そう言い放ち、姫乃は目を開く。

周囲の情報は既に頭の中で完成している。例え視界からの情報が入ろうと、死角など最早存在しない。



「ふ……ッ!」



 再び、気配。

脳裏に俯瞰した己の姿を思い浮かべながら、姫乃は深く身を沈ませた。

それとほぼ同時に現れたのは三本の腕。

それらは全て異なる方向から姫乃の頭を握り潰そうと伸び――下から振るわれた一閃によって、纏めて斬り払われた。

切断され宙を舞った腕は地面に着く前に黒いもやとなって消滅し、残る腕もそれと同時に姿を消す。

そして振るった勢いのまま立ち上がり、姫乃は再び木刀を構える。

その動きに、一切の無駄は無い。



(……このまま杏奈ちゃんと合流したら、杏奈ちゃんが危ないか。それなら――)



 姫乃はその場で歩みを止め、あらゆる動作に対応できるよう構える。

移動すればそれだけ新たに周囲の情報を取得せねばならず、既に完全に把握しているこの場所で戦う方が姫乃としては楽なのだ。

それは杏奈との合流を先延ばしにしてしまう事と同じではあるのだが、このまま攻撃を避けつつ進んで相手を杏奈の元へと連れて行ってしまえば、杏奈に危険が及ぶかもしれない。

例え己の手で護る事が出来たとしても、危険に晒してしまうのでは意味が無いのだ。故に――



「ここで、斬る」



 何故木刀で怪異を斬る事が出来るのか。

何故斬られると分かっていても怪異が向かってくるのか。

それは姫乃には分からない。否、それを理解できる人間などまず存在しないだろう。

考えても理解できないのであれば考える必要は無い。それは賢司や杏奈の仕事なのだ。

そう割り切り、姫乃は一切の雑念を捨てる。ここにあるのはただ己と敵のみ。

すべき事は襲い掛かる敵を斬る事、ただそれだけであると己に言い聞かせて。



「――――ッ!!」



 木の陰から何本もの腕が襲い掛かる。

あらゆる方向から現れるそれらに対し――姫乃は、一瞬たりとて臆する事無く、地を蹴って立ち向かっていった。











 * * * * *











「っ……はぁ、はぁ」



 重い身体を引きずり、木の幹に手を付きながら、私は呼吸を整える。

この異界の中に飛び込んでから、果たしてどれぐらい時間が経ったのだろうか。

薄暗く何の気配もしないこの森は、時間の感覚が酷く曖昧だ。

一応携帯電話で時間を確認するぐらいはできるけれど、これがしっかりと動いているのかどうかの自身も無い。

正直な所、体感的には既に何時間も彷徨っているような気分だった。



「はぁ……動かない方が良かったかしら」



 登山経験者であっても、森の中で真っ直ぐに進む事は非常に難しい。

私としては真っ直ぐに進んでいるつもりだけれども、恐らく実際の所は、あっちへフラフラこっちへフラフラしている事だろう。

下手をすると元いた場所に戻って来てしまっているかもしれないが、生憎とそれを確かめる術は無い。

一応低い場所にあった枝とかを折って目印にはしてみているのだけど、この薄暗い森の中でそれを確認するのは難しいだろう。

正直な所、一人で行動するのは手詰まりになりつつあると思う。



「ちょっと休憩……」



 内心の焦りはあるけれど、無理に行動した所で追い詰められていくだけだ。

いいコンディションを保って、ヒメと合流したときに出来るだけ迅速に行動できるようにする事。

合流するまでに体力が尽きてしまっては意味が無いのだ。

まあ、分かっていてもなかなか落ち着けはしないけれど、それでも多少の体力回復にはなる。

木の幹に背中を預けて腰を下ろしながら、私はぼんやりと頭上を見上げていた。



「何なのかしらね、この怪異」



 ヒメを狙って来た事は確かだし、今までの奴とあまり変わりないのは確かなんだろう。

ただ、私に対する対応が何もないのは少しだけ気になった。

まあ別に対応されても困るんだけど、私の存在は怪異にとって損になっても得にはならないと思う。

だとすれば、私が放置されているのは一体何故か。本当に無意味と判断されているのならば都合がいいけれど。



「もっと都合よく考えるなら……怪異が異界全体の事を把握できていない?」



 それなら、あの怪異は私の現状を把握していないと言う事になる。

いつ気付かれるかは分からないけれど、裏を掻くにはちょうどいい立ち位置であると言えるだろう。

が――生憎と、そこまで楽観的にはなれない。

実際、逆の可能性のほうが大いにあるだろう。即ち――



「何らかの目的があって私を放置してるのか……っ!?」



 と、そう考えた次の瞬間――がさりと、一つの物音が響いた。

静かな森の中で動くものの気配。それなりに離れているようではあるけれど、それでも音の無い森の中ではしっかりと聞こえてきていた。



「ヒメッ!?」



 とっさに立ち上がり、私はその足音の方向へと向けて声を上げる。

足音は一瞬だけ止まり、その後私の方へと近づいてくるように徐々に大きさを増してゆく。

こちらの声は聞こえている。近づいてきているのは確かだ。が――どうして返事がないの?

その不信感から、私は相手を待ちつつも重心を落としていつでも動けるように構えていた。

そして待つ事数秒――その足音の主が、現れる。



「ッ……!?」



 瞬間、私は思わず出かかった悲鳴を何とか飲み込んでいた。

現れたのは男性、恐らくそれなりに若いんだろうけれど、その酷く歪んだ形相のおかげで老けて見えている。

だが、見るべきはそこではないだろう。この男性は、薄闇の中でも分かってしまうほどに血まみれだったのだ。

自分の血ではないだろう。ならば、明らかに失血死すると思われるだけの量があるその血液は、一体誰のものなのか。



「ひ、ひひっ……女、肉……!」

「く、ああッ!」



 大きく広がった目と、赤い何かがこびり付いている口元――それを歪めた男は、もはや正気など残っていないような唸り声を上げる。

そこから放たれた本能的な恐怖を跳ね除けながら、私は咄嗟に踵を返して逃げ出していた。

駄目だ、あいつは駄目・・だ。人間ではあるけれど、もはやと呼べる範疇にない。

恐らくあいつは行方不明になった三人のうちの一人だろう。

そいつが自分以外の血で血塗れになって現れる――食物も水もないこの世界で何が起こったのか想像する事なんて、容易い。

そう、容易く最悪の可能性を想像できてしまえたのだ。

胸糞悪いと、胸中で吐き捨てようとしたその瞬間――私は、背中に強い衝撃を受けて転倒していた。



「づぁッ!?」



 拙い、そう思った瞬間には、何かが圧し掛かってくる気配を感じる。

男は驚くべき速さで私に追いつき、私を地面に押し倒していたのだ。

血と泥にまみれた悪臭に顔を顰め、咄嗟に振り解こうとするも、成人男性として考えてもなお驚くほど強い力で肩を掴まれ、上を向かせられる。

それと共に視界に入ってくるのは、明らかに正気など保っていないであろう狂気に満ちた瞳だ。



「ひ、はははは……ッ! あいつらが、あいつらが悪いんだ……食い物を隠すから、こんなところにも……!」

「はな、せ……ッ!」



 両腕と腰を押さえつけられ動けない状態だが、仮に腕を動かせたとしてもここから抜け出せるだろうか。

こいつはもう、人の範疇を超えてしまっている。獣か、あるいは――



「俺のだ、全部俺のだッ!」

「ちょッ、待って、離せ、止めなさい!」



 狂乱している男が私の方から手を離し、首元――私のシャツの襟首を掴む。

その瞬間、こいつが何をしようとしているのかを理解し、私は思わず悲鳴を上げていた。

自由になった左腕で相手の腕を押さえつけ、足をばたつかせて脱出しようと暴れる。

けれど、その程度で何とかなる相手ではない。力の差は歴然だった。



「嫌ッ! イヤァッ!! 誰か、誰かッ!」

「俺が食うんだ、俺が全部、俺が俺がオレガ――――」



 男の腕に力がこもる。必死に抵抗するけれど、蹴っても殴っても相手の腕はびくともしない。

こんなのは嫌だ、何でこんな所で――思考がぐちゃぐちゃと混ざってまとまらない。

冷静さなんて何もない。頭の中を支配する嫌悪感と絶望感に、私の視界が滲んで行く。

そして口をついたのは、本当に心の底からの叫びだった。



「助けて、賢司――――ッ!!」



 私のシャツが引き裂かれようとした、その瞬間――圧し掛かっていた男が、唐突に横に吹き飛んだ。

その衝撃でシャツのボタンが上から二つほど千切れ跳んだけれど、全部を破かれるよりははるかにマシだ。

けれど安堵の息を吐く暇もないまま、私は呆然と移り変わった状況に目を向ける。

そこにいたのは――



「――いやいや間一髪。ボクの身体能力も馬鹿にならないものだろう?」



 助けを呼んだ相手でもなんでもない。そこには、あの油断ならない怪異、ヒサルキの姿があったのだった。





















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