06:ひきこさん
「―――その都市伝説の名前は、『ひきこさん』だよ」
例によって部活禁止の日、昼に部室へと集まった私達は、憔悴した様子の蘆田先輩と共にテリア先輩の話を聞いていた。
相変わらず口調は軽い、まるで世間話でもしているかのような声音。
けれど、その表情は何処までも真剣なものだった。
「系列としては……そうだね、怪人を取り扱った類のものかな。分かり易く言うと、『口裂け女』の亜種みたいなものだよ」
「『口裂け女』って、あの……?」
テリア先輩の言葉に、ヒメはおずおずと手を上げながら質問する。
都市伝説に詳しいとはいえない私でも、そのぐらいなら知っていた。
曰く、紅いコートを纏ってマスクをつけた女。
曰く、出会った者に対して自分が綺麗かどうか聞いてくる。
曰く、綺麗と答えても醜いと答えても、女はマスクを外し耳元まで裂けた口を晒して襲い掛かってくる。
そんな、意味不明でどうしようもない話だ。
「要するどこかしらの場所で出会い、対応を間違えると殺されてしまう……そういう類の都市伝説。
致死性は高く危険だけれど、対処法が伝わっている場合が多いから、知ってさえいればそれほど問題ない怪異だね」
「それを問題ないと言えるのは先輩ぐらいです……『ひきこさん』の対処法なんて、調べなきゃ知らないでしょう」
「そういう賢司君も知ってるんでしょーに」
肩を竦め、テリア先輩はそう口にする。
まあ、こんな嶋谷が部活に所属してるのは、明らかにそういう都市伝説に興味があったからだろう。
だったら、片っ端から逸話とそれに対する対処法を調べていても不思議じゃない。
でも―――
「この間、鏡がどうとか言ってたのは……それが対処法って事ですか?」
「うん、そうだね。例えば『口裂け女』なら、『ポマード』と三回唱えるとか、綺麗かどうか聞かれた時に『普通』と答えるとか、そういう類。
『ひきこさん』の場合、主に伝わってる対処法は二つだね」
私の疑問に答え、先輩はピッと人差し指を立てる。
こんな状況にもかかわらず落ち着きのあるその佇まいは、何故だかすごく頼もしいものに思えてしまった。
まあ、蘆田先輩にしても、頼れるのはこの人だけなんだろう。
「まず一つ。『ひきこさん』に鏡を見せる事。彼女は醜い自分の姿を嫌っているから、鏡を極端に嫌うんだ」
「だから、私に鏡を用意しろって……」
「ま、そういう事だね。そしてもう一つ―――」
続いて、先輩は中指を立てる。
同時に手首を振るその動作は、中々様になっていた。
「―――相対した『ひきこさん』に対し、『引っ張るぞ!』と言う事。何回言うかに関しては逸話によって違うけど、この場合回数はそれほど重要じゃないと思うよ。
その言葉自体、彼女は酷く嫌っているはずだろうからね」
「『引っ張るぞ』? そいつ、子供を引き摺って殺しちまうんだろ? むしろ引っ張る側じゃねーか」
「ふむふむ、いい質問だね友紀君。それに関しては、この都市伝説の背景設定から語らなければいけないのだけど」
んー、とテリア先輩は下唇を人差し指で押し上げるようにしながら小さく唸る。
そしてぽんと手を叩くと、先輩は嶋谷の方へと視線を向け、声を上げた。
「賢司君、資料をお願い。今日は土曜日だし、もう授業無いでしょ?」
「だからって、長々と残ってていい訳じゃないんだが……了解しました」
「あ、賢司君、私も手伝うよ」
先輩の言葉に嘆息しながら嶋谷は立ち上がり、部屋に備え付けられた本棚の方へと向かってゆく。
それを手伝う為にヒメが席を立ったのを見送り、私は再び視線を先輩の方へと戻した。
どうやら、その『ひきこさん』とか言う怪異―――都市伝説に関して、詳しく話してくれるつもりのようだ。
……聞いたら狙われるとか、そういう類の話じゃないわよね?
「『ひきこさん』の詳しい背景設定までは暗記してなかったけど、その行動パターンぐらいなら覚えてる。結構特徴があるからね」
「特徴、ですか?」
「そ。例えば、彼女は雨の日に現れる。彼女は小学生しか襲わない。彼女の問いかけには、どう答えても引き摺られる……とかね」
「……それ、問いかけの意味あるのかしら」
「少なくとも、こっちが鏡向けたり、『引っ張るぞ!』と言ってやれるだけの時間は確保できるからね。無いと困るよ」
そういうものなのかしら……都市伝説の勝手なんか分からないけど、確かに問答無用で襲い掛かられても困る。
いや、別に問答が有ろうと無かろうと、そんな迷惑なものは存在して欲しくないけれど。
ちゃんと効く対処法が存在してるだけ、普通の通り魔よりもマシなのかしら?
まあどっちにしろ、出会いたくない事に変わりは無い。
「はい先輩、これです」
「お、ありがとね、賢司君。姫乃ちゃんも」
「はい!」
褒められて嬉しそうに笑うヒメ……ああ、癒される。
もう、これぐらいの事でも和んでないとやってられないわ、この状況。
さて、先輩は嶋谷から受け取ったファイルを開き、その内容に目を通し始める。
どうやらあの本棚は結構整理されていたらしく、内容に関してはすぐに見つかったようだ。
「ふむ……あーあー、こういう話だったね、うん。思い出した思い出した」
「いや、一人で納得してないで下さい」
「おっと、ゴメンゴメン。いやぁ、杏奈ちゃんは物事をスッパリ言うねぇ……実にいいよ!」
「……先輩、いいから話せ」
「いえっさ」
私がドスを効かせて放った言葉に、先輩はケラケラと笑いながら頷く。
まあ、これから思い話をするからこそ、空気を軽くしようとしてるんだろうけど……蘆田先輩の緊張は解れなかったみたいね。
その様子にテリア先輩も小さく肩を竦め、そして話し始める。
「『ひきこさん』の本名は、森妃姫子。元は背が高く、明るく心優しい少女だったとされている。成績優秀で人柄もよく……ただ、人付き合いはあまり得意じゃなかったのかな、これは」
「……どういう、事なの?」
沈んだ声で問いかける蘆田先輩の言葉に、テリア先輩は、ふむ、と小さく息を吐き出す。
どうやら、若干言葉を吟味しているらしい。
しかし、元になったって言う割には、あんまり都市伝説に聞く残忍さと繋がらない設定だ。
いや、そういう話だからこそ、最初は幸せなのかもしれないけれど。
「彼女はね、優秀すぎたんだよ。容姿、才能、何もかもが恵まれていた。
そこで人を引っ張っていけるようなカリスマを持っていたのだったら、いじめの対象になんかならなかっただろうに」
「いじめ……妃姫子さんは、いじめられていたんですか?」
「そう。優秀だった、先生にえこひいきされていた、名前が偉そう……まあ、理由なんて何だっていいんだろう。
要するに、他の子供達は彼女の事が気に入らなかった。妬ましかったんだ……だから、排斥しようとした」
ヒメの声が沈む。
ヒメにとっては、あまり他人事と言える話ではなかったからだ。
小学校の頃、ヒメは同じような理由でいじめを受けたことがある。
ヒメはあらゆる点で優秀だ……けどそれは、ヒメが努力し、自分で磨き上げたからこそ得られたもの。
それを理解できないようなバカ共が、ヒメの事をいじめようとして来たのだ。
無論の事、そんな連中を私が許す筈も無い。
私と嶋谷、そして当時不良のような感じだったトモによって、いじめグループは徹底的に潰させて貰った。
だからこそ、ヒメは酷い事をされるような事も無く、今まで過ごしてきたのだ。
けれど……妃姫子さんは、そうではなかったんだろう。
「いじめの方法なんて様々だ。まあ、そんなものを一々口にしても不快なだけだから止めとくけど……一番最後に受けたいじめが、『ひきこさん』の根本だと言ってもいい」
どうやら、先輩もヒメの様子に気付いていたらしい。
その事に感謝しながらも、隣に座るヒメの手をそっと握りながら、私は視線で先輩に続きを促す。
対し、先輩は気付かれぬように小さく頷き―――そして、声を上げた。
「いじめのグループは彼女の手を縛り、そして足を掴んで学校中を引きずり回した。
外じゃなかっただけマシかもしれないけど、何の救いにもなっていないだろうね。
特に、角を曲がった時にぶつかって出来た傷は大きく、美しかった彼女の顔に醜い痕を付けてしまった」
「ッ……ふざけた連中だな」
「それに関しては同意だね。まあ、妃姫子さんはそれでついに学校に来なくなり、自分の部屋に引き篭もるようになってしまった」
トモが、僅かに憤りの声を上げる。
ヒメの事があった為か、他人事という訳でもないのだろう。
私だって、正直スルー出来るような話題ではない……陰湿にも程があるというものだ。
そんなモノ、学校に来なくなって当然だろう。
「―――けれど、彼女の不幸はそれで終わらなかった」
「え……?」
思わず、小さな声が零れる。
まだ終わらないって、一体どういう事なんだ。
家の中は、逃げ込んだ場所。そこに、妃姫子さんを傷つけるようなものなんて存在しないはずなのに。
もし、そんなものがあるとしたら―――
「引き篭もり、学校に行かなくなった妃姫子さんに対し、彼女の両親は彼女を虐待するようになった。
彼女の父親は酒乱でね、無理矢理にでも学校に行かせようと母親と一緒になって暴力を振るったが、それでも妃姫子さんは頑なに拒む。
結局両親は学校に行かせる事は諦めたが、妃姫子さんに対して殆ど食事を与えないようになっていた」
最早言葉も無い。私達も蘆田先輩も、妃姫子さんの周囲に対する憤りを感じていた。
ヒメには私達がいた……けれど、妃姫子さんには味方と呼べる存在がたった一人として存在しなかったのだ。
誰も彼女を助けてくれず、彼女を傷つける存在は決していなくならない。
そんな劣悪な環境、ただの子供に耐えられる筈がない。
「その時には既に、彼女は壊れてしまっていたのだろう。
絶えず襲い掛かる悪意と空腹。そして醜く傷付いた自分自身に対する嫌悪。
部屋に現れる虫を空腹を凌ぐ為に喰らい、自分の醜さを忘れさせてくれるヒキガエルを好みながら、空腹に耐えられずそれも喰らう。
論理破綻し、自分の傷を嫌いながら、自らを傷つけてしまう。
治りかけた傷もカッターナイフで傷付け、そうだというのに目も口も裂けてしまった自分自身が醜いと嫌悪する。
森妃姫子は―――怪異、『ひきこさん』と化した」
それが、『ひきこさん』の始まり。
悪意に塗れて、周囲の全てから傷つけられて、挙句の果に自分で自分を傷つけるようになって……そして、行き果ててしまった。
とても事実とは思えない―――いや、脚色された噂話なんだろう。
そもそも、話の焦点になっている森妃姫子も、普通に考えて『引き篭もり』のもじりだ。
ただ、今この街では、その噂が実体を伴って歩き回っている。
先輩はそこまで話し終えると一旦息を吐き出し、近くに置いてあった紅茶の缶を手に取った。
とりあえずそれを一口飲み、自分の喉を潤して―――そして、再び話し始める。
「怪異と化したひきこさんは、既に人の容貌を保っていない。天上に付くほどに身長がひょろ長く、身体は歪んでしまっている。
目や口は裂け、その顔は此の世のものとは思えないほどに傷付いているという」
「え……?」
「ん? どうかしたのかな、蘆田さん?」
ふと、蘆田先輩は小さく声を上げる。それを耳聡く聞きつけたテリア先輩は、即座に反応して疑問符を浮かべた。
この人、本当に真面目な時は色々と反応が違うわね……とまあ、それはともかく。
蘆田先輩の様子は、来た時の憔悴した様子とは違う。やっぱりまだ恐怖はあるものの、それは若干ながら解消されているみたいだ。
元々あったのは未知への恐怖だろうか?
蘆田先輩は、『白い服の少女』の正体が分からず、それに対して怯えていた。
けれどテリア先輩はその正体と、その対処法、その成り立ちまで、あらゆる事を語って見せた。
まだ、得体が知れないことに変わりはない―――けれど、今はひきこさんの背景を知り、ある程度理解する事が出来たのだ。
そして、目の前にはそれに対して深い知識を持つテリア先輩がいる。これだけあれば、ある程度は恐怖も緩和されるだろう。
そんな、若干落ち着いた様子の蘆田先輩は、テリア先輩に対して若干遠慮がちながらも声を上げる。
「いえ、あの……私が見た時と、ちょっと違うって言うか……弟が一人は怖いって言うから、大きな姿見を部屋に持ち込んで、二人で一緒にいたの。
そうしたらその……えっと、ひきこさんが現れたんだけど……彼女は、そんな異常と言うほど背が高くはなかったわ」
「……ふむ。まあ一応、姿見は効いたんだね?」
「あ、はい。それはそうだった。鏡を見た途端、ひきこさんは悲鳴を上げて逃げて行ったから」
……いやまあ、嘘だと思ってた訳じゃないんだけど、本当に効いたのね、アレ。
でもまあ、ちゃんと効果のある対処法を知る事が出来てよかった。
ひきこさんの話だって何処までが逸話通りになってるのか分からないし、効くと分かる対処法があるのは安心できる。
テリア先輩は蘆田先輩の言葉を聞き、一度意外そうに目を見開くと、ふむと呟いて目を閉じた。
そして口元に手を当て、しばしの間黙考する。
「……逸話と違う形で現れてる、かぁ。面倒だね、これ」
「面倒、なんですか?」
ヒメが、首を傾げて疑問符を浮かべる。
対し、先輩は小さく嘆息とトモに肩を竦め、手元にあったファイルをパタンと閉じた。
逸話と違ってしまっては、そこまで役に立たないという事だろうか。
「逸話と違うなら……メリットもデメリットもあると言っていいかな。
メリットは、都市伝説を『終わらせる』方法が伝わっていなくても、他の方法で終わらせる事が出来るかも知れないという事」
「そしてデメリットは……伝えられている対処法が、通じないかもしれないという事だ」
「そう考えると、運は良かったね。鏡は効いたんだし」
言って、先輩は息を吐き出す。同調した嶋谷の方も、何やら複雑そうな表情で嘆息している。
それは、どこか安堵の篭った物でもあった。
確かに、それでもしも効かなかったら洒落になっていなかっただろう。
「しかし、うーん……もしも今回撃退しただけで終わらなかったら、本当に厄介だね。
元々、通り魔の類の都市伝説は発生確率が低いし、一度退けてしまえばそうそう再発はしないんだけど……今回はきな臭いね。
うん……仕方ない。ワタシもちょっと動くとするよ。人助け人助け」
「な……ッ!?」
「賢司くーん、何でそんな『ありえない物を見た』って感じで驚愕してるのかなー?」
嶋谷が本気で驚いている様子に、先輩は半眼で声を上げる。
うん、まあ、気持ちは分からないでもないけど。
しかし逆に言えば、この先輩がそんな事を言い出すような事態にはなってるっていう事なのね。
となると、嶋谷は―――
「ま、ワタシはワタシ独自の方法で調べてみるよ。もしかしたら、ひきこさんの噂の信憑性を高めてしまうような実話が存在しているのかもしれない。
また事件が起こるか起こらないか、それは分からないけど……備えておくに越した事は無いからね」
「む……分かりました」
「うん。それじゃ、今日は解散って言う事で。蘆田さんも、雨が降ってる時は今後も気をつけた方がいいよ」
そう言って、先輩は話を締めくくる。
この人がどんな方法で何を調べてくるのかも気になったけど、私はそれ以上に、嶋谷の動向が気になっていた。
こいつは都市伝説に対して強い興味を持っている。
そして特殊な例だというなら、それを調べようとする事だろう。先輩も、そんな嶋谷の行動まで織り込み済みである可能性がある。
……それなら、私のすべき事は―――




