56:予定の変更
「ふー、満腹満腹」
「よく食べるわねぇ、深琴……私の釣った魚で」
「うんうん、感謝してるよー、杏奈」
にっこにこと上機嫌な様子の深琴に、箸を置いた私は小さく苦笑を零していた。
まあ、深琴もなんだかんだで釣った数は二位。十分な貢献をしていた訳だし、私一人で釣った魚全部食べられる訳じゃないんだから、特に文句もない。
余らせて残しちゃうよりはよっぽどマシだろう。
私たちの班が釣った魚は他の班よりも多く、釣れた数が少なかった他の班へのお裾分けにもなっていた。
せっかくの旅行なのだ、どうせなら皆で楽しくのほうがいいだろう。
「えっと、この後の予定は何だっけ?」
「ん、お? あ、えーと、しおりしおり……」
「歴史資料館に行って、その後でフィールドワークです。ま、体のいい自由行動って言った所」
「そりゃ流石に穿ち過ぎだと思うけど……でもまあ、ある程度自由に動けるのは確かかしらね」
歴史資料館を回った後、地図を頼りにいろいろな所を回ってチェックするというのがフィールドワークの主な内容だ。
一応それぞれのチェックポイントには先生がいるのだけれど、その合間合間には特に監視の目とかは無いため、結構自由に行動できるのだ。
流石にあんまり身勝手な行動は取れないだろうけれども、その辺にある店をちょくちょく覗くぐらいなら問題ないだろう。
この三日間の日程の中でも一番長い自由時間であると言っても過言ではない。
「どうする、さっさと回っちゃうの?」
「他の班と張り合って一番でゴールする、とか言い出すんじゃないでしょうね、深琴?」
「むぐっ……」
やたら張り切った調子の深琴に釘を刺し、軽く肩を竦めてから、私は周囲へと視線を走らせた。
一番最後まで行ってしまったら、その時点でフィールドワークは終了。
一応いつまでに終わらせるようにという時間は決まっているけれど、クリアしてしまえば残り時間もそのゴール地点で潰す事になってしまう。
ゴール地点のあたりにも多少は買い物できる場所があるのだけれど、流石にそれは勿体無いだろう。
必要なのは勢いではなく、精一杯楽しむ事なのだ。
そしてどうやら、大河内もそのあたりはしっかりと分かっていたらしい。
「俺たち二人ならそれでもいいけど、今回は班行動だ。皆で楽しめるようにしないとな、深琴」
「むぅ……分かったわよ。皆が楽しめないんじゃ意味無いしね」
「確かガイドブック貰えるんだよね。それを見て、私たちが一番楽しんじゃおう」
あんまり上手いとは言えないヒメのフォローに、私たちはくすりと笑う。
まあ、楽しんだ者勝ちという事だ。それに関しては間違いじゃないだろう。
さて、どんな風に楽しもうか――そんな事を考えようとした、ちょうどその時だった。
「はい皆さん、聞いてください!」
――唐突に、声が響き渡る。
それは引率の先生の声。他の班たちも食事を終え、そろそろ声がかかる頃だろうと思っていたから、それ自体は全くおかしな事ではない。
けれど、何故だろうか。その時私は、妙な胸騒ぎを覚えて口元に手を当てていた。
――そして、その予感はすぐさま現実と化す。
「食事を終えたと思うので、予定変更の連絡をします。今回、歴史資料館の方が先方の事情により利用できなくなってしまいました」
そんな先生の言葉に、周囲が困惑と共にざわつき始める。
当然だ、こんな突然の予定変更なんて聞いたことがない。
とはいえ、流石に向こうの事情と言われては突っ込む事もできないだろう。
私も別に歴史資料館に関しては特に興味があった訳でもないし、その当たりは別にどうでもいい。
気になるのは、そこに割り当てられていた時間を一体どうするのか、だ。
けれど、あまり疑問に思っているような暇はないだろう。どうせ、先生がすぐさま説明するのだ。
「そこで、今回はハイキングコースの班と合流して、姫の沢公園で自由時間とします。その後からフィールドワークを行うので、準備はちゃんとしておいてください」
その言葉に――私は、思わず目を見開いていた。
姫の沢公園、ハイキングコースの班との合流……即ち、山道。
ああ全く、どういう事だ。こんな偶然があってたまるか――思わず、胸中でそんな風に毒づいてしまう。
いや、もしかしたら本当に偶然ではないのかもしれない。
怪異の発生源となっている謎の存在……こんな出来事すらも、そいつが仕組んだ事なのかもしれない。
ともあれ、現状では考察も無意味。分かっている事は唯一つ――
――怪異の領域に足を踏み入れなくてはならなくなった。ただ、それだけだ。
「では、予定の調整を行わなくてはならないので、出発時間を少し遅らせます。一時までにはバスに乗り込むようにしてください」
時間を見る。今は十二時十五分……食事が早く終わったっていうのもあるけど、若干時間がある。
それまでは休憩時間だ。なら、その間にできるだけのことをしなくては。
山のほうで起きている失踪事件、それがどのようなものなのか。
誰に話を聞く? この状況で私が自分で動いた所で大した情報が得られるとは思えない。
先輩か……いや、先輩から受け取った資料には、ヒサルキの事はともかく、残る三人の失踪については何も書いていなかった。
おそらく、現状の情報だと怪異の気配を感じ取れなかったのだろう。
あの状況ならば、車に乗っていて山道を転がり落ちてしまって誰にも見つかっていないという可能性の方がまだありそうだ。
先輩もそう睨んだから、深く調べるような事はしなかったのだろう。
明らかにヒサルキがいそうなもう一方の事件の方が、調べる価値が高かったのだ。
おかげでもう一方の事件はほぼノーマーク……対策の立てようもない。
なら、今から調べて貰おうか。
おそらく、それも無理だ。先輩の授業云々はこの際気にしないにしても、あまりにも時間が短すぎる。
いかな先輩でも、こんなちょっとの情報量だけで短時間で調べる事は難しいだろう。
流石に、先輩の手を借りたとしてもこれは無理だ。
なら、どうするか。今この状況で、怪異の情報を手に入れるにはどうすれば――
「――っ!」
その刹那、ふと脳裏にひらめく姿があった。
そうだ、あの人なら――
「ん? 杏奈ちゃん、どうしたの?」
「あ、いや……ごめんヒメ、ちょっと電話かけてくる!」
「え? う、うん。行ってらっしゃい……」
あっけに取られた様子のヒメを尻目に、私は立ち上がって部屋を出てゆく。
駆け足にはならないものの、内心の焦りを挙動の一部にこめながら、私は財布を取り出してそこにしまってある一つの名刺を手に取っていた。
そこに書いてある名前は――
「これで繋がらないとか言ったら怒りますからね、市ヶ谷さん……!」
怪異の専門家、誰よりも怪異の事を詳しく知る存在、市ヶ谷さん。
山の方の失踪も怪異であると睨んでいたのは、この人なのだ。
故に、何か掴んでいるかもしれない。一縷の望みをかけて、私はそこに書いてある電話番号を呼び出した。
耳に入る呼び出し音に、大して待ってもいないのに、私の心はどんどんと焦れて行く。
どうして出ないのか、もしかして携帯が取れないような状況なのか――思い知らされる、いざという時に助けを求められない状況が、こんなに辛いものだったなんて。
――そして、呼び出し音が途切れた。
『もしもし、神代さんか? 一体どうしたんだ、何かあったのか?』
「っ……良かった、繋がった」
『もしもし!? どうした、大丈夫か!?』
「あ、はい。今の所は大丈夫です」
張り詰めすぎていたのだろう。思わず気が抜けて、壁を背に寄りかかってしまった。
けど、なんら問題の解決にはなっていない。とにかく、状況を話さないと。
「まだ緊急ってほどじゃないんです。けど、ちょっと予想外の事が起きて……それで、ちょっと動転してしまって」
『そうか……分かった、話を聞かせてくれ』
ホント、この人は……自分だって忙しいはずなのに。
けれど、今はその言葉に甘えよう。こちらも切羽詰っているのだから。
ただ、私に出来る万全を期する。私に出来る事なんて、そんな程度しかない。
「実は、研修旅行での予定が変更になって、山の方に行くことになってしまったんです。本当なら私たちの班は近づかない筈だったんですけど……」
『そんな急な予定変更があるものなのか?』
「もういっそ、ヒメを狙ってる奴が何かしたんじゃないかって思いつつありますよ……怪異なんて何でもありですし」
『正直想像はし辛いが……だが、無い訳ではないか』
若干くぐもったような声が電話越しに響く。
口元に手でも当てているのだろうか。何を考えているのかは知らないけれど、今はその原因の事よりも気にすべき事がある。
「それで、市ヶ谷さん。山の方の失踪事件、あれもやっぱり怪異の仕業なんですか?」
『ああ、俺はそう睨んでいる。流石に現状どんな怪異かという事までは断定できていないが……そうだ、君は今どこにいる?』
「え、どこって……海岸、港の辺りですけど」
『そうか、それなら近いな……時間は大丈夫か? 学校の行事だし、抜け出す事は難しいかもしれないが』
「いえ、今なら少しぐらいは。制服だと難しかったかもしれないですけど、今回は私服ですし」
今の格好なら、まぎれて抜け出す事も難しくはない。
まあ、流石に何も言わずに抜け出す事もできないけど……今回は事情を知ってる梓がいる。
言い含めておけば、何か聞かれても誤魔化してくれるだろう。
そして、そんな私の返答を受けて、市ヶ谷さんは真面目な口調を崩さぬままに声を上げた。
『分かった。そしたら、今から指定する場所に来てくれると助かる。今回の怪異の事を知っていそうな奴に接触するんだ。
ただ、気まぐれな奴だから、どうなるかは分からない。君の身の安全は保障するが……どうする?』
「……分かりました、行きます。でも流石に土地勘のない場所なんで、迷わず行けるかどうかは不安ですけど」
『いや、おそらく大丈夫だろう……篠澤さんの性質を考えればね』
「ヒメの……?」
どういうことだろう。それに、この言い方には何か違和感があるように感じられる。
そう、まるで……ヒメが怪異に狙われるその原因が、何であるかを知っているかのように。
「あの、それって一体……」
『あまり時間がない。詳しく話すのはまたの機会にして、今は合流する事を考えよう。今の詳しい場所はどこだい?』
「あ、はい。港の近くの、釣り施設の建物です。釣った魚を料理して出してくれる――」
『ああ、分かった。あそこだな……やっぱり近い。恐らく、外に出れば見えるはずだ』
その言葉に、私は思わず耳を疑っていた。
まさか、そんなに近くにいるとは思っていなかったのだ。
ただの偶然で片付けてしまうには、今の状況は少々異様な点が多いとも言える。
警戒心は残したままの方がいいだろう――そう胸中で自分に言い聞かせつつも、私は建物の外へと出た。
正面は海になっているから、こっちの方向ではないだろう。
「出ると正面が海なんですけど、方向的にはどっちですか?」
『そうだな、とりあえず建物の裏に回りこんでくれ。たぶんちょうど反対側のほうだと思う』
言われたとおり、建物を迂回するように移動してゆく。
さっき自由時間とは言われたけれど、勝手に離れて言ってしまうのは若干ながら気が引ける。
まあ、今すぐ本格的に移動するってわけじゃないし、場所を確認したらいったん戻るのだけれども。
しっかしまぁ、この状況……流石に、いつまでもヒメには隠しておけないか。
いい加減、伝えないといけないでしょうね。
「……とりあえず、建物の裏手に来ました。本当にここから見えるんですか?」
『ああ、地図の上から確認する限りは、おそらく……多分、君から見て右斜め前って所だ。見えているとは思うが……海岸に隣接するように建っている、二階建ての建物っぽく見える古い一軒家だ』
「えっと……え、アレですか?」
確かに、市ヶ谷さんが行ったものっぽい建物は見える。
というより、海岸にそこまで近い家なんてそれぐらいしかないのだ。
とはいえ、その建物はやたらとボロく、正直あんまり近寄りたくない雰囲気をかもし出している。
ぶっちゃけて言うと、不気味だ。
「あの、本当にアレですか?」
『まあ、近寄りがたい気持ちは分からなくはないが、それなんだ』
「……まあ、手段選んでる場合じゃないですし、了解しました。市ヶ谷さんはもういるんですか?」
『ああ、いるよ。手でも振ろうか?』
「いや、流石にそこまではっきりとは見えないですし、別にいいです」
市ヶ谷さんが言うのだ、流石に嘘じゃないだろう。
この人は絶対に悪い人ではない。嶋谷と先輩が心の底から信用しているのだから。
ともあれ、今はあそこにいって話を聞かないと。
「……それじゃあ、少ししたら向かいます。よろしくお願いします、市ヶ谷さん」
『ああ。流石に携帯だとまとめ辛い内容だったからな。時間は限られているんだろう、こっちもまとめておくから』
「はい、お願いします」
頷き、通話を終了させる。
あまり時間はない。市ヶ谷さんが私に何を教えてくれるのか、それは分からないけれど……それでも、今回を乗り切るためには必要な事だ。
全てはあの子を、ヒメを護るため――そして、私の掛け替えのない日常を護るため。
護るってのは、あの子の専売特許じゃない。私だって、私の手でやりたい事があるのだから。
「よし……とりあえず、ヒメと梓に説明するとしましょうか」
そうと決まれば話は簡単だ。
やるべき事を成し遂げる、ただそれだけを目指せばいい。
そう自分に言い聞かせ、私は元いた建物に戻っていったのだった。




