54:事件の詳細
研修旅行二日目。
この日の集合時間は割りと早く、普段学校に行く時間と比べれば、結構早い時間帯となってしまうだろう。
が、朝早くからお務めをしている私や、いづなさんとの修行があるヒメ、そして部活の朝練がある深琴にとっては大してきつい時間帯ではなかった。
流石に梓は眠そうにしていたけれど、そこは我慢してもらうしかない。班行動なのだから。
まあ、そんなこんなで朝食も食べ終わり、バスで移動となった訳だが――
「不安ねー」
「え? そうかな、楽しみだけど」
「うんまあ、楽しみである事は確かなんだけど」
きょとんとした表情のヒメに、私は小さく苦笑をこぼす。
ヒメの事も心配といえば心配なのだが、今回はそれだけという訳ではなかった。
何故なら、類を見ない感じの馬鹿がいたからだ。
「ね、眠ぃ……」
「……遠足の前に眠れない子供とかは分かるけど、現地に来てから楽しみで眠れないって初めて聞いたよ」
「付き合わされて俺も若干眠いですね……まあ、人数多い部屋だったから、他の人に押し付けて寝ましたけど」
「案外酷いわね、あんたも」
さらりと酷い事を言っている大河内であったが、元はといえば相場が悪いので、特に気にしないことにしておこう。
まあともあれ、私たちはこれからバスで移動して、海岸線のほうへと出てゆく。
向かう先は港の海釣り施設。そこで場所と機材を借りて釣りを行うのだ。
ぶっちゃけただの遊びのようなものではあるが、一応吊り上げた魚に関してはどんな種類なのかを調べて後でレポートにしなくてはならない。
面倒臭くはあるけれど、何と釣り上げた魚は後で料理して貰えるのだ。
釣り上げたばかりの新鮮な魚というのは前々から食べてみたかったので、願ったり叶ったりと言った所である。
「ほら、いつまでもグダグダ喋ってないで、バスに乗り込みなさい」
「うーい」
「了解です、班長」
「……爽やかな笑顔が皮肉ってるように見えるわねー」
大河内はスポーツマンな見た目に反して割りと思慮深く、そして嫌味な発言をする部分があるため侮れない。
いや、あれは嫌味というか、相手をからかってるだけなんだろうけれども。
その対象になるのは主に深琴……まあたぶん、アレな子ほど苛めたくなる性質なんだろう。
そう思うと、多少のからかいはこちらの事を気に入ってくれているんだと考えれば……いや、やっぱり嫌かも。
「……はぁ」
やっぱり、何だかんだでずいぶんと濃い面子になってしまった気がする。
それが悪いとは言わないけれども、まとめるのは結構大変だ。
常識人である梓の存在が結構ありがたい。
取った点呼を先生に報告し、朝っぱらから若干疲れた感覚を覚えながら自分の座席へと乗り込んだ、その瞬間――懐に入っている携帯が、着信音を響かせ始めた。
「わっ、と……誰よこんな時に――っ!」
液晶画面に表示されていた名前に、私は思わず目を見開いていた。
そこに表示されていたのは他でもない、昨日話をしていた先輩だったからだ。
思わず息を飲みながら、私は通話ボタンを押す。
「……もしもし、先輩」
『やぁ、おはよう杏奈ちゃん。朝っぱらだとアレだよね。男の人の朝の生理現象が気になる時間帯だよね』
「ぶっ飛ばしますよ?」
何が悲しくて朝っぱらから開口一番下ネタを聞かされなくてはならないのか。
割と真面目に殺意を覚えながら、通話前の私の真面目な決意を返せといわんばかりに低い声で返事をする。
無論、目の前で睨んでもまるで堪えない先輩が、その程度で怖気づくはずも無かったけれど。
『いやぁ、冗談冗談。今日の先輩は真面目だよ』
「でもアレを相手にしてる時ほどは真面目じゃないと」
『うーん……まあ、まだ不確定な段階だからね』
するりと、まるでスイッチが入れ替わったかのように、先輩の声音が変化する。
それは間違いなく、普段先輩が怪異を相手にしている時の口調だった。
思わず息を飲み、私も声を潜めて聞き返す。
「……どういう、事ですか?」
『うん、まあ順を追って説明するけど……今はパソコンは開ける?』
「って言うか、こっちに来ている間はほとんどそんな機会はないと思います」
『んー、そっか。じゃあ仕方ない、携帯用にリサイズしよう。資料は後で送るから、今は口頭で説明するよ』
バスが動き出す中、周囲の雑音が私の耳に入ってくることはなかった。
先輩の話に集中する。私たちのこれからにかかわってくる内容だ、心して聞かなければならない。
これまでの経験で、嫌というほどに実感したのだ。怪異は、例えどんな事であったとしても、決して油断してはならないと。
『熱海での失踪事件……全国的な話題にはなっていないけれど、実はそれなりの数の人間が姿を消している』
「それなりの数、ですか」
『まあそれなりといっても、せいぜい四人。これを多いと考えるか少ないと考えるかは難しいところだね』
「……四人」
ポツリと、私は思わずそう呟く。
失踪なんて言い方をしたならば、それなりの人数であると言えるだろう。
けれど騒ぎになっていないという事は、失踪とは別の件として判断されている可能性もあるという事だ。
そんな私の小さな呟きを聞き取ったのか、先輩はくすりと笑ってから声を上げる。
『まあ、微妙なところだよね。けれど、この数は紛れもなく真実だよ』
「いえ、それは疑っていません。ホント、どこからそんな情報を仕入れてくるのか心配になるぐらい正確ですから」
『あっはっは』
笑って誤魔化すな、おい。
いちいち突っ込んでも何をやってるのかとかは喋ってくれないだろうから、ここでは放置することにするけれど。
まあとにかく……その四人の失踪は、おそらく事実。
そして――
「……その四人、結構若いんですよね?」
『ふふ、流石。察しがいいね杏奈ちゃん。彼らのうち三人は近辺に住む大学生……既に半ば自立しているようなものだし、一応届け出は出されてるけど殆ど家出扱いだ。大きな騒ぎになっていないのはこれが理由だよ』
「三人は、ね。それじゃあ、残る一人は?」
『そっちは社会人。とはいえ、まだまだ若いОLさんだ。失踪の前後で不審な点は見当たらなかったから、こちらもあまり大きな事件にはされていない。新聞の端っこぐらいには書かれてるかもしれないけどね』
相変わらず、先輩の調べてくる情報は怖いぐらいに詳しいものだ。
けれど、今はそれがありがたい。状況を把握するのに、これ以上有用なものはないだろう。
何をどうすべきか――それを判断するのにも、まずは現状を把握しなくては。
そんな私の強い意志を感じ取ったのか、先輩は小さく笑うような声音で続けた。
『ただこの事件、ワタシとしては一つ気にしておいた方がいいと思う点がある』
「気にしていた方がいい点、ですか。それは?」
『失踪者の中でただ一人……その女性だけは、他の三人とは違う場所、違うタイミングで姿を消しているんだ』
「え、それは――」
どう判断したものか悩み、言葉を止める。
単純に住んでいた場所が違うとか、そういう事ではないのだろうか?
『三人の大学生の方は、もともと友人関係にあったグループのようだ。けれど、最後の一人は違う。学生じゃないし、そもそも交友関係を洗ってもなんら関係のない人間だ。
そして、最後に目撃された場所やタイミングもまったく違う……ただどちらのパターンも身代金の要求などもないし、誘拐などの可能性は低い。
杏奈ちゃん、君はどう見る?』
「……聞いた上でって言うなら、その二つは別件だと思います」
おそらく、先輩も同じような結論に達しているんだろう。
先輩が強調していたのは、その二つの件の違いの点ばかりだ。
私が今持っている情報だと、それらしい共通点を見つける事はできない。
そして、先輩がそれを話さなかったという事は、先輩もそれを知らないという事なのだろう。
「私としては、その二つがそれぞれどの辺りで起こったのかが気になります」
『うん、それを気にすると思ってたよ。そして――杏奈ちゃんにとっては、都合が悪い話かもしれないね』
その言葉に、私は思わず息を飲んでいた。
私にとって都合の悪い話というのが一体何の事なのか――それは、考えなくても分かることだ。
つまり、あの時先輩に聞かされていた、あの怪異――
『三人の男性……こっちは山の方だ。ドライブに出ていたのだけれど、そのまま帰ってこなかったらしい。そしてもう一人、女性の方――』
先輩の声が固く、凍りつくようなそれに変化してゆく。
その声音は、私も幾度か聞いたことのあるものだ。
普段のおふざけの様子が消えた、怪異を前に憎悪にも似た感情を瞳の奥に宿した先輩の姿。
その時と全く同じトーンの声が、電話越しに私の耳に届いていた。
凍りついた表情を容易に想起させるような、その声音が。
『――海岸の近くで、姿を消している』
「っ……!」
まるで先輩の冷たい声が電話越しに冷気を伝えてきたかのように、私の背筋がぶるりと震える。
この怒気を纏う声、間違いはないだろう。先輩は、怪異の存在を確信している。
そう、あの怪異を――
『同時に、その近辺で動物の死骸が発見される事件が何件か起きている……ここまで言えば分かるね、杏奈ちゃん。そこで何が起こっているのか』
「……ヒサルキ、ですね?」
――ヒサルキ。
その存在は、先輩から受け取った資料を読んでも、よく分からないとしか言いようがなかった。
発端となったのはネット上の書き込み。某掲示板に体験談として書き込まれた話だ。
一つは、海の近くに建つ家にいた不気味な男の話。
その体験談の主には特に危険が及ぶようなことはなく、ただ不気味な話として伝えられた。
唯一つ、そのその家に近づきたがらなかった霊感のある女性が行方不明になったという一点を除いて。
二つ目は、何とその行方不明となった女性自身の体験談。
男に連れ去られ、縛られ転がされていたにも関わらず何もされる事はなく、しかし夜な夜な自分の体が己の意思に反して動き出すのを感じていたという。
先輩が言っていた動物の死骸というのは、主にこの話の事だ。
操られた女性は、その度に野良の動物などを殺して、食らっていたという。
最終的には人に発見され、病院に運び込まれたのだけれど、その間の出来事は深い心の瑕として残ったことだろう。
まあ、それが実話であるかどうかは定かではないけれど。
三つ目、これは少し離れ、とある幼稚園の話だ。
ここでは、虫が柵に突き刺さった状態で死んでいるのが幾度も発見されていた。
それは次第にエスカレートし、終いには飼っていた鳥や兎などまでが殺されてしまったのだという。
犯人は見つからず、園児たちは「ヒサルキがやったんだ」ということだけを口にする。
結局犯人が見つかることはなく、目に眼帯をして引っ越していった園児の話だけが最後に残っていた。
大きな話はこの三つだ。
他にも類似した内容の話はいくつか伝わっているけれど、便乗してでっち上げられたものなのか、はたまた実話なのかの判別は難しい。
ネット上の話なんて元からそんなものだろうけれど、なんともすっきりしない話だ。
『きらきらさん』なんていう別名もあるみたいだけど……突き詰めればきりがないだろう。
『ヒサルキがどういった怪異なのか、それはワタシにも分からない。具体的な正体は明かされなくて、仮説や考察なんていくらでも立てられるからね。
それはつまり、『ヒサルキ』という怪異はどんな形で、どんな性質を持って具現化するか全く想像できないという事だ』
「女性の失踪がヒサルキの仕業なら、体を操るあの話に近いような気はしますけど」
『そうだね、けれど断言はできない。あまりにも多様すぎるんだ……厄介極まりないよ、本当に』
先輩の声は硬い。本当に、心の底から危険だと、そう判断しているんだろう。
それに関しては、私も異存は無いけれど。
「……どう、しましょうか」
『まあ、危険に近づかない事が一番だよ。たとえ不幸な事件が起こっていたとしても、助けようなんて思わない事だ。
下手に首を突っ込めば、怪異はすぐにでも姫乃ちゃんを狙いに来るだろう。
見ず知らずの他人の為に自分の事を削るのは、尊い行為だとは思うけれど、決して賢くはない』
「はい、分かってます」
先輩のその言葉の中には、どこか感情を押し殺しているような色があった。
きっと、市ヶ谷さんの事を考えているんだろう。彼は、そんな時でも迷わず手を差し伸べてしまう人だから。
正義の味方と、先輩が揶揄するような人……彼がこの地に来たのは、きっとそんな理由なのだろう。
だから、それは彼に任せよう。ヒーローのような事は、物語の主人公がすべきなのだ。
脇役の私は、自分の小さな幸せだけを守れればそれでいい。
『それじゃあ杏奈ちゃん。一応念の為、データはそっちに送っておく。だけど、姫乃ちゃんには見せないようにね』
「分かってます。あの子は、いろいろと気にしちゃうでしょうから」
『うん、それじゃあね』
至極あっさりした様子で、先輩は通話を終了させる。
私は会話の余韻にしばし浸ってから、ふと窓の外へと視線を向けた。
気づけば、そこにはすでに向かう先の海岸線が見えている。
私は小さく嘆息して――再び、決意を新たにしていた。




