53:思いの片鱗
「さて皆さん、お時間になりました」
「は?」
深琴が私たちにそう声をかけたのは、お風呂にも入り、パジャマにも着替えて、さて多少休憩したら寝ようという時の事だった。
唐突なその言葉の真意を理解できず、私や他の二人はそろって首を傾げる。
一体、何の時間だというのか。就寝時間だというのならば確かに近いけれど、深琴がこのタイミングでそんな事を言うとは思えない。
しかし、深琴の方はそんな私たちの反応が不満だったのか、唇を尖らせてボスボスとベッドを叩きながら声を上げた。
「もう、ノリ悪いわね! 修学旅行の夜と言えばアレが定番でしょ」
「えっと、アレって何?」
「っていうか研修旅行だよね、これ」
「それ以前に、埃が舞うから暴れないでよ」
私たちの集中砲火――ヒメは純粋に聞いてるだけだけど――を受けて、深琴が頬を引き攣らせながら言葉を詰まらせる。
しかしながら、相手も普段から大河内と競争を繰り広げているだけあって、簡単には引き下がらないようだったけど。
深琴はすぐさま気を取り直して、さすがにベッドを叩くのはやめつつも声を上げた。
「ほら、アレよアレ。定番でしょ? 分かるでしょ? ヒメちゃんはともかく」
「まあ、分かるけどさ。ヒメはともかく」
「二人ともひどいよっ!? わ、私だって分かるもん!」
「ほほう、じゃあ言ってみましょうか」
半眼でにやりとした笑みを浮かべながら私が言い放った言葉に、ヒメはぎくりと肩を震わせる。
まあ、この子がそういう事を分かっているようだったら、私だってここまで苦労はしていないのだ。
多少は意趣返しさせて貰ったっていいだろう。
「う、うう……ごめんなさい、分からないです……」
「って弱!? いやヒメ、もうちょっと粘りなさいよ」
「だ、だって分からないんだもん……ずるいよ杏奈ちゃん!」
「え、私の所為なのそれ?」
上目遣いで恨めしそうに睨んでくるヒメに、私は思わず苦笑を零す。
まあ、あんまり引きずっても仕方ないと、私は苦笑交じりの視線を深琴の方へと向けた。
それを受け、彼女も小さく苦笑を零す。
「ヒメちゃん、こういう時の女の子の定番は、コイバナと相場が決まってるのよ!」
「コイバナ……そっか、そうなんだぁ」
ヒメの反応に、深琴が若干ほっとした様子を見せる。
ヒメが『コイバナ』とは何なのか理解していない可能性を懸念していたのだろう。
まあ、さすがにそれは知っていたようだけど……この妙な部分の無知さも私の所為なのかどうなのか。
そんな私の微妙な気分など知らず、ヒメはあっけらかんとした様子でくすくすと笑う。
「でもそれだと、私はあんまり参加できないよ」
「え、どうして? ヒメちゃんは可愛いんだし、引く手数多なんじゃないの?」
「あ、それは私もそう思う……姫乃ちゃん、女の子の私から見ても可愛いし」
確かに、二人の言っている事は事実だ。
深琴と梓もそれなりにスペック高いけれど、やっぱりヒメには及ばないと思えてしまう。
無論私とて、ヒメに容姿の点で勝てるとは露程も思っていなかった。
そしてそれだけの容姿、そしてこの性格があれば、男子共からは注目の的だろう。
けれど、特定の男性と付き合うような状態には至っていない。
その理由の一つに、私がヒメの周りをガードしているというのがあるが、それ以前に――
「だって私、恋愛ってよくわからないから……誰かに恋をした事だって、一度もないんだもん」
「え、えぇぇ……うっそ、マジで?」
「うん、マジなのです」
「う、うーん……安心するべきなのか、勿体ないと思うべきなのか……」
ヒメは、恋がどういうものなのか、全くと言っていいほど理解していない。
ヒメの発するその言葉は誤魔化そうとしている為のものではなく、純粋に本心から放たれた言葉であったが故に、二人も強く反論する事が出来ずにいた。
「かっこいい男の人を見ていいなーとか、そういう事を考えた事ってあんまりないんだ。どっちかというと剣道の方に興味があったし……あ、今は別の師匠がいて、その人の所で修行してるんだけどね」
「い、いや、それも気になるっちゃ気になるんだけど、趣旨が違うからまた今度で……」
「あ、ごめんね。でも、そんな訳だから……私ってコイバナを振られてもうまくできないと思うよ?」
「う、うーん……」
どうしたもんかと、深琴が何やら葛藤している様子で眉根を寄せる。
どうやら、一番聞きたかったのはヒメの話だったようだ。
簡単には諦められないのか――勝負事の時もそうだが、諦めが悪い――深琴は私に助けを求めるような視線を向けてくる。
その様子に私は小さく嘆息を零し、ヒメへと向かって声を上げた。
「あー……じゃあヒメ。理想の男性像とか、そういうのはないの?」
「え? 理想の男性って……」
「恋が何だか分からないって言ったって、男の人はこうあるべきだとか、こういう男性はカッコいいとか、そういうのぐらいはあるでしょ? 今回はそれでいいわよ」
「なるほどー、理想の男性像か。じゃあヒメちゃん、それで!」
私の提案に、深琴は目を輝かせながら同調する。梓の方も気になるのか、特に反論は無いようだった。
そしてヒメの方はと言えば、いつも通りの真面目さを発揮して、私の言葉をちゃんと考えているようだった。
何か、そういう所はいちいち真面目よね、ヒメは。
「理想の男性かぁ……あんまり考えた事はなかったけど、うん」
ヒメは左手の人差し指を顎に当て、虚空を見上げるようにしながら考え込む。
そしてしばらくして考えがまとまったのか、視線を下ろして声を上げる。
「うん、そうだね……優しくて、頭が良くて……見守りながら私の事を導いてくれるような人、かな」
「へぇ、ちょっと意外」
「うん、私も。『私より強い人』とか、そういう事言うかなーって思ってたから」
梓はヒメが剣を振り回しているところを見ているから、そんなイメージを抱くのも無理はないかもしれない。
けどまあ、その答えは私からしてみれば想像した通りのものであった。
そのイメージが一体誰を指しているのかはともかく――ヒメが、自分より強い人を理想の男性として選ぶとは思えない。
何故なら――
「だって、私より強い人だったら、私が護る意味がなくなっちゃうでしょう? 私は皆を護りたいから……」
「あー……なるほど?」
「その辺はヒメ独特の価値観だから、あんまり気にしない方がいいわよ。この子は昔からこういう感じだから」
「……杏奈ちゃん、なんか微妙に貶してない?」
半眼で見つめてくるヒメに、私は肩を竦める。
別に貶しているつもりなんかさっぱり無いけれど、自分が独特の価値観を持っている事ぐらいは自覚して欲しいと思っていた。
まあ流石に、自分より変わった人を何人か見てるから、それぐらいは分かっていると思うけれど。
「あの……杏奈ちゃん」
「ん? 何、梓?」
と、他の二人に聞こえないように、梓が私の後ろからこっそりと話しかけてくる。
ヒメと深琴はさっきの事に関して何やら話しているようだから、こちらの様子には気づいていない。
何となく梓の言おうとしている事を察していた私は、その内容を予測しながら二人に聞こえないようにそう返した。
そして梓も、声を潜めながら私に問いかける。
「あの、さっきの姫乃ちゃんが言ってた特長って、もしかして――」
「……うん、大体梓の思ってる通りだと思うわよ。ただ生憎、あの子にはさっぱりと自覚が無い訳だけど」
「やっぱり……」
私がその問いかけを肯定した事で、梓は非常に疲れた様子で嘆息を零していた。
たぶん梓は、この間の件の頃から何となく察していたのだろう。
ヒメの態度には自覚が無くて、けれども自然と似たような行動を繰り返している。
無意識の結果なのだろうけれど、それが一体どういう事なのか――あの子が気づくのは、いったいいつになる事やら。
梓と同じような気分で半眼を浮かべていると、その当人は何やら同情的な視線を私に向けてきた。
「杏奈ちゃんも大変だね」
「え――」
思わず、ぎくりと肩を震わせてしまう。
が、梓の言葉の中に他意が無い事を察し、私は即座にその同様を消し去っていた。
運よく気付かれなかったのか、梓の様子に変化は無い。胸中で小さく安堵の吐息を零しながら、私は改めてヒメの方へと視線を向けた。
「ま、そうね。早く気付いちゃえばいいのに」
「いっそ、指摘しちゃった方がいいんじゃないの?」
「そういう訳にもいかないでしょ。きっと今まで通りには行かなくなる。あの子が自分で気付いて、自分で決心して……自分で手に入れるのじゃないと、私はあの子をきっちりと祝福出来ないと思うから」
それが、私の偽らざる本心。
私はヒメが好きだから。大切な友達だと思うから。
だからこそ、ヒメには最高の形で幸せになって欲しいと思う。
私の日常、お兄ちゃんがいなくなったことで実感した、何よりも大切なもの。
失いたくない、綺麗なままでいて欲しい。だからこそ――
「……結局、私のわがままなのかもしれないけど、私からあの子に伝えようとは思わないわ」
「そっか。うん、杏奈ちゃんらしいと思うよ」
梓は、淡く微笑みながら私にそう告げた。
同意を得られた事に少しだけ安堵して、私はその言葉に小さく頷く。
まあそれでも、ヒメにさっさと気づいてほしいと思っていることは事実なのだけれども。
正直相手からというのでも別にいいんだけど、それはあんまり期待できないから。
そもそも、あいつにそんな余裕があるとは思えないし――
「で?」
「ん?」
「いや、私に聞いたんだし、深琴ちゃんはどうなのかなって」
「え゛」
と、私がしみじみと思案していたその隣で、ヒメが自覚の無い意趣返しを行っていた。
まあ、当然といえば当然だ。自分から話を振ったんだから、同じ事を返されるのは予想できる流れである。
それにもかかわらず深琴が引きつった表情をしていたのは、おそらくコイバナをしたいという事だけを考えていて、自分にそれが向けられた時の事を考えていなかったからだろう。
何と言うか、妙なところで詰めが甘い。
「え、ええと、あたし?」
「うん、深琴ちゃんの理想の男性って、どんな感じなのかな?」
「えっと、その……」
「大方、何でもかんでも自分についてこれて、一緒にお互いを高め合えるような人でしょう?」
「ちょっ、誰が悠斗の事なんかっ!」
「……分かりやすいわねー、あんた」
流石にその反応はどうなんだと思わざるを得ないが。
深琴も口を滑らせてしまった事を自覚しているのか、口元を引きつらせて硬直している。
その様子に梓は嘆息し、ヒメはどこか納得した表情を浮かべていた。
「う、うう……あ、梓! 梓はどうなの!?」
「私は……いざという時に頼りになる人、で」
にっこりと笑顔を浮かべ、梓はそう答える。
何と言うか、その言葉の中には確かに相場を意識するような色が含まれているようではあったものの、いつだかの事がしっかりとしこりとして残ってしまっているようだった。
まあ、何だ。ご愁傷様としか言いようが無い。
一方、華麗にかわした梓の言葉に悔しそうな表情を浮かべた深琴は、その矛先をこちらに変えてきた。
「じゃ、じゃあ杏奈! そっちはどうよ!?」
「私、ねぇ……うーん」
若干思う所が無い訳ではないけれど、とっさに思いついたのは、他でもないお兄ちゃんの姿だった。
強くて優しい、私たち家族を護ってくれるあの姿。
「……うん、私も梓と同じかな」
「ちょっと、その逃げ方はずるいんじゃないの!?」
「いや逃げって……男性に対する理想としてはありきたりじゃないの? 他に言うんだったら、有言実行とか? 正直、そこを突っ込まれたってどうしようもないわよ」
と、そう返しはしたものの、相手は負けず嫌いで有名な深琴。
簡単には引き下がってはくれない事だろう。
ちらりと時計の方へと視線を向けながら、私は深々と嘆息していたのだった。




