52:到着
「ふー、ようやく着いたわー」
「杏奈ちゃん、いきなりベッドに寝転ばないの」
荷物をベッドの横に転がし、靴を脱いでベッドにダイブした私を、ヒメは呆れた表情を浮かべながらたしなめる。
とはいえ、多少は許してもらいたい所だ。今日一日は、ずっと動き回ってばっかりだったのだから。
まず、宿泊施設に着く前までに、道中にあった工場見学をした。
正直全然興味なんてなかったけれど、後でワークシートを埋めて提出しないといけないから、話はしっかりと聞いておかねばならなかったのだ。
その後、宿泊施設に到着した後も、荷物だけ部屋に置いて集会を開始。
何やら勉強会っぽい事と、今後の予定やらに関する話を聞いた。
おまけに班長である私はその後連絡事項を受けたりするし……ああもう、勘弁してくれとしか言いようがない。
「なんで旅行なのにこんなにも自由度が低いのかしら……」
「そりゃまあ、遊びに来たわけじゃないんだから」
「あはははは……」
愚痴る私の言葉に、ヒメは嘆息して梓は苦笑する。
まあ、自分でも分かってはいるんだ。それでも大変なのが嫌なのであって。
今日一日、バスの中で缶詰にされるか、いろいろな所を歩き回るか……もうちょっとゆっくりさせてほしい。
「でも、良かったわよね、四人部屋。男子の一部はものすごい人数で雑魚寝する所があるんでしょ?」
「ああ、あそこね……15人ぐらいだっけ?」
「一般の人も使う宿泊施設とはいえ、ちょっと可哀そうだよねぇ」
深琴がしみじみとつぶやいた言葉に、私は枕から顔をあげてそう声を上げた。
私たちが使うことになったこの部屋は、比較的使用人数の少ない部屋だ。
ようするに、結構気楽でいる事ができる。
仲のいい同じ班のメンバーのみで構成されているから、あんまり畏まらずにいられるのだ。
まあ、この辺は女子ゆえの優遇という事だろう。男子の一部はさっきも言ったように、大量の人数を押し込められている部屋もあったりするのだから。
この辺の部屋割りは、純粋なくじ引きの結果である。
こうして班のメンバー四人が一部屋ぴったりと入れるのは、中々運が良かったと言えるのだ。
「ふー……ま、広い部屋を使えるのはいい事よね。さって、お風呂ってまだもうちょっと後だったわよね?」
「え? うん、そうだけど?」
「ん、じゃあちょっと連絡してくるわ」
「連絡?」
ひらひらと携帯を振りながら言う私に、深琴が首を傾げる。
まあ、普通に考えれば家族への連絡だと思う事だろう。
別に訂正する必要も感じないし、そのまま何も告げずに入口の方へと歩いてゆく。
無論の事――今私が連絡しようとしている相手は、うちの家族ではない。
携帯を操作し、発信ボタンを押して、私は相手の声が聞こえるのを待つ。
ほどなくして、その相手は現れた。
『はいはーい、こちらテリア先輩だよー。杏奈ちゃん、どうかしたの?』
「こんばんは、今はお時間大丈夫ですか?」
『うんうん、問題なし。それで、何かあったの? さっそく問題でも起こった?』
「いえ、今の所は大丈夫です」
何やら楽しそうな声に苦笑する。
まあ、この人もただのトラブル程度ならこうして楽しめるのだろうけれど――正直、今回の話は先輩にとってどの程度大切な話になるのかさっぱり分からない。
それに、怪異の話ともなれば、この人も途端に真面目になる事だろう。
「今の所は何の問題もないんですけど……少し、気になる事が」
『ふむ……気になる事ね。言ってごらん、一体何があったの?』
「今日……目的地に向かう途中のパーキングエリアで、市ヶ谷さんに会いました」
『――っ!』
先輩が息を飲む音が、電話越しに微かに響く。
さすがに、そんな話はこの人にとっても寝耳に水だっただろう。
私だって驚いた、予想なんてできるはずもないのだ。
確かに変わった人だとは思っていたけれど、まさかあんなところで会おうとは。
『どういう事? 何でコースケがそんな所に?』
「やっぱり先輩も知らなかった……嶋谷は知ってて教えなかった? となると、怪異絡みなのは確定って事でしょうか」
『……なるほど。それはワタシには秘密にして行きそうだね。納得はしがたいけどさ』
「まあ、今はそれを言っても仕方ないですけど」
『うん。帰ってきたらとことん問い詰めさせてもらうよ。で、杏奈ちゃん? 君が連絡してきたのは、それを伝える為だけって訳じゃないんだろう?』
「……はい」
気になる事がある。
そう、あの時市ヶ谷さんが言っていた事……無理を言って教えて貰ったのだ。
話を広める事には若干の申し訳なさがあるけれど、こちらも身の安全に関わる事、できる限りの事はしておきたい。
だからこそ私は、その内容を先輩に伝えていた。
「私たちの旅行先、熱海で失踪事件が起きているそうです。ただの失踪事件ならまだいいけれど……」
『コースケに話が来たって事は、怪異絡みである可能性が高いって訳だね』
「……あの人、その業界じゃ有名とかそういうのがあるんですか?」
『怪異の専門家なんてそうそういないよ。あったとしても、結構な危険手当を要求される場合が多い。それを、普通に探偵に頼むのと同じような値段でやってくれるのなんて、コースケぐらいなものだよ』
呆れているようであり、同時にどこか誇らしげな様子で語る先輩に、私は胸中で小さく苦笑をこぼす。
普段はあれだけど、市ヶ谷さんが絡んだこの人は結構分かりやすい性格をしているようだった。
と、まあそれはともかくとして――
「それで、どうですか、先輩」
『ふむ、失踪ね……一応調べてみるけど、コースケは他に何か言ってなかった?』
「ええと、失踪したのは一人じゃないとか、一人だったら心当たりがあったとか……」
『一人じゃない、か。コースケの言いたい事は何となくわかる。資料を渡したし、杏奈ちゃんも多少は分かってるでしょ?』
「……あれ、ですね?」
――ヒサルキ。
正体不明、伝わっている話の中ですら、全くと言っていいほどその正体が掴めない。
テリア先輩をして、厄介と言わしめた謎の怪異だ。
『ヒサルキの逸話にはいくつかの共通項がある。動物を殺す、通常では目に見えない……全くと言っていいほど全容が掴めないのは厄介極まりないよ。
けれど、その話の中には、女性が失踪するという内容のものがある。その女性自身の体験談も合わせてね。
だからこそ、一人だけ失踪したというのなら、ヒサルキの可能性もあっただろう』
「けれど、失踪したのは一人じゃなかった……」
『故に、ヒサルキの可能性は薄い。それはワタシも保証しよう。けれどコースケが呼ばれた以上、その失踪事件に何らかの不審な点があった可能性は高いよ』
「……」
警戒に視線を細め、私は思わず口を噤む。
自分でも考えていた事ではあるけれど、改めて言われるとやはり警戒せざるを得ないものだ。
事件のあった場所が離れているとはいえ、ここ最近の事を考えると、やはり警戒してしまう。
『まあとにかく、こちらでも一応調べておく事にするよ。何か分かったら連絡するから』
「はい、ありがとうございます」
『うん、お礼はおっぱいでね。あ、姫乃ちゃんのでも――』
ぶちりと通話を切る。
ちょっとでも尊敬しそうになった私がバカだった。
まあ、今のは私の気を和ませようとしたのだろうけれど、ぶっちゃけフォローになってるかと聞かれれば微妙だ。
気を張りすぎても良くないというのは確かにそうだろうけれども、それは全く緊張感が無い方がいいという事ではない。
適度に緊張感を保ちつつ、いい精神的なバランスを保つこと……それが重要だろう。
「さて、と」
携帯を見下ろし、電話帳を開いて……嶋谷の番号を呼び出す。
電話帳なんかが無くても、諳んじる事の出来るその番号。それを見つめて、私は小さく嘆息を零していた。
「……あいつを、無駄に心配させるのも良くないか」
言い訳だ、と――私は胸中で自嘲する。
そんな言葉は、下らない言い訳でしかない。分かっているけれど、それでも今は、あいつの言葉は聞きたくなかった。
私は、ヒメの事だって大好きだから。
でも、私はまだ、自分自身と決着をつける事が出来ていないから――だから、賢司。
「今は、教えない」
ずっと昔、まだ何も考えずに遊ぶ事ができていた頃の呼び方を思い出して、私は苦笑をこぼしていたのだった。
まあそれでも、緊急時になれば私だって折り合いをつけられるだろう。
今はまだ懸念の段階。どんな怪異がいるのか、そもそも本当に怪異なのか、そして私たちがそれに関わる可能性があるのか。
ヒメの性質を考えると、それが怪異だった場合には向こうから近づいてくる可能性が高いけれども、その辺はまだ何とも言えない。
全て可能性の段階だ。対策するに越した事はないけれど、今は情報が少なすぎる。
「……テレビで何かやってないかしらね」
パチンと携帯を閉じ、私は部屋の方に戻ろうと振り返る。
――そこに、トーテムポールがあった。
「……ちょっと、あんたたち」
「あ、あはは」
「わ、私は聞いちゃ悪いって言ったんだよ!?」
「えー、でも皆気になってたんじゃない。杏奈に男でもいるんじゃないかとか」
「なるほど、元凶は深琴ね」
扉の陰から三段重ねになって私の事を観察していた班のメンバーたちに半眼を向ける。
その視線から逃れるようにそそくさと部屋の中に戻っていく彼女たちに、私は深々と嘆息を零していた。
まあ、別に知られたからどうだという話ではないのだけれど……失踪事件の事に関しては確実に聞かれたでしょうね。
面倒だけど、仕方ない。
「ねえ、杏奈ちゃん、さっきの電話の相手って……」
「想像してる通り、テリア先輩よ。ちょっと気になった事があったからね」
部屋の中で待っていたヒメの言葉に、私は肩を竦めながら頷く。
ここまで来たら隠したところで意味はない。ただ、問題が一つ。
「……」
「ん? 何、杏奈? あたしの事じっと見て」
深琴の扱いをどうするか、それが非常に難しい。
梓はこの間の件もあって、怪異調査部の事も、怪異に対する知識もそれなりにある。
けれど、彼女はそうではない。私たちとの関わりは、ヒメを通じてのものだ。
いくらヒメでも、多少の付き合いがある程度の相手に怪異の事は話さないだろう。その程度の危機管理はできている。
「……まあ、多少は話しとくか」
怪異の事はともかく、失踪事件の事に関しては言っておいてもさほど問題はない。
さっきの電話を聞いていたとしても、気になる話は失踪の事ぐらいだろうから。
それに、それぐらいならヒメにも話しておきたい所ではあった。
まともに内容を話せるとしたら梓ぐらいだけど、それも可哀そうだ。
梓はこの間の件で性格が変わるほどのショックを受けているのだし、これ以上怪異に関わらせるのは忍びない。
「さっきのは、知り合いの先輩よ。来る途中のパーキングエリアでその人の知り合いを見かけたから、それに関してちょっとね」
「あ、そういえば何か男の人と喋ってたわよね。あの人?」
「見てたのか……」
抜け目がないわね……ちょっと離れてたから、気づかれないと思ってたのだけど。
まあ別に、恥じる事がある訳じゃないのだし、堂々としていればいい。
そして私の言葉に、ヒメは意外そうな表情で目を見開き、若干唇をとがらせて声を上げた。
「市ヶ谷さんがいたの? それなら教えてくれればよかったのに」
「あのタイミングじゃ挨拶もできなかったでしょうに。あんまり気にする事じゃないわよ、葵ちゃんを連れてた訳でもないし。帰った時にでも挨拶に行けばいいでしょ?」
「うーん、そうなんだけど……」
ヒメの感覚ではともかく、あの人はあくまでも、友達の親戚でしかないのだ。
多少仲がいいという程度、知り合いというカテゴリの中でしかない。
さすがに、そこまで無駄に親しく接せられたら、向こうとしても戸惑ってしまうだろう。
私は小さく嘆息を零し、改めて深琴の方に向き直ってから声を上げた。
「で、その人に挨拶した時に、ちょっとこの辺りで起きてる事件の事を聞いたのよ」
「この辺りって……この熱海で? あのパーキングの周辺じゃなくて?」
「熱海の方よ。パーキングの辺りだったらいちいち気にするほどの事でもないでしょうに」
向こうの方の話だったらどれだけ良かったか。
まあ、今更そんなことを言っても仕方ないから、気にしないようにしておくけれど。
「で、まあとにかく……この辺りで失踪事件が起きたって話なのよ。言っとくけど詳しい事は知らないし、聞かれても答えられないわよ。で、それに関して先輩に調べてもらおうと思っただけ」
「へぇ……テレビで何かやってないかな?」
「うーん……話題になるレベルの話だったら、ニュースで何かやってるんじゃないかな?」
一応、この部屋には小さいながらもテレビがある。
とはいえ、所詮は地方の一事件。それが話題になっているかどうかは微妙な所だ。
どっちかと言えば、深琴は単に暇だからテレビを見てみたかっただけなのだろう。
そこまで強い興味を引かれなかった事に安堵して、私はベッドに腰を下ろす。
今の所、やれるだけの事はやっている。後は、今後の展開次第だ。
――それでも、どこか漠然とした不安だけは、拭えないままだった。




