51:再会と予感
「ん、んー……ハァ、肩凝るわ」
高速道路に乗ってからしばらく、トイレ休憩に立ち寄ったパーキングエリアで、私は花を詰みがてら大きく背を伸ばしていた。
友人達と一緒の旅行と言うのは楽しいけれど、やっぱり狭い所に長い間詰め込まれていれば疲れてしまう。
身体を大きく捻ってぽきぽきと固まった部分をほぐしながら、ついでに周囲の視線を窺い、私は荷物の中から一冊の日記帳を取り出した。
この子も、あんまり狭い所に押し込んでばかりじゃ可哀想だしね。
「やっほ、杏奈。旅行に来た気分はどう?」
『うん、楽しいよ。出来れば、乗り物の中でも私を出しておいて欲しかったけど』
「高速道路じゃ、周りは高い壁で周りの景色なんてそうそう見れないわよ」
器用なんだか何なんだか、日記の杏奈のイラストは、私の言葉にどこか苦笑するような姿を発生させる。
周りの様子を伺えるようになった日記の杏奈は、時々こうしてカバンの中から出して欲しいと言うようになった。
まあ、今までは周囲の状況なんてまるで分からなかったのだし、その思いも分からなくは無い。
けれど、書き込む様子も無いのに日記帳なんか出していたら、突っ込まれた時にどう対処すればいいのかが分からないのだ。
名前が同じ分、私の私物だと誰も疑わないだろうし。
「まあ、向こうに着いたら時々こうして出しておくわよ。日記に書き込む振りとかして」
『ありがとう、杏奈。私も楽しみだよ』
「その代わり、誰かが勝手に覗いてきたりしても、喋っちゃだめだからね?」
『うん、分かってるよ。今なら誰が見ているのかもすぐに分かるし、気をつけていれば大丈夫だと思う』
確かに、昔のこの子だったら、誰かが書き込むまで相手の存在を認知する事は出来なかった。
それに、書き込んだとしても相手が誰なのかの判別をする事が難しかっただろう。
まあ、流石に人の日記帳に勝手に書き込んでくるような奴はいないだろうけれども。
それでも、何も書いてない日記なんてそれはそれで不自然だろうけども。
誰にも見られないようにしたい、けれどもこの子の為にも多少は外に出してあげたい。
何とも難しい状況だ。
『ねえ杏奈、熱海って一体どんな所なの? どんなものがあるの?』
「ん? んー、私もそんなに詳しい訳じゃないんだけど」
バスの座席の前の部分にはさんである栞の内容を少しばかり思い返す。
あそこには、今後の予定やら何やらが色々と書いてあるのだ。
まあ、研修は班ごとにそれぞれ別の事をする筈だから、全部が全部を回る訳じゃないのだけれども。
「一応リゾート地だから、やっぱり海よね。まあ、この時期じゃ海に入るのは無理でしょうけど」
『夏に来れればよかったのにね』
「遊びじゃないって事なんでしょ? で、えっと……神社とかいろいろあって、それからちょっと離れた所に島があって……他にも港では海釣り施設があったりとかするらしいわ」
『面白そうだなぁ……杏奈は何をやるの?』
「うちの班は釣りよ。正直、島に行く方が面白そうだったんだけどね……」
流石にそっちは人気が集中していて、抽選を逃してしまった。
今でもまだ惜しいと思ってしまう辺り、私も何だかんだで楽しみにしていたのだろう。
まあ、別に遊びに行く訳じゃないんだろうけれど。
『杏奈って、釣りをした事あるの?』
「無いわよ。ただまあ、食事の時にそれをぽろっと零したら、いづなさんが喜々として色々調べて資料を渡してきたけど」
おかげで、アマチュアの釣り人でも知らなそうな無駄知識を色々と覚えてしまった。
律儀にそれを全部読んでる私も私だとは思うけど。
「んー……杏奈は釣りなんか見てても暇かしら?」
『ううん、そんな事無いよ。何十年も動けなかったし何も見えなかったんだから、周りが発展してるのを見るだけでも凄く面白い。海だって、全然見てなかったんだから』
「……そっか。それじゃ、折角の旅行なんだし、目一杯楽しもう」
『うん、そうだね』
杏奈のイラストは、どこか嬉しそうな微笑を浮かべる。
この子の過去は凄惨で、ずっとずっと辛い思いをしてきた……だからこそ、出来る限りの事はしてあげたい。
けれど、下手に突っ込む事だってできないから、私はただただ見守るようにしてきた。
今こうして明るく振舞っている杏奈は、その裏側にどれだけのものを積み重ねてきたのか、私には想像もできないから。
だから、私はこの子に優しくしてあげたいのだ。
「さて、それじゃあそろそろ戻ろうか」
『集合時間まではまだ少しあるんじゃないの?』
「まあ、そうなんだけどね。杏奈はもうちょっと見て回りたい?」
『ううん、大丈夫だよ。それじゃ……あれ?』
「ん? どうしたの?」
杏奈が唐突に発した疑問符に、私も思わず首を傾げる。
何か発見したとでも言うのだろうか。
『うん、あそこ……杏奈から見て右の前辺りかな。あそこにいるの、市ヶ谷さんだと思うんだけど』
「え……?」
杏奈の視界は、普通の人間よりもかなり広い。
その為、普通なら見えなさそうな位置の事も把握していたりするのだけれど……それ以上に、私は杏奈のその言葉に驚きを隠せずにいた。
何故なら、その言葉にしたがって向けた視線の先には、実際に件の人物――市ヶ谷浩介その人の姿があったからだ。
彼はいつも通りのベージュのコート姿で、売店の中で買ってきたらしいホットドッグに齧り付いている。
「嘘……何であの人がこんな所に?」
『葵ちゃんの姿は無いみたいだね……どうしたんだろう?』
「んー……」
眉根を寄せながら、私は一度時間を確認する。
一応、集合時間まではまだ十分ほどの猶予があった。
これなら、多少話すぐらいなら問題ないだろう。
あの人は特に怪異と深い関わりのある人物だから、何かの時に役立つ話を聞けるかもしれない。
少しの間話をする事を決意して、私は日記帳を手に持ったまま市ヶ谷さんのほうへと近付いていった。
「こんにちは、市ヶ谷さん」
「え……か、神代さんか? 何でこんな所に?」
「私は学校行事の研修旅行で来ました。ほら、あのバス」
後ろ手に示した観光バスに、市ヶ谷さんは驚いたように目を見開きながらも、納得して頷いてくれた。
どうやら、本当に偶然だったらしい。まあ、それはそれでいいだろう。
もしも何らかの理由で私達のことを追いかけてきたとかだったら、かなり面倒な事態になる可能性が高いし。
「それで、市ヶ谷さんはここで何を?」
「俺か? 俺の職業が探偵だっていうのは話をしたよな?」
職業って言うか何と言うか、アレは半ば趣味の領域のような気はしたけれども。
でもまあ、本人がそう言っている訳だし、無理に訂正しても意味は無いから流しておく。
って言うか、そこまで時間を無駄遣いしている暇が無い。
まあ、そんな微妙な事を考えている私の様子には気付かず、市ヶ谷さんは話を続けていたのだけれど。
「今回は少々離れた所から依頼があってね。その移動中だったって訳だ」
「……もしかして、行き先熱海じゃないですよね?」
「ん? その通りだが……どうして知っているんだ?」
本気で聞いた訳じゃなかったんだけど、嫌な予感が的中してしまった。
いやまあ、この人に来た依頼だからといって、何も怪異に関連した話と決まった訳じゃ……いやでも、態々そんな離れた場所の人が依頼に来るんだから、そういう話なのかもしれない。
「……私達の行き先も、熱海なんです。市ヶ谷さん、貴方は嶋谷やテリア先輩からヒメ……篠澤姫乃の事、話を聞いてますか?」
「ああ、一応な。それで警戒しているのか?」
「有り体に言えば、そういう事です」
話したのは嶋谷か、それとも先輩か。どっちかは分からないけれど、これに関しては好都合だ。
嶋谷が信用している人で、更に怪異に関する知識も深い。
あんまり広く知られたいとは思えない内容ではあるけれど、この人の助けが得られるのであれば心強い。
そして私のそんな内心も理解してくれたのか、市ヶ谷さんは真剣な表情で頷いてくれた。
「君の懸念や警戒は尤もだ。こうも同じタイミングで来られると、俺としても警戒せざるを得ない」
「それじゃあ、今回の怪異は……?」
「いや、それは流石に早計だ。と言うより、俺が関わる事=全て怪異みたいな認識になってないか?」
「違うんですか?」
この人がわざわざ遠出する理由なんてそれぐらいしか思い浮かばない。
先輩曰く正義の味方で、しかも先輩以上に怪異と関わりが深い存在なのだから。
そんな私の言葉に、市ヶ谷さんは若干頬を引き攣らせながら視線を逸らした。
「いやまあ、それは間違いだと言いたい……今回はその通りだけど」
「やっぱり」
「うん、まあ、うん。仕方ないんだよ。察してくれ」
「別に悪いとは言いませんよ。市ヶ谷さんだって仕事なんですし」
単純に、ヒメの体質――と言っていいのかどうかは微妙だけど――に引き寄せられただけなのだろうし。
誰かに責任がある訳でも、だれが悪かったという訳でもない。
あえて言うなら、運が悪かっただけだ。
私の言葉を聞き、市ヶ谷さんは小さく嘆息をこぼす。その中には、どこか諦めのようなものが混じっていた。
「まあ、仕方ないといえば仕方ないか。とはいえ、今回は全部が全部怪異絡みとは限らないんだけどね」
「そうなんですか?」
「ああ……一応守秘義務があるから詳しくは話せないぞ。君たちの立場も考えて、多少は伝えるが」
「……いえ、ありがとうございます」
そういう事なら無理には聞けない。
っていうか、多少なりとも情報をくれるだけありがたい。
一体何があったのか……それを知る事ができるだけでも、スタートダッシュを切れると思うのだ。
「今回、俺に入ってきた依頼は、失踪した人間の捜索だ」
「失踪……?」
「ああ。依頼はそのうちの一人の関係者だが、実際に失踪した人間はそれなりにいるようだ。とはいえ、全国レベルの騒ぎにならない程度には内輪の話のようだけど」
「判断し辛いですね」
依頼者に怪異に関する知識があるのかないのか。
それが分かっている上で依頼者は市ヶ谷さんに依頼を持ちかけたのか。
あるいは、誰かが紹介する形で市ヶ谷さんに話を持ってきたのか。
どちらなのかは分からないけれど、さすがにその辺を深く聞く訳にはいかないだろう。
市ヶ谷さんも仕事なのだ。
「失踪した人間が一人だけだったら、俺にも心当たりはあった。けれど、今回のそれは集団失踪だ。少なくとも、俺が思い浮かべた怪異ではないと思う」
「それで、実際に行って調べようと?」
「まあ、そういう事だ。済まないが、これ以上は――」
「あ、はい。分かってます」
失踪事件。そんなものが起きていると聞けただけでも収穫だろう。
それが分かっているだけでも、多少は警戒しやすくなる。
とはいえ――
「あー……せめてどんな状況で失踪したか教えて貰えると助かります」
「む、そうだな。どこで警戒すればいいか、分かったほうが楽だからな」
まあ、そういう事だ。
四六時中気を張っていたら倒れてしまう。どこで、どんなタイミングで警戒すればいいのか、それだけは知っておきたかった。
私の言葉を聞いて、市ヶ谷さんは懐からメモ帳を取り出す。
それをぱらぱらと捲り、必要そうな情報を見つけてくれた。
「どうやら、山の方のようだな。その辺りからも、俺の思う怪異からは外れている。これは、結構苦労しそうだな」
「山の方、ですか」
「行く予定が?」
「いえ、それはないです。少し安心しました」
少なくとも、私たちの班がそちらに回る事はない。
他の班が行く用事はあったと思うので、それは多少心配だけど、少なくともヒメが巻き込まれる事はなさそうだ。
そういう場所にヒメが行くと、高い確率で怪異が起こりそうだし。
「とはいえ、あまり気を抜くべきではないと思うぞ?」
「それは分かってます。私だって、好き好んで怪異に巻き込まれたいとは思いませんから」
「ああ、それならいい。もし何かあったら、俺に連絡をしてくれ」
そういって、市ヶ谷さんは私に名刺を渡してくれた。
職業は『私立探偵』。確かにそうなんだけど、なんか微妙に疑問を覚えてしまうのはなぜだろうか。
さすがに、それを口に出して突っ込むような真似はしなかったけれど。
「では、俺はそろそろ出発するよ。君も気を付けて」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
私が深々と頭を下げると、市ヶ谷さんはひらひらと手を振って、自分の車に乗り込んでいった。
っていうか、この人車なんか持ってたのかしら。
あの喫茶店には車なんてなかったと思うし……多分レンタカーか何かなんだろう。
そう納得し、走り去ってゆく市ヶ谷さんの車を見送る。
「さて、と」
手の中の名刺をもう一度見つめ――そして、それを財布の中に入れる。
いざというときに相談できる相手をもう一人手に入れることができた。
後は、異界に引っ張り込まれて連絡できないなんて事がないことを祈るだけだ。
「……つくづく、厄介なものを相手してるわよねぇ、私たちって」
思わずそう嘆息しながら、私は自分たちのバスへと戻っていったのだった。




