50:出発
「それじゃ、行ってきまーす」
「お土産頼んだよー、姉ちゃん」
「はいはい」
いつも通りの様子の誠也に手を振って、荷物を背負った私は廊下を進む。
時間的には、普段学校に行くときよりも若干早い。
そしていつもとは違い、私服での登校が許されていた。
別に制服のデザインが嫌いという訳ではないけれど、やっぱり私服のほうが幾分気が楽だ。
「それじゃあ誠也、私がいない間、ちゃんと境内の掃除しとくのよ?」
「はいはい、分かってるって」
多分やる気は無いだろうなぁ、などと思いつつ、私は深々と嘆息する。
まあ、その時はお兄ちゃんが焚きつけてくれるだろうから、あんまり心配はしていないのだけど。
今日は流石に、ヒメやトモもうちには来ていない。
これから旅行に行くというのに、行く前から疲れてしまっては大変だろう。
その為なのか、今日は桜さんやいづなさんの姿は無かった。
まあ、お兄ちゃんはいつも通り顔を出してくれたわけなのだけれど。
「……準備はいいのか、杏奈」
「昨日も言ってたでしょ。大丈夫、ちゃんと荷物はチェックしたから」
見送りのためか、玄関に立っていたお兄ちゃんが、私にそう声をかける。
いつまでたっても心配性なその姿に、私は思わず苦笑を零していた。
必要なものその他に加え、いづなさんが何処からか買ってきたボードゲームと、先輩から受け取った資料もちゃんと持っている。
まあ、ボードゲームが必要かどうかはともかくとして、要る物はちゃんと揃っている。
ちなみにやたらと私の事を心配する桜さんが、あの短剣を私に持たせようとしていたけど、あんな物どう隠し持てばいいのか分からなかったから断念している。
って言うか、怪異と戦うような事になる事態なんて極力避けたいし。
「じゃ、行ってくるわね、お兄ちゃん」
「石段の下までは送ろう。あの階段をこの荷物を持って下りるのは大変だろう」
「んー……ま、そうね。それじゃ、お願い」
今の私の持物は、キャリーバッグが一つとナップザックが一つ。
重たい荷物をいつまでも背負って持ち歩きたくはなかったし、必要なものだけナップザックに移して動いていた方が便利だ。
まあ、その分キャリーバッグの中身は重たい訳なのだけれど。
いくらあの石段を使い慣れている私と言えど、こんな大荷物を持ったまま通るのは大変だ。
お兄ちゃんにそこまで世話になるのはちょっと恥ずかしかったけれど、それでもその大変さを避けられるのならばお願いしたい所だったのである。
「ああ、任された。では、行くか」
私の言葉に、お兄ちゃんは若干微笑みながら頷く。
そして結構な重さがあるであろう私の荷物を片手で軽々と持ち上げると、そのまま戸を開いて出発した。
境内は石が敷き詰められている場所があるから、キャリーバッグは少々運び辛いのだ。
そしてそこを抜ければ石段はすぐそこ。それだけの為にとっての部分を延ばすのも面倒なのか、お兄ちゃんはそのままキャリーバッグを転がす事無く石段へと向かってしまった。
何となく、私にいい所を見せようとしている気がして、苦笑を零してしまう。
「ありがと、お兄ちゃん」
「気にするな、大した手間と言う訳ではない」
こんな当たり前のやり取りも、何だか楽しく感じてしまう。
お兄ちゃんが失踪していた時期の事を考えてしまうからか……日常というものの大切さは、これでもかと言うほど味わったのだ。
だから、当たり前の事を幸福として認識できる。
それは凄く大切な事なのだと、この話をしたフリズさんが言っていた。
「お兄ちゃん、それ重くないの?」
「問題ない、気にするな。刀の方が幾分か重いだろうな」
「あー、あれ」
確かに、あの2メートル近い巨大な刀と比べれば、こっちの方が軽いだろう。
いくら三日分の荷物とは言え、所詮は女の子の荷物なのだ。
そんな極端な重さにはなりようが無い。
って言うか、お兄ちゃんはアレを振り回せるって聞いたけど、一体どうしたらあんなものを扱えると言うのか。
「……ま、気にしてても仕方ないんだろうけど」
「どうかしたか、杏奈?」
「ううん、何でもない」
荷物を持ったまま、いつもと変わらぬ軽々とした歩調で石段を降りてゆくお兄ちゃん。
きっと、今私がつまずいたとしても、助けられるだけの余裕を残しているのだろう。
相変わらず常識外れな力だけど、それだけに頼もしく感じるものだ。
横目にちらりとお兄ちゃんの姿を観察し、そしてその視線を石段の先へと向ける。
そこには、既に見慣れた姿が存在していた。
「あ、ヒメー!」
「杏奈ちゃん! おはよう!」
「おはよー、ヒメ。ゴメン、待たせちゃった?」
「大丈夫だよ、今来た所だから」
何やらデートのお約束みたいな言葉を交わしながら、私はヒメに声をかける。
私の声に気付いたヒメは、いつも通り満面の笑みを浮かべながら私を出迎えてくれた。
そして、隣に立つお兄ちゃんに対して、深々と頭を下げる。
「おはようございます、誠人さん」
「ああ、おはよう。元気そうで何よりだ。体調管理はしっかりしているようだな」
「折角の旅行ですから。体調悪いなんて事になったら、つまらないですし」
お兄ちゃんの言葉に対し、ヒメは笑顔のままにそう返す。
まあ、ヒメも武術をやっている身なのだ、体調管理ぐらいはお手の物だろう。
少なくとも私は、こういう大切な日にヒメが体調を崩している所は見た事が無かった。
お兄ちゃんも安心したのか、表情を緩めて続ける。
「それは何よりだ……っと、あまり話している時間も無いか。それでは、数日の間だが、杏奈の事を頼んだぞ」
「はいっ、任せて下さい!」
「どっちかっていうと私がヒメの世話をするような気が」
「って、杏奈ちゃん!?」
何やらショックを受けた様子のヒメに、私もクスクスと笑いを零す。
とは言え、私としてはあんまり冗談って言うわけでも無いのだけれど。
先輩や嶋谷達がいない所へ、ヒメと一緒に行くのだ。
もしも厄介事に巻き込まれれば、今回は私達の力だけで何とかしなければならない。
そんなとき、ヒメの支えになれるのは私だけだ。だから、頑張らないと。
「まあ、互いが互いを助けられる事がベストだろう。二人とも、怪我などに気をつけて行ってこい」
「心配性なんだから、お兄ちゃんってば」
「ありがとうございます、誠人さん」
何やら心の中を読まれたような事を言われて、私は思わずどきりとしてしまう。
けれど、お兄ちゃんにそんな他意はないだろう。
純粋に私達の事を心配してくれているだけだ。
「っと、あまり引き止めていては遅刻してしまうか。それじゃあ二人とも、しつこいようだが気をつけてな」
「はーい。それじゃ、行ってきます」
「行ってきます」
お兄ちゃんからキャリーバッグを受け取り、軽く手を振りながら歩き出す。
お兄ちゃんも私達に手を振り返し、私達はお兄ちゃんに見送られながらいつもの通学路へと向かっていった。
いつもよりも若干早い時間、そして普段とは違い私服であることに何となく違和感を覚えて、苦笑してしまう。
と、そんな声を聞かれてしまったのか、ヒメが疑問符を浮かべながら私に声をかけてきた。
「どうしたの、杏奈ちゃん?」
「ん、いや、何か変な気分だなって」
「そうかな、私は楽しみでうきうきしてるよ?」
「それも分からないでもないけどね……」
ただ、どっちかと言えば今回の研修旅行は勉強と言う面が強いから、楽しみと言う感覚は薄れてしまっている気がする。
もう少し自由に行動できる時間が増えれば、私としてももうちょっと楽しめると思うのだけれども。
レポートと言うか、行く先々に関するクイズみたいなのも出てるのよね……それは流石に、ちょっと面倒だ。
しかしそんな私の様子が気に入らないのか、ヒメは若干むっとした表情で返してきた。
「もう、これから折角旅行なんだから、もっと楽しそうにしないと!」
「はいはい、楽しみだってば」
「全然楽しそうに聞こえないよ!?」
「気のせい気のせい」
ヒラヒラと手を振りつつ、私は苦笑する。
ヒメは納得しきれていないようだったけれど、それでもそれ以上の追求はしてこなかった。
このまま引き摺られても面倒だから、それは別にいいんだけど。
今回の研修旅行はバスで移動するため、集合場所は学校の中というわけではない。
学校に近く、そして高速道路に向かいやすい位置と言う事なのだろう、学校からは若干離れた場所が集合場所となっていた。
その為、通学路を逸れてしまえば、周りに見えるのはもう私達と同じ目的を持つ人ばかりだった。
そしてそんな中に、見知った姿を見つけて声をかける。
「あ。おーい、梓!」
「あっ、梓ちゃん! それに相場君!」
私達の前を歩いていたのは、梓と相場の二人だった。
何やら朝っぱらから仲の良さそうな――要するに痴話喧嘩だ――二人の様子に、私とヒメは思わず苦笑する。
そして対する二人はといえば、見られたくなかった所を見られたような、どこか気まずげな表情で振り返った。
「お、おはよう杏奈ちゃん、ヒメちゃん」
「よ、よぉ、二人とも」
「おはよう、梓、相場」
「おはよー、今日も元気そうだね」
ヒメの何気ない言葉に、二人の肩がピクリと跳ねる。
ヒメとしては、純粋に朝から元気そうで何よりだと言っているんだろうけれど、今のは下手をすれば皮肉に聞こえかねない。
……まあ、ヒメを知っていればそんな解釈をする事はありえないのだけれど。
そして梓もその辺はしっかりと理解していたのか、小さく嘆息を零して、何とかいつも通りの調子を取り戻した。
「……はぁ。まあ、体調良さそうで安心したよ。あの後しばらく調子悪そうだったし」
「あはは。いい加減いつまでもぐだってられないしね」
「私は体調管理得意だから、その辺は大丈夫だよ」
「えっ、生理って得意ならタイミングずらせ――ぐぼはぁっ!?」
妙な事を口走ろうとした相場の両脇腹に、私の爪先と梓の拳が突き刺さる。
堪らずうずくまるセクハラ野郎に冷え切った視線を落としながら、私と梓は声をあげた。
「相場、今のはデリカシーが無いってレベルじゃないわよ……」
「流石に仲良くても弁護できないなぁ……するつもりも無いけど」
「ちょ、ちょっと待て……神代、お前の蹴りマジで痛い……」
そりゃ痛くするように蹴ったんだから当たり前だ。
ただのツッコミだったら尻に足の甲でやってる。
日頃長い石段で鍛えられた足腰を甘く見ないで貰いたいわね。
まあ、悶絶している相場にこれ以上追い打ちをするつもりは流石になかったけど。
一応、悪気は無いんだろう。あったらこんなもんじゃ済まさないが。
と――相場を置いて行こうかどうか悩んでいる所に、ふと後ろから声がかかった。
「おーい、杏奈ー、ヒメちゃーん。お、梓ちゃんに相場もいる」
「おはよう、神代さん、篠澤さん、笹原さん、相場君」
後ろからやってきたのは、私の班の残る二人、件の水泳部コンビだ。
あの話から一度皆で話し合いをして、多少中は深めている。特に女子四人では、皆で名前で呼び合う程度には仲良くなれた。
そんな二人も流石に朝っぱらから競争してくるほどではなかったのか、落ち着いた様子でこちらへと向かってきている。
そしてそんな二人が辿り着く頃には相場も復活し、この場に班のメンバーが揃う事となった。
「六人勢ぞろい、欠員は無しと……良かったですね、篠澤さん」
「うん、ありがとう大河内君」
「それじゃあ班長、名簿にチェックして先生に持って行ってー」
「……今更だけど、何で私が班長なのか」
深琴の言葉に、私は肩を竦めて嘆息する。
一度話し合った結果、何だかんだで私が班長を務める事になってしまったのだ。
正直、そういう面倒ごとはあんまり好きじゃないんだけど。
まあともあれ……私達6班は、一人も欠ける事無く集合となった。
「まあ、今更と言えば今更か。さて、それじゃあさっさと行っちゃいましょうか」
移動に使う旅行バスは、既に目と鼻の先。
後は、乗るバスの担当教員に、全員が揃っている事を伝えるだけだ。
何だかんだで楽しみな気分になりながら、私は班を率いてバスへと向かっていったのだった。




