48:残る二人
白海……正式名称は白海大学付属中学高等学校。
この学校、割と最近できた学校で、校舎もそれなりに真新しい。
しかも何年か置きに新しい棟が建てられているものだから、その度に最新設備が整った校舎が出来る。
現在ある棟の中では、実は中学棟が一番新しい。昔ここには高校しかなかったのだ。
おかげで、現在中学生の私達は、それなりに快適な学校生活を送らせて貰っている。
まあ、高校棟が悪いとは言わないんだけど。
で、そんな建物の中で、二番目に新しい場所と言えば――
「……ヒメ、何でここ?」
「ん? ここにさっき言った二人がいるからだよ?」
放課後になり、先輩にちょっと遅れる旨を連絡してから向かった場所。
それは、高校棟に並ぶように建てられている温水プールだった。
ちなみに、ここには小さい体育館も併設されていて、そこにはトレーニング器具が並んでいたりする。
ああいう器具ってかなり値段が高かったと思うから、この建物は大きさこそそこまでではないものの、他の校舎と負けず劣らずのお金をかけているはずだ。
まあ、それはともかく――重要なのは、ヒメ曰くここにうちの班に入れられそうな二人組がいるとの事。
一体どんな人物なのか、私は首を傾げながらもヒメの後ろに付いて行った。
「……って、もう水泳部の部活始まってるじゃない。勝手に入っていいの?」
「うん、大丈夫だよ。いつでも見学OKって言ってたしね」
「へぇ、結構オープンな部活なのね」
部活というとどうにも剣道部のイメージが強いから、運動部は何処も厳格にやっているのかと思ってたわ。
まあ、剣道部のアレを厳格と言っていいのかどうかは微妙だったけれど。
怪異調査部の方は……色々と例外だ、アレは。
とにかく、そんな訳でおおらかな感じでやっている水泳部は、私にとってはちょっとだけ意外だった。
水泳部の人たちが使っているシャワールームや腰洗い槽、その横にある部屋を通り抜けつつ、プールサイドへ。
プール特有のむわっとした熱気と塩素の臭いにどこか高揚する気分を覚え――
『――しゃあああああああああああッ!』
「っ!?」
「あー、いつも通り元気だね、あの二人」
唐突に響いた声に私は思わずびくりと肩を跳ねさせ、ヒメはどこか苦笑混じりにしみじみと呟いていた。
どうやら、ヒメは今の奇声の正体に心当たりがあるらしい。
なにやらきな臭くなって来たとは思いつつも、私はそんなヒメに対して問いかけた。
「ねえ、何なのよ、これ?」
「あれ、杏奈ちゃん知らない? ここの二人って結構有名だと思うんだけど」
「水泳部で有名な二人組?」
何だろう、何かが引っかかる気がする。
記憶の片隅に残っている何かを捻り出そうと、首を捻りつつ思案して――ふと、プールの方から二人分の声が響いてきた。
男と女、何だか妙に楽しげで無駄に元気そうな声は、確かに私にも聞き覚えのあるものだ。
「俺の勝ちだ!」
「いいや違うわね、あたしの勝ちだって!」
「寝言は寝て言えよ、ここで寝てると溺れるぞ? 今のはどう見ても俺の勝ちだった」
「そっちだって泳いでたんだから見えるも何も無いでしょ! それにあたしの方が絶対速い!」
『――タイムは!?』
飛び込み台の部分は若干高くなっているため、私達の位置から声の主の姿を見る事はできない。
が、そこにいる奴らはどうやら随分と負けず嫌いなようだった。
全力で泳いでいたのだろうに、息が切れているにもかかわらず、互いを挑発する声に澱みは無い。
何ともまあ凄まじい肺活量である。
私が半ば呆れを交えた表情を浮かべていた頃、ようやくタイムを紙に記録していた別の水泳部員が戻ってきた。
そして、その二人に今の記録を伝える。
――結果、二人は再沸騰した。
「どうだ、俺の勝ちだっただろうが!」
「むぐ……っ、こ、コンマ02秒じゃないの! 誤差の範囲内!」
「だが記録は俺の勝利で残される事に変わりは無いな!」
「むぐぐぐぐぐっ! もう一回! もう一回勝負よ!」
……うん、何て言うかまあ、仲いいわねこの二人。
ここまで来れば、私もこの二人が誰なのか思い出し始めていた。
ちょっとだけ有名なのだ、うちの学年に妙に仲のいい男女二人組がいるということは。
別段、恋人同士という訳ではないらしいのだけど、この二人は大体いつも一緒にいる。
そして何かにつけて言い争いを始めては、同時に『勝負!』などと言い出すのだ。
けれど、決して仲が悪いと言う訳ではない……簡単に言うと、バカップルである。
ええと、確か名前は――
「深琴ちゃーん、大河内くーん」
「あれ、ヒメちゃん?」
「篠澤さん?」
そう、確か清水深琴と大河内悠斗。
ほぼ常時『犬も食わない』状態にある、水泳部の有名コンビだった。
どうやら、ヒメはそんな二人と個人的な知り合いであるらしい。
……私の知らない部分でヒメに交友関係があったのって、ちょっと意外だったわね。
清水さんと大河内の二人は、ヒメの姿を認めると、高くて上り辛いはずのプールサイドへとあっさり上がり、こちらの方へと歩いてきた。
二人とも水泳キャップを外しつつ、水に濡れた体をなにやら蛍光色の不思議なタオルで軽く拭って、ヒメへと声をかける。
「こんにちは。珍しいわね、ヒメちゃんがここに来るなんて」
「うん、今日はちょっと用事があったから……もしかして、忙しかったかな?」
「ああいや、いつも通りだから気にしなくていいって。それより、この間は世話になったわね」
「ううん、気にしなくていいよ。私が大した事をした訳じゃないから」
「……? ヒメ、この二人に何かしてあげたの?」
「あはは……筋トレのメニュー作成に、うちのコーチしてくれてる人を紹介しただけだから」
コーチというと、ヒメの家の道場の事だろうか。
剣道と水泳じゃ全く鍛え方が違うと思うんだけど、その辺りは基礎知識さえあればある程度融通が利くという事なんだろう。たぶん。
まあともあれ、それなら私が知らないのも無理はない。
ヒメの家絡みだったら、そこまで深く関わる事も無いからだ。
「で、そっちは……あー、ヒメちゃんのボディガードの!」
「いや、何その認識? ……確かにあながち間違ってないかもしれないけど」
「あははは。まあ、自己紹介ね。あたしは清水深琴。で、こっちが――」
「大河内悠斗です。よろしく」
「ええ。私は神代杏奈……まあ、ヒメとセットで知ってるかもしれないけど」
どうやら大河内は、清水さん以外には結構丁寧な対応をするらしい。
それが余計に特別扱いしている印象を持たせているのだろうけど、それに本人が気付いているのかどうか。
まあ、別にこの二人がどれだけ仲良くなろうが、周りから夫婦認定されていようが私にはそれほど関係ない。
遠くの方から幸せを願う事としよう。
清水さんは、髪は短めに切ったショートカット。
まあ、ショートボブと言うほどではないのだけれど、水泳をしている彼女らしい髪形と言えた。
すらりと身長は高く、私よりも頭半分ぐらい上。
ただその割に、胸はあんまり大きくないようだった。ぴっちりした競泳水着に押さえられている事を考慮しても、かなり細い。
大河内の方はそれなりに長身、少なくとも相場よりは身長が高いだろう。
清水さんと同じく髪は短めで、結構硬い髪をしてるのか、少し立ってしまっている。
あんまり見た目には頓着しないタイプなのだろう。
真剣に水泳に取り組んでいるのか、身体は鍛えられて見事な逆三角形。
おかげで、顔の造作も含めてかなり精悍な見た目が出来上がっている。
清水さんの事が無ければ、女子の間で話題に上がる程度には整った見た目をしているだろう。
「それで、篠澤さん。俺達に何か用ですか?」
「うん。ちょっとお願いなんだけど……あ、無理だったら別にいいんだよ?」
「先に用件を言ってよ。あたし達もヒメちゃんにお礼がしたいんだし、出来る限り協力するから」
そういって、清水さんは小さく笑う。
まあ、お願いの内容を言う前にそんな反応では、流石に困ってしまうだろう。
私は小さく苦笑して、後ろからヒメの頭を軽く小突く。
「いたっ、杏奈ちゃん?」
「さっさと言いなさいよ。あんまり遠慮してたらそっちの方が失礼でしょ」
「う、うん。えっとね、二人とも……研修旅行の班って、もう決まってる?」
「研修旅行?」
「班って……ああ、そういえば」
ヒメの言葉を聞き、清水さんと大河内は同時にきょとんとした表情を浮かべる。
何と言うか、言われてようやく思い出したような様子だ。
最近は割と話題になり始めている頃だと思ったのだけど、この二人は一体何をしていたのか。
……いや、これは愚問か。聞かないようにしよう。
「出来れば、その……私達の班の入って欲しいんだけど、どうかな?」
「俺達が、篠澤さんの班に?」
「あたし達も今思い出した所だし、そりゃあこっちにとっちゃ渡りに船だけど……でも、いいの?」
「ん?」
清水さんは、私の方へちらりと視線を向けながらそんな事を口にした。
何だろう、何で私の事を気にする必要があるのかしら?
そんな疑問符を浮かべて首を傾げていた私に対し、清水さんはとんでもない事を口にし始めた。
「ほら、二人のお邪魔をしちゃ悪いかなって。あたし、ヒメちゃんとも結構話すと思うし」
「……は? いや、それどういう意味よ?」
「え、いやほら。二人って凄く仲いいし……その、さ。実は百合カップルなんじゃないかって噂が……」
「はぁっ!?」
いや、ちょっと待って、何よそれ初耳なんだけど!?
と、思わず叫びそうになるのを何とか堪える。
今は部活中、あんまり多くの注目を集めると後で面倒な事になりそうだ。
とにかくこれ以上の注目を集めないように声を潜め、私は清水さんへと顔を寄せて声をあげた。
「事実無根、全く違う。私もヒメも普通に男が好き、そんな妙な趣味は無い。OK?」
「男好きって言うとまた違う意味になっちゃいそうだけど……うん、まあ了解」
「って言うか、どっからそんなアホな噂が流れてきたのよ……」
噂話を扱う私達に対して、噂とはまた随分と皮肉な話だ。
……いや、そんなどうしようもない噂が怪異になられても困るけど。
最近の事を考えると、あまり冗談になってないようで笑えない。
ホント、ヒメもさっさと自覚してくれればそういうバカな噂も消えるんだろうけど――
「ねえ、杏奈ちゃん」
「ん、どうかしたの、ヒメ?」
くいくいと服の裾を引っ張られ、私はヒメの方へと視線を向ける。
ヒメはそんな私に対し、どこか見覚えのあるようなきょとんとした表情で、首を傾げて見せた。
「百合って、何? カップルは分かるけど、何で花なの?」
「……あー」
いつも通り『知らないでいいから』で通そうと思い、ちょっと思考を中断させる。
何となくヒメならどんな反応を返してくれるか分かるし……それに乗るのもいいだろう。
多分、そっちの方が効果的だ。
「百合ってのは、女の子同士のカップルって事よ。文脈の上でもそういう意味だったでしょ?」
「え……あはははっ、何言ってるの杏奈ちゃん。カップルって、男の子と女の子でしかならないんだよ?」
「とまあ、こういう事だから」
「……うん、把握しました」
「ホント、今時珍しいぐらいに純朴よねぇ」
百合だの薔薇だの、その辺の事はそもそもヒメにとって常識の範囲外。
いや、むしろそういうものが存在していると言う認識すら存在しない。
ヒメにとってカップルとは、イコール男女の事なのだ。まあ、それで別にいいと思うけど。
まあとにかく、今はそんな事はどうでもいいのだ。
「で、話を元に戻すけど……そっちはまだ班が決まってないのよね?」
「ええ、そうですね。なので、俺達としても結構助かります」
「そう。それじゃあ、清水さんも決まりでいいかしら?」
「いいわ。よろしくね、神代さん」
「うん、こちらこそ」
大河内の口調って、丁寧って言うか先輩に対する口調みたいよね。
まあ、癖なんだろうしあんまり気にしない事にしておこう。
ともあれ、これで班のメンバーはゲットできた。
この面子ならヒメに変な目線を向けてくる事も無いだろうし、そっち方面は安心して研修旅行にいけそうだ。
となると、残る懸念は――
「やっぱり、話はしとかないと拙いわよね……」
「杏奈ちゃん?」
「ん、何でもない」
ヒメに対してひらひらと手を振って答えつつも、私の視線は、窓の外に見える中央棟へと向けられていたのだった。




