45:狂乱の桜樹
「行きます……ッ!」
自らに言い聞かせるかのように呟き、ヒメは駆ける。
怪異に狙われているのはヒメなのではないかと言う懸念はあったものの、今この状況では、ヒメの力を借りなければどうしようもない。
まあどちらにした所で、黒い樹の怪異は、既にヒメの事を危険な存在と認識しているようではあったけれど。
『ぁぁぁぁぁぁぁああああああッ!!』
狂乱する叫びと共に、周囲の黒い『根っこ』達が脈動を始める。
それはまるで蛇が鎌首をもたげるように、その先端を一斉にヒメへと向けた。
そのおかげなのか、どうやら背後に続く嶋谷達へと向かう『根っこ』は無いようだけど―――
「来るわよ、ヒメっ!」
「んッ!」
流石に言葉に出して返答するほどの余裕は無かったのか、ヒメは鋭い呼気と共に頷き、更に踏み込んだ。
そして、襲い掛かるのは三つの『根っこ』。
それぞれが鋭い槍のような切っ先を、私では避けることが精一杯の速度で突き出してくる。
けれど、ヒメはそれを、下段からの払いで寸断していた。
振り払われる剣閃の速度は何処までも鋭く、そしてそれに連動するかのように、ヒメの体は深く沈み込む。
「付いて、来てよっ!」
後ろへ続く嶋谷たちに声をかけ、ヒメは強く地を蹴った。
相変わらずながら、無茶苦茶すぎる動きだ。あの体重移動の間に攻撃されたら避けられないだろうに、と思う。
それでも、危なげなく動きの変換を成し遂げたヒメは、大きく踏み込んで未だ動き始めていない『根っこ』を斬り払う。
刃どころか金属製ですらない竹刀でばっさばっさと斬り捨てて行くその様は違和感だらけだったけれど、ここまで来ればもう常識なんてどこかへ放り投げている。
袈裟の一閃と共に片手を離し、身体を捻りながら体重を移動させ、素早く左足を踏み出す。
全力で攻撃を繰り出していれば流石に無理だっただろうけど、どうやら余り力を込めずとも、あの『根っこ』を斬り払う事は出来るようだった。
そしてヒメは更に奥へと踏み込み、振るう一閃で動き出す前の『根っこ』を斬り捨てる。
驚異的な戦闘能力だけれども、それでも無数の『根っこ』たちは、ヒメ一人で対応し切るのは無理があった。
「ヒメ、左斜め後ろ、来るわよ!」
「うんっ!」
ぐるりと、ヒメの身体が回る。
竹刀は大きく旋回しながら、ぴったりのタイミングで『根っこ』を迎撃していた。
きちんと目視する事もなく、よくそこまで合わせられるものだと思ったけど、ヒメの事を一々驚いていたら身が持たない。
それに、そんな事をしている暇だって無いのだ。
怪異の本体までは、およそ後5メートル。今のところ順調に進んではいる、が―――
「先輩、このままだと……」
「分かってるよ……」
そう、相手は樹なのだ。そして、攻撃を繰り返してきているのはその根である。
つまり、近付けば近づくほど相手の数は増えて、否応無しに危険度が増してゆくのだ。
このままでは、いずれ手が追いつかなくなる時が来る。
かといって、あいつを何とかするような案など、知識の少ない私には思い浮かぶはずも無かった。
あそこにいる怪異の元となったのは、例の運動部の生徒とやらの恋人だった女の子。
そして彼女は、相場の事をその男子生徒と勘違いしていると思われる。
正気なんて当に失っているのだろう。そうでなければ、よほど相場が似ていると言う事なのか。
どちらにしろ、何もしないままに向こうが相場の事を手放すとは思えない。
なら、どうすればいい?
どうしたら、あの女の子は人違いだと気付くのだろうか。
どうすれば―――
「っ……先輩!」
「待って、今思い出そうとしている所だから! ええと……!」
どうやら、先輩はあの怪異に関する情報を思い出そうとしているらしい。
流石に、突然巻き込まれたから準備が十全ではないのだろう。
これが普段ならば、一時退却して情報を集め、その後再び挑むと言う事も出来ただろう。
けれど、今ここは抜け出す事が困難な異界であり、そして今まさに崩壊しようとしている場所なのだ。
ゆっくりと対策を練るような時間など、ありはしない。
「っと、ヒメ! 今度は右手!」
「うん!」
咄嗟に感じた嫌な予感に従い、私はヒメに指示を飛ばす。
最早半ば直感に近いが、今のところ、私の感は全くと言っていいほど外れていない。
恐ろしいほどの感だったけれど、私も今はこれに感謝していた。
正直な所、私からの言葉がなければ、ヒメの対処もそろそろ限界に達しつつあるのだ。
こんなバケモノ、それこそいづなさんのような実力者でなければ、一人で対処する事など不可能なのに!
私の指示に従い、ヒメは竹刀を振るう。
襲い掛かる黒い『根っこ』達はその一閃で斬り飛ばされるけれど、やはりキリが無い。
しかも、斬られた『根っこ』達も、ゆっくりとながら再生して元の形を取り戻してゆく性質があるようだった。
このままではジリ貧だ。ヒメの体力が追いつかなくなれば、すぐにでも押し切られてしまう。
何とかしないと―――
「えっと、あの女の子の名前は、確か……月島……レイ、そう、麗佳! 月島麗佳だ! ああでも、事故にあった男子生徒の方は何だっけ……?」
「先輩、それでひきこさんの時みたく正気に戻る可能性は!?」
「アレは別の存在がひきこさんに当て嵌められていたからこそ出来た事だよ! これは月島麗佳本人としての怪異だから、自分だと言う事を再認識させたって意味が無い!」
先輩の言葉に、私はヒメから視線を外さないようにしながらも、思わず舌打ちしてしまう。
ダメだ、手詰まり過ぎる。例え先輩が男子生徒の名前を思い出したって、それが決定打になるとは限らない。
これが対処法の伝えられていない怪異の厄介さなのか。
狂乱している月島麗佳は私達の事なんてマトモに認識していないのかもしれないけど、それでも何らかの悪意を感じずにはいられなかった。
が―――そこで、予想外の場所から声が上がった。
「あの人、月島麗佳って言うんですね!?」
「え―――さ、笹原さん!?」
意外な事に、その声を上げたのは嶋谷とトモの間でゆっくりとながらあの怪異へと近付こうとしていっている笹原さんだった。
彼女が唐突にそんな事を言い出したのが不可解で、私は思わず疑問符を浮かべてしまう。
一体どうして彼女がそんな反応をしたのか。そして、一体何をするつもりなのか。
その疑問は、次なる彼女の叫びによって掻き消されていた。
「月島、麗佳……貴方の好きだった人は、そんなだらしない人だったんですか!?」
「は?」
「え?」
そんな彼女の叫びに、私と先輩は思わず疑問符を浮かべていた。
全くと言っていいほどに、予想外の言葉だったのだ。
一体、彼女は何を考えてそんな事を口にしたのか。
疑問は残る、けれど―――
『――――――』
「……動きが、鈍った……?」
私の目には、『根っこ』達がその動きを鈍らせたように見えていた。
一体どういう事なのか―――疑問に思いつつも、注意深く相手の様子を観察する。
確かに、あの怪異は男に執着しているようだった。
相場の事を自分の恋人と勘違いしているのだろうけど―――人違いだと言う事を理解させるつもりなのだろうか。けど、それでもどうやって?
そんな私の疑問に答えるかのごとく、笹原さんはどこか吹っ切れたような声音で叫ぶ。
「貴方の恋人は、そんな不良みたく髪を茶髪に染めている人でしたか!?」
『―――……』
「貴方の恋人は、必要も無いのに襟首を開いて派手な色のシャツを見せてる人でしたか!?」
『ぇ……』
「貴方の恋人は、この周囲が修羅場になっていて騒がしい状況でも暢気に涎垂らしながらぐーすか寝てるようなスカポンタンでしたかッ!?」
畳み掛けるように、笹原さんは怪異―――月島麗佳に対してそう声をかけていた。
何と言うか、相場に対しての不満みたいなものが噴出している。最早無駄とすらいえるレベルまで彼の事をこき下ろしていた。
確かにこの状況でどうして寝ていられるのかとは思うけれど、アレは強制的に意識を失わせているのかもしれないし、態々突っ込む事ではないと思っていた。
って言うか、この状況で相場が目を覚ましたとして、役に立つかと聞かれたら非常に微妙な所だ。
助け出した時に自力で歩いてくれれば楽かもしれないけど、混乱して錯乱するのがオチと言うような気がする。
けどまあ、今の笹原さんの言葉は、どちらかと言えば相場に聞かせる為に放ったものではなかっただろう。
『彼、は……』
笹原さんは、月島麗佳に認識させるつもりなのだ―――相場は、あの窓から落下し、最終的に自殺してしまった男子生徒ではないのだと。
それに伴って、周囲の『根っこ』達は動きを鈍らせている。
ヒメの方へと向かってくるのが皆無とは言わないが、それでもあの領域へ足を踏み入れた当初より、数は明らかに減ってきている。
その隙に、ヒメは一気に月島麗佳の方へと接近し―――そしてその怪異本人は、きつく抱き締めていた相場の身体を離して、その姿をまじまじと見つめていた。
そして、次の瞬間―――
『誰だ、お前はぁぁぁぁァァアアアアアアアッ!!』
―――美しいその顔が、憤怒に歪んだ。
そしてそれと共に彼女の腕が大きく振りあがり、相場の胸を貫こうと振り下ろされる―――そこに、神速の一閃が割り込んだ。
「させないッ!」
横薙ぎに振るわれる、辻祓とか言う名の一閃。
ヒメの放ったその攻撃は、振り下ろされる月島麗佳の腕を正確に捉え、彼女の腕を確実に斬り飛ばしていた。
月島麗佳は痛みを感じていないのか、腕を切断されても特に痛がるような様子はなかったけれど、それでもより一層狂乱する事には変わり無かった。
『何処ッ!? 何処ヨ、彼は何処ッ!?』
月島麗佳は髪を振り乱し、腕に抱いていた相場を取り落とす。
嶋谷達はその瞬間を見逃す事無く、確実に相場の体を掴み、手繰り寄せた。
その様を確認し、私と先輩は頷く。
「あははははっ! まさかこう来るとは、思い切るね笹原さん!」
「笑ってる場合じゃないですよ先輩……行きましょう!」
「りょーかい!」
ある意味暴挙とも呼べる笹原さんの行動に笑いを堪えられずにいた先輩へ、私は促す言葉をかける。
それに愉快そうに頷いた先輩は、私の後を追うようにして駆け出した。
目指す場所は月島麗佳の所。狂乱し、周囲を無差別に攻撃してはいるけれど、そのおかげで攻撃の密度が薄い。
これならば、私達でも何とか辿り着けそうだった。
「杏奈ちゃんっ!」
「ヒメ、皆を頼んだわよ!」
「うん!」
相場を運ぶ三人を護衛するヒメは、私の言葉に嬉しそうに頷く。
ヒメと視線を合わせて頷いた私は、すぐさま前を向き、じっと月島麗佳の姿を睨んだ。
人の姿をしている相手に、こんな事をするのは確かに気が引ける。
けれど、ここで躊躇う訳には行かなかった。
「こんな所で死ぬ訳には―――」
手に持つボトルに、桜さんから借りている刃を突き刺す。
それと共に灯油の強い臭いが立ち込め、顔を顰めるけれど、それでも止まりはしなかった。
周囲に意識を集中。襲ってくる『根っこ』共を、ほぼ直感で察知する。
最早先読みができていると言えるほどの精度にすらなっているように感じられたけれど、今は疑問に思う必要など無い。
好都合だ。攻撃が届かせられるのなら―――
「とっとと、消えろってのよッ!」
―――どんな物だって、利用してやる!
狂乱し、長い髪を頭後と振り乱す月島麗佳。
私はボトルの突き刺さったままの刃を、そんな彼女の額へと振り下ろしていた。
体重をかけて勢い良く付きたてられた刃は、まるで土に埋まるような感触でぞぶりと中へ入り込む。
肉や頭蓋の感触がなくて良かった―――そう胸中で安堵して、更に体重をかけて刃を押し込む。
突き立てているのは三叉の刃。残る二つの切っ先がボトルに突き刺さり、中の灯油が勢い良くあふれ出した。
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!?』
「ぃ―――ぐッ!?」
瞬間、デタラメに振り回された月島麗佳の腕が、私の腹に衝突する。
きちんとした動きではなかったものの、そこは怪異の尋常ならざる膂力だ。
私は成す術無く弾き飛ばされ、仰向けに地面へと転がる。
―――それでも、桜さんの刃だけは、死んでも離すつもりはなかった。
「大丈夫、杏奈ちゃん!?」
「げほっ……だい、じょうぶ……だから、早く……ッ!」
衝撃に息が詰まり、それでも何とか酸素を求めて咳き込む。
きっつい一撃貰ったものだけど、下がる手間が省けたのなら好都合だ。
残るは、先輩の仕事唯一つだけ。
桜さんの刃だからか、痛みにのた打ち回る月島麗佳。
そんな彼女の悲鳴の中、カチッ、という小さな音が私の耳に届いた。
見上げれば、そこには小さく揺らめく炎を手にスプレー缶を構える先輩の姿。
先輩はじっと怪異を睨み―――僅かながらに普段見せない感情を込め、言い放った。
「散々苦労させてくれたね……これで、終わりだよッ!」
瞬間―――オレンジに輝く炎が、薄暗い屋上の闇を切り裂き、巨大なキャンプファイヤーとなって周囲を照らし出した。
先輩の放った炎が狙い違える事無く月島麗佳に命中し、その身体を大きく燃え上がらせたのだ。
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……ッ! 何処、何処に―――』
朽木のようなその姿は余す事無く炎に包まれ、周囲の『根っこ』達まで連鎖するように燃え上がる。
こちらまでそれが届きそうになり、私は痛む腹を叱咤して立ち上がり、すぐさま後方へと撤退した。
あんな方法で灯油をぶちまけただけあって、私も少なからずそれを浴びてしまっているのだ。
正直、炎は洒落にならない。
私と先輩がヒメ達の方へと下がる中、月島麗佳―――怪異の根本は、炎の中でのた打ち回りながら、ゆっくりと崩れ落ちてゆく。
その姿に憐憫を覚えない訳では無い。それでも―――私の感覚は、既に麻痺してしまっていたようだ。
今はただ、安堵感しか噛み締める余裕はなかった。
そして―――
『ド、こ―――』
―――月島麗佳は、炎の中に燃え尽き、消滅していた。
僅かに残るオレンジの輝きのみが、その存在の証明であるかのように燻っている。
……いや、待って。アレは―――
「杏奈ちゃん、あれ!」
「太陽!? って言うか、部室!?」
月島麗佳が先ほどまでいた場所の向こう側、その空間には、まるで扉があるかのように長方形の穴が開き、その向こうにオレンジ色の夕日を覗かせていた。
そして、その夕日が照らし出す風景は、私達も見知ったもの。
間違いなく、怪異調査部の部室であった。
現実味なんてこれまでも存在しなかったが、この光景はそれに輪をかけたようなものだ。
けれど、何故だろう―――私は、あそこから帰れると直感していた。
「―――皆、走って!」
気付けば、私は皆へと向けてそう叫んでいた。
この校舎も、小さく小刻みに振動を始めている。崩壊は近いのだ。
故にもう時間が無い。帰らなければ。あそこから、元の世界へと!
そして―――私達は、オレンジに輝くその扉へと飛び込んでいったのだった。




