44:屋上の怪
「賢司君、私やっぱり……!」
「言っただろう、ヒメ! 俺達にはどうしようもない。自分の分を弁えろ! あの人自身が対応できなかったような事は、俺達には到底届かないんだ!」
切実な声音を発するヒメに、その手を引く嶋谷は叩きつけるように声を上げる。
その言葉は、確かに冷酷に取れるものなのかもしれない。
けれど、嶋谷が言っていることは紛れも無い事実なのだ。私達にはどうしようもない。
あの奈落に落ちた桜さんを引き上げる方法など、私達には存在しないのだ。
それどころか、広がり続けるあの穴に諸共落下するのが精々と言った所だろう。
己を知る、分を弁える―――それが、怪異の中で生き残るための最善なのかもしれない。
嶋谷や先輩は、それを非常に良く知っているのだろう。
「けど、屋上に行ってどうするんですか!?」
「さあ、ワタシにも分からないよ! 君の友達しか、そこにいた何者かを目撃してないんだから!」
「そ、それで大丈夫なんですか!?」
「少なくとも、他の可能性なんて思いつかないからね!」
中庭の崩壊は徐々に広がって、校庭や校舎にも影響を及ぼし始めている。
この異界の崩壊……それが、どのような結末を齎すのか、私には想像もできない。
ひきこさんの時は、穏やかに消滅していった。こんな風に、塵となって崩れ去っている訳ではない。
それ故に分からないのだ。もしあの穴に落ちたら、私達はどうなってしまうのか。
元の世界に帰れるのならば、喜んで飛び込むだろう。けれど、本当にそうなのか。
もしかしたら、何も無い虚無の世界で永遠に彷徨う事になるのではないか。
想像すればキリがないし、あんまりそういう事も考えたくないけれど、それでも考えてしまうのだ。
切羽詰っている時こそ、無駄に頭が回る。
「屋上に怪異がいたらどうするんですか!?」
「やっつけるしか無いだろうね。前情報が無いのが痛いけど、ぶっつけ本番以外に道は無い!」
私の質問に対し、先輩は半ばやけっぱちのような様子でそう返す。
流石に、この状況ではいつもの余裕も品切れのようだった。
屋上へと向かう怪談を二段飛ばしにしながら、先輩はトモへと向けて声を上げる。
「ああもう、ピッキングめんどくさい! 友紀君、ダイナミックピッキングで!」
「了解!」
「少なくともアレはピッキングとは言わん」
半眼で嶋谷が呟いた言葉に、私は内心で同意していた。
ピッキングとは名ばかりの、力任せに扉をぶち破るドロップキックだ。
屋上へ続く扉はあまりしっかりしたものと言う訳ではなく、体格のいいトモが本気でやれば容易に破壊できる程度のものでしかない。
まあ、これが普段の状況ならば文句の一つや二つも言っているだろうけれど、今は緊急事態だ。
無駄に時間をかけていれば、私達も無事では済まないだろう。ここは静観する事にする。
そしてそうこうしている内に、私達は階段の最後の一つへと差し掛かっていた。
瞬間、トモが一気に加速して階段を駆け上がる。
「うおおおおおおおッ! ダイナミックピッキングゥッ!!」
最早突っ込む気力すら起きず、私はそんなトモの背中を見送った。
最後の一段、トモは勢いよく跳躍すると、その蹴り足を扉の中心、二つの扉が重なっている部分へと叩きつける。
その衝撃によって両側の曇りガラスは爆ぜ割れ、アルミ合金製の扉はひしゃげながら吹っ飛んでいった。
相変わらず、呆れるような馬鹿力だ。
「よし! 悠長に準備してる暇は無いよ、覚悟はいい!?」
「は、はい!」
「分かりました!」
私達が頷いたのを見て、先輩も満足そうに笑みを浮かべる。
そして視線を鋭く変え、先輩は私達を率いて屋上へと飛び出していった。
この中央棟の屋上はそれなりに広く、フェンスもちゃんとしている為、普段から開放されている。
まあ、流石に休みの日とかはしっかり鍵がかかっているけれど。
ともあれ、私も何度か見た事のあるその場所には―――二人分の、人影が存在していた。
否―――
「ッ……何よ、これは……!」
これを二人と形容していいのかは、私には分からなかった。
まずそこで見えたのは、黒い『根っこ』。それも、先ほどまでの怪異たちで見かけてきたような、一本だけのものでは無い。
屋上の地面に広く張り巡らされている、黒い靄の触手。
地を這うその姿は、まさしく『根っこ』そのものであった。
そして、それが集束する先にあるものは―――
「相場君っ!?」
最初、私はそれを黒い朽木かと思った。
けれど、違う。一部ながら、それの中には肌色の部分があった。
そこにいたのは、黒い『根っこ』の根本となっている、黒い髪の少女。
長い黒髪は暗い色の制服と、更にその身に絡みつく無数の『根っこ』と相まって、全身が黒く染まっているようにすら感じられた。
そして、そんな少女の腕の中にいるのは―――目を閉じ、意識を失った相場だったのだ。
「あれが、最後の七不思議……!? いや、まさか……」
「先輩、何か知ってるんですか?」
「……予想通り、この怪異の元となっているのは、『窓の外の少年』の窓から落ちた生徒の恋人だよ。聞いていた特長と一致する。けど、この樹を模したような姿は……?」
一応、あらかじめ話は聞いていたから、その概要は多少分かっている。
七不思議が信憑性を持つようになってしまった原因。陸上部の部員が、『窓の外の少年』の舞台である中央棟四階の窓から落下してしまった事故。
その生徒は、もう走れなくなってしまった自分の足に絶望し、自殺してしまったと言う。
そしてそれを追いかけるように、その生徒と恋仲にあった女子生徒もまた、屋上から身を投げて自殺してしまった。
あの黒い『根っこ』の中心にいるのは、恐らくその女子生徒なのだろう。
けれど、この樹を模したような姿は何故生まれたのだろうか。
それに、あの怪異の目的は―――
『―――邪魔を、しないで』
「っ! 喋った!?」
「知能があるか、厄介だね……」
響いた声に、ヒメが竹刀を構えて前に出る。
そしてその後ろで、先輩は十面を作りながらあの少女を見つめていた。
その怪異はと言えば、腕の中に相場の事を抱き締めながら、私達の事を敵意の篭った目で睨んできている。
とてもじゃないが、友好的な態度とは言えなかった。
伝わってくる強烈な圧迫感に、私は思わず息を飲んで身構える。
『ようやく捕まえたの。ようやく抱き締められたのよ。置いて行かれてしまったの。ようやく取り戻せたのよ。だから邪魔をしないで。私は彼と一緒にいたいだけなのに……』
「そっちから巻き込んだくせに、随分な言い草だな」
嶋谷の言葉に、私は同調して首肯していた。
私達をこの異界に引きずり込んだのは、紛れもなくこの怪異だろう。
それにどんな目的があったのかは分からない。もしかしたら、以前の怪異のようにヒメの事を狙っていたのかもしれない。
けれど、今はそれはいい。どんな理由があったのだろうと、私達がここまで死ぬような思いをしてきたのは確かなのだ。
今頃になって『邪魔をするな』? ふざけるんじゃないわよ。
そんな事を言うのならば、さっさと私達を元の世界に帰していればよかったのだ。
その所為で、桜さんは―――
「ッ……先輩、コイツはどうすればいいんですか」
「準備出来なかったのが痛いね……それに、これだと元の怪異自体が分からない。ただ―――」
「ただ?」
「見たら分かるだろう? コイツは『樹』なんだ。植物としての性質を持っている。どんな逸話からこの姿が生まれたのかは知らないけど、植物にとっての弱点は、コイツの弱点になるかもしれない」
そう言って先輩が取り出したのは、ライターとヘアスプレーだった。
成程、それを見れば先輩がやりたい事は大体想像が付く。
けれど、それを成し遂げるには問題点がいくつかあった。
「せ、先輩!? そんな事をしたら相場君が!」
「分かってるよ! これをやるのは彼を助け出してからだ!」
「ついでに言っておくと、それだけで景気よく燃えるとは思えません。部長、燃料も用意してあるんでしょう?」
「はいはい、賢司君はいい読みしてるよ」
そう言いつつ、先輩は更に、ナップザックの中から白いペットボトル大の容器を取り出す。
ちゃぽちゃぽ言っているい辺り、どうやら中身は液状の燃料らしい。
恐らく灯油辺りだろう。そんなモノを常日頃探索装備の中に入れているのかとツッコミを入れたかったが、この人にそういうことを言っても今更にしかならない事に気付き、嘆息する。
そしてそんなボトルは、私に向けてひょいと投げ渡された。
「って、私ですか!?」
「口が小さいから、抵抗してくる相手にどばっとかけるのは無理なんだ。君が受け取った刃物で破いちゃって」
「大丈夫か、杏奈? 俺が代わるか?」
「……いい、私がやる」
先輩の言葉に面食らいはしたものの、私は嶋谷の言葉に対して否と返した。
確かに、荷が勝ちすぎているとは思う。けれど、桜さんからこれを預かったのは私なのだ。
だから、そのぐらいの仕事はやってみせる。
私だけ後ろに下がって、安穏と見ているだけのつもりなんてない。
「一番大変なのはヒメだし、アンタとトモは相場を助け出す手伝いでしょ……そっちこそ、代わってあげましょうか?」
「ははっ、それだけ言えれば大丈夫そうだな」
私達は、互いにそうやって笑い飛ばす。
もうここまで来て、いい加減神経が麻痺してきているのだろう。
命の危険だって今更と言えば今更だ。死ぬかもしれない? そんなモノは、さっきからずっとそうだった。
そんな中で、桜さんはずっと私達を護ってくれていたのだ。
それに恥じない程度には、私達だって戦わなければ。
怪異の方は、今のところブツブツと独り言を呟くばかり。
どうやら、私達の事を認識できているという訳ではないらしい。
どういう理屈なのかは知らないけれど、まだ攻撃してこないと言うのならばこちらとしても好都合だ。
笹原さんは多少焦れているみたいだけれど、今のところ冷静さを保っている。
「よし……まず姫乃ちゃん。君はどういう理屈か知らないけど、その竹刀で怪異を斬れるんだよね?」
「は、はい! 気合を入れれば、何とか!」
「じゃあ君は、あの少年を救出する露払いだ。激しい攻撃が予測されるから、気をつけて」
「はい!」
先輩が姫に命じたのは、相場を助け出す際に予測される攻撃に対処する事。
襲い掛かる『根っこ』も、ヒメならば斬り払う事が可能だろう。
無論、とんでもなく危険な事に変わりは無い。
が―――
「次、賢司君、友紀君、それに笹原さん。君達の仕事は、姫乃ちゃんが助け出したあの少年を安全圏まで引き摺り戻す事!」
「それに三人ですか?」
「気絶してる人間は重いからね。的が多くなって大変かもしれないけど、その辺りは友紀君も対応をお願い」
「了解ッす!」
あの三人の仕事は、相場を救出して安全圏まで連れ出す事。
一緒に燃やす訳には行かないのだ、あいつを助け出すことは急務である。
とは言え、仕事の危険度で言えば、かなりのものだろう。あの怪異の様子から、かなりの抵抗が予想される訳だし。
そして、その後は―――
「後は、ワタシと杏奈ちゃんであの怪異を燃やす……これが失敗したら手詰まりだ。皆、気合入れていくよ!」
「はいっ!!」
先輩の言葉に、私は頬を両手で叩いてから頷く。
そうだ、気合を入れろ。これが七つ目の怪異。本当に最後の七不思議。
これさえ終われば私達は帰れる―――そう信じて戦うのだ。
こんな非日常、別に望んでいた訳では無いけれど―――それでも、戦わなければ。
「ふぅ……ふッ! それでは、行きますっ!」
ヒメが強く、怪異へと向けて一歩を踏み出す。
その途端、周囲に張り巡らされていた『根っこ』達が一斉にざわつき、蠢き始める。
背筋が粟立つのを感じるけれど、賽は投げられたのだ。後は、留まる事無く進むのみ。
『邪魔を、するなァァァァ――――――ッ!!』
怪異の金切り声が響き―――それが、開戦の号令となる。
私達は、その最後の戦いへと、足を踏み入れていったのだった。




