39:警戒
大量のボールが地面を跳ねる音が、薄暗い体育館に響き渡る。
そんな中、一つの金属音が落下してきた。地面に跳ねるそれは、三叉に分かれた奇妙な刃。
跳ねるボールをすいすい躱す桜さんは、床に落ちたそれを拾い上げ、再び服の中にあるらしいポケットへと収めた。
そうしているうちにボールもようやく落ち着いてきて、私達は頭を庇うポーズを止め、ようやく安堵の息を吐く。
「……大丈夫、ですか?」
「うん。ありがとう、お姉さん」
先輩も、どうやらそろそろ桜さんの事を信用してきたらしい。
まあ、個々までの怪異は彼女の力が無ければ無傷で乗り越える事は難しかった訳だし、その実力は素直に認めているのだろう。
あそこまでの規格外な動きについて追求してこない事に関しては、事情を知ってる私としても助かる事ではあった。
いやまあ、桜さんが説明してくれるんだろうけど、正直焦る。
秘密にしなければならない事があまりにも多すぎるのだ。
「しかし、これでようやく四つか……七つ目があると仮定すると、ようやく折り返しだな」
「内容が分かってるのはあと二つ、かぁ」
思わずそう呟き、私はちらりと先輩の方へ視線を向ける。
先輩は―――少しだけ、眉根に皺を寄せているみたいだった。
残る怪異の名前は、確か音楽室にある『人食いピアノ』と、中央棟四階の『窓の外の少年』。
その内、校舎の方は既に先輩から詳しい話を聞いている。
内容がえげつないとは言わないけれど、それでも性質の悪い危険な怪異だった。
そして、もう片方……『人食いピアノ』に関しても、物騒極まりない名前をしている。
十中八九、そちらも危険な怪異なのだろう。
「……あと二つ、か」
これまでの怪異は、全て致死およびそれに類するような危険を持つ怪異ばかりだった。
残り二つも、そういう類である可能性は高いだろう。
そしてそれを切り抜けるには、どうしても桜さんの力に頼らざるを得なくなってしまう。
こういう時、『もしも』や『万が一』を考えてしまうのは私の性分ゆえだろうか。
桜さんに頼りきりで、もしも彼女の力に頼れないような場面が来てしまったら、動けなくなってしまうのではないか。
無論桜さんの実力は知っているし、ほぼ杞憂にしかならない事も分かっている。
しかし、それでも考えてしまうのだ……私は、臆病だから。
「残り二つは中央棟だけど……どうする、さっさと行くかい? それとも、しばらく休憩する?」
「さっき休憩したばかりですし、俺は行くべきだと思いますが……決めるべきはそっちの方だ」
先輩の言葉に、嶋谷は私と笹原さんの方へ視線を向けながらそう答える。
言いたい事はあるけれど、実際その通りだろう。
全体を通して精神的なダメージを負っているのは笹原さんだし、私も今回の分で相当疲れた。
まあ、単純に今回のが苦手だったと言うだけなので、この後の怪異も内容次第では大丈夫だとは思う。
「……私は、大丈夫。けど、笹原さんの方は?」
「私は……その、進みたい、です」
大丈夫かどうかではなく、『進みたい』、か。
気持ちは分かる……なんて勝手な事は言えないけれど、彼女が焦っている事は十分に理解できる。
相場の事が、笹原さんの中で引っかかっているのだろう。
彼が何処にいるのか、本当に無事なのか。一刻も早く見つけ出したいからこそ、笹原さんは焦っている。
控え目な彼女らしからぬ―――いや、控え目な人間ですら焦るような状況なのだ。
怪異と言うのはそれほどまでに危険な存在だと、彼女は知ってしまったのだから。
「ふむ……君は自分が思っている以上に疲れている。それは自覚した方がいいだろう。いざ怪異を前にして倒れるような事があったら、本当に命は無い。まずはそれを理解して―――その上で、進みたいと思うかい?」
「っ、はい」
いつになく真剣な先輩の言葉に、笹原さんは息を飲んで頷く。
人の振り見て何とやら、私も自分の疲労に関しては自覚しておくべきだろう。
実際、結構体力的にもしんどくなってきているのは確かなのだから。
絶対に後悔したくないし、万全であるべきなのは確かだろう。
「……うん。それじゃあ友紀君、彼女の体調の事を常に気に掛けるように。杏奈ちゃんは、多分お姉さんが気にかけてくれているから大丈夫だろう。姫乃ちゃんは賢司君が……君達男なんだから、女の子に無理させないように」
「分かってますよ。自分では気付けないから、他人が注意しておけって事でしょう」
先輩の言葉に、嶋谷が肩を竦めながらそう返答する。
成程、確かに効果的な方法だろう。自分一人なら無茶をするだろうから、誰かがそれを止める。
自分の無茶は、自分では気付きにくいものなのだから。
特に、何かと頑張りがちなヒメと今現在必死になってる笹原さんには。
「じゃあ、そういう事で……いい加減皆も参ってきてるし、何かあったら休むからね。それじゃあ、次の七不思議に出発するよ」
とりあえず頷き、私達のことを見渡した後、先輩は先導するように歩き始める。
向かう先は音楽室か廊下か……どちらにしろ、中央棟には変わり無いけれど。
まあ、あの生首だらけの光景を思い出しそうだし、さっさとこの場を立ち去りたいのが正直な所だ。
下手をすると、現実世界でも思い出してしまいそうなのが憂鬱な所である。
……何だか、順調にトラウマが増えて行っているような気がするわね。
「……で、部長。次はどっちですか?」
「先に行くのは『人食いピアノ』……音楽室だよ。まああっちは二階だし、順当な所だね」
体育館の外に出ながら、先輩はヒラヒラと手を振ってそう答える。
今度の相手はピアノ……まあ正直な所、落っこちてくる生首よりはナンボか気が楽だ。
相手は無機物である。少なくとも、被害者がいない限りはグロい事にはならない。
まあ、あの話を作った生徒会とやらにそっち方面が好きな連中がいたっぽいから、何処まで信用したものかは分からないけれど。
「えっと、先輩。それはどんな話なんですか?」
「うん。音楽室に、立派なグランドピアノがあるだろう?」
「ああ、どこかから寄贈された物でしたっけ」
先輩の言葉に、嶋谷がそう答える。
良くそんな無駄知識を知っていたものだとは思ったけれど、まあ今は気にしないようにしておこう。重要なのはそこではない。
中庭に出つつ、更に周囲を警戒するように視線を巡らせながら、先輩は言葉を続けた。
「実はね、あのピアノ以外にも、音楽準備室にもう一つピアノが置いてあるんだよ。結構立派な奴がね」
「それは、使ってないんですか?」
「うん、使ってないね。全くと言っていいほど」
ヒメの質問に対し、先輩は肩を竦めてそう答える。
どうやら、その準備室のピアノとやらが問題らしい。
今の所は特に問題無さそうな話しか無いけれど……一体、どんな噂が立っているのやら。
「で、現在音楽室に置いてあるピアノは結構な高級品で、生徒に触れさせるならむしろ準備室にある方だろう、という風に言われている。
事実その通りであって、それが一体どんな理由でそういう配置になっているのかは不明なんだよ」
「あのピアノが、高級品……」
思わず、私はポツリと呟いていた。
私は和楽器ならともかく、その辺の楽器の扱い方は知らないから良く分からないけれど、そう言われると確かに結構高級そうなオーラが出ていたような気はする。
しかもグランドピアノ、高級品となればかなりの値段になるはずだ。
体育館に置かれて何かしら特別な行事で使うとかならともかく、普通に部活とかでも使う音楽室にそれを置いておくだろうか。
ましてや、それより価値の低いピアノがあるというのなら尚更だろう。
―――要するに、その不自然さ故に現れた噂と言う事なのだ。
「―――ここからが、その七不思議の噂。実は元々、その準備室のピアノこそが音楽室に置かれていたものだったんだ。しかし、ある事故が起こって以来、そのピアノに奇妙な現象が起こるようになった」
「奇妙な現象、ですか?」
「うーむ、俺としてはその事故とやらの方が気になるぜ?」
話のキモとなる二つの部分。そこに関して、篠澤兄妹が口々に声を上げる。
重要な部分ではあるけれど、それはわざわざ聞かなくても、先輩が喜々として説明してくれるだろう。
「とりあえず、いい加減皆疲れてるみたいだし、盛り上げる方向には行かず淡々と説明するとしよう。まず事故って言うのは、ある生徒がピアノの中の整備中、落ちてきた天板に首を挟んで死んでしまったというものだ」
「……そういう事故って起こるものなんですか?」
「さあ? ワタシはピアノには詳しくないし、所詮作り話なんだからその辺は適当だよ。まあとにかく、それ以来怪奇現象が起こるようになったって訳だ」
「……怪奇現象」
ヒメが、小さくそう呟く。
今現在、ヒメは自分でも役に立てる事を理解して、それなりに精神的な余裕がある状態となっている。
それでも、根本的にそういった話が苦手なのだから、身構えるものがあるのだろう。
「始まりは、ある生徒がピアノの練習をしていた時の事だ。その生徒はいつも通り、普通にピアノを弾いていただけだった。けれど突如として、鍵盤の蓋が勝手に落ち、その生徒の両手を挟んでしまったんだ」
「うわ……」
私は、それを想像して思わず呻き声を零していた。
想像を絶する痛みである事だろう。あの蓋は結構重いし、落ちたとなればそれなりの勢いになっていた筈だ。
恐らく、その生徒は両手の指を残さず骨折してしまった事だろう。
「鍵盤の蓋が落ちる事は、それから多発するようになった。それだけではなく、ピアノの整備と調律に来た業者が、落ちてきた天板に挟まれる事故も起こったんだ。まあ、この時は首じゃなかったから、命には別状無かったらしいけど」
「……そして、その整備業者でも、蓋が落っこちてくる原因は分からなかったと」
「そういう事だね」
嶋谷の言葉に、先輩は肩を竦めながら頷く。
成程、理解できた。つまり、それこそがそのピアノが音楽準備室に押し込められた理由と言う事なんだろう。
いくら何でも、事故ばかり起きるピアノを人前に出すべきではないでしょうし。
そして代わりに入ってきたのが、寄贈されたグランドピアノであるという事らしい。
「けど、この話にはもう一つ逸話のようなものがあってね」
「既に怪談としちゃ十分のような気がするんですけど……まだ何か話を付け加えたんですか?」
「まあ、そういう事だね。と言っても、これが最後のオチみたいなものだけど」
「……一体何が?」
先を促す言葉に、先輩は小さく口の端を歪める。
何と言うか、楽しんでるわねこの人。この状況でさえ、余裕があるのは羨ましいけれど。
「そのピアノが音楽準備室に押し込まれる際、教師がピアノをずらした際、何故かピアノの下に水溜りが出来ていた事に気付いたんだ」
「水溜り、って言うか―――」
いい加減このホラー空間に毒されてきたのか、悪い想像だったらいくらでも思いつくようになっていた。
そしてこの場合、その水溜りとやらの正体と言えば―――
「……そう、ピアノの下にあったのは血溜まりだったんだ。そしてその血は、ピアノから零れ落ちているようだった」
「ピアノから……って言うより、ピアノの中から、ですか?」
「そう―――つまりは、そういう事だよ。ピアノの中に何かが入っているのだと、ね」
そして、流れ落ちてきているのは血―――その中にいる何かとやらがどんな状態なのか、多少は想像する事が出来るだろう。
私達がそんな想像をしている事に気付き、先輩は小さく笑みを浮かべる。
掌の上なのは若干気に入らないけれど……出来てしまうものはしまうのだ。
この状況、一々最悪のパターンを考え付いてしまうのだから。
「―――その中に入っていたのは……数日前から行方不明とされていた、一人の学生の遺体だったんだ」
「ッ……!」
「しかも遺体は、何らかの鋭利な刃物によってバラバラになるまで切断されていた」
思わず、私は息を飲む。
ああ、予想は出来ていた。誰かが死んでいる事だって簡単に想像できる事だ。
けれど、バラバラになるまで切断……!?
「……一体、何がどうしたらそんな事になるんですか?」
「さあね、どうしてバラバラになったのか、その死んでいた生徒がどうして殺されたのか、その辺りの事は語られていない。
ただ単に適当なのか、ストーリーがある上で隠していたのかは知らないけれど……今回のは、さっきのよりも遥かに危険であることを理解して欲しいね」
それに関しては、言われるまでも無い。
さっきのだって十分きつかったのに、今度は物理的な危険が伴っているのだ。
恐らく、ピアノをぶっ壊して終わりとは行かないだろう。結構厄介な事になりそうだ。
けれど、それでも―――
「でも、これさえ終われば後は一個。皆、くれぐれも気をつけて行こう」
―――そんな先輩の言葉に、私は胸中で頷いていたのだった。




