38:張り付き生首
「……はぁ」
胃が重いし気も重い……周囲には聞こえないようにこっそりと溜め息をつきながら、私は皆と体育館への道を進んでいた。
高校棟から体育館へは、それほど離れていると言う訳ではない。
ここの廊下の突き当りにはトレーニングマシンが大量に置いてあるジム的なものがあって、そこを曲がって渡り廊下を進めば体育館。
まあ、中学棟から普段体育で行く時は、大抵中庭を突っ切っていくので、私達がこのルートを使う事は滅多に無いのだけれども。
そう、普段ならば楽しい体育の授業で行く場所だ。間違っても、天井に生首が挟まっているような場所では無い。
「あっはは、嫌そうだね杏奈ちゃん」
「……私、グロ系はあんまり得意じゃないんです」
「あー、そりゃきつそうだね。外で待ってる?」
「この状況で分断する方がよっぽど怖いですよ。別に、苦手なだけで見れない訳じゃないです」
怖くて動けなくなるとかだったら問題だけど、私の場合はむしろ反射的に足が出そうだ。
正直触る事も嫌な身としては、それすらしたくないのだけれども。
しかしまあ、本当に厄介な話だ。一応、桜さん以外は全員頭を防御する物は持ってきたけれど、出来るならば落ちてこないで欲しい。割と切実に。
何が悲しくて、降ってくる生首の迎撃方法なんか心配しなくちゃならないのか。
「大丈夫だよ、杏奈ちゃん。私が護るから!」
「うん……今回は頼むわ、ヒメ」
「任せて!」
対し、私のテンションの低さを見たヒメのテンションは逆に鰻登りだ。
普段はホラーが苦手なヒメを私が宥める立場だけど、今回はむしろ逆。
子供の頃から剣道教室で怪我する人の様子とかを見てきたヒメは、グロ方面はそこまで極端に苦手という訳では無い。
無論、ホラーが絡んでる以上苦手なものは苦手だけれど、今は私を護ると言う事に意識が集中している為か、この状況でも気後れする事は無いようだった。
「あんまり張り切りすぎるなよ、ヒメ。自然体でいいんだ」
「何よ嶋谷、私の事なんかどうでもいいっての?」
「からかうな、分かってて言ってるんだろ」
「ゴメンゴメン、冗談よ」
簡単な軽口の応酬をして、嶋谷に小さく感謝しながら、私は笑みを浮かべる。
ヒメと私の心配を一緒にするという器用な真似をしながら、嶋谷は肩を竦めて前へと歩いていった。
……まあ、私は大丈夫だろう。桜さんが優先的に護ってくれるのは、恐らく私だから。
だからといって全部他人任せにするつもりは無いけれど、幾分気は楽になった。
(情けないわね、私)
冷静さなら嶋谷がいて、こういった場所を怖がらない上に力もあるトモがいて、いざという時頼りになるヒメがいる。
私はどれも中途半端で、あんまり頼りになるとは言えないだろう。
だから―――私はせめて、皆の手助けをしよう。どこも突出していないから、その分抜けた穴を補わなければ。
……私は結局、皆の事が大好きなのだ。
「さってと、到着だね。予め言ってあるから分かっているとは思うけど……正直、噂通りの怪異ならばかなりグロいよ? 皆、覚悟はいいかな?」
先輩の言葉に、皆がそれぞれ頷く。
皆は適当に見つけた板やら何やら……トモは何故か教室にあった椅子を持ってきていたけど、大丈夫なのかしら。
ちなみに、ヒメは両手が塞がるといけないからという事で、防災頭巾のようなものを被っている。
良くこんなモノが教室にあったわね。
で、例によって桜さんは何も装備していない。私が心配するのもおこがましいとは思うけれど、やっぱりちょっと気になってしまう。
そんな事を考えながらじっと桜さんの事を見つめていると、彼女もこちらに気付いたのか、視線を私の方へ向けて小さく微笑んでくれた。
その表情は何処までも余裕そうで、目の前の怪異を相手にまるで恐怖していない事が分かる。
(ホント、怖くないのかな……?)
大人びて見えるけれど、桜さんの年齢は確か十七ぐらいだったはず。
私と殆ど変わらない年齢の筈なのだ。
やっぱり、経験の差って言うのは大きいものなんだろう。
桜さんは私を安心させるように頷いた後、改めて先輩の方へと視線を向けた。
先輩は頭を防御するものを装備していない桜さんの事を多少心配そうに見ていたけれど、今までの実力を見た事もあってか、特に口出しをするような事は無かった。
「よし……それじゃあ、行くよ」
少し重い金属製の扉に手を掛け、先輩はそれを勢い良く開く。
といってもそこまで強い勢いにはならず、体育館の扉は開け放たれた。
薄暗さの所為か、奥まで見通す事は難しいけれど、広い空間を歩き回るには困らない程度の視界は確保されている。
問題は―――
「天井……」
恐る恐る、頭上を見上げる。程度に違いはあれど、全員同じ気分だろう。
薄暗さは距離が開くほど大きくなり、高い天井のそこはあまりよく見えない場所だ。
故に、そこを確かめるには先輩の手にある懐中電灯で照らさなくてはならない。
知らず、ごくりと喉が鳴る。
「……行くよ」
先輩がそう宣言し、ゆっくりと光を上に上げてゆく。
LEDライトの強い光は、真っ直ぐに進んで天井を照らし―――
「ッ……!!」
その光景を、映し出した。
天井に走る何本もの梁……そこと、天井板の間には、普段ならいくつものボールが挟まっている。
だけど今―――その全てが、多種多様な人間の頭部へと変わっていた。
多種多様、全部が違う。なのに、現実味が無い……本物の人間の顔として認識する事が出来ない。
「あ、ぐ」
無意識にせり上がってきていた吐瀉物を、何とか喉奥で食い止める。
そのまましばし息を止めて耐えながら、私は天井から視線を逸らせていた。
気持ち悪いなんてレベルじゃない。とてもじゃないけれど、此の世の光景とは思えなかった。
見えた部分は、先輩が照らした狭い範囲のみ。
けれど、そこだけでも五個ほどの人間の頭部を確認することができた。
これが体育館全体なら、一体どんな数になっているというのか。
(想像したくないわ……)
口を開いたら吐いてしまいそうで、私は口元を押さえたまま地面へと視線を向ける。
そしてそのまま数秒……皆の様子を確かめる余裕も無いまま、私はただ静かにこの吐き気が収まるのを待っていた。
そんな私の背を、ポンポンと桜さんの手が叩く。
「……大丈夫?」
「……」
上を見ないようにしながら、私はこくりと首肯する。
大丈夫、取り乱してはいない。冷静に考えてる分だけ余計な事を想像してはいるかもしれないけど、それでも狂乱してしまうよりマシだ。
皆に迷惑をかける訳には行かない。
「っ、ぅ……ふぅ」
大きく息を吸い込んで、吐き気を胸の奥まで押し込める。
そうして何とか落ち着いた私は、天井を見ないようにしながら顔を上げた。
覚悟して見たつもりだったけど、やっぱりこれはきついわね。
でもまあ、何とか抑える事はできた。
「桜さん、ありがとう」
「ううん、いいよ。辛かったらまた言ってくれて構わないから」
正直、あんまりお世話になりっぱなしって言う訳にも行かないのだけれど。
それでも桜さんの言葉には頷きつつ、私はようやく周囲へと視線を向けた。
皆の様子は……大体、予想通りといった所だ。
先輩や嶋谷は普段とあまり変わりなく、私の方へ気遣うような視線を向けている。
トモはむしろ興味深そうに天井を眺めていて、ヒメと笹原さんは若干蒼褪めた顔。
ともあれ、誰も取り乱すような事はなく、ここまではいい感じであるとも言えた。
が―――問題は、ここからだ。
「さて、あの『根っこ』を探さないといけない訳だけど……」
とりあえず落ち着いた私達に、先輩はそう切り出す。
私達の目的は、あくまでもここを脱出する事。それにはこの異界を作り出している怪異を何とかする必要があるのだ。
そして、怪異を倒す手段として思いつくのは、あの『根っこ』を破壊して回るという事だけ。
これまでの経験から分かっているのは、あの『根っこ』は七不思議を操っているという事、そして……アレは私達に害意と敵意を持っているという事だけ。
つまり、ここでも何かしらの現象が起こる可能性は十分にあるのだ……それも、私達に攻撃してくるような危険な何かが。
絶対に、油断してはならない。
「手分けするのは、止めた方がいいですよ。せめて、全員が私の手の届く範囲にいてほしいです」
「うん、怪異に関してはワタシに一日の長があるけど、こういう危険に対処する技能はあなたの方が上だ。私はそれに従うよ……皆も、それでいいよね?」
桜さんの言葉に先輩が頷き、皆に対して同意を求めてくる。
無論、その二人よりも経験の薄い私達が、それに反論するような事は無かった。
その言葉に桜さんは満足したように頷き、だらりと両手を垂らす。
正直隙だらけなポーズにしか見えなかったけど、アレが桜さんの戦闘スタイルなんだろう。
あの袖口からは、黒い帯が飛び出してくる。どんな方向へでも腕を振るえる今の体勢の方が楽と言う事か。
「よし、それじゃあ行こうか」
そういうと、先輩は背負っていたリュックを頭の上に乗せながら移動を始める。
色々ギリギリな便利ツールが入っている筈だが、ああいう扱いをしてもいいのだろうか。
ともあれ、私達もそれに続いて歩き出す。頭はしっかりとガードしつつ、周囲を見渡して。
頭上のチェックもしなくていいのかとは思ったけど、それは桜さんがやってくれる事になっていた。
「……はぁ」
と、隣から小さな溜め息が聞こえてくる。
極小さなものだったから、距離の近い私にしか聞こえなかったと思うけど……そちらの方へと視線を向けてみれば、その憂鬱そうな息を吐き出していたのは笹原さんだった。
流石に、ここの探索でいい加減参ってきているのかな。
「大丈夫、笹原さん?」
「あ……神代さん。うん、ごめんね。辛そうなのは神代さんの方なのに」
「何言ってるのよ。本来、心配されるべきは私よりあなたの方でしょ。怪異に慣れてないし、ここに知り合いがいるかもしれないんだし」
私だって慣れたと言えるつもりは無いけど、それでも経験がある分いくらかマシだ。
それに対して笹原さんは、怪異に巻き込まれる事自体が初めてな上に、行方の分からない友達がいる。
ここまでなるべく考えないようにしてきたんだろうけど、流石にいつまでも思考の隅に追いやっておく事ができなかったんだろう。
笹原さんは、私の言葉に視線を伏せる。
「うん……無事だと、いいんだけど」
「まあ、本当にここにいるって決まった訳じゃないんだから」
流石にきつそうだけど、無理もないとは思う。
だって今までに会ってきた七不思議の怪異は、何処までも危険な存在ばかりだったのだから。
私達は桜さんのおかげで何とか全員無傷でここまで来れたけど、たった一人でこれを何とかするなんて、無理だと思う。
……きついわね、本当に。ここにいるかもしれないと考えるだけで、いくらでも死に方なんて思いついてしまうのだから。
「相場は、七不思議の事よく知ってたんでしょ?」
「え? う、うん」
「だったら、ここの危険性も十分理解してるでしょうし……もしこの異界の中にいたとしても、下手に怪異に近寄るような真似はしないでしょ」
「そう……かな」
「うん、そうだと思う。だから、元気出しなさいって」
「……うん。ありがとう、神代さん」
私の言葉に笹原さんは小さく頷き、そして周囲を探索する作業に戻った。
どうやら、何とか気は晴れたみたいだ。
でも、いつまでも持つものじゃないでしょうし……早めに脱出しないと拙いわね。
もしもいるのなら、相場を見つけてからじゃないとダメだけど、今はとにかく、この場を切り抜けなくては。
―――瞬間、背筋を這う悪寒に、私は咄嗟に頭上を見上げていた。
気色悪い生首共がいるのは分かっている。けれど、今はそれどころじゃない……それ以上の嫌な感じが、頭上に発生していたのだ。
暗く、先輩の明かりによって狭い範囲だけ照らされた天井。
私はそこに蠢く黒い『根っこ』と、それが叩き落とした一つの生首を見た。
「ッ―――桜さん、ヒメッ!!」
私の声に、ヒメの反応は一瞬遅れ―――けれど、桜さんは即座に反応していた。
振るった腕から伸びた黒い帯が、鞭のようなしなやかさで生首を打ち据え、弾き飛ばす。
そして桜さんは即座にそれが落ちてきた場所の方へと振り向く―――けれど、そこには既に『根っこ』の姿は無かった。
「っ……暗闇に隠れているみたい」
「クソ、向こうは攻撃し放題って訳か……!」
人間の頭は結構重い。あの高さから落ちてきたそれが直撃すれば、ただでは済まないだろう。
だからこそこちらは防御するしかなく、故に後手に回るしかない。
しかも、相手がいるのはあの天井……とてもじゃないけど、こちらからの攻撃は届かないだろう。
ついでに、暗闇の中にいる為か、先輩の照らしている細いライトでは『根っこ』の姿を捕捉することは難しかった。
「せめて、姿が見えれば……」
あの三叉の刃物を取り出して、桜さんは苦い表情で呟く。
それを突き刺せば、あいつを倒せると言う事だろう。投げて当たるのかどうかは正直疑問だったけど、桜さんならそれも可能なのかもしれない。
と―――その言葉に、先輩がはっと目を見開いたのが見えた。
そしてその直後、頭の上に乗せていたリュックを下ろし、中を漁り始める。
「姫乃ちゃん、ワタシの頭上はお願い!」
「先輩? 一体何を―――っ!」
そして、再び落下音。
今度は先輩が下を向いているためライトすらなく、『根っこ』の姿を把握する事は不可能だった。
けれど、落ちてくる生首を視認する事は何とか可能、ヒメが振るった竹刀は、それを正確に捉えて弾き飛ばした。
それをなるたけ見ないようにしながら、先輩の動向を見守る。
何かあるんだろう、この状況を打破するための何かが。
そして、先輩が取り出したのは―――
「け、拳銃!?」
「違う、これは信号弾!」
どっちにしろ、どうやって手に入れたんだそんなもん、普通に売ってるのか―――等と脳裏では考えてしまったけど、今この状況では渡りに船だ。
先輩はそれを体育館中央の天井付近へと向けて構え、桜さんへと声をかける。
「お姉さん、頼むよ!」
「はい!」
桜さんは、刃を持って投擲の姿勢に。
それを確認した先輩は、ほぼ同時に信号弾の引き金を絞っていた。
ぽしゅ、という気の抜ける音と共に飛んだ弾丸は、天井付近に近づいたその瞬間、強烈な光を放って体育館全体を照らし始める。
あまり長くは持たないのだろうけれど―――
「桜さん!」
「いました、あそこです!」
やたらと眼のいい篠澤兄妹が、ある一点を指し示す。
正直天井全体に照らし出された生首の群れなんて見たくなかったし、眩しかったので薄めしか開けていなかったけれど、桜さんは確かにその姿を確認したようだった。
そして―――
「はぁぁっ!!」
びゅおん、と音が鳴るほどに素早く、桜さんの刃が投げ放たれる。
光を反射するそれは恐ろしいほどに真っ直ぐに、凄まじい速さで飛び―――逃げる隙すら与えずに、天井を這っていた『根っこ』に突き刺さっていた。
一瞬、びくりと痙攣するように蠢いた『根っこ』は、すぐさま霞のように霧散し、消えてゆく。
そして周囲の生首たちは元のボールの姿に戻り……一斉に、梁から外れて落下してきた。
「きゃぁ!?」
「うお、あぶねっ!?」
生首ではなかったものの、硬いボールがぶつかれば十分危険だ。
しかしそれでも、あの醜悪極まりない光景が消えた事を理解して―――騒ぐトモの声を聞きながら、私は安堵の吐息を零していたのだった。




