36:白装束の行列
「……」
異なる理の影響下、異界と呼ばれる怪異の領域。
思わず吐き気を感じるようなその息苦しさの中、雛織桜はじっと前を歩く少女の姿を見つめていた。
普段ならば、誠人の妹たる杏奈の事を常に注目していた事だろう。
桜にとって、彼女こそがこの場で最も優先順位の高い相手なのだから。
無論、他の者達とて見捨てるような選択肢が存在するというわけでは無い。
桜にとって、彼らは等しく自分の事を愛してくれる者達。
ただ誰かに愛されたいと―――ただそれだけを願って生き続ける桜にとって、彼らの存在は決して無視できるものではなかったから。
けれど、今はそれ以上に、気にしなければならない事があった。
(……普通の人間に、怪異を物理的に破壊する事は出来ない)
怪異が外装として纏っている肉体―――話に聞いたひきこさんなどならば、その場に物理的に存在している為、攻撃する事も可能だろう。
しかし、形を成していない怪異そのもの、即ち『噂話』という情報、概念の塊でしかないあの『根っこ』を斬り裂く事など、人間には不可能なのだ。
情報を破壊するには、その情報を発している根本を消し去る他に方法は無い。
そして現象として発生してしまった怪異でも、物理的な攻撃手段は『通じる』と認識されていない限り、全くと言っていいほど意味の無い事なのだ。
事実ひきこさんの時も、姫乃の振るう剣は彼女に対して全く通じていなかった。
だと言うのに―――
(今回は効いてしまった……やっぱり、あの時の言葉が原因?)
偽者の姫乃が現れた時、彼女が言い放った言葉―――それは、桜にとっても心当たりのあるものであった。
極限の自分本位。自分の為に他人を思いやる、破綻した人間性。
それは、桜の仲間全員に共通している性質であった為だ。
故に、桜は理解する。今の姫乃は、導き手がいない為に燻っているが、いずれ自分達と同じような存在にまで辿り着く可能性を持っていると。
―――そして、それを認める訳には行かないと。
(アレがもし、姫乃ちゃんに自分を認識させる為の言葉だったのだとしたら、そして周囲にそれを肯定させる事が目的だったとしたら……この怪異―――いや、姫乃ちゃん達を中心に多発している怪異全体の根本は、姫乃ちゃんの存在を押し上げる事を目的としている?)
いづなは既にその事を察知しているのか。
参謀である彼女の真意は桜には分からなかったが―――もしも彼女がこの事に気付いているのだとしたら、一つだけ納得できる事が桜にはあった。
(いづなさんが語った、あの計画……もしもこの怪異の目的がさっき私が考えた通りなのだとしたら―――)
桜は、胸中で呟いて視線を細める。
彼女は既に動き始めている。反則的な手段を用いて資金を集め、大規模な作戦を展開していた。
その目的は桜には理解し難いものではあったが、今の姫乃の状況を考えれば、桜はそれに賛同せざるを得ない。
自分を慕ってくれる姫乃の存在は、桜にとってはとてつもなく大切なものだったのだから。
故に―――
(姫乃ちゃんは私達のように……超越者になるべきではない)
桜は、己の考えを改める。
愛する人の力を利用するような事を認めたくはなかった為に反対していたが、そのような事情があるならば話は別なのだ。
桜にとって、姫乃たちの幸せも、等しく護りたい存在であるのだから。
故に―――桜は、小さく苦笑を零す。
(いつもいつも、誤解されがちな事をして……本当は、とても優しいのに)
愛しい仲間に、自分の事を愛してくれる優しい友に。
そんな彼女のあり方に対して、桜は思わず笑みを浮かべていた。
異質な霊媒体質を抱えたが故に、誰にも愛されなかった自分。
愛して欲しいと、自分が他人と違うのが悪いのだと、愛されないなら全て等しく滅んでしまえばいいと―――姫乃には、そんな事を考えるような人間にはなって欲しくなかったから。
―――ただ、愛しい人達と幸せに生きて欲しかったから。
(私の価値は、私の愛を護る事。その為ならいくらでも残酷になろう)
愛してくれる人間がいるのならば、その人間を、その愛を世界の果てまで護り抜く。
それこそが、雛織桜の望む全て。善と悪と言う概念の存在しないその心の中での、唯一の判断基準。
狂い果てた理の中で―――桜はただ、愛おしそうに少女達の事を見つめていた。
* * * * *
中央棟を抜けて、高校棟の方へと歩いてゆく。
今回は桜さんが先頭……不測の事態に備える為、桜さんも本気になっているようだった。
何しろ、先輩が語った『白装束の行列』の話の中では、相手が実際にどんな出方をしてくるかが語られていない。
それ故、現状では相手がどんな風に動いてくるかの判断が出来なかったのだ。
正直、厄介な事この上ない。
「……杏奈ちゃん、やっぱり私も前に―――」
「だから、アンタは殿だって言ってるでしょ、ヒメ」
桜さんを一人で戦わせる事を何かと気にするヒメは、時々こうやって自分も前に出たいと言ってくる。
まあ、気持ちは分からなくは無いけれど、正直桜さんの邪魔にしかならないと思う。
相手がどう出るか分からないって言うのは、本当に怖い事なのだ―――そう、桜さんは私に告げていたから。
それに、桜さんはちょっとヒメの事を気にしてたみたいだし。
それはそれで少し気になったけど、今はヒメの説得の方が先だ。
こんな時の為に、桜さんは私に、ヒメを納得させる為の理屈を用意してくれていた。
「ヒメ、アンタは今まで、一対一での戦い方しか学んで無いんでしょ? 今回の相手は複数なのよ? アンタの師匠は、そういう無茶無謀を許してくれるかしら?」
「あう……」
ヒメが今まで学んできたのは剣道と、それからいづなさんとの一対一での訓練だ。
いづなさんから学んでいる剣術もまだまだ未熟で、半人前にすら達していない段階である。
それ故、実戦的な訓練なんて殆ど無かったし、あったとしても一対一での戦いしか無い。
そんなヒメを一対多の状況に放り込むなんて、いづなさんが許可を出す筈も無いのだ。
「とにかく、ここは桜さんに任せておきなさいよ。見るのも勉強でしょ?」
「うん……そう、だね」
正直、スタイルが違いすぎて、見ててもまったく参考にならないとは思うけれど。
まあとにかく……今回は、ヒメには下がっていて貰う事にする。
少し気になるのは、桜さんが一体何を考えているのかと言う事だ。
ヒメを後ろに下がらせようとした時のあの様子、何かいつもと違うような感じがした。
どこか張り詰めているような、割れそうな風船を見ている時の緊張感に似た何か。
桜さんは、一体何を考えているのだろうか。
「杏奈、ちょっといいか?」
「ん、どうしたの、嶋谷?」
と、そこで横から声をかけられ、私は視線を向けた。
見れば、嶋谷がなにやら真面目な表情で私の方を見つめている。
何か気になる事でもあるのか、嶋谷は小声で私に問いかけてきた。
「あの人は、ヒメと怪異の事を?」
「……! そうね、多分知ってると思う」
「多分ってのは何だ?」
「何処まで分かってるのか、分からないのよ。いづなさんとか、何処から情報を手に入れてるのか良く分からない人だっているし」
「……そうか」
眉根を寄せ、嶋谷は小さく頷く。
どうやら、あんまり納得は出来ていないようだったけど、何か気になる事でもあったのだろうか。
そんな私の表情を読み取り、嶋谷は小さく肩を竦めて見せた。
「さっきヒメが戦っていた時、あの人は驚いた表情を見せていた。そしてその後から、若干態度が変わっている。何かに気付いたのか……予測は出来ないが、何かしら気付いた事があるのかもしれない」
桜さんは、一体何に気付いたのだろう。
気にはなるけれど、もしもあの事に関連しているのだとしたら、ここでは尋ね難い事だ。
ついでに、これから戦いがあるかもしれない以上、この緊張感を崩してしまうべきではないと思う。
何があるのかは分からないけど……話なら、後でも聞けるだろう。
今は、この異界から脱出する事に集中しないと。
嘆息して、私は周囲を見渡す。
薄暗く、訳の分からない怪奇現象の続く学校内。
照らすのは、先輩の持っている懐中電灯ぐらいだ。
その先輩も、流石に緊張が勝っているのか、いつものような軽口は出てこない。
「お、そろそろ目的地だな」
この期に及んで普段と変わらないのはトモぐらいよね……笹原さんの方は、既に疲弊し始めてるっぽいし。
まあ、ガタガタ鳴る扉とか、血の足型手形がついた床に窓。
そんなモノを見続けていれば、気が滅入りもするだろう。
私としてもそれは同じ。だから―――
「……来るなら、来なさいっての」
私は、既に変化を求めているような段階だった。
徐々に追いやられるよりは、大きな恐怖に立ち向かっている方がまだ気分が高揚する。
若干の苛立ちを込めながら、私は中央棟から高校棟への連絡通路を通り、高校棟に到着していた。
この場所こそが、『白装束の行列』という怪異の現場。
そして、今まさに―――
「……って」
高校棟は長い建物で、大体一直線で一番奥まで見る事が出来る。
まあ、一学年七組ある教室全部は一つの階に入り切らないので、いくつかは二階にあるけれども。
ともあれ、高校棟は、入れば一目で奥まで見通す事が出来る作りになっているのだ。
だからこそ、入ったらすぐにそれが見つかると思っていたのだ。
「……あれー?」
「いない、ですね」
首を傾げる先輩と、少しだけ安心したような笹原さんの声が響く。
そう……『白装束の行列』という七不思議は、現場に訪れても発生しなかったのだ。
いや、現れて欲しいと言う訳ではないのだけれど、出ないなら出ないで不可解な不気味さがある。
一体、どういう事なんだろう。
それに、あの『根っこ』を何とかしないとダメなんじゃないのかしら?
「桜さん、これはどうすれば―――桜さん?」
桜さんに声をかけようとして、私は思わず首を傾げる。
彼女は、何故か視線を鋭く変えて前方を睨んでいたのだ。
そこには、何も無い筈なのに―――
「杏奈ちゃん!」
「え、ヒメ?」
唐突に、ヒメが私の手を引っ張って後ろに下がろうとする。
力はヒメの方が強いから、成す術無く私は引っ張られ、後ろへと後退させられていた。
だけど、一体何があるって言うの?
「怪異だけじゃないの、幽霊が―――!」
「っ……!?」
その言葉に私は目を見開き、改めて前方へと視線を向ける。
状況が状況だから、そんな物の見方なんてしていなかった。
けれど、集中すれば確かに分かる。前方、二十メートルも離れていない場所……そこに、固まるように存在している何かの気配が。
「皆、下がって! 見えないけど何かいる!」
「なっ!?」
ヒメの霊感の事を知っている嶋谷とトモが、咄嗟に反応して近くにいた先輩と笹原さんを引っ張って下がる。
私ではその姿をしっかりと視認する事は出来ないけれど、確かにそこに、何かがいる事を感じていた。
と、そこで、桜さんが前方を見据えたまま声を上げる。
「……学校で死んだ人の霊の集合体。それが、白装束を着た七人の人影を形作っている……これは怪異じゃない、現実に存在したもの」
「『白装束の行列』は噂話じゃなかった……? それに、それってもしかして、『七人ミサキ』……?」
先輩の言葉に、桜さんはコクリと頷いて見せた。
『七人ミサキ』と言う名前に聞き覚えは無い。それも何かしらの怪異の名前なのだろうか。
分からないけれど、確かに存在している霊からは、強烈な悪意のようなものが感じられた。
「霊異に怪異が取り憑いている……霊異の事件を元に怪異を形成した……妙な事をしてくれたものだけど」
でも、と呟き、桜さんは腕を広げる。
まるで何かを抱き締めるように―――そして、その瞬間。
「――――――」
桜さんが小さく何かを呟くと共に、あの『七人ミサキ』とやらと同種の気配が、桜さんの内側から弾けるように発生した。
それは多すぎて、数える事はおろか全体を把握する事すら出来ないほどの大量の霊。
あまりにも大きすぎて、最早『恐ろしい』という感想すら忘れてしまうほどの力だった。
桜さんの内側から現れた無数の霊たちは、一塊になって何らかの形を成すと、一直線に『七人ミサキ』の方へと駆け抜けてゆく。
そして―――鋭く放たれた一閃が、『七人ミサキ』を吹き散らしていた。
「来て……あなた達も、私の中に」
バラバラになった霊達へ、桜さんは手を差し伸べる。
それと共に、二つの霊の塊はバラバラに解け、桜さんの手の中へと吸い込まれてゆく。
私にはその気配しか分からないけれど、その現状を読み取れてしまうほどに、濃密な霊の気配が桜さんの内側に満ちていた。
確か……そう、桜さん曰く、《魂魄》とか言う力。
桜さんはその力を使って、霊たちを残らず吸収して―――そして、再びあの刃を抜き放った。
「―――触らないで」
言い放ち、桜さんは刃を振るう。
その瞬間、霊を追うように現れた黒い靄―――根っこが、バラバラに寸断されて消滅していた。
霞むような速さで振るわれた右手をゆっくりと降ろし、桜さんは息を吐き出す。
そしてその頃には―――周囲を覆う強烈な圧迫感は、消えてなくなっていたのだった。




