32:引きずり込む手
教室を出て、階段の方へ。
一塊になっている私達を先導するテリア先輩は、これから先向かう場所について滔々と語っていた。
「中学棟の下駄箱……そこに伝わっている七不思議は、『引きずり込む手』という話なんだよ」
「手、ですか……」
ぎゅっと竹刀を握り締めたヒメが、少し強張った声でそう呟く。
何となく、ヒメが考えている事はイメージできた。
下駄箱で、手だ。そう聞けば、あの狭い下駄箱の中から手が伸びてくる場面を想像してしまう。
しかし―――そこで『引きずり込む』とはどういう事だろう?
「ああ、そうそう。詳しく話す前に予め言っておくけど―――」
と、そう言いつつ先輩は立ち止まる。
そしてその視線を私達の方に向けながら、先輩はいつになく真面目な表情で声を上げた。
発せられるその言葉は、私達に対する警告。
「この学校の七不思議は、どれもこれも危険な害のあるものばかりだ。比較的安全な体育館の奴ですら、結構えげつない話だよ。だから、くれぐれも油断はしないように」
「……はい」
気迫の篭った先輩の言葉に、私は息を飲みながらも頷く。
そして、それは他の皆も同様だった。
表情が変わらないのなんて、桜さんぐらいだっただろう。
その彼女はといえば、殿に立って私達全員の事を常に視界に収めるようにしてくれていた。
背後からの攻撃とか、大丈夫なのかとは思ったけど……私達が言うだけ余計なお世話というものだろう。
ともあれ、私達が頷いたのを見ると、先輩は満足したのか再び階段へと向かって歩き出す。
そして私達に背中を向けたまま、右手の人差し指を一本立てつつ、先ほどの続きを話し始めた。
「さて、さっきの話だけど……『引きずり込む』って言う言葉に、疑問を抱いたみたいだね?」
「そりゃまあ、そうっすけど。何処に引きずり込むって?」
「そりゃあ勿論、下駄箱の話なんだから下駄箱の中だよ」
「……は?」
その言葉に、私は思わず耳を疑っていた。
この学校の下駄箱は、体育の授業用の靴を入れる所と、上履きと外履きを履き替える所の二段構成になっている。
小学校の頃の簡単な木の下駄箱よりは遥かにしっかりしていて大きさもあるが―――とてもじゃないけど、人が入れるような大きさはしていない。
そこに引きずり込むって言うのは、一体―――
「文字通り引きずり込むんだ……あの狭い下駄箱の中にね。人の大きさなんて関係ないよ、君達はひきこさんの時に見ただろう?
怪異って言うのは、人間離れした力をしているものなんだから」
「ぃ……!」
「マジかよ……」
思わずその場面を想像してしまい、私は顔を顰めていた。
大きさの合わない物を、無理矢理あの狭い箱の中に押し込めてゆく腕―――エグイなんてものじゃない。
それを平気で語れる先輩の神経も良く分からなかったけれど……どちらかと言えば、そんな話を思いついた当時の連中の気が知れなかった。
「一体どんな話なんですか、それ……」
「話としては、割とありきたりかな」
たんたん、と先輩は靴で床を叩く。
その仕草は、どうやら履いている上履きを意識してのものらしかった。
「当時、いじめを受けている一人の男子生徒がいた。華奢な彼にはそのいじめに対抗する為の手段は無く、日々耐えながら過ごしていたらしい」
「……」
またもいじめを元とした話。その為だろう、先輩の話を聞いて、ヒメはあからさまに眉を顰めていた。
まあ、ヒメとしても思い出したくないことだろうし、認めがたい事だろう。
けれど、それで余計な茶々を挟むほど、ヒメは子供ではなかった。
そんなヒメの様子には気付く事無く、先輩は続ける。
「ある日、彼はいじめっ子に上履きを取り上げられてしまった。無論替えの上履きなんてあるはずも無いし、スリッパを使うことも禁じられてしまった。
故に、彼はその上履きを回収してくるしかなかった訳だ」
誰も、口を挟まない。否、挟めなかった。
普段ならば何かしら言う事は出来たかもしれないけれど、今は場が違う。
薄暗い、不気味な気配しかし無いこの校舎の中では、余計な茶々を入れる事も、真面目な意見を述べる事も出来ないほどに、空気が重く澱んでいたのだ。
故に先輩の言葉を遮るものなど何も無く、その話は続けられる。
その核心―――『引きずり込む手』と言う作り話の真実へと。
「上履きが捨てられていた場所は、道路のど真ん中。車に轢かれては上履きが壊れてしまうと、少年は急いで上履きの回収に向かい―――そして、ダンプカーに撥ねられた」
「……よりにもよって」
「しかも結構車の通りが多い場所だったらしくてね、周囲が完全に落ち着くまで、少年は何度も車に轢かれてしまったそうだ。終いには車同士の事故も起こり……そして、車と車に挟まった少年の体は、バラバラになってしまったらしい」
思わずその場面を想像しかけ、私は頭を振ってそのイメージを追い出す。
これは作り話だ、現実じゃない。普通ならそんな状態になるまで車に撥ねられるような事は無いし、そもそもこの周辺にそんな交通量の多い道路は存在しない。
作り話なのだ―――そう、私は自分に言い聞かせていた。
「―――そして」
「ま、まだ続くんですか……?」
「まあ、そりゃここからが大事な所だしね」
怯えた様子のヒメの言葉に、呆れた様子を見せながら先輩は肩を竦める。
辿り着いた階段を一段一段降りながら、ここからが本番だと―――そう呟き、話を続ける。
「現場は凄惨で、警察の人ですら目を背けるような惨状だったそうだ。そんな中行われた現場検証の結果……奇妙な事実が発覚した」
「話の流れ的には……両腕って事ですか、部長」
「ついでに言うと上履きもね。回収された少年の体のパーツからは、何故か両腕が無くなっていたらしい。警察も必死に捜索したけれど、その両腕は……そして、事故の発端となった上履きも、現場からは終ぞ見つかる事はなかった」
「現場からは、ですか」
息を飲みつつ、強張った声音で笹原さんはそう呟く。
中々察しがいい……それはこの場においては、いい事なのかどうかは分からなかったけれど。
先輩は、『現場からは』と言った。つまり、その上履きは―――
「その通り。事故の後……その少年の下駄箱が開けられた所、何故かそこには事故現場から無くなったはずの上履きが入っていたんだ」
「だ、誰かが入れたって―――」
「―――血まみれの指で持ち上げたような痕の残った、その上履きが……ね」
「ぃぅ……」
言葉を失い、蒼白な顔で固まったヒメは、ぷるぷると震えながら涙目で私の方を見つめてくる。
どうやら、今日のヒメはまだ『皆を護るモード』には入っていないらしい。
小さく嘆息してその手を握ってやりながら、私は先輩の言葉を反芻していた。
しかしまぁ……成程、確かに怪談だ。荒唐無稽で理解不能、ありえる筈の無い作り話。
けれど、最初に聞いた話とは、まだ繋がらない点が一つある。
この時点では、未だ『引きずり込む』という要素が現れていないのだ。
七不思議の作者は相当なホラー好きというか、どうにもスプラッタな内容が好きな人間っぽい気がする。
そしてそんな人間が、この時点で話を終わらせるとは思えないのだ。
となると、この話の続きも、想像する事は出来る。
「……それで、まだ続きがあるんですよね」
「ま、まだっ!?」
「うん、その通り。この話にはまだ続きがある」
悲鳴を上げるヒメに、笹原さんがちょっと苦笑のような表情を浮かべている。
依頼を受けている身としては、あんまり情けない姿を見せるのはどうかとも思ったけど……どうやら、ちょっとは親しみを持ってもらえたようだ。
とまあ、それはともかく……今は、先輩の話だ。
「事故の後、結局少年の腕が見つかる事は無かった。事件が起こったのはそんな時だ」
若干空気は緩んだものの、未だに重苦しい気配が周囲を満たしている。
合いの手は入らぬまま、しかし先輩はそれを気にする事もなく、その先の事件に関して話を続けた。
「少年をいじめていた生徒は、部活で遅くなった時間、家に帰ろうと下駄箱を訪れた。そんな時、何か叩く様な音が彼の耳に届いたんだ」
「た、叩く……?」
「そう。彼は不審に思い、その音の方へと近寄っていった。けれど、音はすれど姿は見えず。その正体は分からなかった。諦めて帰ろうとした、その時―――」
ごくりと、喉がなる。
そんな音すら聞こえてしまうのではないかと言うような沈黙と静寂の中―――先輩は、その七不思議、『引きずり込む手』の最後の顛末を口にした。
「唐突に下駄箱の一つが開き……その中から、血に塗れた二つの手が現れた。その手は生徒の事を掴むと無理矢理下駄箱にその身体を押し付けたんだ」
「っ……!」
「怪異の尋常ならざる力からは逃れる事なんてできない。生徒はその手から逃れる事は出来ず―――身体の大きさも、骨も肉も関係無いと言わんばかりに、その体は下駄箱の中に無理矢理引きずり込まれてしまったんだ。
後に残ったのは……下駄箱の扉が閉まる時に千切れ落ちた、生徒の両腕だけだった―――」
それが、七不思議『引きずり込む手』のストーリー。
行方不明になった両腕が、仲間を探すかのように……或いは自分に足りない部分を補うかのように、生きた人間を引きずり込む。
出来の悪いストーリーではあったけれど……今この場では、笑い飛ばす事なんてできなかった。
息を吐き出し、私は軽く頭を振る。どう切り替えたものか、さっぱり考えが浮かばなかったからだ。
「……そこまでは、分かりました。この状況だし、その七不思議が実際に現れる可能性も高い事も分かります」
「うん。問題は……それをどうやって解決するかと言う事だね。調べないと始まらない事は事実だけど」
「はぁ……ちょっと嶋谷、お願い」
「は? おい、杏奈?」
蒼白を通り越して真っ白になっているヒメは嶋谷に押し付けつつ、私は後ろを歩く桜さんへと視線を向ける。
桜さんは終始黙って話を聞いていたけれど、この人はどう考えているのだろうか。
そんな私の視線を受け、桜さんはポツリと声を上げた。
「……もしも具体的な対抗手段が無いのなら、私に任せてください」
「え?」
もうあと10メートルも無い場所まで近付いた下駄箱……それを見つめながら。
その視線の中には感情の色は殆ど見えないけれど―――僅かながらに、敵意のようなものが見えた気がした。
軽く手を動かし、何かを確かめるような仕草をしながら、桜さんは先輩へと告げた。
「奇襲をしてくるような怪異が相手ですし、元が作り話では意思らしい意思が存在するかどうかも分からない。なら、無理矢理止めるしかないと思いますが」
「それは、そうだけど……それが出来ると?」
「はい、大丈夫だと思います」
そう断言して、そして桜さんは立ち止まる。
釣られるように私達も足を止めれば―――そこは既に、下駄箱の真ん前と言った感じの場所となっていた。
思わず、生唾を飲み込んでしまう。
「……桜さん」
「うん……では、行きます」
すたすたと、何も恐れていないように私達を追い越し、桜さんは下駄箱の間へと足を踏み入れてゆく。
そのあまりにもあっさりとした動作に皆が絶句し―――
「さ、桜さん! 一人じゃダメ―――」
「おい、待てヒメ!」
その背中に追いすがるように、ヒメと嶋谷が飛び出してしまった!
拙い、と私は胸中で舌打ちする。怪異はヒメを狙っている可能性が高いと、ひきこさんの時に分かっているのだ。
そんなヒメが怪異の領域の真っ只中に足を踏み入れてしまったら―――
「あ―――」
―――そこから先は、全て一瞬の事だった。
桜さんへと手を伸ばすヒメの横、その下駄箱の戸が勝手に開き、中から血まみれの腕のようなものが飛び出してくる。
その手はヒメの腕を掴もうとして―――その瞬間、延びてきた黒い帯のようなものが巻きつき、その動きを止められていた。
その帯は桜さんのコートの袖口から伸びていて、彼女が操り腕の動きを止めたのだと理解する。
「ふ……ッ!」
短い呼気と共に、桜さんが動き始めた。
伸ばしていた帯を引き、下駄箱の中からその腕を引っこ抜く。
そしていつの間にか手に握られていたナイフ―――いや、アレはナイフだろうか?
三叉に分かれ、中央の刃が長く伸びた奇妙な刃物で、桜さんは血まみれの片腕を刺し貫き、下駄箱に磔にしていたのだ。
しかし、まだ止まらない。桜さんは次の瞬間、状態を後ろへと反らせていた。
「―――ッ!」
まるで桜さんの頭を刺し貫こうとするかのように、その頭のあった場所の真横の下駄箱が開き、そこからもう片方の腕が伸びてくる。
しかしその瞬間には桜さんの左腕が振り上げられ―――そこに、先ほどと同じ刃が握られていた。
逆手に掴んでいるその刃は容赦なく振り下ろされ、その腕を深々と貫く。
そして残る右腕を、桜さんは何を思ったのか、下駄箱の中へと突っ込んでいた。
―――ここまで来て、ようやく全ての動きが静止する。
「な、な、な……」
流石のテリア先輩も、これには驚愕を隠せなかったらしい。
この人が絶句するほど驚いている姿なんて初めてみたけれど……私としては、桜さんがこれほど容赦なく、アグレッシブに動いているのが驚きだった。
普段は控え目で物静かなあの人が、あんな容赦ない攻撃を繰り出すなんて。
と、そう思っていた瞬間。
「まだ、油断しちゃダメだよ」
「!」
恐らく、私に向けた言葉だろう。
思わず目を見開き、私は背筋を伸ばす。
そして桜さんはそう言うやいなや、下駄箱の中に突っ込んでいた右腕を勢い良く引っこ抜いた。
そこに握られていたのは―――薄気味の悪い、黒い靄でできた触手のようなもの。
「な、なんすか、それ……?」
「……根っこのようなもの、だと思うよ」
「ね、根っこ……?」
意味が分からず、私はオウム返しにそう聞き返す。
正直、気味が悪いを通り越して気持ちが悪い。
けれど桜さんは気にした様子も無く、淡々と声を上げた。
「この『引きずり込む手』と言う怪異は、単体ではなく大きな怪異の末端。一部でしかない……ここの怪異は始末したけれど、これで全ての怪異が収まるなんて事はありえません。そして―――」
桜さんは、言いながら右手に力を込める。
それと共に黒い靄―――桜さん曰く根っことか言うそれを握り潰してしまった。
根っこはそれと共に消滅し、刃に突き刺さっていた腕も霞みのように消え去る。
―――そして、次の瞬間。鈍い鳴動が、周囲に響き渡った。
「っ……!」
「な、地震!?」
皆の驚愕が周囲に響く。
そしてそんな中ですら落ち着いた様子のまま、桜さんは淡々と声を上げていた。
或いは、戦う事を決意するかのように。
「―――今のこれで、『学校の七不思議』という怪異は私達を敵と認識しました」
その言葉は―――今回のこの事件が、本格的に始まった事を告げていたのだった。




