31:残されたメモ
「ほっほーう、ここが杏奈ちゃんたちの教室なのかー」
中学棟、その一角にある教室に入るやいなや、先輩はそんな軽い感じに声を上げていた。
怪異の中にいるから真面目モードなんだろうけど、その声は結構明るい。
無理に明るくしようと努めているのか、はたまた素なのか。
どちらでもありえそうだから、どこまで行っても読めない先輩だった。
「あれ、テリア先輩って高入組なんですか?」
「うん、そうだね。ワタシは中学はここじゃなかったよ」
そもそも中学の頃はこの国にいたのだろうか。
嶋谷ならば何かしら知っているかもしれないけれど、今ここでそれを聞くつもりは無かった。
そんな事を問い詰めているような時間は無いのだ。
今は一刻も早く、この怪異から抜け出す方法を見つけねばならない。
一応、この教室に来るまでは特に以上は存在しなかったけど。
「さて、その相場とやらの席は何処なんだ?」
「あ、一番右の前の所です。まだクラス替えしたばかりで、名前順の席なので」
そろそろ替わる時期かも知れないけれど、今の所はそんな状態である。
まあ、場所に悩まなくて済むのはいい事か。
教室にはロッカーもあるから、そっちの方も調べないといけないけど、とりあえずは机の中かしらね。
「よぅし、ここは俺に任せてもらおうか!」
と、そこで名乗りを上げたのはトモだった。
まあ、ちょっと考えすぎだとは思うけど、机の中に手を突っ込む事に少しばかり抵抗を感じてしまっていたので、そういう申し出はありがたい。
こういう時に何一つ躊躇う事無く踏み出せるトモのことが、私としては少しだけ羨ましかった。
そうしてトモはごそごそと机を漁り始める―――と、そんな時私は、視界の隅で一人の人影が移動していた事に気がついた。
皆が机に集中している中、一人だけ窓の方に近寄って言っている人物―――桜さんだ。
「ぬぉ、こいつ、何でもかんでも机に突っ込んでやがるな。教科書だらけだ」
「お前も人の事言えないだろ、トモ」
そんなトモと嶋谷の問答を背に、私は桜さんの方へと歩みを寄せる。
彼女は、どうやら窓の外に視線を向けて、何やら思案しているようであった。
若干普段よりも鋭いその表情に、私は思わず首を傾げる。
「どうかしたんですか、桜さん」
「杏奈ちゃん……ちょっと、外を見てみて」
「はい?」
桜さんに促され、私は窓の外へと視線を向ける。
ここから見えるのは、あまり広いとは言えない校庭だ。
ちなみに、こっちの方は本当の校庭と言う訳ではない。実際に体育で使うのは裏側にあるもっと広い方だ。
奥に見える校門まで視線を流し、私は首を傾げる。
「元の世界と変わらない感じですけど……どうかしたんですか?」
「……光源が無いのに奥まで見通せている時点で色々とおかしいけれど、今はそれは気にしないようにしておくとして……」
あ、それは確かにおかしかった。
空には月も星も無く、学校も敷地の外も、一つとして電気はついていない。
なのに、どうしてそんな遠くまで見通す事が出来るのか……それは、確かに疑問だった。
けれど、桜さんはそれは大した問題ではないという。
この人が何を言おうとしているのかが掴めず、私は思わず疑問符を浮かべていた。
そんな私の様子に軽く息を吐き、桜さんは諭すような面持ちで声を上げる。
「この位置からじゃ見えづらかったかな……あのね、杏奈ちゃん。この敷地の外……『何も存在していない』んだよ」
「え……? えっと、それってどういう……?」
桜さんの言葉の意味を掴めず、私はそう問い返す。
『何も存在していない』? それは、一体どういう事なんだろうか。
元よりその言葉だけで理解できるとは思っていなかったのか、桜さんは再び視線を外へと向け、声を上げる。
「……この学校、敷地の外は、文字通り『何も存在していない』。人がいないとか、生き物がいないとかではなく……完全な、虚無」
「え……?」
「この世界の構成はまだ掴めないけれど……領域の外に出れば逃げられると言う類のものではないみたい」
この間のひきこさんの時は、あの場で踵を返せば引き返せると言う確信があった。
ひきこさんはあの中から外に出ていたのだし、私達だって引き返せば帰る事が出来たはずなのだ。
けれど、ここは違う。切り取られ、閉じ込められた牢獄。一体、この怪異は何だって言うのだろう?
そして、どうすればここから抜け出す事が出来るというのだろうか?
「―――大丈夫」
「桜、さん?」
ぐるぐると思考が意味を成さぬ回転を始めようとした時―――ふと、私の耳にそんな声が届いた。
余り背が高くは無い桜さんは、私とそれほど目線は変わらない。
けれど何となく見上げるような気分で桜さんの顔を見れば、彼女は私を安心させるように、どこか穏やかな笑顔を浮かべていた。
「あなた達は、必ず元の世界に帰してあげる。誰一人、傷つけさせない……約束する」
「ぁ……」
「だから、安心して……大丈夫、私はこれでも皆の中では三番目ぐらいに強いんだから」
それは、あまり桜さんらしくない言い方ではあったけれど……それでも、私の事を想って伝えてくれた言葉だった。
桜さんは、何処からか取り出した黒いコートに袖を通し、具合を確認するように腕を動かしている。
何だか凄く不思議な光沢を持つ生地で出来ているようだけど、これも何か意味のある行為なんだろう。
今は、桜さんを信用する。桜さんならば、必ず私達を護ってくれる。
そして、私達はその力を信じて、この怪異から抜け出す方法を調べよう。
「……ありがとうございます、桜さん」
「うん。頑張って、杏奈ちゃん」
「はい!」
頷き、私は踵を返す。
そこでは、相場の机の中にあったものを全部机の上にぶちまけているトモの姿があった。
と―――その表紙に机の上から零れた一枚の紙が、私の方まで滑ってくる。
「異空間とはいえ人のモンなんだし、あんまり乱暴にするんじゃないわよ」
「っと、わりぃわりぃ」
あんまり悪びれた様子の無いトモに肩を竦めながら、私は拾い上げた紙に視線を向ける。
と―――そこに書かれていた文章に、私は思わず目を瞠っていた。
紙自体は別に珍しいものでも無い。私も受けている、地理の授業のプリントだ。
けれど、そのプリントの端に落書きのように書かれていた文章―――それは、そのプリントの内容にあまりにもそぐわぬ物だったのだ。
「これ……さっき先輩が話してた……」
「ん? 杏奈、どうかしたのか?」
「ちょっと嶋谷、この記述、もしかして『窓の外の少年』とか言う七不思議に関する文章じゃないの?」
「何……?」
私がプリントを手渡しながら言った言葉に、嶋谷は怪訝そうな表情で眉根を寄せる。
そして、それを受け取ると共に、嶋谷はその目を大きく見開いていた。
書かれていた内容は、走り書き程度のメモだ。
簡単に箇条書きにされていて、時は綺麗とは言いがたいけれど、内容が読み取れないほどではない。
そして、そこに書いてあった内容は間違いなく―――
「……転落した陸上部員……自殺した生徒。成程、確かに部長が言っていた内容と酷似しているか」
「でも、何でまたプリントの端っこなんかに……」
「あ、それは相場君の癖なんです」
私の発した疑問に答えたのは、横から覗き込んできた笹原さんだった。
その言葉に対して私が視線で問いかけると、笹原さんは小さく肩を竦めながら声を上げる。
「相場君は思いついたこととか聞いたことをメモする習慣があるんですけど、結構そのメモ帳を忘れるんです」
「書いた物を忘れてたら本末転倒じゃない」
「いや、本当にそうなんですけど……自分で書いた物をニヤケながら眺めてるからそういう事になるんですよ、全く」
何やら憤っているようだった。
メモする習慣はそれなりにいい事なんだけど……って言うか、笹原さんも結構辛辣だ。
まあ何はともあれ、そうしてメモを忘れる癖が相場にはあったという事で。
そこまで来れば、プリントの端っこにこんな事が書いてあった理由も理解できる。
「えっと……つまり、忘れたメモ帳の代わりに、プリントにメモを書き込んでるのかな?」
「はい、そうなんです。後でメモ帳に書き直すから、それでもいいのかもしれないですけど……」
「まあ、見たい時に参照できないんじゃメモ帳の意味は無いよな」
ヒメと嶋谷の言葉に、笹原さんは深々と嘆息しながら頷いて見せた。
まあ、そりゃそうよね。忘れないようにメモするのに、そのメモ帳を忘れてたら意味が無い。
でもまあ、おかげで手がかりは手に入るかもしれないわね。
「とりあえず、プリントを片っ端から当たってみようか。まだ何か書いてあるかもしれないしね。ロッカーの方はどうだろう?」
「えっと、鍵がかかってると思いますけど……」
「ああ、それならワタシが開けるよ。賢司君はは机のチェックの手伝いね。友紀君、お手伝いヨロシクー」
「おう、俺の出番とは分かってるゥ!」
教室の後ろの方、ロッカーの方へと向かってゆく先輩達の背中を見送り、私は小さく肩を竦めてから桜さんの方へと視線を向けた。
皆が教室の中に分散してしまっている。ここは七不思議の現場じゃないから大丈夫だとは思うけど、一応念の為、桜さんに見張っておいて貰う為だ。
そんな私の考えを理解してくれたのか、桜さんは私の視線に首肯で返してくれた。
それに満足して私の方も頷き返し、机から出てきたプリント類の確認作業に加わる。
「……整理されてないわね」
「そうなんですよ……私もしょっちゅう言ってるんですけど、全然改善しなくて」
何だか、笹原さんは世話焼きの女房になりそうね。
私の予想が正しいのならば、相場の方は告白に失敗したようなものなんだろうけど。
何を見たのかは知らないけど、運が悪いわね、本当に。
そんな益体も無い事を考えつつも、私は一枚一枚、グチャグチャになったプリントを確認してゆく。
ホント、もうちょっと整理して……せめて綺麗に折ってから入れて欲しいわ。
「……ふむ」
確かに、時折端っこの余白や裏面に、何らかのメモが書かれている事があった。
ほぼ全てが授業とは関係なく、もしこれが授業中にかかれたものだったら、コイツは一体どれだけ暇なんだと突っ込んでやりたいところだったけれども。
しかし、時折『何でこんな事を知ってるんだ』と言いたくなるような内容がある事もまた事実。
コイツ、本当に何をしてるのかしら。
「あ……賢司君、これ」
「どうした、ヒメ。何か見つけたか?」
と、ヒメが何かを発見したのか、手に持ったプリントを嶋谷に手渡す。
薄暗いから遠目では把握できないけれど……どうやら、B5のプリントの裏面に何かが書かれているようだった。
これまでのちょこちょこしたメモとは違い、それなりの長い文章で書かれている。
一体、何が書いてあるんだろうか。
「……これは」
「嶋谷、一体なんだったの?」
「ああ……読んでみてくれ、杏奈」
プリントを手渡され、私は視線を細めながらも笹原さんと一緒にそのメモを読み取ってゆく。
そこに書いてあった情報は―――何年か前にこの学校で起こった、学校の屋上からの飛び降り自殺についてだった。
一応、私も小耳に挟んだ事程度ならある。どうやら、結構な騒ぎになった事件だったようだけど―――このメモは、その事件に関する簡潔な話が記されていた。
曰く、自殺したのは女子生徒、陸上部のマネージャー、成績は悪くなく、いじめの影も無い。自殺するような理由は見当たらなかった。
そして、その下に書いてあるのは―――『窓の外の少年』の窓から転落し、その後自殺した陸上部員と付き合っていた、という言葉。
更にそこから矢印を引かれ、まるで走り書きのように書かれていたのは、たった一つの言葉だった。
「……『こいつが七つ目か?』、ね。嶋谷、この話は知ってた?」
「いや、流石に知らないな。部長でもどうだかは分からない……新聞部の部長辺りだったら知っていたかもしれないが」
「今更だけど、何者なのよ新聞部部長」
事件の事自体ならまだしも、その人物の交友関係なんて、何年も前の事じゃ調べようが無いじゃない。
まあ、それを言うならこの相場もどうやって調べたのかって所だけど。
―――けどまぁ、重要なのはそこじゃない。
「……相場は、この女子生徒の事を七つ目の七不思議だと考えていた?」
「これを見る限りはその可能性が高いな。そして、その場所を屋上だと断定している」
って事は、最後に向かった屋上とやらも、七不思議の一つとして訪れていたのか。
もしかして、本当に告白ではなく七不思議巡りのつもりだった?
まあ、どっちにしたってデートコースとしちゃ悪趣味極まりないものだと思うけれども。
と、そんな事を考えていた時、教室の後ろの方から先輩が戻って来た。
「おーい、そっちはどう?」
「それなり、と言った所です。そちらは?」
「うん、まあこっちもそれなりかな」
言って、先輩は一枚のプリントを差し出してくる。
それを受け取る代わりに私達もさっきのプリントを差し出し、互いに交換してそれを読み始めた。
先輩の持ってきたプリントに書かれていた内容は単純なもの……そして同時に、眉唾なものでもあった。
「……正しい順に六つの七不思議を巡ると、七つ目に出会う事が出来る、ねぇ」
正直、これっぽっちも出会いたくないんだけど。
どうやら、これが笹原さんと相場の巡った七不思議らしい。
そして最後に屋上に行って―――笹原さんは何も見ず、相場は何かを見た。
それが何なのか、件の女子生徒とやらなのか、それは分からない。けれど―――
「とりあえず、手がかりはこの程度か」
「どうするつもりですか、部長。正直、かなり危険だと思うんですが」
「そうだね。けれど、待っているだけじゃこの異界からは抜けられない。虱潰しだろうと何だろうと、とにかく脱出の手段を探さなきゃいけないんだ。
手を拱いてはいられない。それならば―――」
行って、先輩は私のもっているプリントへと視線を向ける。
恐らくは、先輩ですら知らなかった、七不思議の逸話。
そして、その逸話は―――いまや、怪異と化している。
「……実際に、巡ってみるしか無いだろうね。現状、それが唯一の手がかりだ」
「……はぁ、了解です。けど、皆は大丈夫なのか?」
嘆息と共に、嶋谷は頷く。
そしてその視線を私達に向けて問いかけてきたが―――そんなモノは、考えるまでも無い事だった。
「当たり前でしょ。私は、こんな所で死ぬつもりなんて無いわよ」
「同じく。だが安心するがいい、この俺がいる限り、豪華客船に乗ったようなつもりでゴー! だ」
「お兄ちゃん、それ沈みそう……えっと、私は皆を護るよ。それはいつだって変わらない。だから、頑張ろう、賢司君」
そしてそんな私達の言葉は、最初から予想できていたんだろう。
嶋谷は苦笑を浮かべながら嘆息して、笹原さんの方へと視線を向けた。
「……と言う訳で、俺達はこれから危険に足を踏み入れてゆく事になる。一人で待つべきではないとは思うが……危険はどちらもそれほど変わらないだろう。行くか、待つか。どうする?」
「……はい、行きます。相場君が姿を消した原因がここにあるなら……」
もしかしたら、彼もここにいるのかもしれない、と。
当てずっぽうでしか無いだろうけれど、あながち間違いでも無いかもしれないと、私はそう思っていた。
このタイミングで失踪されれば、誰だってそれを連想してしまう。
全員の―――まあ、桜さんは何も無くても付いてくるだろうし―――同意を得られた先輩は不敵な笑みと共に頷くと、指を一本立て、私達へと向けて声を上げた。
「では、これから行動を開始するよ。行動は全員で、もしも何かの拍子に逸れる事があったら、部室に戻ってくる事。いいね?」
「はい!」
「了解」
元気良く返事をするヒメに、私は小さく苦笑する。
外を見れば、相変わらずの闇夜―――いや、夜なのかすら定かではない、単なる漆黒の空間。
それを背に立つ影絵のような格好をした桜さんは、ただじっと、私達の様子を見守っていた。
……大丈夫。必ず、皆で帰れるから。
私はもう一度自分にそう言い聞かせ―――静かに、この異界に挑む覚悟を固めていたのだった。




