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24:その目的は












「はぁっ、はぁっ……ゴメン、待たせた……」

「いや、慌てなくていいから、落ち着いてくれ兄さん」



 黒猫に案内された家の庭に、捜索に出ていたメンバー達が集結する。

特に色々な場所を走り回っていたらしい市ヶ谷さんは、かなり息を荒げていたけれど。

苦しそうに胸を押さえながら息を吐き出している彼に対して、テリア先輩はその背中を撫で擦りながら嘆息を零していた。



「運動はあんまり得意じゃないくせに、無茶するからだよ。少しは落ち着けばいいのに」

「す、すまん……」



 少し大げさすぎるんじゃないかと思うぐらいの疲れようだけれど、それだけ葵ちゃんの事を心配していたんだろう。

しばらくそうしていれば、市ヶ谷さんの呼吸も次第に収まってきて、ようやくいつもの調子を取り戻した。

そしてゆっくりと身体を起こすと、彼はゆっくりと進み出て、葵ちゃんの前に立つ。

その葵ちゃんはと言えば、やっぱり悪いとは思っているのか怒られる事を怖がるような表情で、しかし逃げずに真っ直ぐ立っていた。

そんな彼女の様子に、市ヶ谷さんは小さく嘆息を零す。そして身を屈めて視線を同じにすると、諭すように声を上げた。



「葵、自分が悪い事をしたと言うのは分かってるな?」

「……コースケが、怒ってるから、そうなんだと思う」

「成程、自分が何をしたのかまでは理解していないと」



 言って、市ヶ谷さんは再び嘆息する。

そして―――握った拳を、軽く葵ちゃんの頭へと振り下ろしていた。

勢いはかなり減じられていて、痛みなど殆ど感じず、衝撃のみがあった事だろう。

事実、葵ちゃんは頭を押さえて目を白黒させている。



「葵、周りを見てみろ」

「え……?」



 市ヶ谷さんの言葉に、葵ちゃんは周囲を見渡す。

周りにいるのは、当然私達―――即ち、葵ちゃんの事を探していた面々だ。

そんな私達の事を示しながら、市ヶ谷さんは滔々と続ける。



「葵、お前はこれだけの人たちに心配をかけたんだぞ? 皆、お前の事を心配して探してくれたんだ。お前は勝手な行動を取って、皆を心配させてしまった」

「それは……っ、あの子が、たすけてって言ったから……」

『その娘子の言っている事は本当だ。あまり責めないでやってくれ』



 葵ちゃんの言葉に同調するように、黒猫が頷きながら声を上げる。

その姿を初めて見た面々は驚愕の表情を浮かべていたけれど、それでも状況が分かっているんだろう。

下手に口を挟むような真似はしなかった。


 そして黒猫の言葉に対し、市ヶ谷さんは肩を竦め、続ける。



「それでも、葵は俺を呼ぶ事だって出来た筈だ。一人で行動せず、助けを求めていればよかった」

「でも、わたしはコースケみたいに……ッ」

「……そうだな。お前は俺と言う人間を見てきたのだから、真似するのだって仕方ないと思う。監督不届き行きだった俺の責任でもある。だから―――」



 市ヶ谷さんはそう言って立ち上がり、そして―――私達に向けて頭を下げた。



「葵が迷惑をかけた、本当に申し訳ない」

「ち、ちがうよ! コースケは悪くない、悪いのはかってな事をしたわたし―――」

「なら、何て言うべきかは分かるよな?」



 謝罪する市ヶ谷さんを押し留めようとする葵ちゃんは、その言葉にはっと目を見開いていた。

そしてしばしの逡巡の後、自分のスカートを両手でぎゅっと握り締めながら、市ヶ谷さんの横に並ぶようにして頭を下げる。



「……しんぱいかけて、ごめんなさい」



 僅かながらに見えた表情からは、本当の後悔が見て取れた。

それはどちらかと言えば市ヶ谷さんにそんな事をさせてしまった事への後悔のようではあったけれど、どうしてそんな事をさせてしまったのかは理解できただろう。

ここで代表して謝罪を受け入れるべきなのは、怪異調査部の指揮をしていたテリア先輩。

皆からの視線を受け、先輩は小さく苦笑を浮かべつつも声を上げた。



「別にいいよ、今後気をつけてくれるなら、それで問題は無いし。何より一番心配してたのはコースケなんだから」

「……ああ。ありがとう、テリア」

「別にいいってば」



 クスクスと、先輩は笑う。

先輩も市ヶ谷さんに対しては何かしら思う所があるみたいだし、その分葵ちゃんの事も多少は理解出来るんだろう。

ちょっと仲が悪そうな感じに見える葵ちゃんに対しても、怒るような事は決してなかった。


 先輩の許しを得た市ヶ谷さんは安堵した様子で顔を上げると、再びしゃがみこんで葵ちゃんと向き合う。

その表情は先ほどまでよりもずっと優しく、まるで本当の父親であるかのようなものだった。

市ヶ谷さんはそっと葵ちゃんの肩を掴むと、その瞳を覗き込むようにしながら声を上げる。



「いいか、葵。人を助けようと思うその気持ちは、本当に尊いものだ。助けようと行動する事が出来るお前は立派だと思う」

「うん……コースケも、そう」

「ああ、ありがとう。でもな、葵。人を助けるという事は、何も自分一人でやらなければならない訳じゃないんだ」



 その言葉はまるで自分自身に言い聞かせるように……市ヶ谷さんは、ゆっくりと葵ちゃんに語りかける。

人を助けるという事がどういう事なのか、それを成す為にどうすればいいのか。

それをここまで真剣に考える人間は、そうはいないだろう。



「大切なのは、どうやってその人を助けるかという事。助ける事が出来るなら、自分の力である必要は無い。自分に出来ないと思ったなら、誰かの力を借りるべきなんだ」

「じゃあ……わたしは、コースケにたすけを呼べばよかったの?」

「ああ、そうだ。そうすれば、俺はお前を手伝ってやれる。お前は、自分一人で誰かを助けないと嫌か?」

「……ううん、そんな事ない」

「なら、今度からはちゃんと俺の事を呼ぶんだぞ?」



 市ヶ谷さんの言葉に、葵ちゃんはコクリと頷く。

何だか、本当の親子みたいなやり取りに、私は思わず目元を緩ませていた。

二人の背景に一体何があったのかは知らないけれど、この二人はこれでいいんだと、そう思う。

例え本当の家族ではなかったとしても、市ヶ谷さんはちゃんと『親』をする事が出来ていると感じられた。


 市ヶ谷さんは葵ちゃんの意志を確かめ、それに安堵したように頷くと、立ち上がって佇まいを正す。

そして、彼は改めて黒猫の方へと向き直った。



「さて、と……それで、お前が件の怪異だな?」

『お前さんが言うのがどれかは知らんが……その娘子に食い物を貰っていたのは私だよ』

「ああ。それじゃあ、お前の目的を話して貰おうか?」



 市ヶ谷さんの言葉に、黒猫は小さく頷く。

人と猫が会話しているその姿は十分異常ではあったけれど、流石にもう慣れてきた。

むしろ、こういう分かりやすい怪異で助かったという感じだ。


 今の所、この黒猫がどうやって生まれたのかはまだ分からない。

先に入って待っていたものの、その間私は葵ちゃんの世話をしていて、黒猫との話は行わなかったのだ。

話を聞くと私からみんなに説明しなきゃいけなくて面倒だとか、まあそんな事も考えてはいたんだけど。

とにかく、まだ誰も事の真相は分かっていない。

全てを握っているのは、あの黒猫だ。



『……では、付いて来て欲しい。こちらから入れるようになっている』



 黒猫は踵を返すと、私達を導くように家の裏手へと回ってゆく。

その姿を追いかけて行き―――ふと、私は右手側にある奇妙なものに目を奪われた。

それは、地面に規則正しく並んでいる、ちょっと大きめな石の列。


 何だろう、アレは?


 疑問には思いつつも、皆に置いて行かれそうになり、私は慌てて歩を進める。

ただ、あの石の列に、妙な感覚を感じた事だけは確かだった。

何かの目印か。ただ一直線に並んでいるだけだから、その配置に意味はないと思う。

なら、その下に何か埋まっているのか―――



「あ……」



 何かが僅かに脳裏を掠めるような感覚。

ふと思いついたのは、私達を先導する猫の姿だ。もしもアレが、死んだペット達の墓だとするならば。

別に、おかしな事は無いだろう。今まで飼っていたペットが死んで、それを埋めた後に新しいペットを飼っただけの話だ。

それなのに、何かが引っかかる。一体何が―――



「おーい杏奈、どうかしたのかよ?」

「あ……ごめんトモ、何でもない」



 知らず、私はじっとあの石の列の方を向いてしまっていたらしい。

遅れている私を訝しんで、トモが声をかけてきていた。

皆は家の裏口から中に入っている所で……不法侵入じゃないのかが不安になってくる。

一応あの黒猫に招かれてはいるけれど……相手はあくまでも猫だ。この家の住民と言えるかもしれないが、人ではない。

この家の人間に許可がもらえればいいんだけど。



「……ま、気にしてても仕方ないか」



 その辺りを一番気にすべきだと思われる市ヶ谷さんも中に入ってしまっている。

怪異に対してはそれだけ真剣だということなんだろうか。

小さく嘆息を零しながらも、私も中へと入ってゆく。

平屋建ての一軒家、住宅街の中心からは外れていて、ちょっと寂れた雰囲気もある場所。

あまり人目には付かない為か―――この家の中すら、人の気配は少ないように感じた。



「いや、むしろ……」



 ―――生活感が、あまり感じられない。

人が暮らしている気配が、殆どしないのだ。

長年の時間を経た風情はあるけれど、磨耗と言うよりは経年劣化。

使い古された結果の姿には見えない。



『―――ここだ』



 と、そこで黒猫が声を上げる。

どこか現実味を感じられない世界でハッと正気に戻れば、猫は奥まった場所にある部屋の前、自分が通れる程度に隙間が空いた襖の前に鎮座していた。

それも現実感の無い光景である筈なのに、何故かこの方が現実味を帯びて感じる事が出来る。

そんな違和感の中で、黒猫はようやくその目的を語り始めた。



『私は、長い間この家で飼われて来た。だが、私の主は最早限界なのだ……死の淵が訪れようとしている。主の唯一の心残りは……この、私だった』

「……お前は、次なる宿主を求めていたと言う事か?」

『私は他者に取り憑く類の怪異ではないぞ? 言葉の通り、私の飼い主を捜していたと言うだけだ』



 それが、この黒猫の主の心残りで……この黒猫からすれば、最後の恩返しなんだろう。

怪異としてではなくただ一匹の黒猫として、ただ一つの命として、私達に頼み込んできているのだ。



『お主らに頼みたい……私の、次なる主になって欲しい。それが、私が娘子を初めとしたお主らに求めていた事だ。そしてどうか、我が主を安心させて欲しい』



 猫だから、表情なんてものは分からない。

けれど、その言葉には、確かな重みと言うものが存在していた。

強く、強く願っているが故に宿る、その重み。

そして―――それを無視する事が出来ない人間は、確かに存在していた。



「……ねえ、コースケ」

「やれやれ……確かに、これほど手のかからないペットもいないとは思うけどな」



 服の裾を引っ張る葵ちゃんに、市ヶ谷さんは苦笑する。

誰かの事を助けたいと、そう願っていた葵ちゃんの事だ。この猫の事も気に入っていたんだろうし、あれだけ真っ直ぐと懇願されれば断れないだろう。

そしてその思いの根本となっている市ヶ谷さんも、それを無視する事はできない。

だからこそ―――



「分かった、お前の事を受け入れよう」

『……そうか、感謝する』



 迷わずそう言い放った市ヶ谷さんの言葉に、黒猫は心底安心したように万感の思いを込めてそう返していた。

どこか感慨に耽るように目を瞑っていた黒猫は、ゆっくりとその目を開くと、振り返って部屋の中へと入ってゆく。

襖を通り抜ける直前、『付いて来てくれ』と私達に告げながら。市ヶ谷さんはそれに対して頷くと、ゆっくりとその襖を開く。

中にいたのは―――敷かれた布団に横たわる、一人のお婆さんだった。



「……!」

『主よ、すずよ、連れてきたぞ。私の主となれる者だ。私を受け入れてくれる者だ』



 酷くくたびれたその様相は、私の目にすらはっきりと分かってしまうほど、克明に死の相が見て取れた。

もう避けられないし、長くはない。それを直感的に理解してしまい、私は思わず嶋谷の方へと視線を向けていた。

両親の死を、その身体が燃え落ちてゆく所を克明に目撃してしまった嶋谷は、未だに『死に向かう者』に対するトラウマのようなものがある。


 既に死んだものならばいい、食べ物だって同じだ―――最初はそれすら駄目だったけれど、食べなければ生きていけない以上、半ば自己暗示のような形でそれを克服していた。

けれど、今まさに死のうとしている存在は駄目だ。それは、嶋谷にとって禁忌だから。

そんな彼がこの光景を目の当たりにして大丈夫なのか―――私には、それが気になっていたのだ。


 外見からは分かりづらい、普段と変わらない立ち姿。

けれど、その手が小さく震えている事を、私は見逃さなかった。

それを目にした私の胸の中に生まれるのは、かつて廃人同然になった嶋谷に対して何も出来なかった無力感。

そして―――



「……賢司君」

「ぁ……ありがとう、ヒメ」



 ―――迷わず足を踏み出す事の出来たヒメに対する、嫉妬のような感情だった。

ヒメは、賢司の様子がおかしい事に即座に気付き、その手を握っていたのだ。

やっぱり嶋谷を助ける役目はヒメのもので、私には後一歩覚悟が足りない。


 小さく自嘲を浮かべて……私は、お婆さんの方へと視線を向けていた。

酷く弱ったその姿。けれど、その目蓋が微かに揺れる。

そして―――その優しげな瞳が開かれ、ゆっくりと焦点を結んだ。



「おぉ……帰って来たのかい、ウツロ」

『うむ……見えるか、すず。私は主の願い通り、私を受け入れてくれる者を見つけてきたぞ』



 あの黒猫、名前はウツロと言うらしい。

葵ちゃんが言っていたのは、やっぱり適当に付けただけの名前のようだった。

ともあれ、ウツロはその視線で私達―――と言うより、葵ちゃんを示した。

と、そこで、葵ちゃんがゆっくりと前に進み出て、おばあさんの隣に跪く。



「おばあちゃん」

「おやまぁ、これは可愛いお嬢ちゃんだ……随分な別嬪さんに拾ってもらったねぇ、ウツロ……」

『ああ、心優しき娘子だ……本当に、な。故に……安心してくれ、我が主よ。私はもう、大丈夫だ』

「そうかい……」



 お婆さんは……すずさんは頷くと、ゆっくりと、緩慢にその手を動かす。

震えるその手は、最早上げる事すら精一杯だろう。

そしてそんな彼女の手を、葵ちゃんは小さな両手で包み込む。



「お嬢ちゃん、お名前は……?」

「葵……市ヶ谷、葵」



 噛み締めるように、そう名乗る事が幸福であると言うかのように、葵ちゃんは自分の名前を告げる。

それを受け取って、すずさんは穏やかに、ゆったりと微笑んだ。



「葵ちゃん……私の家族を受け入れてくれて、本当にありがとうね」

「わたしも、おばあちゃんの家族をわたしにくれて、ありがとう」



 二人はお互いにお礼を言って、お互いに笑顔を交わしあう。

そして、すずさんの視線は葵ちゃんからずれ、後ろに立っていた市ヶ谷さんへと向けられた。

それを受け止め、市ヶ谷さんは葵ちゃんと並ぶようにしながら膝をつき、声を上げる。



「責任を持って預からせて頂きます、すずさん」

「あぁ……ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」

「謝罪は要りません。俺は……謝罪をしながら終わりたくない。全てに礼を言いながら終わりを迎えたい。そう思います」

「そうですね……この年になって教えられるとは、不甲斐ない」



 一度目を閉じ、すずさんは市ヶ谷さんの言葉を噛み締める。

そして―――とてもとても穏やかな、木漏れ日のような笑顔を見せてくれた。



「ありがとう―――」



 余計な言葉は何も無く、それだけにただ純粋な思いが篭ったその言葉。

まるでそれこそが、彼女の魂であったかのように―――すずさんは、ゆっくりと目を閉じ、その身体を弛緩させていたのだった。





















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