23:猫は語る
三上駅周辺、杏奈達が調査を行っていた場所とは駅を挟んで反対方面にある場所。
駅前の広場になっているような場所には、二人の少女の姿があった。
テリア・スリュースと邦崎亜理紗。付き合いも長い二人の少女は、走り去って行く一人の少年の背中を見送り、声を上げる。
「スリュース先輩? 彼の事は放って置いていいの?」
「だいじょーぶだいじょーぶ、彼は主に体力担当だからね。今回のような情報戦の担当にするより、葵ちゃんを探してもらった方がいいよ。それにワタシ、あの子供苦手だし」
あっけらかんと言い放つテリアの言葉に、亜理紗は嘆息と共に半眼を浮かべていた。
いい歳してその発言はどうなのだ、という意志を視線に込めて。
生憎と、その程度で堪えるような柔な神経など、テリア・スリュースという少女は持ち合わせていなかったが。
彼女達は賢司からの連絡を受け取り、同じように葵の姿を探しながら調査を進めていた。
そして先ほど、杏奈の発したメーリングリストからの連絡を受け取り、それと共に友紀は記載されていた場所へと向かったのだが―――
「……本当にいいのかなぁ」
「今回の話で、大体分かっているんだよ。この怪異に危険は無い」
「どうして、そう言い切れる?」
勝手知ったる仲、後輩からのタメ口の言葉も気にせず、テリアは小さく笑みを浮かべる。
だからこそ元来そういった礼儀を重んじる亜理紗は、こと彼女にだけは敬意を見せず、普段通りの対応をしていたのだが。
そしてそんな亜理紗の発した疑問の言葉に、テリアは取り出したメモ帳を捲りつつ声を上げた。
「アリサちゃんは知ってるよね。ワタシが、普段からこの町の噂を蒐集してる事」
「そりゃまあ、前々から聞きたい事も聞きたくない事も延々と聞かされていたから」
「あっはっは、役に立ってたからいいじゃないか」
「……」
バシバシと肩を叩かれながらの言葉に、亜理紗は思わず沈黙する。
怒りを抑えているからと言う訳ではなく、その言葉が純粋に事実だったからだ。
新聞部という仕事以外の点でも、テリアから得る事の出来た話が無駄になった事は無い―――それを、亜理紗は十分に承知していた。
故にこそ、彼女の言葉を遮ろうとは思わない。
そんな亜理紗の態度を受け取り、テリアもまたそれに答えるようにして続けた。
「まあ、噂なんて星の数ほどあるし、猫の噂だっていくつもあった。だからこそ、どの噂が元になっているのか判別する為に、今回は色々と調べていた訳だけど……」
「……やっぱり、一人だけ情報量が多い」
「ワタシがやろうとしてる事は賢司君も理解していただろうからね。問題なし問題なし」
賢司はテリアがどのような行動を行い、どのような情報を集めてきたのかを把握している。
彼は間違いなく、テリアの一番の理解者とも言える存在なのだ。
それは、互いが互いの行動を把握しているからと言う点のみの話ではない。
二人は―――怪異を追う共通の理由を持っているのだ。
「ま、ワタシと賢司君の話は兎も角……今は猫の話だ」
「ええ。それで、神代さんからの連絡で、一体どの噂が今回の怪異の根本となっていたのか、それが判断できるようになったと……そういう事?」
「そういう事」
亜理紗の言葉を肯定し、テリアはメモ帳の中のページの一つを指し示す。
広い範囲で蒐集された噂話、その中でも杏奈が連絡して来た場所に存在するものは、たった一つだけ。
そこに詳しく記載されている記述を確認し―――テリアは、その口元に小さく笑みを浮かべる。
そしてその口から飛び出したのは―――亜理紗にとっては、突拍子も無い言葉であった。
「普通の猫と化け猫の違いって、何だと思う?」
「え……?」
「簡単な質問だし、あんまり深く考えずに答えていいよ。はい、どうぞ」
「いや、そんないきなりどうぞって言われても……」
返答に窮しつつも、亜理紗はその頭を回転させる。
亜理紗はは怪異の事を知っているとは言え、日常的に接している訳ではなく、決して詳しくはない。
その為、そういった怪異に関する話を唐突に振られても己の答えはそうそう出てこないのだ。
故に、亜理紗が導き出したのは、以前テリアが口にしていた言葉であった。
「ええと……喋るとか、尻尾が二本あるとか、開けた襖を自分で閉めていくとか……」
「ふむ、まあそれも間違いでは無いね。けど、今回重要となるのはもっと単純で根本的な話だよ」
「根本的?」
テリアの言葉に、亜理紗は首を傾げる。
怪異に関する根本とはそもそもどこにあると言うのか。
そんな亜理紗の疑問を見透かすかのように、テリアは淡い笑みを浮かべ、声を上げた。
「―――化け猫は、普通の猫よりも遥かに長生きだっていう事だよ」
「あー……成程、と言っていいのかどうか。正直な所、そう言われてもパッと来ないけど」
「でも、イメージは出来るでしょ?」
ヒラヒラとメモ帳を振り、テリアは語る。
既に事件の真相となる部分を見通しながら、どこか迂遠にその明言を避けるようにして。
「長い時を経た動物が妖怪と化す、なんていうのは良く聞く逸話だ。狐も長く生きれば生きるほど尻尾の数が増えて行き、やがては九尾の狐となる。
まあ、その先は逆に尻尾の数が減って、天狐や空狐と言った神の領域になる訳だけど……そこまで行くには3000年とか懸かるらしいし、そこまで極端である必要は無い」
「と、言うと?」
合いの手のように挟まれる亜理紗の言葉。
話す事が好きなテリアの性格をよく理解した、いいタイミングのそれ。
テリアはそれを受けて頷くと、気を良くしたまま話を続けた。
「猫の寿命は、精々十五年と言った所。どんなに長くても、二十年も生きるような存在はまずいないだろう。ならば―――それ以上の期間、姿を変えずに生きている猫が存在していた場合、それは普通の猫だと思うかい?」
「それは……」
一言、異常だろう。
テリアの言わんとしている事を理解し、亜理紗は胸中でそう呟いていた。
どれほどの期間なのかは明言されている訳ではないが、それでも明らかに寿命を超えて尚姿を変える事の無い猫など、異常以外の何物でもないのだ。
つまり、その存在こそが―――
「それが……化け猫だと、そういう事?」
「いや、そんな訳無いでしょ」
確信を得ていた言葉を外され、がくりと亜理紗の力が抜ける。
そんな彼女の姿に苦笑しながら、テリアは肩を竦めて声を上げていた。
「まだよく分かって無いみたいだね、アリサちゃん。いいかい、怪異っていうのはゼロからは発生しないんだ。全て、噂話が元になる。
順序が逆なんだよ、化け猫がいたから噂が生まれるんじゃない。その猫が『化け猫なんじゃないか』と噂され続けたから、猫は怪異と化したんだ」
「でも、普通の猫はそんなに長く生きられる筈が無い。それは貴方が言った事でしょう?」
「そう、生きられる筈は無い。けど、噂になるだけならば、生きている必要は無いんだよ」
核心を外したその言葉に、亜理紗は眉を顰める。
彼女とて考える事を放棄した訳ではないが、目の前で多くの情報を一度に呈示されれば混乱してしまう。
その話が言ったりきたりしていれば尚更だ。これを理路整然と整理できる人間は多くないだろう。
例えば、あの新聞部の部長のように―――そんな事を考え、テリアは小さく苦笑する。
少し意地悪が過ぎたかもしれない、と。
「そうだね……ま、ワタシも見当をつけたに過ぎないから、明言は避けておくよ。さて、そろそろ出発しようか」
「……今更?」
「あの子を見つける為じゃないよ。もうそろそろ、あの辺りを調べてる子達が怪異の根本に辿り着いたかもしれないからね。真相は、怪異本人……って言うか本猫に語って貰うとしよう」
そう言って、テリアは踵を返す。
一つに収束しようとしている異変を、見届けるために。
* * * * *
『あの娘子に付いていた怪異の臭いは、お主が元と言う訳か?』
「アンタ……」
どこか古めかしく感じる男の声。
普通に聞こえている筈なのに違和感を感じるのは、それが猫の口から発せられているからか。
ともあれ、私にはどうにもこの光景に現実味を感じる事が出来なかった。
そう……ひきこさんの領域に足を踏み入れたあの時のように。
『ふむ……いや、少々違うか。あの娘子の臭いはもっと古く、そしてもっと強い。お主の持つ怪異の残り滓とは比べ物にならぬもの』
「……色々、聞きたい事はあるけど……」
混乱している、私はそれを自覚していた。
訳が分からないし、それにこいつの発言もこいつの正体も色々気になるけれど、今は何よりも葵ちゃんの安否が第一だ。
この黒猫は、間違いなく葵ちゃんの事を知っている。
「アンタ、小さな女の子を連れて行ったのよね? その子は何処にいるの? 無事なんでしょうね?」
『無論。私を理性無く暴れまわるだけの怪異と同じにしないで貰いたい』
「……そりゃまあ、無害な怪異がいる事だって知ってるけど」
日記帳の事を脳裏に浮かべ、私は胸を張ってふんぞり返る黒猫の姿を見据える。
どうやら、コイツもその無害なタイプの怪異だったようだ。
少なくとも、人間並みの知性と理性を併せ持っている。その渋い声の主が猫だと思うと非常にシュールだけれど、葵ちゃんの安全が確保されているのならば問題無い。
「まあ、いいわ。それで、葵ちゃんは何処?」
『こちらだ、付いて来るがいい』
何だか、無駄に偉そうね。猫のくせに。
思わず半眼を浮かべつつも、踵を返した猫の後を何も言わずに付いてゆく。
傍目から見ればおかしすぎる状況だけれど、これが怪異だ。一々驚いてなんていられない。
異常な状況にも徐々に慣れ始め、私はいつの間にか俯瞰による世界の切り取りを感じなくなっていた。
猫が向かった先は、あまり遠い場所ではなかった。
住宅街の一角にある、それなりの大きさのある一軒家。
その門の前に、一人の小さな女の子が座り込んでいた。
「葵ちゃん!」
目を見開き、私は葵ちゃんの元へと駆け寄る。
彼女の身体にはどこにも傷は無く、傍目からはどこにも悪い様子は無い。
けど、無害と入っても相手は怪異だ、何が起こっているのか―――
『落ち着け、娘よ。その娘子は、疲れて眠っているだけだ。子供には少々長い距離であったからな』
「そ、そう……良かった」
とりあえず安心し、息を吐き出す。
怪しい猫の言葉を信じるのもどうかと思ったけれど、どの道私にはそれ以外の判断のしようが無い。
私は、先輩みたいな怪異の専門家ではないのだ。
小さく嘆息し、私は猫の方へと視線を向けた。
「それで、アンタはどうしてこの子をこの場所に連れてきたの?」
『怪異の臭いがしたからだ。怪異を受け入れる事が出来る者は、怪異を知る者以外にいない。事実、その娘子を追ってお主のような人間が現れた』
そう言われると、いいように利用された気がして微妙に気に入らない。
いくら人間のような知能を持っていても、相手は動物。人間のような気遣いなんて期待するべきでは無いんだろう。
小さく嘆息し、私は質問を続けた。
「……じゃあ、質問を変える。この場所に私のような人間を読んで、どうする気だったの?」
『見て貰った方が分かりやすいとは思うが……お主一人で何とかできる問題ではない。助けを呼ぶがいいだろう』
「……随分、人間に詳しいのね」
『何、そう教えられていただけと言う話だ。まあ、この場所で話していても仕方なかろう。入ってくるがいい』
怪異だからという訳では無いけれど、この猫もやっぱり謎だ。
するりと門の間を抜けて入ってゆく黒猫に、私は小さく嘆息を零していた。
それは猫だからこそ出来る事なんだけど……まあ、この門は開けようと思えば外側からでも鍵を開けられる簡単なものだ。
周囲に人がいない事を確認してから、私は門を開けた。
そして、その傍で眠っていた葵ちゃんを揺り起こす。
「よし、と……ほら、葵ちゃん起きて」
「ふぇ……? ん……杏奈お姉ちゃん……?」
「そうよ。全く、心配かけて」
目を擦る葵ちゃんに、私は小さく苦笑する。
どうやら、あの黒猫の言っていた通り、全く問題は無いようだった。
葵ちゃんは私の言葉にはっと目を見開くと、ちょっと俯いて声を上げる。
「ごめん、なさい」
「ん、よし。ちゃんと謝れるのはいい子の証よ」
「う、うん……あれ、みゃー太は?」
「みゃー太? あの黒猫?」
何か古めかしくて渋い声してる割には、随分と可愛らしい名前付けられてるわね。
私の言葉に頷くと、葵ちゃんはその姿を探してキョロキョロと周囲を見回し始める。
そんな彼女の姿に苦笑し、私は葵ちゃんの両脇に手を当ててこの子を立ち上がらせた。
「あの黒猫ならこの中に入って行ったわ。市ヶ谷さんも呼んで上げるから、中に入って待ってよう?」
「うん、分かった」
コクリと、無表情に葵ちゃんは頷く。
やっぱりまだ子供らしからぬ部分はあるわね……まあ、悪い子じゃないんだけど。
苦笑しながらも、私は葵ちゃんの手を引いてその家の中へと入っていったのだった。




