02:幼馴染
食事を終え、身支度をして家を出る。
いつも通りの流れだけれど、どこかうきうきする感じがするのは、これが新学期だからだろうか。
時折ちらほらと桜を眺める事の出来る道を歩きながら、私、誠也、ヒメ、トモの四人はゆっくりと通学路を歩いていた。
「んー……今年も綺麗に咲いてるわねぇ」
「杏奈ちゃん、桜ってあんまり好きじゃないんじゃなかったっけ?」
カバンを右手に持ちながら背伸びする私へと、隣を歩くヒメが声をかけてくる。
若干色素が薄めな為、少し茶色っぽく見えるさらさらした髪を揺らしながら小首を傾げる姿に、私は小さく苦笑していた。
何ていうか、その言い方だと桜さんの事を思い出してしまうからだ。
「掃除するのが面倒ってだけ。綺麗だし、見てる分には好きよ」
地面と言うか境内が汚れてしまうのが問題なのであって、それ以外の所ではいくら花弁が降って来ようが問題ない。
それどころか、ヒラヒラと桜の花びらが舞っている光景を見るのはとても好きだ。
降ってくる桜の花びらを捕まえる遊びとか、子供の頃はかなり夢中になったものだしね。
それに、桜は節目に咲く花。何て言うか、気分が良くなってくるのだ。
とにかく、そんな私の言葉を聞いて、ヒメは感心したように頷いて見せた。
くりくりとした目が微笑ましくて、今度は苦笑じゃなくて小さく笑う。
「杏奈ちゃん?」
「あはは、何でもない何でもない。しかしまぁ、ヒメも今年は大変ねぇ」
「あー、そうなんだよねぇ……」
私の言葉に、ヒメは深々と嘆息する。
何が大変か、というのは言うまでも無い。
中高一貫の為かどいつもこいつも規模の大きい、うちの学校の部員争奪戦だ。
今年のヒメは部活に所属していない。どこかからそれを聞きつけた連中が、こぞってヒメを勧誘しに来るのだ。
ヒメは剣道教室の家の娘で、去年まではその教室と、ついでに剣道部に所属していた。
ヒメの家の道場は、剣道部に一人師範代を送っていて、お互い協力関係……って言うか、剣道部は道場の一部のような感じになっている。
まあ、うちの学校の学生だけは部活でやって、その他の学校や小・大学生、そして社会人が道場で練習してる感じだ。
当然、ヒメは部活で練習をしていた……んだけど。
「ってか、懲りないわよねぇ、男ってのはどいつもこいつも。ヒメの外見目当てなのが見え見えじゃない。そんなの、剣道部の二の舞にしかならないでしょうが」
「杏奈ちゃーん、一応私、運動神経はいい方なんだよ?」
ヒメは、かなりの美少女だ。
若干色素の薄い髪は一部を後頭部で結ってあり、その色素の薄さゆえの白い肌は深窓の令嬢を思わせる。
そのくせ胸は結構大きくて、不健康な風にはまったく見えなかった。
目は丸くてちょっとおっとりした感じ、そして性格も控え目で引っかかる部分などまず存在しない。
まあ、押しが弱いせいでちょっと見てて不安だけど……とにかく、男共の注目の的になるのはある意味当然なのだ。
そのおかげで、剣道部でもしつこく声をかけられたり、ぶしつけな視線を向けられたりと、ヒメにとってもストレスになる事が多かった。
だからこそ、ヒメは部活を辞めたのだけど―――
「やっぱり、どっかの部活には入った方がいいかしらねぇ……この分だと、勧誘期間が終わってもしつこく来る連中がいそうだし」
「んー……でも私、もう剣道部はやるつもり無いよ?」
「まあ、ねぇ。私もトモも、あんたをあそこに送り出すつもりなんて毛頭無いわよ。けどまぁ、他の部活だって同じようなモンだろうし……いっそ、文科系にするかなぁ」
「おう! 奴らめ、ヒメのおっぱいに視線を向けまくりおって……断じて許せん! アレは防具で押さえつけられていて、本来のスペックではないというのに!」
「はいはい、トモは黙ってなさい」
ちなみにヒメが剣道部を辞めるきっかけとなったのは他でも無い、あのいづなさんだ。
ある日、休みで帰ってきたお兄ちゃん達に愚痴っぽくヒメの事を伝えたら、次の日にあの人は剣道部へと吶喊していたのだ。
曰く、『自分の弟子にするからここ辞めさせる』だそうで。
無論の事、色んな所から反発の声は上がったけれど、そこは我が兄の友人、正々堂々真正面から防具もつけずに師範代までボコボコにしてしまった。
そして強くなりたいと思っているヒメもいづなさんの剣術に魅せられ、自分からも弟子入りを頼み込みにいったという訳だ。
いづなさんの修行は毎朝二時間程度で、いつも朝になるとうちの神社の裏で稽古をつけていたりする。
「一応放課後は空いてる訳だし、部活はしても問題ないんでしょ? どっか、女の子の多い部活とか行ってみる?」
「どうしよっか……色んな部活あるからね」
「ってか姉ちゃん、そういうのを探してたら、余計に勧誘が激化するんじゃないの?」
「あー、それもそうよねぇ」
誠也の言葉に思わず納得してしまい、私は小さく嘆息していた。
私も部活はやっていない身、ヒメに付き合うのもやぶさかではないけれど、余計に勧誘が増えそうなのは事実だ。
クラス替えもしたばっかりだし、下手にそういう事を聞くと噂が広まってしまいかねない。
「ここはあいつを頼るしか無いかなぁ……」
「あいつって……あ!」
私が腕を組みながら呟いた言葉に、ヒメは疑問符を浮かべながら視線を動かし―――ふと、何かに気がついたように声をあげた。
その視線を辿ってみれば、その先にあるのは学校前の桜並木の道。
そして、その入り口の辺りに立っている一人の男子学生の姿があった。
それが誰かなんていうのは、私からしてみれば考えるまでも無い。
「賢司くーん!」
「噂をすれば壁って奴だな」
「影よ、影」
学校指定のカバンを肩に掛けて、ぼんやりとした表情で桜を見上げていたそいつは、ヒメの上げた嬉しそうな声に反応してこっちの方を向く。
嶋谷賢司―――私達の幼馴染。
この辺りにあるお店、喫茶『コンチェルト』を運営するお姉さんと二人で住んでいて、いつも私達とつるんでいる友人だ。
ちなみに、年齢はトモと同じ、高校一年である。
「おはよー、嶋谷」
「おはよ、賢兄」
「よっす、今日もムカつくイケメンだな、賢司よ」
「おはよう、ヒメ、杏奈、誠也。そして朝からご挨拶だな、トモ」
駆け寄っていったヒメと、それに続く私とトモ。
それぞれ順番に朝の挨拶を飛ばしながら、嶋谷は小さく笑う。
若干童顔っぽくて、結構体格のいいトモに比べれば若干細く感じる。
けど、どっちかと言えば余分な肉が付いていないという感じだろう、結構スマートな印象を受ける。
嶋谷は腕時計の時間を確認して一度頷いてから、私達の方へと声を上げた。
「また例の修行か?」
「うん、そうだよ。今日もいづなさんにしっかり稽古つけて貰っちゃった」
「そうか、変な事されて無いよな?」
後の一言は私に向けてのものである。
まあ、口の上手いあの人相手にヒメが丸め込まれる事など、聞くまでもなく分かりきってるからであろう。
それに対して小さく肩を竦め、私は嘆息を零しながらも返答する。
「まあ、変な事をしないようには言っといたわよ。お兄ちゃんにも気をつけて貰ってる」
「そうか……あの人、腕も頭もいいんだけどなぁ」
「性格がねぇ……」
『……はぁ』
「ふ、二人とも! いづなさんはいい人だよ!」
二人して嘆息する私と嶋谷の様子に、ヒメは慌てたように手を振りながら声を上げる。
うん、まあ師匠の名誉を守りたいって言うのは分かるんだけどね、あの人の性格は擁護のしようもなくアレだから。
そんな私達の様子におろおろとするヒメ―――と、そんなヒメの肩に、ぽんと手が置かれた。
「安心しろ、妹よっ! 俺は、俺はあの人の素晴らしさを知っているッ!」
「お兄ちゃん! そうだよね、いづなさんはいい人だもんね!」
「応とも、おっぱいの素晴らしい人に悪い人はいない!」
「お兄ちゃん!」
「妹よ!」
ひしっ、と抱き合う二人。
とりあえず、ヒメはトモがいづなさんの胸に関してしか言及してない事には気付いてないようだ。
そして、そんな二人を冷たい視線で見ながら、誠也がボソッと声を上げる。
「アホな事してると、遅刻するよ?」
「っと、そうだったな。そこのバカ兄、妹にバカを伝染そうとするのは止めろよ」
「賢司ぃ! そこはちゃんとツッコめよ、寂しいだろ!?」
「誠也のツッコミじゃ不満と来たか……まあ、いいけど。とりあえず行くわよー」
とりあえず二人を引き剥がし、学校へと続く桜並木を進み始める。
ここの桜は相変わらず見事で、日曜日には歩行者天国になるため、時々花見をしている人たちがいたりするぐらいだ。
散っちゃう前に一度は花見をしておきたいと思いつつ、私はさっきの話を嶋谷へと向けて切り出した。
「嶋谷、ちょっと相談があるんだけど」
「っと、杏奈もか? 実はこっちにも相談があったんだが」
「そっちも? 珍しいわね……どっちからにする?」
「ああ、そっちからでいいよ。レディファーストだ」
「さらっとイケメン台詞を吐くなよ賢司! 俺の立場が無くなるだろうが!」
「トモ兄には最初からそんなの無かっただろ」
「ごふぅっ」
誠也の一言で撃沈するトモはどうでもいいとして……今はヒメの部活の話だ。
嶋谷は結構色々な所に顔が利くから、どこかしらいい部活を知ってるかもしれない。
って言うか、コイツも確かどっかの部活に入ってたような気がするんだけど……まあいいか、とりあえず聞いてみるとしよう。
「実は、ヒメの事なんだけど……最近の状況、知ってるでしょ?」
「ああ。まあ、あのまま剣道部に居させるのも問題だとは思ってたし、前よりはいいと思ってるけどな」
「それは私もよ。だけどこのままだと、際限なく勧誘受けそうだからね……ちょっと、解決策が無いかと思って」
そう私が告げた言葉に、嶋谷はきょとんと目を見開き、一瞬身体を硬直させていた。
並んで歩いていたのに少しだけ遅れてしまった嶋谷に、私は首を傾げながら視線を向ける。
「どうかした?」
「ん、ああ……いや、ちょっとあまりにもぴったりなタイミングだったもんで、ついな」
「ぴったり?」
首を傾げる私の言葉に、嶋谷は小さく苦笑のような表情を浮かべる。
どこか嬉しそうな、それでいてちょっと引け目を感じているような、そんな感じの表情。
あんまり良く見る表情ではないから、そこからだけでは私でもコイツの考えを読み取る事は出来ない。
まあ、ヒメの為なんだし、コイツも真剣に考えてくれているとは思うけど。
「こっちからの頼みにもちょっと絡んできそうな話だったんだよ……まあ、今詳しい話をするのも難しそうだけど」
言って、嶋谷は視線を前方へと向ける。
もう学校の正門はすぐそこで、確かにもう詳しい話をしている暇は無さそうだった。
流石に、いつまでも話してたら遅刻になっちゃいそうだしね。
それを分かっているからだろう、嶋谷は小さく肩を竦めると、視線を再び私の方へと戻して声を上げた。
「とりあえず、昼になったら迎えに行くから、一緒に来て欲しい。確か、お前もヒメも2年D組だったよな?」
「うん、そうだけど……あ、誠也はどうする?」
「姉ちゃん、俺バスケ部だって」
と、思わず聞いちゃったけど、そう言えばそうだったわね。
部活の話なら、誠也が居てもしょうがないか。
一応、文科系と運動系の兼部は認められてはいるんだけど、推奨されてるって訳でも無いしね。
「ま、了解。昼休みになったら待ってるわ」
「今日はお弁当だし、一緒に食べようね、賢司君」
「賢司ッ! お前は秋穂さんの弁当だろう、俺におかずを寄越せ……いや、下さい、お願いします!」
「分かったから頭を下げるな、土下座するような勢いになるな、頼むから」
相変わらずの調子であるトモへと嘆息交じりの声を上げ、嶋谷は頷く。
嶋谷の姉である嶋谷秋穂さんは、一人で喫茶店を営んでいる、コイツの保護者のような人だ。
正直手伝わなくていいのかなーとは思うけれど、嶋谷の仕事は朝と夜の力仕事だけだから、後は秋穂さん任せなんだそうだ。
秋穂さんは一人で喫茶店をやっているだけあって、色々なスキルがかなり高レベルの水準に達している。
特に料理は、私達の誰もが追いつけないほどに上手だ。
ともあれ、一緒に昼食を摂る事に関しては全く問題ない。
学年どころか校舎まで違うし、一緒に食べる機会も減っちゃったけど……でも、こういうのがあってもいいわよね。
そうこうしてる間にも私達は校門を潜り、校舎の方へと足を進めている。
ここで、一旦別れないと。
「さて、それじゃあまた昼休みに」
「待ってるからね、賢司君」
「皆で食うんだったら俺も行こうかな……」
「おお、来るがいい誠也。『あーん』とか、してやるぜ……?」
「いいから、お前はもう帰れ……ま、後でな」
それぞれ言葉を交わして、私達は別の校舎へと足を進めてゆく。
何となくわくわくした気分が増しているのは、きっと気のせいでは無いんだろう。
さて、今から楽しみね。