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17:在り得ざる声











「ふう……ちょっと調子に乗りすぎちゃったかしら」



 皆に対して出していた料理の皿を片付けながら、嶋谷秋穂は苦笑交じりにそう呟く。

久方ぶりの従兄弟にして幼馴染の帰還に浮かれていた為か、彼女は若干料理を作り過ぎてしまっていたのだ。

大食漢である友紀がいてもなお、僅かに残してしまうほどの量だったのだから、その夢中っぷりが窺える。

そう浮かれてしまうほどに、秋穂にとっては重要な出来事だったのだ。



「……もう、七年前にもなるのね」



 虚空を見上げ、秋穂はそう呟く。

七年前―――それは、嶋谷、市ヶ谷両家の夫妻が交通事故でその命を落とした年だ。

その時の悲痛な出来事は、今も尚秋穂と賢司、そして浩介の胸に残り続けている。

生き残ったのは僅かに三人。そして、秋穂と賢司を庇った浩介もまた、決して無傷と言う訳には行かなかった。

事故に遭って、気が付けば何もかも失っていて―――それでも、失意の中で生きるしかなかった。



(……本当に、二人には感謝しないと)



 胸中で呟く秋穂が思い浮かべるのは、賢司と浩介の姿。

両親を失った瞬間を見た上、尊敬する兄のような人物が重傷を負った姿を間近で目撃した賢司は、当時酷く憔悴した状態にあった。

それこそ、しばらく病室の外に出る事すらままならなかったほどに。

そんな弟の姿にこそ、秋穂は己を奮い立たせていたのだ。


 ―――賢司を死なせる訳にはいかない、私が賢司を護らなくちゃいけない、と。



(今になって考えれば、私が賢司に依存していただけ……)



 けれど、それでも良かったのだろう。

己を省みて、秋穂はそう自分に言い聞かせる。

ただ護られるばかりだった子供が、突然そんな事を口にし始めた所で、何かが出来る訳ではない。

けれどそれは確かに、秋穂にとっての第一歩だった。

皮肉ながら、そんな事件があったからこそ、秋穂は今こうして自立して店を切り盛りする事が出来ているのだ。

過去は過去、今は今なのだ。故に―――後悔は、どうしても残ってしまう。



「あの時―――」



 ―――私は、浩介君の様子に気づく事が出来なかった。


 弟を護る事に必死で、弟を支えてくれる人が現れた事に喜ぶばかりで、重傷の身からようやく立ち上がった浩介の様子を、秋穂は見逃してしまっていたのだ。

故に、高校を卒業した直後に旅立った彼を、引き止める事ができなかった。

浩介の事を見ていなかった秋穂には、彼を止めるだけの言葉を見つける事が出来なかったのだ。

無論の事、様子を見守っていたからと言って、浩介を引き止める事が出来たかどうかは分からないが―――今もそれは、秋穂の胸中にわだかまりとなって留まり続けている。


 だからこそ、戻ってきた今がチャンスなのだと、秋穂は己に言い聞かせる。

再び子供を引き取ってきたのだから、浩介はそれなりの期間ここに滞在する事となる。

故に今度こそ、彼の事を見逃さないようにと。

再びそのチャンスが巡ってくるかどうかは分からないが、秋穂はじっと、浩介の様子を見つめ続けていた。

と―――



 ―――にゃあ。


「あら?」



 響いた鳴き声に、秋穂は目を見開く。

ふと振り返って勝手口の方へと視線を向けてみれば、曇りガラスの向こうに見えるのは小さな黒い影。

気になって扉を開けてみれば、そこにいたのは漆黒の毛並みに黄金の瞳を持つ猫だった。



「あら、珍しい。猫が自分からやってくるなんて……」



 人に慣れているのか、扉を開けても逃げる様子の無い黒猫に、秋穂は小さく頬を緩ませる。

そして秋穂はふと思いつき、流し台の横に置いてあった料理の残りへと視線を向けた。

そしてもう一度、鼻をひく付かせて周囲へ視線を向けている猫の様子を見つめ、小さく苦笑する。



「お腹空いているの? ちょっと待ってね?」



 そう告げ、秋穂は置かれていた料理の中から、猫の食べられない食材が無いかどうかを確認する。

とりあえず大丈夫であることを確認すると、それを小皿に取り、猫の前に差し出した。

黒猫はしばし警戒した様子で食べ物の匂いを嗅いでいたが、大丈夫であると判断したのか、中々の勢いでそれを口にし始める。

そんな様子を微笑ましそうに見つめながら、秋穂は猫の首輪の有無を確認する。



(ふむ、野良みたいね。その割には、人間に慣れてるみたいだけど)



 近所の人にも餌を与えられていたのだろうか―――などと考えながら、秋穂は小さく笑みを浮かべた。

どうであれ、小さな動物と言うのは決して苦手ではないのだ。

衛生上店の中に入れる訳には行かないが、こうして外で触れないように餌を与える程度であれば問題は無い。

と―――そこで、食事を終えた猫が皿から顔を上げた。



「美味しかった?」



 答えが無い事を知りつつ、柔和な表情で皿を回収する。

そんな秋穂の言葉に答えるように、黒猫は一度機嫌良さそうに尻尾を揺らしていた。

猫の姿を微笑ましそうに見つめ、秋穂は店の中へと戻ってゆく。



「それじゃあね、猫ちゃん」



 そう告げながら勝手口を閉じようと、後ろ手にドアノブを掴む。

そして軽く扉を押しながら店の中に戻った―――その、瞬間。


 ―――ありがとう。



「え―――?」



 小さな声が届くと共に、扉がバタンと閉じる。

咄嗟に振り返るも、既に曇りガラスの向こうに猫の姿はなく、扉を開けて顔を覗かせても、その姿は影も形もなくなっていた。

キョロキョロと左右を見回し、小さく首を傾げ、秋穂は怪訝そうな表情で呟く。



「気のせい……かしら」



 不可解に思おうと、確かめる術は無い。

しきりに首を傾げながらも、秋穂は再び店の中へと戻っていったのだった。











 * * * * *











 一体あの人は何者なのか―――しかし問いただそうにも、彼は答えてはくれないだろう。

いや、案外答えてくれるのかもしれないけれど、どう聞いたものかさっぱり分からない。

どうして怪異の事を知っているのか、何故怪異の専門家などと名乗れるほどに詳しいのか。

今まで何をして来たのか―――気になる事は山ほどある。



「あー、もやもやするなぁ……」



 頭を掻き毟り、うんざりと息を吐き出しながら、日記帳との会話を終えた私は店の中へと戻ってきた。

ゲームは終盤、篠澤兄妹の最下位争いの様子をちらりと眺め、そしてその視線を市ヶ谷さんの方へと向ける。

彼は先ほどと何ら変わらない様子で、楽しそうにゲームの行く末を見つめていた。

その姿は、普通の優しいお兄さんと言った風情。

疲れてうとうとし始めた葵ちゃんを膝に乗せながら、とりあえず最後までは観戦しようとしているのだろう、穏やかな表情を見せている。



「……ホント、謎だわ」



 おかしな雰囲気なんて何もなく、何処にでもいそうな人なのに、訳の分からない事を知っている。

嶋谷や先輩の経験、さっきまでの話、そして七年前の事……それらの事から考えれば、多少は想像する事ができる。

嶋谷や先輩が都市伝説を調べ、怪異と関わるようになったのは、きっとこの人に関わりがある事なんだろう。

先輩が怪異と相対する時にあれだけ真面目で、必死なのも……きっと、そこに原因がある。



「だけど―――」



 まだそれほど信頼できた訳では無いけれど、市ヶ谷さんは多分優しい人だ。

そうじゃなきゃ、見ず知らずの女の子を養子に迎え入れるとか、そんな事は出来る筈が無い。

だからこそ、危険があるかもしれない怪異に嶋谷達を関わらせる事は、きっと反対すると思う。

それでも今、嶋谷達がこうして怪異に関わる事が出来ているのは―――



「……ただの好奇心で、そこまでは行かないわよね、嶋谷」



 小さく、一人ごちるように呟き―――周りが見えていなかったんだろう。

じっと皆の方を見つめていた私は、角から出てきた秋穂さんとぶつかってしまっていた。

その胸にぶつかった感触が女としてちょっと悔しかったけど、それはともかく。



「わっ……っと、ごめんなさい秋穂さん」

「あ、ううん。私もちょっと考え事してたから……ゴメンね、杏奈ちゃん」



 私が反射的に謝れば、秋穂さんは少々浮かない表情のままコクリと頷いた。

そんな今の状況にそぐわぬ秋穂さんの表情に、私はすぐさま疑問を覚える。

皆がいて、市ヶ谷さんが帰ってきていて……そんな、秋穂さんにとっては凄く嬉しい状況のはずなのに、この人が表情を曇らせているのは不自然だと思えて。

私はどうしても、それを問い質さずにはいられなかった。



「あの、秋穂さん? どうかしたんですか?」

「え?」

「いや、浮かない顔をしてたから……あの、ぶつかった時痛かったですか?」



 いやまあ、私だってヒメや先輩ほどじゃないけど、胸だって無い訳じゃないんだから、ぶつかって痛いとかそういう事は無いと思いたいんだけど。

私が色々と複雑な思いを抱きながらそんな風に問いかけた所、秋穂さんは苦笑交じりに首を横に振った。



「いえ、そんな事は無かったわ。大丈夫、心配しないで。ただちょっと、不思議な事があっただけだから?」

「不思議な事?」



 殆ど反射的に、私はそう問い返す。

この間の事件が遭った為か、そういう言葉に対して敏感になっているんだろう。

まあでもそれとは別に、秋穂さんが悩んでいるのであれば力になりたいと思う。

多少話すだけだったとしても、気は晴れるのかもしれないのだから。

そんな私の意思を読み取ってくれたのか、秋穂さんは小さく笑みを浮かべながら私に告げた。



「うん、さっき、勝手口の方に野良猫がいたんだけど……」

「へぇ、見たかったなぁ」

「うん、可愛い猫ちゃんだったわよ。あ、でも綺麗なっていった方がいいかもしれないわね。で、その子に料理の残りをあげてたんだけど……いざ戻ろうとした時に、その猫ちゃんが喋ったような気がしたのよ」

「喋った? どういう風に?」

「えっと、『ありがとう』って……そう言っていた様に聞こえたわ」



 盛った猫の声が人間の赤ん坊に聞こえると言う事は良くあるけれど、猫が喋る?

それは確かに不思議だけれど、何とも判断しがたい言葉だ。



「えっと……それは鳴き声とか、扉が閉まる音を聞き間違えたとかではなくて?」

「うん、そう言われると、そんな気もしてしまうのよね……」



 どうやら、割と曖昧な認識らしい。

私の言葉を聞くと、そちら側でも不自然ではないと考え始めたようだった。

そこまで微妙な疑い方であるならば、あんまり気にする必要は無いだろうと、小さく笑みを浮かべて声を上げる。



「多分、そうですよ。それに、猫が喋ったんだとしても、お礼を言ってくれていたんならそれでいいじゃないですか。喋れても喋れなくても、きっと感謝してくれてますよ」

「ふふ……そうね、そうだといいね」



 そう言って、秋穂さんは笑う。

そしてとりあえず話す事でスッキリしたのか、大分落ち着いた表情で頷く。

そんな秋穂さんの様子に安心して私も小さく笑みを浮かべる―――と、唐突に後ろからトモの悲鳴が上がった。

どうやら、ゲームはヒメの勝利……って言うか、ヒメがビリを逃れて終了したようだ。

それを見て皆の様子を確認した秋穂さんが、パンパンと手を叩いて声を上げた。



「はい、それじゃあそろそろお開きにしましょう。これ以上遅くなると心配されちゃうわよ?」

「ふぅ、盛り上がったぜ」

「楽しかったです。秋穂さん、賢司君、ありがとうございました」

「礼には及ばないって……見送りはいるか?」

「大丈夫よ、安全だって知ってるからね」



 嶋谷の申し出を苦笑交じりに断り、私は頷く。

もうこの町に、ひきこさんの脅威は存在していない。

未解決事件と言う形にはなるだろうけど……それでも、あの事件はゆっくりと忘れ去られて行くはずだ。



「いやいや賢司君、男の子は女の子をエスコートするもんだよ。と言う訳で、私を送って送り狼になっておこうか」

「一番近所に住んでるくせに何を言ってるんだ部長」



 ああ、この近くに住んでるのか、先輩。

まあどっちにしろ、商店街に近いこの近辺は夜中まで明るいし、危険は殆ど無いだろう。

先輩が一番安全、二番目に安全なのは、ヒメとトモが傍にいる私だろう。

二人の家は私の家の先だから、私は二人と一緒に帰るだけでいいのだ。

皆危険なんてまず無い、安心して変えれるだろう―――


 とまあ、そんなやり取りもそこそこに、私達はそれぞれの家路についていたのだった。











 * * * * *











 割り当てられた部屋に戻り、浩介は安堵にも似た息を吐き出す。

眠ってしまった葵を掃除した部屋のベッドに寝かせ、数年ぶりにもなる自室に戻ってきた浩介は、その変わっていない様子に小さく苦笑を零していた。



「相変わらず、真面目だな」



 自らの従姉妹の姿を思い浮かべ、浩介はそう呟く。

心配を、苦労をかけてしまっている負い目と、しっかりと生きる事が出来ている事に対する安心。

七年前の凄惨な事故は影も形もなく、穏やかな生活を手に入れた自分の家族。

戻ってきた甲斐があったと―――浩介は、そう実感していたのだ。



「―――とは言え、酔狂に変わりはないと思うがな」



 ―――唐突に、声が響く。

しかしそれに驚愕する事もなく、浩介は小さく嘆息を零し、そしてその視線を窓際の壁へと向けていた。

そこに立っていたのは、今まで部屋の中にはいなかったはずの少年。

浩介が入り口に立っている以上入り込む手段は無い筈なのに、その少年は悠然と、余裕のある笑みを浮かべながら声を上げる。



「まあ確かに、嶋谷秋穂と嶋谷賢司、そしてそのガキを護ると言うのなら、この場所に戻ってくる他なかっただろう。だが、受身のままでは解決しないぞ?」

「……アンタか。いつも唐突に現れるな」

「まあ、いいじゃねえか」



 くつくつと笑い、少年は顔を上げる。

どこか悪戯好きな、それでいてこれ以上無いほどに強い意志を込めた視線。

それを真っ直ぐと受け止めながら、浩介は逆に視線を返す。



「俺がやる事も、俺の在り方も変わらない。だから、アンタの忠告も受けて、考えて、その末に出した結論だ。アンタに文句を言われる筋合いは無いぞ」

「ははっ……ああ、そう言うと思っていたさ。安心しろよ、別に邪魔をする気も、文句を言う気も無い。あんたが選んだあんたの道だ。それが、俺は心底美しいと思うよ」



 そういって、少年は笑う。

何処までも嬉しそうに、そして何処までも傲慢に。

人にあらざる視点で人を見ているような、そんな言葉。

しかし若干ながらの共感を得てしまうその条理に、浩介は思わず苦笑を零していた。



「ああ、じゃあ見守っていてくれ。その末に、約束を果たして貰う」

「そういう契約だからな。安心してくれ」



 そういって、少年は踵を返す。

窓を開ける訳でもなく、それが別れの合図であるとでも言うかのように。

そして最後に、肩越しに視線を向け、少年は言い放った。



「それじゃ、またな。しばらくは大した騒ぎも無いだろうから、安心してくれ」



 それだけ告げると―――少年の姿は、まるで空気に溶けるかのように消え去っていた。





















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