15:賢司とテリアを繋いだ者
秋穂さんのただならぬ様子に、私達全員の視線が彼女達の方へと向けられる。
ただ、嶋谷だけはその男性の方へと秋穂さん達と同じような驚愕の視線を向けていた。
時間帯を外しているためお客さんも殆どいないけれど、正直異様な雰囲気だ。
けれど、そんな空気も気にする事無く、男性はにこやかに声を上げる。
「いやぁ、本当に久しぶりだなぁ。しばらくぶりすぎて街並みまで変わっちまったんじゃないかと危惧してたが、やっぱりそんな事はなかったな。
まあでも変わる所は変わって、残すべき所は残している、いい変化って所だろうな。
お、そっちにいるのは賢司か? あっちも結構大きくなったもんじゃないか」
「……嶋谷、知り合い?」
「あ、ああ……」
微妙にわざとらしく感じられるマシンガントークに、半眼を浮かべながらも、私は嶋谷にそう問いかける。
正直、怪しい。怪しさ万点過ぎる。一体この男は何者なのか、と。
まあ、一応秋穂さんとテリア先輩の知り合いみたいだけど。
確か、秋穂さんはさっき『浩介君』とか言ってたっけ?
「こ……コースケ?」
「っと、何だそっちはテリアだったのか。すっかり大きく綺麗になってるもんだから分からなかった」
「……ああいう台詞をさらっと吐く人な訳?」
「あー、うん。まあ」
歯切れの悪い調子で、嶋谷は頷く。
さて、やっぱりテリア先輩も知り合いだったみたいだけど……本当に何者なのかしら、この人。
と、そこで、今まで硬直していた秋穂さんが再起動し、わなわなと震える声を発する。
「こ、浩介君が……女の子、誘拐……け、警察!?」
「ちょっ!? いや、ちょっと待って秋穂さん!? 違うから、って言うかそのリアルな反応ヤメテ!?」
「コースケ……女の子と見れば小さくても大きくてもお構いなしなんだね……ワタシの事は遊びだったというの!? ワタシを抱き締めてくれたあの夜の事は!?」
「テリアアアアアアッ! お前、おもむろに俺に対して社会的抹殺を図るのはやめろ!」
ああ、うん。成程、こういう人なのか。
まあ、テリア先輩は兎も角、秋穂さんは半ば素で言ってる可能性があるから性質が悪いけど。
目が点になっているヒメや、なにやら無意味に闘志と言うか対抗意識を燃やしてるっぽいトモは放って置くとして……どうやらあの男の人は、嶋谷以外にテリア先輩の過去を知る貴重な人物らしい。
気になる話ではあるけれど、話しては貰えるのかしらね?
私はちらりと横へ視線を向け―――それとほぼ同時、その視線の先の嶋谷は大仰な嘆息と共に声を上げた。
「姉さん、部長、まだ営業中だから落ち着いてくれ。それと、浩介兄さんも……多分、飯でも喰いに来たんだろ?」
「お、おお……久しぶりだな、賢司。それとサンキュー」
「いいから、とりあえず座ってくれ」
時間が時間だし彼の後ろでお客さんがつかえてると言う事は無かったけど、それでも入り口で立ちっ放し、しかもなんか妙に騒いでいたら、お客さんは入って来れないだろう。
調停役として嶋谷が声を上げると、妙な騒ぎはすぐさま収まった。
テリア先輩も、ウェイトレスの仕事には真面目らしく、それ以上妙に茶化す事はなかった。
彼女は肩を竦めながらメニューを秋穂さんに伝えると、それでもやっぱり気になるのか、浩介さんとやらが座った席の隣―――即ち、私達の席と彼らの席の間に立つ。
何故か妙な緊張感が周囲に広がったけれど、嶋谷は嘆息と共に肩をすくめると、心底疲れた表情で声を上げた。
「この人は市ヶ谷浩介さん……俺の従兄弟に当たる人だ」
「ん……あれ、市ヶ谷さんって、このお店を元々持ってた人の……」
「ああ、よく覚えてたな、ヒメ。この店は、本来この浩介兄さんのものなんだ」
喫茶『コンチェルト』は元々嶋谷の親戚が持っていたもので……その親戚も、嶋谷の両親が亡くなった事故で一緒に死亡している。
その後、秋穂さんの希望や色々な権利関係の話し合いがあって、結果的に今の形に収まったのだそうだ。
嶋谷には両親の遺産があったし、その親戚……今聞いた所では、市ヶ谷って人の遺産もあったから、高校を卒業してあまり経っていない秋穂さんでもこの店を何とか切り盛りする事ができたのだ。
無論、そこには秋穂さんの努力や周囲の人々の助けがあったからこそであり、安穏と流れに身を任せていれば得られない今だっただろう。
ボーっとそんな事を考えつつ、件の人物を見つめる。
よくよく見れば、成程……確かに、多少嶋谷と似通った容姿をしているように感じる。
「で……浩介兄さん、こいつ等は俺の幼馴染だ。兄さんは多少見た事があったかもしれないけど」
「ああ、まあな。と言っても、お前が遊んでるのをちらりと見るぐらいだったからほとんど覚えてないが……自己紹介しとこう。俺は賢司の従兄弟の、市ヶ谷浩介だ。それで、こっちの子供は市ヶ谷葵……成り行きで、俺が引き取った子供だ」
「あ、はい! 私は篠澤姫乃です。賢司君とは、いつも仲良くして貰ってます」
「俺は姫乃の兄の、篠澤友紀。賢司の兄さんだって言うなら信用するさ」
「……私は、神代杏奈。同じく、こいつ等の幼馴染よ」
私は流石に初対面で信頼するほどお人好しな人間じゃないけど……まあ、嶋谷が信用している以上はそこまで悪い人間と言う事は無いでしょうね。
で、まあそっちはいいんだけど……こっちの小さな女の子は何なのかしら。
引き取ったという話で、更に同じ苗字となれば養子なんでしょうけど……何だか、こっちの事をすごく警戒されてるわね。
市ヶ谷さんの腕にしがみついて、隠れるようにこっちの事を見つめている。
そんな葵ちゃんの様子に、市ヶ谷さんは小さく苦笑を零していた。
「悪い、この子は人見知りが激しくてな。まあ、何だ……あんまり、この子の過去は聞かないでくれるとありがたい」
「……はぁ。大方、ワタシと同じような感じなんだろう?」
嘆息と共に、テリア先輩はそんな事を口にする。
そしてそれと同時、嶋谷の視線はなにやら考え込むように細められていた。
事情を知っている嶋谷だからこそ、それがどういう意味なのか分かったんだろうけど、私達にはその背景に何があるのか分からない。
でも……葵ちゃんと同じって事は、先輩も―――
「はは……まあ、そういう事だ。仲良くしてくれるとありがた―――」
「やだ」
一斉に、沈黙が降りた。
まあ、今のは仕方ないと思うけど……全員の視線が、再び一斉に葵ちゃんへ向けられる。
分かりやすい拒否の言葉を発した葵ちゃんは、市ヶ谷さんの腕と言うか脇腹に顔を埋めるようにしながら、腕と脇腹の間から顔を覗かせて声を上げる。
「わたしにはコースケがいる。だから、いい」
「いや、葵。お前な……」
「また変な子供拾ってきたねぇ、コースケ。相変わらず、呆れるほどお人好しなのは変わらないんだ」
「うるせぇびっち」
その言葉に、びしりと先輩が硬直した。
おお……先輩にそんな反応をさせるとは、と妙な事で感心しながらも、私は渇いた笑みで葵ちゃんを見つめる。
一体誰だ、そういう言葉をこの子に教えたのは……って言うか、この状況で犯人は一人しかいないんだけど。
先輩も同じ結論に辿り着いたのか、こめかみに青筋の浮いた満面の笑顔で、市ヶ谷さんへと向けて声を上げる。
「コースケ、子供に一体何を教えてるのかなー」
「い、いや、俺の所為じゃないぞ!? 旅先で泊まったホテルで、俺が昼寝してる間にこの子がいつの間にかギャング映画を見ててだな……!」
「そういうのを監督不届き行きって言うんだよ? 知ってるかな保護者さん?」
「へっ、あえぎごえ以外にも口を回すだけののうみそがあったとはな」
「誰が淫乱だよ!? ワタシは処女だ!」
いや、普段からエロキャラ作ってるくせに、その言い方はどうなんだろう。
まあ、大方そんな事だろうとは思ってたけどさ……って言うか、この言葉遣いは本当に何とかした方が良さそうな気が。
バチバチと火花を散らす幼女と巨乳。どっちにしろ、あんまり健全とは言いがたい。
まあ、あのお子様も、流石に意味が分かって言ってる訳じゃないみたいだけど。
と―――その様子を呆れながら眺めていた私の袖が、不意に引っ張られた。
「ん? ヒメ、どうしたの?」
「ねえ……『びっち』って、何?」
その言葉に―――びしり、と、私は思わず先輩とは違う意味で硬直していた。
いや、こっちは純粋すぎる……けど何か説明し辛いし、ヒメが穢れそうで嫌だ。
誤魔化すように笑いながら、私はヒメの肩を掴んで声を上げる。
「気にしなくていいから」
「え、でも―――」
「いいから」
いやまあ、アレだ。多分高校生になる頃には自然に意味を知る事になるだろうから、今はいい。
って言うか、私も説明しづらいし、トモもなんか変に誤解した教え方をしそうだ。
そして、嶋谷もそんな事を教えるのは酷だろう。
小さく嘆息しながら言い争う二人へ視線を戻すと―――カウンターの方から、秋穂さんの声が響いた。
「テリアちゃーん、とりあえずオーダー持って行ってー」
「あ、はーい。ふっ、一時休戦だよ幼女」
「へっ、逃げるのかいきょにゅうよ」
「生憎、安い挑発には乗らない主義なんだ。そっちも、オーダーが決まったら持って行ってあげるよ」
さっき、滅茶苦茶安い挑発に乗っていたような気がするんだけど……楽しそうだし、どうでもいいか。
何ていうか、仲悪そうに見えつつ、この二人は微妙に意気投合してるんじゃないかと思う。
放っておくと、共に市ヶ谷さんに関する愚痴を語り合い始めそうな気が。
ん……そういえば、テリア先輩と市ヶ谷さんは―――
「……ねえ、嶋谷。先輩とアンタが親戚みたいなものって、そういう事なの?」
「ああ、一応黙っていてくれよ? 部長も、昔の事を思い出すのは好きじゃないだろうから」
カウンターの方へと去っていく先輩の背中へちらりと視線を向けつつ、私は頷く。
気にならないと言ってしまえば嘘になるけれど、それでも人の過去を無理に掘り起こすようなつもりは無い。
特に、都市伝説に対して妙な執着を見せる先輩の事だ、何かしらあった事は間違い無い。
そして……それは、この葵ちゃんも同じなんだろう。
この間『ひきこさん』に遭遇したから、都市伝説を十把一絡げに危険なものだと思っている事は否めないけど……もしあんなのに遭遇していたのであれば、それこそ安易に触れるべきではない。
「……はぁ」
都市伝説。実体を得た怪異。
そして、それらを知る事によって見えてくるようになってしまったもの。
人の過去の異常なんて、見えない方が平和に暮らして行けるものだ。
けど、嶋谷と先輩はもうずっと前にその異常を知って、或いは巻き込まれて―――言うなれば、それに魅せられてしまったのだろう。
先輩が都市伝説に取り組む姿勢には、どこか義務感のようなものが感じられるし……嶋谷も好奇心の他に、どこか必要性のようなものを抱いているように見える。
怪異調査部は何の為にあるのか―――
危険があるかもしれない場所に、名前を借りる為だけでも私達を誘ったのは、嶋谷がそれだけこの部活を存続させたいと思っていたという事だ。
何かを調べる為か、純粋に先輩の事を手伝いたいからなのか……それは、分からない。
けれど、この部活を続けていれば、それが見えてくるかもしれない。
「お待たせしました」
ボーっと考え事を続けている内に、注文したメニューを先輩が持ってきていた。
ケーキは出来合いのものだから時間はかからない。私とヒメのメニューは両方とも、既に揃っていた。
とは言え、共に遠慮して食事を待つようなことはしないし、トモも全く気にしないから、私達はいただきますと言ってケーキに手をつけ始めた。
と、それを羨ましそうに見つめる視線が一つ。
「ケーキ……」
「あはは、葵ちゃんも一口どう?」
子供好き―――と言うか、小さくて可愛い物好きなヒメが、頼んだラズベリータルトの一切れをフォークに突き刺して葵ちゃんに差し出す。
彼女は一度ぎょっとした表情を見せるものの、甘いものの誘惑には勝てなかったのか、おずおずと口を開けてケーキを招き入れた。
これらのケーキは秋穂さんの手作りで、その料理スキルも相まって下手なケーキ屋よりもよっぽど美味しい。
この店の先代の主は正式なパティシエの資格を持っている人で、その人から直接教わっていたんだそうだ。
それが多分、この市ヶ谷さんのご両親だったんだろう。
「おいしい……!」
「そうでしょ? 秋穂さんのケーキは絶品なんだよ」
「そうねー……っと、こっちも食べてみる?」
私もブルーベリームースのケーキを一口切り分け、葵ちゃんに差し出す。
警戒する子供を懐かせるには甘いもの。これで、多少なりとも警戒心が和らいでくれるだろう。
もぐもぐと口を動かす葵ちゃんを見下ろし苦笑する市ヶ谷さんは、私やヒメへと向けて軽く頭を下げた。
まあ、別に礼を言われるほどの事でも無いんだけど。
と―――そこに、穏やかに微笑む秋穂さんが現れた。
どうやら、オーダーが落ち着いたらしい。
「はい、どうぞ。人気商品、イチゴのショートケーキです。今回はサービスにしておくからね」
「おおー」
「っと……悪いな、秋穂」
「別に、気にしないで。ここの二階に住むんでしょう? 結局ご飯を作ってあげる事は同じなんだから」
「ああ……助かるよ」
この店は元々市ヶ谷さんのものなんだし、居住スペースも確保してあるんだろう。
しかし、嶋谷もだけど羨ましいわ……いつも日持ちのしない売れ残りのケーキ食べられるんだし。
女の身としては体重を気にしなきゃならないけど、秋穂さんはどうやってあのスタイルをキープしてるんだろう?
甘いものは全部嶋谷に食べさせてるのかな?
「一応浩介君の部屋は掃除してあるけど、葵ちゃんの部屋も空けないとね」
「あ、それなら私達も手伝いますよ」
葵ちゃんの事を見つめながらそう呟いた秋穂さんに、ヒメはにこやかな笑顔でそう口にする。
初めから私やトモの事まで勘定に入っていることに苦笑し―――けどそれを否定する気もなく、私も頷く。
秋穂さんもヒメの気質は理解しているんだろう。穏やかに微笑み、首肯した。
「うん、それならお願いしちゃおうかな。賢司、後で案内してあげてね」
「ああ、了解だ……見たところ、浩介兄さんもその子もあんまり私物は無さそうだし、その辺りの調達もかな」
「なら、力仕事は俺と賢司の仕事って訳だ」
家具の移動とかはトモと嶋谷に任せようかしらね。
掃除は私達、そして買出しは全員で、という感じで。
どうせ今日は暇だったんだし、やれる事をやるだけやってみるとしましょうか。
私達は視線を合わせて頷くと、自分の頼んだメニューを攻略する事に専念し始めたのだった。