13:『ひきこさんもどき』の収束
「―――それは、『ひきこさん』の逸話の内の一つだね」
事件が終わって、休みも明けた月曜日。
未だ部活禁止は終わってないけれど、私達は前と同じように昼休みで部室に集まっていた。
話の議題として上がったのは、どうして嶋谷があのひきこさん―――森杏奈の名前を言い当てる事ができたのか。
それに対して、既に状況を把握していたのか、先輩は小さく肩を竦めながら声を上げた。
「ひきこさんは、名前で襲う相手を判別する事がある。彼女は自分と同じ名前、そして自分をいじめていた者と同じ名前の相手は襲わないんだ」
「……でも、私も一度は襲われたんですけど」
「そりゃ、ひきこさんだって超能力者じゃないんだ、聞きもしない相手の名前なんか知らないよ」
ある意味、超能力者なんかよりよっぽど性質が悪いと思うんだけど……って言うか、そんな所だけ人間らしくしないで欲しい。
最初から名前を見分ける能力でもあれば、私は最初から襲われなかったのか。
「まあ、だから対策として、ひきこさんの名前が付いた名札をつけていると襲われない……という物があったんだけど、本名分からない内からやっても無駄だったから、話さなかったんだよね」
「今回はそれが仇となってしまった感じですね……最初からこれを聞いていれば、杏奈もピンと来たかもしれない」
「いや、そんなに買い被られても困るんだけど……」
いくらなんでも、相手が驚いただけで『自分と同じ名前なのではないか』なんて事は思いつけない。
ゆっくり考えれば多少は想像が付くかもしれないけれど、それを土壇場で使用するほどの度胸は無い。
とにかく、嶋谷はその逸話からひきこさんの本名を想像し、そして『ひきこさん』という都市伝説を収束させたのだろう。
「あ、あの……これで、事件は終わったんでしょうか?」
「うん、終わっているよ。これ以上ひきこさんが現れる事は無い」
「随分断言してますけど……相手は噂話ですよね?」
若干寝不足気味―――どうも、夜になってようやく恐怖がぶり返してきたらしく、あんまり眠れなかったらしいヒメがおずおずと手を挙げつつ声を上げる。
しかしそれに対し、テリア先輩はまるで考える間もなくその言葉を否定していた。
正直、私にはそんなにあっさりと終わるとは思えない。
相手には実体が無いのだ、人々の認識が根本である以上、倒した所で意味が無いように思えてしまう。
そんな私達の疑問を察したのだろう、先輩は小さく笑みを浮かべながら声を上げる。
「都市伝説って言うのはね、所詮は噂話……人々の認識の上に成り立っている。ならば、今僕らがここにいる事が、ひきこさんが終わった事への証明になる」
「え、と……どういう事ですか?」
「俺達五人……いや、トモは池の中だったからあまり見てないかもしれないが、俺達はひきこさんが消滅する所を目撃したんだ」
ちなみに、池の中に飛び込んだトモは、現実世界に戻ってきてから陸に上がってきた。
びしょ濡れもいい所だったけれど、流石は体力バカ、風邪をひくような事はなかった。
今日もピンピン無駄に元気な様子で石段を登り、我が家にやってきたぐらいである。
と、それはともかく……嶋谷の言葉に、私は首を傾げた。
「私達はたった五人じゃない。そんな少人数の認識で大丈夫なの?」
「ああ、そうだ。噂話って言うのは、本物を見た事が無いから噂話なんだよ。
だから、酷く曖昧な物になる……けど、俺達は確たる現実としてひきこさんの終焉を見送った。
不特定多数の現実味の無い認識よりも、少人数の確かな認識……俺達が都市伝説の怪異『ひきこさん』が終了したと認識している限り、それが塗り替えられる事は無い」
「まあそれに、ワタシの方でも手は打ってあるからねぇ」
嶋谷の説明は……まあ、何となく理解できる。
けど、先輩の打った手っていうのは微妙に怖い所があるんだけど。
一体、何をやらかしたんだろうか、この人は。
私が半眼でじっと見つめると、先輩は身をくねらせながら妙な笑いを浮かべつつ声を上げた。
「いやん、こんな昼間から視姦だなんて、杏奈ちゃんてば大胆……」
「対都市伝説モードが終了して平常運転になった用で何よりです。いや、って言うかむしろずっとあのモードでいてください先輩。そっちなら多少は尊敬できるので」
「更に放置プレイ……流石だね、杏奈ちゃん!」
サムズアップして叫ぶ先輩。いい加減無理矢理にでも口を閉じさせた方がいいのでは無いだろうか。ヒメの教育に悪い。
しかし、それを実行に移そうとする直前に、先輩は話を再開させた。
タイミング読んでやってるわね、この人。
「今回の件を、ちょっとばかりオカルト雑誌に投稿したんだよ。あ、実名とかは出してないから安心してね」
「……ああいうのは、オカルト好きの噂の発信源みたいなものだからな。噂を広めさせるにはうってつけという訳だ」
「俺達の活躍が!? それは是非とも購入しなくては!」
「トモ、アンタは変なものにはまりそうだから止めときなさい……って言うか、どんな内容にしたんですか、それ」
何だかんだで私達の事を気遣ってくれる先輩だ、私達が特定されるような情報は渡してないんだろうけど……それにしたって、ちょっと不安と言うか、どんな風に脚色されてしまったのか気になる。
後、トモはぶっちゃけ活躍してない……いや、頑張ったのは事実だし凄く助かったけど、アレを書かれてもカッコよくはならないと思う。
私の言葉に対し、先輩はニヤニヤとした笑みを浮かべながら声を上げた。
「怪奇! 小学生殺人事件の犯人は、都市伝説『ひきこさん』だった! とか」
「まあ、その辺弄るのは不謹慎だし、向こうが勝手に脚色するだろうから適当に流れだけ書いておいたが……とにかく、一般的な『ひきこさん』に関するレポートと、今回現れたひきこさんとの相違点。
そして、桜の中に現れる『ひきこさんもどき』に対する対処法まで載せた……という感じだな」
要するに、桜の中に現れる『ひきこさん』は偽物で、それは本当の名前を言い当ててやると消滅するとか、そういう感じの話なのだろう。
ただ、この先輩がそれだけで話を済ませているとは思えない。
絶対に、何か面白おかしく脚色しているはずだ。
そう思い、ちらりと嶋谷のほうに視線を向ける……彼は私の視線を受け取り、深々と嘆息を零していた。
「……オカルト雑誌の方には出してないが、こっちの新聞部にはもうちょっと情報提供してる。そっちには……あれだ、美少女剣士が活躍してうんたらー、とか」
「ぇええっ!? け、剣士って……それはそうだけど、美少女じゃないよ!?」
「いや、ツッコミ所そこじゃないから。ってかヒメが美少女じゃなかったらこの世の誰もが美少女じゃなくなる」
「杏奈ちゃんも大概姫乃ちゃん大好きだねぇ」
先輩の戯言はスルー。相手してもスルーしても余計な反応してくるからどっちにしろあんまり意味無いけど、今回は話の勢いを折らないようにするつもりだったらしく、特に変な茶々は入れてこなかった。
まあ、それはいいんだけど―――
「……それ、ヒメだって分からないようにしてるんでしょうね?」
「ああ、それに関しては細心の注意を払った。新聞部の方も、特定はできないようにする事に同意してくれたよ。多少噂になる可能性はあるが、ヒメがはっきりと否定すれば大丈夫だ」
「つまり、私任せと……まあ、噂になる事自体が目的なんだから、それぐらいがちょうどいいんでしょうけど」
要するに、素人に手を出しづらくすると同時に噂を広める事を目的としているんだろう。
多分、視線が新聞部に行くような書き方で作っている筈だ……私達は別に名声なんか欲しくない。そして、新聞部はより注目を集めたい。利害は一致しているんだ。
ヒメみたいな実力者でなければ、手を出せば殺されてしまうかもしれないから、下手な事をするんじゃないぞ、と。
まあとにかく―――そうして、嶋谷たちは『ひきこさんもどき』が収束した事を逸話にしたいんだろう。
「とにかく、必要なのは森杏奈……彼女が『ひきこさん』とは違う存在であるという認識を生み出す事。そしてその怪異は終了しているという認識を持たせる事。
どういった条件で都市伝説が形を得るのかまでは定かでは無いが、それでもちゃんとした対処法さえ噂話として形成してやれば、対処はし易い」
まあ、コイツがここまで断言するんだから、もう大丈夫なんだろう。
多くの人間が『ひきこさんもどき』―――森杏奈を中心とした怪異は収束したと認識すれば、その都市伝説は終わったままとなる。
もう二度と、彼女の存在が辱められる事が無いように、と。
相変わらず妙な所で他人を気遣う奴だ……まあ、だからこそ嶋谷賢司である、とも言えるんだけど。
ただ―――少しだけ、気になる事がある。小さく嘆息し、私は視線を机の上に落とした。
「……終わった、のよね。なのに、どうしてこれは残ってるの?」
「ふむ……それが分からないんだよなぁ」
私の疑問に対し、嶋谷は眉根を寄せる。
そこに置いてあったのは一冊の本。あの事件の後、何故か私の手の中に残り続けた日記帳。
あの子の部屋で手に入れた、都市伝説の一部であったはずのそれ。
しかしそれは、未だ私の手の中に存在していた。
「中は読んでみたの?」
「あ、はい。何か分かるかと思ったんですけど……実は、全部白紙になってて」
文字を書くための線も、日付を書く場所すら存在しない、ただの白紙の本。
ただ表紙に『杏奈の日記』と書いてあるだけのそれだ。
正直、私の日記みたいで気味が悪いというか気分が悪いと言うか。
先輩はそんな日記をじっと見つめ、しきりに首を傾げながら何かを考え込んでいるようだった。
正直、先輩と嶋谷に分からないのだったら、私にもお手上げなんだけど―――
「うーむ……とりあえず、ちょっと何か書いてみれば?」
「いや、そんなテキトーな……呪われたりしないですよね?」
「まあ、物は試しだよ。何か分かるかもしれないし、得体が知れないままよりはいいだろう?」
「それで分かるとも限らないんだけど……まあ、やってみます」
と言っても、咄嗟に何か書けといわれても困るんだけど。
まあ、本当に適当でいいか……とりあえず、日付でも書こう。2011年の4月―――
「……え?」
「これは……!」
そして、次の瞬間起こった出来事に、私は思わず目を見開いていた。
書き終わった文字―――それらが、滲んで沈み込むように消えていたのだ。
何が何だか分からず私は硬直し……その間に、異なる文字が浮かび上がった。
『それが、今の日付なの? すごく、時間が経っているんだね』
丸く、女の子らしい小さな文字。
その文字は、この場にいる誰の筆跡でもなく……一つだけ当てはまるとするならば、この日記の表紙の文字と同じだった。
……今回の事件で、ありえない経験なんていくらでもした。
だからこそ、今何が起こっているのかぐらいは見当が付く。
ごくりと喉を鳴らし、私はもう一度日記に文字を書き込む。
「……『貴方は、森杏奈?』」
―――この受け答えをしているのが私の想像した通りであるならば、これは彼女だ。
直接話をした訳ではない、けれど何故か直感がそう訴えている。
これは彼女なのだ、と。
『そうだよ。貴方も、杏奈なんだよね?』
「っ……『ええ。私は、神代杏奈』」
『神代杏奈。苗字はどうやって読むの?』
「『かじろ、よ。貴方が住んでいた場所の近くの神社に、そんな名前の家があると思う』」
『あの神社! 私も昔行ったよ!』
彼女の……森杏奈の文字は、現れては消えている。
そして書き込んだ私の文字も、すぐさま染み込むように消えてしまう。
ありえない現象―――これも都市伝説の一部なんだろう。
「返事をするはずの無い存在が返事をする……それは都市伝説でも割とありがちなパターンではあるけど……一人で書いて一人で返事をする、そんな一人遊びが都市伝説と化したパターン?
ひょっとして……森杏奈は、生前も怪異に取り憑かれていた?」
「ええと……『この日記は、昔からこうやって受け答えできたの?』……っと」
『うん、そうだよ。昔は私が書いて私が答えていたから、私以外が書いてくれるのは凄く新鮮』
どうやら、先輩の仮説はそれなりに当たっていたらしい。
彼女の行っていた一人遊びは、いつの間にか都市伝説という形を得ていたのだ。
けど、ここに宿っている彼女は、あのひきこさんとなった少女と同じなのかどうか。
って言うか、あの部屋にあった間、この子はどうなっていたのか。
「……『ひきこさんになっていたのは、貴方なのよね?』」
『私だけど、私じゃない。根本は同じだけど別々で存在していた……けど、意識は繋がっていたから、何をしてたかは分かる。ごめんなさい、沢山迷惑をかけてしまった』
「意識自体は同じだけど、同時に別々に存在していた……まるで偏在だね」
「頭がこんがらがってきちゃった……」
「安心しろ、ヒメ。俺は最初から分かってない!」
……トモ、そこは威張る所じゃない。そして慰めにすらなってない。
と―――そこで何かを思い出したように、ヒメが弾かれたように顔を上げた。
そのまま、ヒメは私の方へと声をかける。
「ねえ杏奈ちゃん、私、その子に謝りたい」
「謝る?」
「そう。皆を護る為とは言え、私はその子に剣を向けちゃったから……だから、謝らないと」
相変わらず律儀と言うか何と言うか、やらなきゃ私達が死んでたかもしれないというのに。
でもまあ、それでこそヒメらしいと言えるかもしれない。相手は小さな女の子だったんだ、心苦しさも感じていたんだろう。
小さく肩を竦め―――私は、日記に書き込んだ。
「『ひきこさんになっていた貴方と戦った子が、貴方に謝りたいと言ってるわ』」
『ううん、悪いのは私の方。あの時は痛みも感じていなかったし、止めてくれて感謝してる』
浮かび上がってきた言葉を見せると、ヒメは安堵したように微笑を浮かべる。
どうやらこの子、ただ話してるだけの会話は聞こえてないみたいね。書き込まないと分からないのか。
まあ、それは兎も角だけど―――少し、気になる事が出来たわね。
けど、ここで聞くのはちょっと―――そう思っていた、瞬間だった。
「あ、予鈴……」
「昼休みも終わりだな。さっさと戻らないと、五時限目に遅刻するぞ?」
「ちぇー、面白くなってきた所だったんだがなぁ」
予鈴が鳴り響き、昼休みが残り僅かである事を告げる。
もう少し話していたかったのは事実だけど、これはこれで都合がいいかもしれない。
私は小さく笑み、荷物を纏めるヒメへと声をかけた。
「……ヒメ、先に戻ってて。ちょっと先輩に聞きたい事があるから」
「え? それなら、待ってるけど……」
「ちょっとかかるかもしれないからね。私の個人的な用事だから、気にしないで」
「んー、分かった。それじゃ、遅刻しないようにね」
注意するように、それでも気遣いの色を隠せぬままヒメが言った言葉に、私は小さく微笑んだ。
そして頷きつつ、嶋谷たちの方へも視線を向ける。
「分かったわ。嶋谷とトモも、また放課後に」
「ああ」
「おーう」
ヒラヒラと手を振りながら、三人は出てゆく。
嶋谷だけは若干何かに気付いた表情を浮かべていたけれど……あいつには後で話しておく事にしましょう。
それよりも、今は―――
「個人的にワタシに話っていうのは珍しいね、杏奈ちゃん」
「……多分、これを相談すべき相手は、先輩以外にいませんから」
言って、私は再びペンを取る。
その動作に先輩は訝しげな表情を浮かべるけれど、私は構わず日記に―――森杏奈へと語りかけた。
「……『ひきこさんとなっている時の貴方は、ヒメ―――あの時貴方が戦っていた相手の事ばかりを狙っていたように見えたわ。それはどうして?』」
「―――!」
声に出しながら書き込んだその内容、それに対して先輩は驚いた表情で目を見開く。
そしてがたんと音を立てながら立ち上がり、私の手元―――日記からの返答へと視線を向けた。
対し、先ほどまでと同じように対して間を置かず、少女の宿った日記は告げる。
『沢山の囁き声に包まれて、あの私は私を思い出せなくなっていった。そして、こっちの私もカギをかけられてしまった。でも、何となく覚えてる。ひきこさんと呼ばれた私は、あの私を包み込んだ何かは、確かにあのお姉さんを求めていた。
あのお姉さんの中にある何かに、凄く惹かれていたんだと思う』
―――やっぱり、そうだ。
公園の中で追い掛け回された時は、偶然だと思った。
けど、あの時……嶋谷がヒメの事を庇った時、ひきこさんはそれでも後ろにいるヒメの事を狙っていた。
無差別に狙うのであれば、あんな攻撃しづらい場所にいたヒメを狙うはずが無い。
都市伝説は、怪異は確かにヒメの事を狙っていたのだ。
「……先輩、これは続くと思いますか?」
「何とも、言えないね。けれど、可能性はある。森杏奈を包み込んだという沢山の囁き声……それが都市伝説を実体化させるものだとするならば、同じ方法で実体化した都市伝説が同じ理由で姫乃ちゃんに惹きつけられる可能性はあると思うよ」
その先輩の言葉に、私は沈黙する。
嫌な予想は当たってしまった。この部に関わったから……とは言えないだろう。
相手は勝手に歩き回る都市伝説、いずれは出会っていた可能性が高い。
その時、もしも対処法が何も分かっていなかったら―――
「先輩、この話はヒメには教えないようにしてください」
「……君達を護る為に、一人きりで戦おうとしてしまう?」
「そう、あの子ならそうしてしまう。だから、皆で一緒にあの子を護らないといけない―――正式な入部の話です、先輩」
あの子を護るならば、そういった情報を得られる場所でなくては厳しい。
ならば、この部こそが最もそれに適しているだろう。
この怪異調査部こそが、ヒメを護る防具にして武器だ。
私は、視線を上げる。
その視線を真っ直ぐに受け止め―――テリア先輩は、どこか楽しそうに、不敵な笑みを浮かべて見せた。
「あの子を護る為に、協力してください」
「……ふふ」
ここまで見てきて分かった事は、この先輩は都市伝説に何らかの思い入れがあると言う事。
そして、それを収束させる事に対しては非常に真面目であるという事。
故に、ヒメを護る為にこの人以上の適任はいない。
互いに利用し合おうと、私は契約を持ちかける―――先輩は、正面からそれに応じて見せた。
「ようこそ、怪異調査部へ。優秀な部員を歓迎するよ、杏奈ちゃん」
―――それが、私達の部活の、本当の始まりだった。




