105:斬神の巫女
鈴を振るうと共に、清廉な音が周囲に響き渡り、場を浄化してゆく。
それ程霊感の強くない私だけど、それでも十分に感じ取れるほどの強さで、結界とでも呼ぶべきものが広がって行った。
この世界が情報を、人々の認識を再現する世界だからだろうか。
ある意味神器とも呼べる品を使って広げた領域は、ヒメと賢司に殺到しようとしていた怪異たちの動きを止めていた。
いや、それどころか妖怪系の怪異は完全に消滅してしまっている。
そして残る怪異達も――
「こいつを聞けっ!」
先輩が掲げたラジオから流れる音、それを聴いた瞬間苦しむように身をよじり始め、終いには溶けて元の黒い泥のような物体に戻ってしまった。
とりあえずある程度の範囲からは怪異の姿が消え、私はほっと息を吐きながらも、ヒメの方へと駆け寄ってゆく。
今まさに、バカな事をやってのけようとしたこの子の元へと。
「ヒメ!」
「あ、杏奈ちゃ――」
「この、おバカぁぁぁぁぁぁああああ!」
そしてその走る勢いのままに、私はヒメのおでこへと向けて自分のおでこを叩きつけていた。
中々にいい音が鳴り、二人してその場にうずくまる。
……勢いのままにやってしまったけど、結構痛かった。
「あ、杏奈ちゃん……い、痛い」
「い、痛くしたからに決まってるでしょうが……!」
「やった本人まで涙目ってのはどうなんだ、お前」
何だかちょっと久しぶりな感じがする賢司の呆れた声に、私は頭を軽く振って気を取り直す。
そして立ち上がり、仁王立ちの体勢でヒメの事を見下ろし、声を上げた。
「それをやったらどうなるか、前に教えて貰ったでしょう!? なのに、どうして使おうとするのよ!」
「な、何で――」
「勘!」
まあぶっちゃけ理由になってないが、そうだったのだから仕方ない。
けれどこの直感も、ウツロの話を聞くことで何となくその正体を知ることができた気がする。
これは恐らくだけど、お兄ちゃんが力を貸してくれているという事なのだろう。神憑りか、加護とでも呼ぶべきか。
まあそれはともかくとして、今はヒメの話だ。私はちらりと黒い塔――逸話の王の方へと視線を向け、それが蠢きつつもこちらを攻撃する気配が無い事を感じ取り、声を上げる。
「アレをやっちゃったら、もう二度と戻れないのよ!? 年も取らなくなる、永遠にそのまま! 私たちと同じ時間を生きられなくなる! あんた、それでもいいって訳!?」
「必要があるなら、私はやるよ。今は、そうしないといけない時だから」
真っ直ぐと見上げてくるヒメの瞳――その中にあったのは、どこまでも深い信念と呼ぶべき想いだった。
あまりにも強すぎて読み取ることが出来ず、逆に空洞のようにすら感じてしまうそれを感じ取り、私は思わず内心で舌打ちしていた。
タイミング的にギリギリだったけれど、やはり危険な領域まで足を踏み入れてしまっていたらしい。
あの力を使うには、まず精神的な部分が必要となってくる。
ヒメはその条件を満たしてしまったのだ。そうなれば、後はもう意志次第で、ヒメは人間の領域を超えてしまう。
それだけは、認める訳には行かない。
「ああもう……見てみなさい、ヒメ」
「え?」
行って、私は後ろの黒い塔を示す。
変わらず聳える漆黒の異形。先ほど鈴を使ったおかげでその威圧感はある程度抑えられているけれど、相変わらず凄まじい存在感を放っている。
――そう、その威圧感を、存在感を感じる事が出来るのだ。
「超越者ってのはね、本当に私達の認識の外にある存在なのよ。私がお兄ちゃんたちの気配を感じ取れるのは、お兄ちゃんたちが私たちに合わせてある程度スペックを落としているから。そうでもしないと、力が強すぎて無差別に大きな影響を及ぼしてしまう」
桁が違うのだ。本来ならば、私達はその影を踏む事すらもできない。
同じ領域に駆け上がろうとしているヒメでも、それを使わなければ同じ事だろう。
けれど――私達は今、あの凄まじい存在感を感じ取る事ができている。
あんな発狂している化け物に、私たちに力を合わせて威圧するなんて事、出来るはずも無いのに。
「本来なら、抵抗の暇なんて存在しない。認識する暇すらなく殺されてしまう」
「でも、それならどうして――」
「虫の息なのよ、アレは」
この異界に来る前、煉さんが言っていた。こいつの事を撃って、力を削いだと。
お兄ちゃんたちが口を揃えて『最強』だと言う煉さんの弾丸を、逸話の王は受けたのだ。
それを喰らって、果たして無事に済むものだろうか。
そんなはずが無い。そもそも、煉さんが相手を仕留め損なうという事自体がありえない。だって、あの人の力はそういうものだから。
「煉さんの攻撃を喰らって、その後無理をして私達を飲み込んで煉さんとお兄ちゃんの抵抗を喰らって、その上で更に無理をして怪異を生み出し、私達を仕留めようとした」
無理の上に無茶と無謀を重ねた。そこまでしなきゃいけない理由なんて私は知らないけれど、とにかくあいつはそれだけ力を使ってしまっているんだ。
つまり今、あいつは私たちでも手を伸ばせる領域にまで下がってきている。
「HP1、無茶苦茶動きが鈍くなってる。転んだら死ぬような瀕死状態……それでようやく、私たちにとって格上って所よ」
それでも尚、あいつは強い。私と先輩が二人で道具を使わなきゃ、さっきの怪異どもを追い払えなかったぐらいだ。
どうしたところで、一筋縄ではいかないだろう。
けれど、けれど――手を伸ばせば、届く。そして届けば、勝つ事ができる。
最大の好機、最良のチャンス。今でさえ動けないような奴に対して、全員で襲い掛かって全力で倒す。
煉さんがどこまで考えていたのかは分からないけれど、この状況を利用しない手は存在しない。
「私は何も無くさない。私の幸せを諦めない! あんたはどうするの、ヒメ!」
「……そん、なの。決まってるよ」
ヒメが、俯かせていた顔を上げる。
その顔に浮かべられていたのは、どこまでも嬉しそうな表情だった。
本当にあるべき自分の姿を見つけた、晴れやかな笑顔。
そして、自分たちが勝つ事を信じた、強い視線。
戦う覚悟を決めた、ヒメの姿だ。
「私は、賢司君と一緒に幸せになる。その約束だって、忘れたわけじゃないんだから」
「さっきまでそれでも無理してやろうとしてたみたいだけど……ま、これ以上の説教は後にしてあげるわよ」
ヒメの手を取り、立ち上がらせる。
後々の説教が避けられない事に気づきヒメの表情は若干強張っていたけれど、それぐらいは勘弁して貰わないと駄目だろう。
さて、状況は最悪の中の最高。事前準備なんてまともに出来ていない、勝機の薄い状況だ。
――十分すぎる。
「賢司!」
「ああ、指揮は任せろ。今回は現場の戦力として役立ってもらいますよ、部長」
「そりゃもう、バリバリ働くよ。お姉ちゃんとしていい所を見せないと。秋穂さん、この子の事をお願い」
「ええ……無理はしないでね」
部長から葵ちゃんを押し付けられた秋穂さんは、心配そうに私達の事を見つめている。
しかしながら、無理をしないというのは無茶な相談と言うものだろう。
怪異相手に無理をしないのは大前提だけれども、そもそもこの状況自体が無理無茶無謀だ。
それでも、やってやらなきゃならない。
「トモ、お前は俺と姉さんたちの護衛を頼む。杏奈は怪異を抑える役。そして、ヒメ」
「うん、分かってるよ賢司君――」
軽く振り下ろした木刀を、ヒメは改めて構え直す。
その切っ先が向けられる先は、聳え立つ逸話の王だ。
緩慢な動きながらこちらを見据えるように動きを止めた奴は、ゆっくりと表面を泡立たせ、その中から無数の怪異を生み出してゆく。
アレに止めを刺せる者がいるとすれば、それはヒメだけだ。
それが分かっているから、ヒメはこれ異常なく強い決意を携えて、己の願いを宣言する。
「――皆は、私が護るから!」
初めて怪異と関わった時のような、怯えの色は一切無い。
今はただ、己の信じた道を突き進むだけの強さを持っているのだ。
その強い思いに同調するかのように、逸話の主はついにその行動を開始する。
鳴動が響き渡り、そして地面に落ちた汚泥が、いくつものかいいの形を成してこちらへとゆっくり歩き始めたのだ。
けれど、私達の傍にあるものは僅かにうごめくだけで怪異の姿を形成するような事は無かった。
いける――そう確信し、私は拍手を打つ。
「――此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ」
そしてしゃんしゃんと鈴を鳴らし、謳い上げるのは大祓詞。
この祝詞は前段と後段に分かれており、前段は『祝詞を良く聞くように』と宣告する内容だ。
祓い清める浄化の歌となっているのは後段の方。
故に私は、そちらの祝詞を口にする。
「國つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ」
そして、それと共に広がってゆくのは禊祓の結界。
本来なら気休め程度でしかないはずのものは、人々の認識によって成り立つ世界だからこそ、より強くその姿を現してゆく。
けど、まだ狭い。もっと、もっと広く。逸話の王の場所まで、これを押し広げなければならないのだ。
ヒメを、あいつの元まで送り届けるために。
その思いに続くように、私の横からベージュ色のコートが飛び出してゆく。
「コースケの完成させた特製情報音波攻撃だ! しっかり味わいなよ!」
言って、先輩は左手にあの古ぼけたラジオを掲げ、盛大にその音を鳴らし始める。
市ヶ谷さんの作り上げた怪異に対する汎用的な攻撃。以前見た時は相手の動きを鈍らせる程度の力しかなかったけれど、無数の怪異の情報を追加する事によって、その威力を大幅に高めている。
私の鈴と祝詞、そして先輩のラジオ――それらだけでも、瀕死の敵が生み出してくる怪異程度ならば、殆どシャットアウトする事が可能だ。
けれど、それでも潜り抜けてくる強度を持つような怪異も存在していた。
が――
「部長、左前方から怪異――」
「どっせえええええいッ!」
戦況を観察していた賢司が指示を飛ばそうとした瞬間、その後ろにいたトモが怪異へと向けて何かを投げつけていた。
一応トモが何をしていたのかを知ってる私は驚かなかったけど、その掛け声のせいで先輩が一瞬足を止めてしまう。
だが、それはさほど問題は無かった。
トモが投げつけたもの――蓋の開いた家庭用の塩の小瓶の直撃を喰らい、その怪異は消滅していたからだ。
塩は清めの力を持っている。それを思いついた私が、あらかじめ武器として集めさせておいたのだ。
近所のスーパーから塩が無くなってしまったが、この世界の中なので問題はないだろう。
「あー……『赤いちゃんちゃんこ』だったと思うんだけどな、今の……っと、あっちは『ババサレ』か」
「先輩、援護は――」
「大丈夫、対処法が無いようなのが来たら姫乃ちゃんに任せるよ」
先輩は時に的確に、そして時に木の棒――破魔矢を使いながら怪異を倒してゆく。
しかし、そうして私達が徐々に前進すればするほど、怪異の量はどんどん多くなっていった。
けれど、それは同時に、逸話の王が更に消耗して行っているという事でもある。
正面に存在する黒い時計塔――その姿は、初めに見たときよりもかなり細くなってきている。
追い込めているのだ。少しずつかもしれないけれど、確実に。
「彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ」
祝詞を紡ぐ。前線はゆっくりとだが確実に、押し込む事ができている。
僅かな懸念があるとすれば、それは先輩のラジオだろう。
相変わらずB面再生が出来ないあれは、一度切れてしまえば再生するのに時間がかかってしまう。
その間、ヒメが前線を支えなければならないのだ。
ならば――と、私はゆっくりと足を動かし始める。
神楽曲目『潮祓』、その際に用いられる歩法だ。
必要なのは強くイメージする事。私がより神聖な領域を作り上げ、不浄なる存在である怪異を近づけないようにする事。
「……もうすぐ切れる! 姫乃ちゃん、注意して!」
「はい!」
先輩の声に、私は更に気を引き締める。
神楽は止めず、動き回るが故に敵から視線を外さなければならない。
それはどうしようもなく不安だったけれど、ヒメならば大丈夫なはずだ。
鈴と、祝詞と、神楽。私に出来る最高の祓い。
それが形を成すと同時に、先輩のラジオが音を途切れさせた。
同時、強烈な圧迫感が私の背中にかかるのを感じる。
「ッ……此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す速開都比賣と言ふ神 持ち加加呑みてむ」
それでも、祝詞を止めはしない。
大丈夫だ、背中はヒメが護ってくれている。
なら、恐れる必要など何も無い。
決められたとおりに歩み、そして振り返る。そこでは、ヒメが怪異に囲まれながらも、一歩も引く事無く前線を維持し続けていた。
速く、そして無駄が無い。流れるような動きで木刀を振るい続けるその姿は、いつかのいづなさんのそれに重なった。
掴もうと突き出されてくる怪異の腕を踏み込みながら躱し、その脇腹の部分を撫で斬りにする。
そして更に滑るように前に踏み出すと、その先にいた妖怪の首を一刀の下に落としていた。
前に進む事は出来ていない。けれど、一歩たりとも戦線を後ろに下げさせない。
「ははっ」
小さく、笑い声が響く。
ちらりとそちらへ視線を向けてみれば、トモが楽しそうに笑みを浮かべているところだった。
こんな時に何を――という所だけど、気持ちは分からなくもない。
多勢に無勢、どうしようもない。けれど、負ける気も全くしない。
「ヒメがアタッカーで、俺がディフェンダー、先輩は遊撃。杏奈がみんなの補助をして、賢司が全体の指揮を取る。いいね、しっくり来るじゃねぇか」
「ゲームじゃないんだぞ、トモ。まあ、気持ちは分からなくもないがな」
相変わらず塩を投げているトモに、賢司は苦笑交じりにそう答える。
ああ、私達だからこその一体感だ。祝詞を口にしていなかったら、私も笑っていただろう。
その代わり、強く強く、意志を込める。
先輩が再び音の再生を開始するまでに――私の禊を、逸話の王の元まで届かせる!
「此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を――」
先輩が顔を上げる。その手にあるのはあのラジオだ。
またそれが音を発し始める、その直前。私の作り上げた神域は、あの刀の足元に辿り着いていた。
さあ、これで――
「――天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す!」
「さあ行って、姫乃ちゃん!」
「ッ――――!!」
祝詞の完成と、先輩のラジオの音。
その二つの衝撃によって、結界内部にいた怪異たちが纏めて硬直する。
この中では、それは動きづらくなっている事だろう。
そしてそんな木偶の坊共は――
「はぁぁああああッ!」
ヒメの振るう木刀によって、瞬時に斬滅させられてゆく。
狙いがヒメである怪異達は手を伸ばそうとするが、あまりにも遅い。
体勢を低く、極限の体捌きで駆け抜けるヒメ――その視線の先にいる逸話の王は、大きくその身体を胎動させる。
『チカラ、ヲ――――』
初めて聞く、奴の声。
それと共に逸話の王からひときわ大きな汚泥が垂れ落ち、地面で一つの形を成した。
それは、巨大な白いワニ。人が逃がしたために下水道で育ってしまったという都市伝説。
大きな顎は、低い大勢のまま走り抜けるヒメを、そのまま飲み込まんとするように口を開く。
警告の声を上げようとした、その瞬間。
「――無拍・辻祓」
既に、ワニの上顎と頭が宙を舞っていた。
刀を振った瞬間が認識できない、あまりにも自然な流れの中で放たれた一閃。
そしてそれを放ったにもかかわらず、ヒメは一瞬たりとて動きを止めないまま、ワニの残骸を蹴って跳躍し――
「あなたの願いが、何だとしても――」
怪異を吐き出し、大きく身を削いでしまった逸話の主、その奥へ――
「私達の力が届かないなんて――絶対に、認めない!」
――ヒメは、その黒い刃を突き立てていた。




