103:嘲う聲
『私、きれ――』
「邪魔、しないで」
紅いコートを纏い、口元をマスクで覆った人物。
そんな女が発してきた言葉が終わる前に、姫乃はそのすぐ傍にまで接近していた。
そしてその言葉終わるよりも速く、黒い木刀が横薙ぎに振り切られる。
同時、女の首は宙を舞い――それが地面に落ちる前に、首も身体も全て消滅していた。
姫乃は油断なく体勢を戻し、周囲の状況を確認する。そこに他の怪異の姿が無い事を確認すると、ようやく剣を下ろして息を吐いた。
「……今ぐらい有名な怪異だったら、順当な方法で対応した方が安全なんじゃないか?」
「あ……あ、あはは」
そこで、背後から掛けられた声に反応し、姫乃は口元を引き攣らせる。
振り返れば、そこには若干呆れた表情を浮かべる賢司が歩み寄ってくる所であった。
様々な怪異に関する知識を持つ賢司であったが、流石に対応する対処法を実行する前に倒されては何も出来ない。
始めの方は賢司にも仕事はあったのだが、姫乃は徐々に、賢司の反応よりも早く敵を倒すようになって来ていたのだ。
姫乃の動きは、戦いを繰り返すごとに徐々に洗練されていっている。
(だんだん、無拍剣に近付いてきてる? まだまだ遠いと思ってたのに……)
姫乃の習っている霞之宮の剣術、その基本にして奥義たる無拍子。
姫乃はその技術を、横薙ぎの一閃唯一つのみに絞って修行を行っている。
とは言え、これは早々容易く習得できるようなものではない。
天才と呼ばれたいづなでさえ、全てを修めるまでに数年の歳月を要したのだから。
(無拍・辻祓……いづなさんは確かに、無拍剣の中では簡単な技だと言っていた。でも、まだ一年も経ってない……どうして、私が?)
姫乃は別段、己の才能に自信を持っている人間ではない。
元々はいづなにも『才能はあるが自分の姉ほどではない』と言われていた為に、そう簡単にこの領域まで辿り着けるとは思っていなかったのだ。
姫乃に自信があるとすれば、それはたった一つ。
(でも、私は努力した……それだけは、誰にも譲らない)
誰よりも真面目に剣を振るってきた、姫乃にはそれだけの自負がある。
仲間を護りたいという強い思いを抱いていたが故に、その剣に妥協と言うものは一切存在していなかったのだ。
己の才にも力にも、いまだ自信などと言うものは存在しない。
行き着く果てを、誰よりも強い二人の剣士の姿を見ていたが故に。
けれど、そこに辿り着く為に重ねている努力だけは、誰にも否定させるつもりは無かった。
(……だから、黙って)
――それを否定するつもりは無い。お前は努力しているよ。だが、事実は事実として存在する。
姫乃の頭の中に響く声は、嘲うようにそんな言葉を発する。
そんな声音に対し、姫乃は珍しく他者に対する嫌悪感を覚えていた。
事実を淡々と口にするその言葉が、受け入れ難い物であったために。
――お前は怪異を斬っている。お前の持つ力と同種の力によって創り上げられたものをだ。
(それが、何だって言うの?)
――他種の力は水と油だが、同種の力は同じ水同士だ。触れれば吸収される。お前の力は徐々に高まってきているんだ。
怪異とは、姫乃の持つ力と同じ力によって創り上げられた存在。
大小の差はあれど、それらの中には姫乃の力と同種の物が込められている。
怪異を斬れば斬るほどに、姫乃の力は高まって行ってしまうのだ。
――都合がいいだろう? 仲間を護る力は、どれだけあっても無駄にはならない。
(それは……認める。でも、私の剣を訳の分からない力なんかに否定されたくない)
努力を重ね、ようやく形になり始めた、憧れの人の剣術。
血の滲むような努力の積み重ねが、徐々に実を結び始めていると言う事実は、姫乃にとって一種の快感となっていた。
それ故に、己の力が理解の及ばない謎の才能によるものと言う言葉は、認めがたい物であったのだ。
(私は、努力して積み重ねてきたんだから。まだ届かないかもしれないけど、まだ及ばないかもしれないけど……それでも、本気で剣を振るってきたんだから)
己の積み重ねた業を肯定し、理解できない力を否定する。
あまり柔軟とはいえない、頑なな考え方。けれど、その想いは――仲間を護りたいという姫乃にとっての根本が昇華されたもの。
姫乃にとって独自の価値観と呼べるものであった。
(私の業は私の努力。他の何かが入り込む余地なんて無い。例え怪異を斬れる力があったとしても、振るう剣の業だけは、絶対に干渉して欲しくないの)
――成程、いい価値観だ。
「え……?」
「ん、ヒメ、どうかしたのか」
「あ、いや、何でもない」
僅かに零した声を拾われ、姫乃は首を横に振る。
意識を現実に戻せば、黒い時計塔は既に見上げねば上が視界に入らなくなるほどまで近付いてきていた。
並み居る怪異も、姫乃の剣と賢司の知識で撃退し、更にもともとの距離も近かったために、比較的早く近付いてきていたのだ。
姫乃にとっては、それ以上に脳裏に響く声のおかげで、あまり時間が経過していないように感じられてしまったが。
(価値観……)
先ほどの、僅かな声。その言葉が気にかかり、姫乃は胸中で反芻する。
己の努力を信奉する、それは確かに価値観と呼べるものだろう。
けれど、何故あの声は、それを賞賛するような声音を発していたのか――それが、姫乃には理解できなかったのだ。
(私は皆を護りたくて、その為に積み上げた努力を否定されたくない――)
願いと、価値観。それの意味する事を、姫乃は未だ知らない。
けれど――
(うん、そうだ。私は、そう在りたいんだ)
これ以上なくしっくりとはまるその言葉は、姫乃の心の中に、一つの形として形成されたのだった。
* * * * *
「えっと……そこ、左」
「地理は分かってるつもりだけど……こんな無茶苦茶な道を辿る事になるとは」
『わがままを言っている場合ではなかろう?』
テリアは葵の手を引き、小走りで細い家と家の隙間を抜けてゆく。
隣に有る塀の上を歩いているのは、秋穂を発見した事によってフリーになったウツロであった。
再び合流した彼女たちは、葵の狙われ易さを考慮した結果、この黒猫を斥候とする事を考えたのだ。
日記の杏奈と相談し、分離していた一ページを更に半分に切り取り、それを用いてウツロが見た情報を知らせるようにしたのだ。
日記帳は杏奈や友紀の位置を把握しており、更に身軽なウツロは大抵の怪異を躱して進む事が出来る。
おおよそ、理想的な陣形であると言えた。ただし――
「もうちょっと人間向けの道を選ぶとかそういう選択肢は無い訳? ここじゃ襲われたら逃げ場が無いよ」
『そも、襲われぬようにする為にこの道を選んだのだろうが。時間が経つほどに怪異の数は増えていっている。それだけ、敵も本気と言う事だ』
それに関しては、テリアも理解している事だ。
大きな道を通れば怪異の影を二、三体見つける事が出来、眼に入るだけでかなり危険な状況となる事は火を見るより明らかだった。
浩介のラジオを使うという手もあるが、完全に怪異を撃退できる訳ではない以上、接触は出来る限り避けねばならない。
と――ふとある事を思いつき、テリアは声を上げた。
「……どうしてそこまで必死になる必要がある?」
『何?』
「怪異は強力だ。それこそ、よほどの場合でもない限り、ワタシ達の側が不利になってしまう。なのに、どうしてそんな大量の怪異を放つ必要がある?」
怪異には危険な存在も多く、狙われた時点で逃れられないようなものも多々存在している。
だと言うのに、これまでに出会っている怪異は全てテリアでも対応可能なものばかりだった。
無論、それは浩介のラジオを込みでと言う話ではあったが。
しかしながら、怪異一体一体でも対応に困るような場合も多く、わざわざこれほどの数を解き放つ理由は存在していないのだ。
何故このような状況になっているのか――
『相手も追い詰められているのではないか?』
「何だって?」
ウツロの発した言葉に、テリアは視線を上げる。
細い路地を抜けた先、再び道路へと出る所へ先行して周囲を確認した黒猫は、状況を確認すると僅かに目を細めながら声を上げた。
『市ヶ谷浩介と共にいたあの強大な存在……あの男の力は、この世界の主すらも大きく超越している。そしてこの世界の主は、あの男の一撃を受けたのだ。当然、無傷では済むまいよ』
「短期決戦を仕掛けに来ている、って言う事か……力の消耗を抑えることより、早くワタシ達を潰す事を優先したって訳だ」
『恐らく、そういう事なのだろうな』
そのウツロの言葉に、テリアは視線を細める。
危険な事態だ。敵が本気で潰しに来ているという事は、それだけ姫乃や葵に集中する敵の数も増えてくる。
とは言え、極端に危険な怪異が発生していないと言う事は、それらを生み出せないほどに消耗していると言う事なのかもしれないが。
それはつまり――
「危険だけど……同時にチャンスかもしれないって言う事か」
『確かにな……消耗している状態で、さらに大量の力を放出している。今の状況ならば、奴を倒せる可能性も存在するだろう』
危険極まりない状況ではあるが、怪異の主が消耗していると言う現状は、テリア達にとっても大きなチャンスとなる。
もしも彼の存在を倒すことが出来るとしたら、今このタイミング以外に存在しないのだから。
そして、それが可能であるとすれば、有効なダメージを与えられる存在は姫乃のみであろう。
それを理解し、テリアは纏っているコートの袖を掴む。
浩介の持ち物であったコートとラジオ。今はこれだけが、彼が存在した名残であった。
(……この世界のコースケは、偽物だ。私が求めたのは、違う)
少しだけ、惜しいと思ってしまう想いがある。
怪異の主が創り上げていたのはIFの世界。あの事故が起こらず、誰もが皆幸せに暮らしていたらと言う仮定を反映した世界だ。
どんな形でもいいから、彼に生きていて欲しかった――そんな思いは、少なからずテリアの中に存在している。
けれど今は……譲れないものも、確かに存在していたのだ。
握る小さな掌を、そこから伝わる温もりを、テリアは離さぬように意識する。
『幸せに』と、浩介は言った。それが彼の遺言であるならば、テリアはそれを遵守する。
「ワタシは、さ……大学には、行かない」
『何……?』
「元々、そこまで世話になる訳には行かないって思ってたし……幸い、秋穂さんの所で働けるし。でも、そんな惰性じゃ駄目なんだ」
幸せにならなければ。そして葵を幸せにしなければ。
半ば強迫観念のような思いが、テリアの中で渦を巻いている。
けれどそれは確かに、彼女にとって何よりも重要な事柄であった。
「ちゃんと勉強するんだ。料理も、経営も、資格を取るように頑張る。この子を護る、この子を幸せにする。だから――」
走り出す黒猫に続き、テリアは路地から駆け出してゆく。
怪異の姿は無く、けれど周囲への警戒も怠らないまま。
手を引く少女の重みを、確かに感じて。
テリアは――見上げるほどに大きくなってきた、漆黒の時計塔を睨み上げた。
「生きていて、欲しかったけど……ワタシは、ワタシ達の幸せを優先する」
だから、お前の幸せは認めない。
言外にそう宣言し、テリアは駆ける。握るその手は少しだけ、握り返された感触を覚えて。
絶対に護らねばならないものを、強く意識する。
例えそれが、自らが愛したものを、自ら突き放すような行為であったとしても。
『ふむ……もうじき合流だ』
「ん、分かった」
ウツロは、そんなテリアの想いに対し、小さく笑みを零していた。
しかしそんな笑みもすぐさま消し去り、視線の先にある公園のほうへと意識を向ける。
そこは、先ほど杏奈たちが秋穂を発見した場所であった。
「けど、杏奈ちゃんたちはまだあそこにいるの? それなりに時間が経っちゃってたような……」
『それがだな……どうやら、あの場所には怪異が近づけなくなっているようだ。結界……いや、禊か。解いて貰わねば私も通れんな』
「……杏奈ちゃんって、本当に何者なのさ?」
『意識して張ったものではないだろう。だが、怪異を不浄なるものとし、祝詞で場を清める事によって一種の神域を作り出した。人間の認識が優先されるこの世界だからこそ、強い力を持っているとも言える。だが――』
黒猫は、僅かながらに目を細める。
その場所に近付きすぎぬように注意しながら、内部にいる一人の少女の姿へと。
彼女の気配、その内側から感じる力は――この場所に引きずり込まれる前、一人の男から感じたそれと全く同一のモノだった。
『あれは……加護と呼ぶべきものなのか』
「加護……?」
『あの娘は愛されているのだ。遥か高みの存在からな』
あの時姿を見せた蒼い髪の偉丈夫。
長大な刀を持った男の姿を思い出し、ウツロはそう呟いていた。




