101:電話の怪
「……行った?」
「ああ、もう気配は感じない」
狭い路地裏に身を潜め、背後を警戒しながら外を監視していた私達は、ほっと息を吐きながらゆっくりと表に顔を出す。
この黒い町を歩き始めてから十数分、私達は既に、この町がどういう場所なのかを理解し始めていた。
先ほど私たちの背後にいたのは、血塗れの姿をした兵士。
トモがいち早くその気配に気付いたおかげか、向こうからこちらに気付かれる事はなかったけど……おっかない事この上ない。
「杏奈、アレはどんな怪異なのか知ってるのか?」
「んー……似たような話がいくつかあるからなぁ……家の中にいるんだったら、私たちの場合はそう怖い怪異じゃなかったと思うけど」
夜中に身体が勝手に動き、戸口を開けるとそこに血塗れの兵士が立っているという逸話がある。
その兵士は単純に『水をくれ』とのみ口にし、言われたのが善良な人間ならば、身体が動いて水を取ってくる事ができる。
そして水を飲ませられれば、危険は皆無であり、逆に幸福を約束してくれるというものだ。
その代わり、善良な人間でなかった場合は水を飲ませられず、呪われてしまうらしいけれど。
「とりあえず、妖怪系なら私でも何とかできるとは思うんだけど……」
「ま、無理せず行こうぜ」
「それはそうね」
まあ実際の所、無理をして進んで敵を引き付けてしまう事のほうが問題だ。
急がば回れ、急いては事を仕損じる。怖いのは確かだけれど、焦ればその分だけ状況を悪化させてしまうかもしれない。
出来る限り冷静に、最善の結果を残せるように努力しなくては。
とは言え、出来る限り急がなくてはいけないのも事実なのだけど。
「……何か、嫌な予感がするのよね」
「杏奈?」
「早くあそこに着かないと、取り返しのつかない事になってしまうような……そんな感じがするのよ」
「ここのところ、お前の直感は本当に洒落になってないからなぁ」
「本当にそうよね」
正直、危険な事に対してばかりこの直感は働いている気がするので、あんまりいい事であると言うイメージはないのだけれど。
本当に、何故か妙に直感が当たる。天啓と言うのか、ここぞという時に衝撃が走るような感覚がして、それに従うと確率が低い事でも上手く成功するのだ。
バイクで交差点を突っ切ったあの時も、そんなような感覚だった。
冷静に考えてみれば、交通量の多い交差点に直線で突っ込んで無事に済むはずがない。
「……あんた、あの時良く私の指示に躊躇いも無く従ったわね」
「まあ、お前自身の命もかかってるんだしな。あんだけ自信満々に言ったんだから、何か根拠があるって思ったんだよ」
「あんたは本当にそういう所思い切りがいいわねぇ」
思わず照れ隠しにそっぽを向いてしまう。
とにかく先に進まねばと歩き始めながらも、私は自分の感覚を信じながら意識を集中させていた。
どうして、こんな事が出来るのかは分からない。
以前から勘が鋭くなってきたという実感はあったけれど、まさかここまでになるとは思っていなかったのだ。
何となくそんな感じがするだけで、具体的なイメージが湧いてくる訳ではない。
なのにそれに従えば、どんな逆境でも乗り越えられる。
そんなもの、本来なら信じられない。結構疑り深い身としては、そんな訳の分からないものに頼る事など出来ない筈なのに。
――この感覚は、とても暖かい。
何故だかは分からない。
直感的なもので、何ら根拠など存在していない。
けれど私は、この奇妙な直感に対して不気味さを感じていなかったのだ。
怪異を相手にした時のような不気味な気配ではなく、私を護ってくれているような暖かな気配。
何故か、深い馴染みがあるような気がしてならないのだけれど――
「私の指示だからって無茶苦茶な事まで従わなくてもいいのよ?」
「何言ってんだよ。お前の指示だからこそ従ってるんだろ。あんだけ自信満々に言ったんだ、信用するには十分すぎるだろ」
「まあ、あんたならそう言うと思ったわ」
何でもいいが、篠澤兄妹はちょっと私の事を信用しすぎなのではなかろうか。
というよりはむしろ、私や賢司の言葉に無条件で従っているのか。
まあ、流石に先輩の無茶振りに対してはそこまで即時即断はしていないみたいだけど。
判断を委ねられている身としては、若干怖い連中だ。
「……あんたも、無条件に従うんじゃなくてさ。私達が間違ってると思ったら、無理矢理にでも止めなさいよ。色々考えてる分、煮詰まると変な方向に逸れがちなんだから」
「分かってるよ。それじゃなきゃお前の恋愛相談なんてやってねぇだろ」
「アレってまともに恋愛相談になってたかしら」
お互い言いたい事を言い合ってただけのような気はしないでもない。
まあ、それですっきりした事も事実なのだけど。
色々と納得し難くはあるけど……まあ、トモには感謝している。
「まあとにかく、そういう事よ。一歩下がって見てるのは私たちだけどさ。それでも、私達は自分を振り返り辛いから」
「ああ、分かってる。安心しろよ。しっかり見ておいてやるから」
少しだけ、調子が狂う。
ここのところずっと色々考えているからか、トモが真面目な姿ばかり見せているのだ。
何だか、昔に戻ってしまったような気がして、どうにも変な感じがしてしまう。
私は小さく嘆息しながら、この直感を信用して意識を集中させて――ふと、そことは違う部分に来た感覚に顔を上げた。
直感などという本来不確かな感覚ではなく、聴覚。
私の耳には、ある音が聞こえてきていたのだ。
「トモ、これ……!」
「ああ、秋穂さんの携帯の着信音だ!」
いや、流石にそこまでは分からなかったんだけど。
携帯の着信音らしい音楽が聞こえてきたのは確かだが、そのメロディだけで秋穂さんのものだと判断できるほど聞き慣れている訳ではない。
その事に対して若干……と言うか割りとドン引きしながらも、私はこの状況に対して視線を細めていた。
秋穂さんの事となって気が逸っているのか、音の聞こえた方へと走り出すトモを追いかけつつ、自分の携帯を取り出してみる。
あの偽物の日常を見せられていた時と違い、携帯は完全に圏外。
この空間で、携帯が通じるはずがないのだ。
だと言うのに、着信音が鳴り響いたと言う事は――
「やっぱり、怪異か……!」
秋穂さんは狙われづらいと考えていたけれど、やっぱり確実ではなかったか。
とは言え、私達が近くにいたのは幸運だった。少なくとも、まるで知識の無い秋穂さんよりは私達の方が対応できる。
携帯電話に関わる都市伝説はいくつかあったけど――アレは正直勘弁して欲しい所だ。
そんな事を考えつつ向かった先は、空き地のような場所になっている小さな公園だった。
遊具も少ないその中に、一人立つ秋穂さんの姿を発見し、加速するトモを追いかけて私も中へと入ってゆく。
少なくとも、周囲に怪異の姿は無い。
「秋穂さん!」
「友紀君!? それに、杏奈ちゃんも!」
「詳しい説明は後でします! とりあえず何があったか教えてください!」
どんな怪異か分からないけど、あまり時間はないだろう。
とにかく、状況を把握しなくては。相手が妖怪だと言うのなら、私でも対応する事ができる。
けれど、先ほど聞こえてきた携帯の音から察するに、恐らくは都市伝説の方だろう。
私で対応できる相手ならいいのだけれど――
「え、ええと……さっき電話がかかってきて、メリーさんとか名乗って……」
「ああもう、やっぱりそっちか……!」
有名も有名、電話がかかってくる類としては代表格ともいえる都市伝説。
ゴミ捨て場に捨てられた人形に深い恨みから魂が宿り、元の持ち主の場所へと徐々に近づいてくると言う逸話だ。
その度にいちいち電話がかかってきて、『私メリーさん、いま○○にいるの』と報告してくる。
そして最後には、『今あなたの後ろにいるの』で終了すると言う話。
有名な都市伝説であるが故に、私でもその詳細を簡単に思い出す事が出来る。
けれど、これには一つ問題があった。
「おい杏奈、これはどうすればいいんだ? 何か対処法は――」
「無いのよ! 『メリーさん』の逸話は常に『今あなたの後ろにいるの』で終了するから、その後どうなるのかも対処法も分からないの!」
この逸話は、あくまでも怪談として伝わっているものだ。
徐々に迫ってくる恐怖と、最後の衝撃。その後の余韻を楽しむ為の作り話。
ただそれだけの為に創り上げられたが故に、対処法その他などは最初から存在していないのだ。
どうすればいいか必死に考え――次の瞬間、再び着信音が鳴り響いた。
「っ……!」
「……秋穂さん、とりあえず出てください。何とかしますから」
「え、ええ……もしもし?」
秋穂さんもこの逸話は知っていたのだろう。青ざめた表情で、電話の先の声を聞いている。
恐らく、近付いてきているはずだ。創作と言うかパロディではそのまま通り過ぎたり扉が開けられなかったり壁の中に埋まってしまったりと、割とコミカルな扱いを受けているメリーさんではあるが、この世界でそれに期待する事は出来ないだろう。
「今……桜並木にいるそうよ」
「最初はどこだったんですか?」
「確か、自然公園だったわ……」
その言葉に、私とトモは同時にあの漆黒の塔の方へと視線を向ける。
あの塔が生みの親と言う事だろうか。何とも面倒くさい事をしてくれる塔だ。
とにかく、何とかしなければ。逸話が伝わっていないため、後ろに回られた後どうなるかは具体的には分からないけれど、碌な事にはならないだろう。
「メリーさん、人形……」
「人形なら直接ぶっ飛ばすとかどうだ? 小さいんだろ?」
「怪異相手に常識なんか通用しないわよ。どうせヒメの剣ぐらいしか効かないわ。怪異の相手をするには、もっと人間の認識を利用しないといけないのよ。相手が呪われた人形だって言うなら――」
一つ、思いつく。そして、それと同時に再び秋穂さんの携帯が鳴り響いた。
次なる場所は商店街。このペースだと後二回ほどでこの場所まで来てしまいそうだ。
人形の癖に足が速い。早くしなければ。
「仏教じゃないからやり方知らないけど……でも」
魂が宿ったって言うなら、もしかしたら可能かもしれない。
小さく頷き、私はカバンの中から佐瑠女五十鈴を取り出した。
私に出来るとすれば、これぐらいしかない。
「――大神の高き御恵み、深き導を頂き奉りて、命を横さの道に迷ひ入らしむる事無く、疑ひ惑ふ事無く、真澄の鏡影も朗らに教へ悟し給ひ」
鎮魂祝詞。
恨みに荒ぶる魂を荒霊と定義し、その怒りを鎮め和霊へと変える為の祝詞。
モノに魂が宿るのは付喪神と同じだ。そして神と名が付くのであれば、それは神道における八百万と同じ。
「弥高き命に廻り出でしめ給ひて、吾良く、人良く、今良く、後良き成り行きに出でしめ給はむ」
元々はもっと長い祝詞を詠まねばならないし、流石にきちんとした手順を踏んでいる訳ではない。
それでも、この祝詞は聞こえているはずだ。
何せ、佐瑠女五十鈴が鳴り響いているのだから。
神の世に伝わる言霊を持つ五十鈴が、清浄なる鈴の音を鳴り響かせる。
鳴り響く携帯の音すらも、押しのけるようにして。
「各も各も楽しく面白の心持ちて、神笑らぎに笑らぎ、笑ましめ惟神、神遊ばしめ給はむ」
あらゆる不浄を祓う鈴の音が、この場を一種の神域へと変える。
やって来るメリーさんへ、その荒ぶる魂へと語りかけるように。
「斯くしこそ美し大道、畏き御教の儘に、命は美保貴彦命の荒魂の雄々しく、和魂の優しく、幸魂の爽やかに、奇魂の明らかに事に」
もしも魂を持っているのであれば、そこには荒ぶる面しか存在しない訳が無い。
四魂、複数の側面を持つはずなのだから。
だからどうか、恨むばかりではいないで欲しい。
「及び物に当たりて誤つ事無く、違ふ事無く、漏るる事無く、揺ふ事無く。玉鉾の玉の真柱立ち、並ぶ命人の思ひは大神の御心」
怪異の主が、貴方をどのような形で生み出したのかは分からない。
けれど、秋穂さんには何の関係もないはずだ。
貴方は本来、恨みを持つ理由すらも存在しないはずなのだ。
「命人の為すは大神為さしめ給ふ事に、隔てなく叶ひ合ひ極まりて、吾良く、人良く、今良く、後良き神の御國を今の現に」
だからどうか、聞いて欲しい。
理由の無い恨みなど抱く必要は無いのだと。
それでも貴方が憎しみに苦しむと言うのであれば、私が貴方の魂を慰めましょう。
「此れの命人より始めて現はれ、出でしめ給ふぞと神祝ぎ祝ぎ奉る事を、嬉しみ尊び忝み奉りて、八平手百平手打ち上げ打ち亮らし――」
慰め、祀り、その安息を約束しましょう。
どうか――
「――舞ひ立ち、舞ひ出で、舞ひ退き、舞伏しつつも、拝みも奉らくと白す」
――その魂に、安らぎを。
最後にしゃんと鈴を鳴らし、そして眼を開く。
息が詰まるほどに張り詰めた空気の中、暗く澱んでいたはずの世界は、凛とした朝の気配を漂わせているようにも感じられた。
そして視界に入った秋穂さんの足元には――可愛らしい、金色の髪の人形が転がっていたのだった。




