プロローグと「1:夕立のように。」と「2:奥様は売春婦、姉様は自殺済。」と「3:包帯クラヴ。」
初めて自傷と言われる行為に触れたのは、確か小学六年生の頃だった。気がする。確証は無いけれど。
理由、理由。確か「漠然とした憧れ」とかだったっけ? 何かリスカとかかっこいいし的な。何がかっこいいと思ったのかはもう覚えていないけれど。要するに私はバカだったわけだ。罵ってくれ、感じるぜ。
カッターナイフで切り裂くのは怖かったから、待ち針で引っ掻いて傷をつけた。手首を傷つけるのは怖かったから、手の甲を傷つけた。痛くは無かった、もともと痛覚は鈍かったから。一度引っ掻いただけじゃ傷って言えるようなレベルの傷にはならなかったから、同じ場所を何回もカリカリと引っ掻いた。蚯蚓腫れになった。初めはそれだけで終わった。
何回目かの自傷行為の時、加減を間違えて血を出してしまった。チクリとした痛みを感じて慌てて確認する私、そして溢れて球を作る血液。私は惚れた。ラヴ。血液に魅せられたのだ。ラヴ&ピースならぬラヴ&ブラッド。それから私は憑かれたように自傷行為に励んだ。おそらく自慰行為の倍は軽く。すぐに凶器は待ち針からカッターナイフへと変わった。もともと鈍い痛覚はさらに鈍くなっていく。切ったって痛くないからさらに切る。ループしていると何だかエコな気がして嬉しくなる。そして切る。その繰り返し。
さらには瀉血と言う行為にもハマってしまった。ネットで買った駆血帯(あの採血とかの時に巻かれるチューブ)で縛った腕にネットで買った注射針を突っ込んで台所にあるボウルに血を溜めて。血が抜けた後のフラフラ感が堪らない。セックスなんかよりよっぽど気持ちいいんじゃ無いだろうか。やったこと無いから分かんないけどさ。
とにかく、そうして私はいつ嫁に出されても恥ずかしくない立派なメンヘラ女となったのでした。めでたしめでたし。
***
1:夕立のように。
夕立のように血が降り注いだ、床にびちゃびちゃと。私は身体中の空気を全て追い出す勢いで溜め息を吐く。
「死んじまえ、私。」
例えば早朝腕に刺した注射針をぐりぐりしていたら急に勢いよく血が飛び出て、それに驚いてボウルを落としてしまった所為で台所の床が血だらけになってしまった時、あなたならどうするだろうか。瀉血とかしないから知るかそんなもん、だって? 想像力を働かせろバカ野郎、お前には困っている私を助ける程度の甲斐性も無いのか。
なんて、ぶちぶち独り言を言ってても仕方無い。とりあえず今はこの床を満たす赤い水をどうにかしなきゃ。150mlくらい抜いていたから、もう悲惨なものである。血が飛散して悲惨、なんちって。
……笑えよ、おい。
駆血帯を外して針を抜いてから、洗面所にある雑巾を持って、台所に帰還。そして惨状を再び目にして死にたくなる。
「はぁ。」
溜め息を吐いて、雑巾で床をふきふき。一気に雑巾が赤黒く染まっていく。けれど結構びちゃびちゃに広がっているから終わりが見えないぜ。軽く洗って絞って、またふきふき。既に固まり始めているところもあるから、結構ごしごし拭かなくちゃならない。それに、母親が仕事を終えて帰ってくるまでに証拠を完璧に隠滅しなきゃ。サイアク、サイテー、ファック。誰だ、こんなことしやがったのは。私だよ知ってる。ごしごし。がちゃ。
「……がちゃ?」
や、ばい、かも。怯えながら振り返ると、そこには煙草を吸いながらダルそうに台所を見回す母の姿があった。その後ろには明らかに戸惑っている若い男、多分母の男が一人。思ったより帰ってくるのが早かったな、どこでもドアでも使ったのかな? とか考えてる場合じゃない。
「死ね。」
母親はそう言って、表情を全く変えずにてくてくと歩み寄ってくる。そして私は彼女が次に起こすアクションを知っている。それは私にとって酷く嫌なアクション。全くもってめんどくさい女だぜ。私とどっちがめんどくさいだろうな。
母親が右手を振り上げた。ブロックはしないで目を瞑る。ぱしん、と私の頬が爽快な音が鳴らした。そして耳腔の中で耳鳴りが喚きだした。マイマミー、平手するのはいいんだけど出来るだけ耳に負担を掛けないような叩き方でよろしく。口の中が切れちゃうのはもう仕方無いって諦めてるけどさ。
って言うか、痛い。超痛い。思わず心の中で「マジあり得ないんですけど死んでしまえババァ」とか罵っちゃうくらい痛い。え、痛いのはお前の頭だって? 知ってるけどそれ以上に頬が痛いんだって。
「そんなことさせる為に生かしてるんじゃねえんだよクソガキ」
……だそうです、母親曰く。じゃあ何のために生かしてるの? いや知ってるけど
さて、実の母親に糞小僧と罵られたわけだけれど、どうすべきなのかなぁ? もしかして私って母親の肛門から生まれたのかな(笑)とか言っちゃう? いややめといた方がいいな、今度はグーで殴られるに違いないから。
よし、こうなれば母親の心情を好意的に解釈してみよう。この人は多分帰ってくるなりイミフでジャンキーな光景を見てしまったショックでつい激昂してしまっただけ。本当に私のことをクソガキだなんて思っていない。とか、仮定してみる。けど、勢いで言われたってさぁ。私にだって心はあるんだよ。勢いよく私の心貫通しちゃったよ、あんたの台詞。
「バイバイ。」
私は注射針とか駆血帯とかあと飛び散った血とかその辺を全部ほったらかしにして、家を飛び出した。グッバイ、マイホーム。
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2:奥様は売春婦、姉様は自殺済。
例えば、あなたが生まれてすぐに父親が事故で死んだとしよう。そして母親が売春婦へと身を落としたとする。
それだけではない。
あなたの母親が知らない男を家に連れ込んで情交に耽っている姿を見てしまったなら。母親に「あんたさえいなければ同棲出来るのに、ほんと邪魔な子。」と顔を歪めて罵られたなら。あなたはどうなってしまうだろう。
私はそんなサイテーな環境で育ってしまった。子供は親を選べない、と言うけれど、もし選べたとしたらもっと幸せな家庭に生まれてもっと真っ直ぐに育ちたかった。どこか、幸せな家庭で。そんなこと言ったところでもうどうしようもないんだけど、さぁ。
じゃあ死ねよ、と言う人もいるかも知れない。辛いなら死んでしまえよ。アムカを繰り返して瀉血を繰り返して、こんな人生嫌だって喚いて、その癖死のうとしないなんてただの構ってちゃんじゃ無いかって。だけどそれでも私は生きていたいんだから仕方無い。構って欲しいわけじゃ無い、生きていたいだけ。
死にたくない。生きていたい。そう思うのはきっと人間である以上当然のこと。その執着さえ失くしてしまえば人はきっとヒトではなくなって、ただの動く死体になる。アニメイト・デッド。
私の姉は、そう言った類の人間だった。私が生後三ヶ月の時に父親は死んだ。私が生まれる丁度一年前に姉は生まれたから、姉が一歳三ヶ月で父親を失ったしたことになる。私程では無かったにしてもまだまだ幼い、と言うかまだ幼児だった姉。そんな彼女は、私の数十倍は酷い仕打ちを受けて、そして壊れた。いつも、黙っていた。いつも、どこか遠くを見つめていた。いつも、諦めていた。
いつも、死んでいた。
ただ生命活動を行っているだけの死体。何にも関心を持たず、何にも感動せず、何にも傷つかず。何もしようとしなかった。自殺、さえ。
そして彼女は拒食症だった。華奢、と言うより死にかけの身体。触っただけで折れてしまいそうな。そんな身体で姉は去年まで援助交際を行っていた。男に抱かれ、好き勝手に身体を触られて。そうやって彼女が体を売って稼いだお金は、全て母親が使った。ブランドのバッグに、ブランドの時計に、ブランドの服に。でも、姉は何も言わなかった。きっと、何も感じてすらいなかった。姉にとって、自分の身体がどうなろうと自分の稼いだお金がどうなろうと、きっと興味の無いことだったに違いない。
そして一年程前のあるある日、売春行為が学校に発覚した。母親は、しらばっくれた。私は知らない、この子が勝手にやってただけ、と。そして姉は何も言わなかった。何を聞かれても何も言わなかった。バカじゃ無いだろうか、と思う。何で母親みたいなクソババァを庇ったんだよって。今考えれば庇ったわけじゃ無くてどうでもよかっただけなんだろうけど。
そんなアパシーだらけの姉であるユリは、しかしその翌日突然死んだ。大体分かるとは思うけど、自殺だった。最後まで何も言わないまま、ショットガンで頭を打ちぬいて死んだのだ。二十七歳で自殺したニルヴァーナのギターヴォーカル、カート・コバーンと同じように。極めつけに、机の上には遺書みたいなメモが置かれていて、「I always knew it'd come to this / Things have never been so swell / I have never failed to fail」と書かれていた。ニルヴァーナの最後の曲「you know you're all right」からの引用。こうなることはずっと分かっていた。こんなに素晴らしかったのは初めてだ。
全然素晴らしくねえよ、死んでどうすんだよ。私は泣いた。ユリの血みどろ死体を眺めて泣いた。あと吐いた。さらにはバカヤロウと罵った。まだカートになるには十年早いんじゃないか。だってまだ十七歳だったのに。そしてユリの真似をして引用してみた。
「She just wants to love herself」
彼女はただ自分自身を愛せるようになりたかっただけなんだ。死ぬことによって。なんてね。
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3:包帯クラヴ。
グッバイ、マイホームなんて格好つけて飛び出した私だけれど、所持品は、登校するつもりで着用していた制服と、そのスカートのポケットに入っていたマッシュルームだけ。ケータイも、財布も、持ってないぜ。羨ましいだろう。
それと、十一月の朝は寒い。寒い上に、急に飛び出して来たからコートも何も羽織っていない。つまりクソ寒い。私は震えた、ぶるぶるとケータイのバイヴレーターのように。上着を買おうにもまだ服屋は開いていないしそれ以前に財布を持っていないから、耐えるしかない。本当にサイアクだ。これもあのクソババァの所為。本当にさっさと死んでしまえばいいのに。
「あ、そうだ。」
私はふと思い立ってポケットのマッシュルームの粉末を取り出した。学校の友達に貰った魔法のマッシュルーム、つまりはマジックマッシュルーム。個人的にはマジックマッシュルームと言うよりミラクルマッシュルームと言うイメージなのだけれど、こればっかりは昔誰かが決めた名前なわけだからどうしようもない。そんなことはどうでもよくて、この魔法きのこを飲めば寒さなんて気にならなくなるんじゃないだろうか、と思ったわけである。私ったら本当に天才! 丁度すぐ近くに公園もあるから、そこの水道の水で飲めばいいし、と思ったわけである。私ったら本当に超天才!
早朝の公園には、ホームレスの方が数人と、昨日酔い潰れて寝たらしいサラリーマンが一人いた。そしてホームレスの人が気づかれないようにサラリーマンの財布を盗んでいた、のを私は無視した。知ったこっちゃねえや。
水道の蛇口をきゅいきゅいと捻ると出てくる冷たい水。きのこ粉末を口の中に入れて、手で掬った水で流し込む。初めて飲むマジックマッシュルームの味は、何だか微妙だった。それ程不味くも無いような。でもくれた友達は舌噛んで死にそうになる程不味いとか言ってたような。はて、私の味覚は狂っているのだろうか。まああんな淫売女の肛門から生まれたんだから狂っててもおかしくは無いような。ああ、自分で言ってて悲しくなってきたぜ、ららら、ららら。飲んですぐに効くわけも無いので、私はしばらく滑り台に寝そべってきのこ君がキマってくるのを待つことにした。
仰向けになったところで夜じゃないから星は一つも見えない。どうせ夜だったとしても見えないんだけど。だって都会だし。溜め息を吐いて目を瞑った。星が見えた。ファック、私の狂った脳め。ああ、このまま通りかかったレイプ魔に犯されてしまえば満たされるのかな。ろんりーろんりーれいぷみー。
……効かない、全然効かない。全くうひゃうひゃ出来ない。テンション低いままだし。味だってそこまで不味く無かったから、もしかしたら偽物を掴まれたのかもしれない。あの野郎、レイプ魔に犯されてしまえ。そして私は諦めて帰るしかねえ。
でも、帰りたく無いなぁ。あのビッチのいる家になんて、戻りたく無い。戻ってしまえは私はどうしようも無くあいつの娘なんだ、あの最低に美しい売春婦の。私は私、母親は母親、なんて言ってみたところで私はあいつのディーエヌエーを死ぬ程受け継いで生まれてきたわけで、おそらく私の身体を流れる血の半分どころじゃなく十分の九くらいはあいつの血で、いやもっと多いかも知れないな、とかまあ細かい話はどうでもいいけれど私は要するにあいつと同じ、卑しい存在なのだ。もしかしたら私があいつを嫌いなのは同族嫌悪だったりするのかも知れない。
だけど、だけど。外にいれば、私は単なる女子高生のキリになる。あいつのは何の関係も無い私になれる。だから帰りたくは無いんだ。
けれど、帰らないわけにはいかない。ケータイも無い、財布も無い、身体に染みる寒さを防ぐ上着も無い。そんな私がどうやって生きていく?
「エンコーは絶対にしたく無い。」
それをしてしまえば私は本当にあいつと同じになってしまうから。いっそのこと一生セックスしないまま死んでしまえばもしかするとあいつとは違う存在になれるかも知れない。
数分後、結局諦めて公園を出た私が目撃したのは、車に轢かれかけて照れ笑いしている包帯だらけの女子高生だった。その顔は、表情を除いて限りなく私に等しいのだった。
サヴタイトル、プロローグがエピローグになってました。初っ端からエピローグかましてどうするつもりだよ……。