理論ゲーム発売
石橋家が次に出したのは、教育でも娯楽でもない“境界上”の製品だった。
**理論ゲーム。**
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前提は極端にシンプルに設定されている。
「すべての人間が、自由に情報を得られる世界」
この一文だけで始まる。
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プレイヤーは、その世界における「情報開放率」を選ぶ。
・1%
・10%
・30%
・50%
・70%
・100%
そして各段階で、必ず同じ現象が発生するよう設計されている。
・騒乱
・思想の侵食(偏り・極端化)
・見えない形での影響力の集中
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普通のゲームなら、段階ごとに結果は変わる。
だがこのゲームは違う。
**どの割合でも“同じ種類の問題が起きる”**
ただし違うのは「発生の仕方」だった。
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1%では、
・情報を持つ少数が支配的になる
・騒乱は局所的
・影響は見えにくい
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10%〜30%では、
・情報の断片が広がり始める
・誤解による小規模対立が増える
・思想のズレが顕在化する
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50%では、
・意見の衝突が常態化
・正しさの基準が分裂
・騒乱が広域化
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70%では、
・情報過多による判断停止
・感情による選択の増加
・影響力の“見えない集中”が進む
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100%では、
・すべてが可視化されるが統一されない
・誰もが発信者になり、同時に混乱源になる
・結果として、別の形の“支配”が自然発生する
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プレイヤーはここで気づく。
「情報量を増やしても、問題は消えない」
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むしろ重要なのは別だった。
・どう流れるか
・どう受け取るか
・どう処理されるか
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このゲームには“勝利条件”がない。
あるのは観察だけ。
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国民に販売されたとき、最初は娯楽として受け取られる。
だが一部の者はすぐに気づく。
「これは未来予測ではない」
「構造の再現だ」
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そして奇妙な現象が起きる。
プレイヤーたちは、現実のニュースや社会の動きを
ゲームの段階に当てはめて考え始める。
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王宮の分析官はこう報告する。
「国民の一部が、情報そのものではなく“情報の振る舞い”を見るようになっている」
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石橋家の記録には、短くこう残る。
「自由な情報は解決ではない。条件である」
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こうして理論ゲームは広がっていく。
娯楽として。
思考訓練として。
そして誰にも強制されないまま、
**社会の見方を変える装置**として。




