幼馴染は近くて遠い――失恋した夜、一番会いたかったのは幼馴染でした。
『——ごめんなさい。湊人くんのこと、友達として大切に思ってるんだけど……』
帰り道、俺——篠原湊人は夕暮れに染まる住宅街を、ひとりで歩いていた。
端的に言うと俺は先ほどしっかりきっぱり振られたらしい。
桐島先輩の声が、頭の中でぐるぐると繰り返している。
悪い人じゃない。むしろあの断り方は、丁寧で誠実だったと思う。
だからこそ、ちゃんと傷ついた。
本物の恋だったからだ、たぶん。
夕日と夜の境界線を眺めながら、俺は特に行き先も決めず、ただ前に進んでいた。
家には帰れる。でも帰っても、どうせひとりで天井を見上げるだけだ。
気がついたら、スマホを取り出していた。
連絡帳をスクロールする。
両親、部活の友達、クラスのグループ……。
指が止まったのは、幼馴染の「水瀬ひなた」の名前だった。
なんで一番に、こいつに電話しようとしてるんだ。
我ながら笑えると思いながら、俺は通話ボタンを押した。
◆◆◆
二コール目で繋がった。
「はい、天才美少女こと水瀬ひなたでーす」
「……誰が天才だ」
「ありゃ、湊人じゃん。どしたの、こんな時間に」
ひなたの声は、いつも通りだった。軽くて、明るくて、ちょっとうるさい。
なのに不思議と、その声を聞いたら少しだけ息ができた気がした。
「告白、してきた」
「え」
一瞬の間があった。
「桐島先輩に?」
「そう」
「……で?」
「振られた」
しばらくの沈黙。ひなたが何も言わない時間というのは珍しい。俺の知る水瀬ひなたは、概ね何かしら喋っている。何かを言葉に選んでいる、ということだ。
「……そっかぁ」
思ったより静かな返事だった。茶化されると思っていたから、少し拍子抜けした。
「そっか、って」
「いや、なんて言えばいいの。えーと……、お疲れ様でした」
「お疲れって、俺は仕事してたわけじゃないんだが」
「告白も似たようなもんでしょ。準備して、本番があって、結果が出る。湊人、ちゃんとやったんでしょ?」
「……まあ」
「じゃあ合ってる。お疲れ様」
なんだそれ、と思ったけど、なぜか悪い気はしなかった。
「今どこ?」
「歩いてる。家の方向には向かってないと思う」
「もしかして迷子?」
「違う。迷子は行き先がわからない時。俺は行き先を作ろうとしてない」
「それ詭弁じゃん」
「哲学的なあれだ」
ひなたはちょっとだけ笑った気配がした。
「じゃあ駅前の公園まで来て。あのすべり台あるとこ」
「え、なんで」
「いいから来て」
それだけ言って、電話が切れた。
◆◆◆
公園に着いたら、ひなたはもうベンチに座っていた。
コンビニの袋を膝に置いて、スマホを見ながら足をぶらぶらさせている。
街灯の白い光の中で、緩くまとめた髪が肩のあたりでゆれていた。制服姿のまま、こんな時間に公園のベンチに座っているのに、なぜか絵になるのはひなたの得だと思う。
「早いな」
「私の家、近いし」
「……で、何かあったのか」
ひなたは俺の顔を見て、少し考えるふりをして、それから肩をすくめた。
「んー、なんとなく?」
「なんとなくで夜に公園来るか」
「湊人は来てくれたじゃん」
言い返せなかった。
ひなたはコンビニ袋から缶のコーヒーを取り出して、俺に渡した。
もうひとつ取り出した自分のはカフェオレで、それを見てちょっと笑えた。
「ブラック飲めないくせに」
「飲もうとしてないし。湊人に渡したかっただけ」
「俺もブラック飲めないのに…………」
「失恋した夜くらいは、苦いもの飲んでおいたほうがいいと思って」
ひなたはカフェオレをひとくち飲んで、「めちゃおいしい」と小声で言った。
俺は缶コーヒーの蓋を開けて、一口飲んだ。
本当に苦かった。
「……苦い」
「でしょ」
ベンチに並んで座って、しばらく何も言わなかった。
公園には風だけがあって、遠くで車の音がして、夜がゆっくりと深くなっていった。
「ちゃんと好きだったんだね」
ひなたが、ぽつりと言った。
「……なんでそう思ったんだ」
「湊人が本当に失恋した時って、こんな顔するから」
「こんな顔って、どんな顔してるんだよ」
「なんか、ちょっとだけ子どもみたいな顔」
「……子どもみたいな顔」
俺は缶コーヒーを見た。ひなたは夜空のどこかを見ていた。
「……もうちょっと慰めてくれてもいいんだぞ」
「慰めてる」
「どこが」
「そばにいるじゃん」
それ以上、何も言えなかった。
言えなかったけど、言う必要もなかった気がした。
夜の公園で、俺たちはしばらくそうしていた。
◆◆◆
それから数日、ひなたはとくに何かするわけでもなく、ただいつも通り俺のそばにいた。
登校の時に「湊人、また服しわしわ」とか言う。
昼休みに「今日のパン、最後の一個取れたんだけど、半分あげる」とか言ってくる。
放課後は「帰ろ」と当然のように隣に並ぶ。
そして帰り道に、まったく脈絡のない話を延々とする。
「ねえ、昨日テレビで見たんだけどさ、世界で一番高い木ってどこにあるか知ってる?」
「知らないな、アフリカっぽいけどな」
「ブブー。正解はカリフォルニア。セコイアっていう木で、百十五メートルくらいあるんだって」
「……それ、テストとかに出るのか」
「いやいや、私がおもしろいと思ったから話しただけ」
「そっか」
特別なことは何もない。
ただ、ひなたと話している間だけ、胸の奥のあの鈍痛が静かになった。
何かが解決するわけじゃない。桐島先輩のことを忘れるわけじゃない。
ただ、しゃべっている間、別のことを考えられる。それだけのことだが、あの頃の俺にはそれだけのことが思いのほか大きかった。
ある日の帰り道、ひなたが言った。
「まだ引きずってる?」
「……まあ、少しは」
「ふーん」
「ふーんって何だよ」
「別に。ちゃんと引きずったほうがいいと思うから」
「いや、早く立ち直れとか言うのが普通じゃないか」
ひなたは少し考えてから、首を横に振った。夕方の光の中で、ゆるくまとめた髪が揺れる。
「ちゃんと好きだったなら、ちゃんと傷ついてていいと思う。すぐ忘れたら、桐島先輩にも失礼じゃん」
俺は何も言えなかった。
「ちゃんとした失恋だったんでしょ。なら、ちゃんとしてればいい」
ひなた、たまにこういうことを言う。
軽口ばっかり叩くくせに、ふとした瞬間に妙なことを言う。
「……ありがとな」
「何が」
「なんか、いろいろ」
ひなたはちょっとだけ間を置いて、「べつに」と言った。
でも横顔が、一瞬だけ動いた気がした。感情の種類はわからなかった。見ようとした時にはもう、前を向いていた。
俺はそれを、特に深く考えなかった。
その時はまだ、考える理由がなかったから。
◆◆◆
桐島先輩に振られてから約1か月ほど経ったある日。
特に大きな変化こそなかったものの、いつもようにひなたは隣にいた。
放課後、他のやつらはみんな先に帰って、俺は何となく窓の外を見ていた。
ひなたは席で本を読んでいたが、やがてそれをぱたんと閉じた。
「ねえ湊人」
「ん」
「もう大丈夫そう?」
「まあ、だいぶ」
「そっかー」
「ひなたのおかげだよ、たぶん。話聞いてくれたし、変な雑学教えてくれたし」
「変な雑学は余計」
ひなたは机の上で手を組んで、少し天井を見上げた。
俺はわりと素直に言った。ひなたと話してるときだけ気が楽だった、というのは本当のことだから。
「いや、助かった。本当に。中学の時からそうだけど、ひなたって不思議とこういう時に頼れるんだよな」
ひなたは何も言わなかった。俺は続けた。
「また、相談乗ってくれよ。ひなたに話すと、なんか整理できる気がするし」
教室に、静寂が落ちた。
エアコンの低い音だけが聞こえた。
ひなたが本を机に置く音がして、それ以外は何もなかった。
「……ひなた?」
「それは」
聞いたことのない声だった。
低くて、静かで、普段のひなたとはどこか違う質感を持っていた。
「……もう嫌かも」
「え?」
ひなたは窓の外を見た。俺のほうを見なかった。
「好きな人の恋愛相談なんて、そんなに何回もできるわけないじゃん」
「…………」
俺は固まった。
言葉の意味が、一瞬遅れて届いた。
「ひなた、それって」
「聞かないで」
「でも」
「聞かないでって言ってる」
声が、少しだけ震えていた。
俺は黙って、ひなたの横顔を見た。
耳が赤かった。
ずっと窓の外を見ていて、こっちを向こうとしなかった。
——……好きな人、って。
俺のことを言ってるのか。
ゆっくりと、頭の中で何かが繋がっていく気がした。
失恋した夜に電話したら来てくれたこと。
缶コーヒーを持ってきてくれたこと。
「ちゃんと傷ついていい」と言ってくれたこと。
「湊人が落ち込んでると放っておけないんだよ」と昔ひなたが言っていたのを思い出した。
「……ずっと、そうだったのか」
ひなたはしばらく黙った。
「……言ったじゃん。聞かないでって」
「でも」
「でも、じゃなくて」
ひなたは、ようやくこっちを向いた。
目が、少し赤かった。泣いているわけじゃなかったが、泣く一歩手前の顔だった。そんな顔をひなたがするということを、俺は今まで知らなかった。
「湊人が桐島先輩のこと好きだって言った時、ちゃんと応援しようって思ったよ。本当に思った。だから相談も聞いたし、振られた夜も行った。それは全部、本当のこと」
「ひなた」
「でも——」
声が揺れた。
「でも、もう一回は無理。次の恋愛相談は受け付けない。それだけ」
俺はしばらく、何も言えなかった。
教室の窓から夕日が入っていて、ひなたの横顔を橙色に染めていた。
いつも軽口を叩いているくせに、今はどこにもその軽さがなかった。全部、剥がれていた。
近すぎて、見えていなかった。
そんな言葉が、頭の中に浮かんだ。
幼馴染というのは、不思議な存在だと思う。
遠すぎると見えない。でも近すぎても、見えない。ある一定の距離にいる相手を、人間はちゃんと見ることができないらしい。
俺は十数年かけて、そのことを今日初めて学んだ。
◆◆◆
帰り道、並んで歩いた。
ひなたはずっと口数が少なくて、俺もうまい言葉が出てこなかった。
住宅街の路地に夕日が斜めに差していて、影がふたつ、同じ方向に伸びていた。
——失恋してから、一番会いたかったのは誰だった?
答えなんて、最初から決まっていた。
電話をかけようとして、連絡帳をスクロールして、指が止まった場所。
落ち込んだ夜に声が聞きたかった相手。
くだらない話で笑わせてくれた相手。
「ちゃんと傷ついていい」と言ってくれた相手。
——ずっとそこにいたじゃないか。
「ひなた」
「……まだ何か言うの」
「聞いてくれ」
ひなたは足を止めた。俺も止まった。
夕日の中で、ひなたがゆっくりこっちを向いた。目が少し潤んでいた。いつもの軽口は、どこかに消えていた。
「失恋した時、一番会いたかったのはひなただった」
ひなたが、息をのんだ。
「桐島先輩に振られて、帰り道で、なんで一番にひなたに電話しようとしてるんだろうって思ったんだよ。でも、気づいたら電話してた」
「……それは」
「ただ慣れてるからかと思ってた。でも違う。ひなたじゃないとだめだったんだよ、あの夜」
ひなたは何も言わなかった。
「近すぎて見えてなかった。それはわかってる。ひなたからしたら、それはたぶん腹が立つとこだと思うし、ごめん」
「謝らないで」
「でも言わないといけない」
「謝んないで」ひなたは小声で言った。「謝られたら、泣くから」
少し間があって、ひなたがため息をついた。
「近すぎて気づいてなかった。——俺、ひなたが好きだ」
ひなたが、顔を上げた。
「……ずるい」
「そうか?」
「そうだよ。湊人が言うと、今言うの、すごくずるい」
「受け取ってくれるか?」
ひなたはしばらく黙った。夕日が沈みかけていて、空がだんだんと暗くなっていた。
やがてひなたは、ふっと笑った。
いつもの、少しだけ意地悪な笑い方じゃなくて、もっと素直な、小さな笑顔だった。
「……しょうがないなあ」
「しょうがない、って何だよ」
「湊人が困ってると放っておけないんだよ。昔からそうじゃん」
「今俺は困ってないぞ」
「嘘つき」
ひなたが一歩だけ近づいた。
「……ながかったなあ。やっと気づいてくれたんだ」
夕日の最後の光の中で、俺たちはもうしばらく、そこに立っていた。
失恋の先に、こんな場所があるなんて思わなかった。
でも考えてみれば、ずっとそこにあったのかもしれない。
ただ俺が、近すぎて見えていなかっただけで。
◆◆◆
「ね、湊人」
帰り道を歩きながら、ひなたが言った。
「もう二度と恋愛相談は受け付けないから」
「しないよ、もう」
「約束ね」
「約束」
ひなたは前を向いたまま、小さく「よし」と言った。
俺たちは並んで歩いた。さっきより少しだけ近い気がしたのは、気のせいじゃないと思う。
失恋した夜に一番電話したかった相手と、こうして歩いている。
考えてみれば、最初からそこにあった答えを、俺はずいぶん遠回りして見つけたことになる。
でもまあ、遠回りしないと見えないものもある、と誰かが言っていた気がする。誰だったか忘れたけど。
あるいはひなたが言っていたのかもしれない。
世界で一番高い木の話みたいに、なんとなく、でも大事なことを。
読んでいただきありがとうございます( ;∀;)
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