第二話 プレゼント
母はとにかく忙しい女性だった。
女手ひとつで幼かった僕を養う為に、昼夜を問わずに形振りかまわず働いていたからだ。
休みの日に寝ている母を起こそうとして突き飛ばされたことは一度や二度ではなかった。
慣れない手付きで朝食を作り、ボヤ騒ぎを起こしてしまった時には頬が腫れるまで叩かれた。
その後で、か細い両腕でギュッと抱きしめてくれひたすら「ゴメンね」と繰り返し涙を流すんだ。
中学に進学した頃だった。
母は毎夜毎夜、見知らぬ男の人を連れて帰ってくるのだが、朝方その男が姿を消しているのを知る度に、酒を煽り泣き続けるのだ。
そして心配する僕の顔を睨み、「お前のせいだ!」、と罵るのである。
昼間は酒を呑み泣き続け、夜になると仕事で明け方まで家を空ける毎日。
母は疲弊していた。
身も心もボロボロに。
夜中にふと目が醒めると、包丁を手にした母が僕の顔の上で思い詰めた顔をしていた。
分かってる。
もう、心が限界だったんだと思う。
父が、母と僕を捨てたあの夜から、母は僕を育てる為に一生を捧げると覚悟した。
そのせいで、母に良い男性が現れても僕がいるせいで一緒になることが出来なかった。
もういっそのこと、このまま僕が居なくなれば母は幸せになれるんじゃないだろうか、と考えるようになっていた。
僕は覚悟をしていた。
でも母は、手にしていた包丁を投げ捨て、僕の顔を抱き締めるなり泣き崩れるんだ。
僕は中学を卒業すると直ぐに働き始めた。
担任の先生は進学するべきだと勧めてきたけど、我が家にそのような蓄えがないことくらい分かっていた。
母は既に夜の働き口をクビになっており、一日中部屋の中で寝て過ごしていた。
働ける状態ではなかったし、僕がいないと何をしでかすか分からなかった。
だから僕は中学卒業後直ぐに、日雇いの建設現場で働きながら母を養っていく道を選ぶしかなかった。
僕が二十歳を迎えたとき、働き先の建設会社社長が僕に見合いを勧めてきた。
相手はその社長の娘さんだった。
中学を卒業してから真面目にコツコツ働き続けてきた僕を、社長はまるで我が子のようにずっと見守ってくれていたそうだ。
その真面目さ、誠実ぶりに、我が子として娘の婿にならないかと誘われたんだ。
僕は迷った。
母を一人残し、婿養子として家を出ていって良いものか、と。
僕は母に打ち明けた。
正直に。
するとどうだろう。
母はその話をまるで我がことのように泣いて喜び、そしてこう告げた。
「あぁ、せいせいした。お前は父親が外で作った子だからね。不憫に思い我が子のように育ててきたが、これで私も自由になれるってもんだよ。とっとと結婚して出て行きな」
翌日、母は一枚の紙きれを手渡してきた。
そこには離縁届、と書かれていた。
母から僕に贈られた最初のプレゼントであり、最後のプレゼントだった。
でも知ってるんだ。
それは僕の将来を考え、母なりに考え抜いた思いやりだったってね。
こんな自分が母親のままでいると、この子は一生幸せを掴むことが出来ないだろう、と。
だから、赤の他人として生きてゆくことを選んだのだと思う。
数年後
一件のオンボロアパートの前で、僕は愛する妻と我が子二人を連れて、ドアをノックする。
手には沢山の手土産をぶら下げて。
ドアから顔を覗かせた女性は、その顔をクシャクシャに潰して抱きついてきた。
大きな声でむせび泣きながら。
僕は知っている。
その涙は、今までの人生で流してきたものとは、まったくの別物だということを。
ただいま、母さん。
終わり




