第8話「公開授業」
午前十時。
二時間目の授業中。
聖・ローリエ学園の全教室には、重苦しい空気が張り詰めていた。
教師たちは、昨日の事件になど触れず、淡々と教科書を読み上げている。
生徒たちもまた、何もなかったかのようにノートを取っている。
だがその手元では、机の下に隠したスマートフォンやタブレットが忙しく明滅していた。
連絡アプリのグループチャットは、教師の目に見えないところで加速している。
『警察来てるらしいよ』
『どうせまた事故扱いでしょ』
『村上のやつ、マジで迷惑。評価下がったらアイツのせいだから』
2年A組の教室。
リーダー格の男子生徒・桐島は、ニヤニヤしながらタブレットを操作していた。
相互評価アプリの画面。
彼はクラスメイト数人と結託し、気に入らない生徒の「協調性」や「品格」の項目に、最低ランクの『1』を連打していた。
(このシステムは最高だ。誰がやったかバレずに、あいつの人生を潰せる)
教師は見ない。
学校は「生徒の自主性」という名目で介入しない。
この教室の支配者は、教師ではなく、この「数値」を操る自分たちだ。
その時だった。
教室前方の大型電子黒板が、突然ブラックアウトした。
「あれ?故障か?」
数学教師がリモコンを叩く。
次の瞬間、真っ黒だった画面に真っ赤な文字が浮かび上がった。
『特別公開授業:真実の相互評価』
「なんだこれは!」
教師が叫ぶと同時に、生徒たちの悲鳴が上がった。
手元のタブレットが操作不能になり、強制的に一つの画面が共有されたのだ。
『データ同期完了。隠蔽されていたログを開示します』
画面が切り替わる。
そこに映し出されたのは、美しいグラフや偏差値ではない。
今まで「匿名」というヴェールに守られていた、評価入力の“生データ”だった。
『2026/01/1514:30入力者:桐島蓮』
『対象:村上想太』
『評価:1(最低)』
『コメント:死ね。邪魔。空気読めないゴミ』
教室が静まり返った。
桐島の顔が蒼白になる。
それだけではない。
過去数ヶ月にわたる、桐島とその取り巻きたちによる村上への執拗な低評価攻撃の履歴が、秒単位でスクロールされていく。
「ち、違う!俺じゃない!」
桐島が叫ぶ。
だが、画面は冷酷に次のデータを表示した。
『担任教師ログ:2025/12/10』
『村上生徒からの相談記録:「点数が不自然に下げられている」』
『処置:記録削除。備考:桐島生徒の親はPTA会長のため、問題化を回避』
「うわ……先生、最低」
「揉み消してたんだ」生徒たちの冷ややかな視線が、教壇の数学教師(担任)に突き刺さる。
教師は狼狽し電源コードを引き抜こうとした。
だがスマートボードは内蔵バッテリーで稼働を続け、あざ笑うかのように新たなウィンドウを開いた。
『システム更新:評価基準の厳格化』
校長室にいた真壁凛のスマートフォンにも、同じ画面が同期されていた。
目の前で佐久間校長とスクールロイヤーが真っ青な顔でパソコン画面を凝視している。
「な、なんだこれは!サーバーが乗っ取られている!」
「止めろ!LANケーブルを抜け!」
真壁は冷静に画面を見つめた。
奴はシステムを破壊しているのではない。
学校が定めた「校則」と「建学の精神」というマニュアルを、文字通り“厳格に”適用し直しているだけだ。
画面上のテロップが流れる。
『当校の教育理念:「正義」「誠実」「愛」。これに基づき、悪意ある操作を行ったユーザーの評価を再計算します』
教室では、桐島のタブレットから不快なアラート音が鳴り響いた。
彼の「内申点」のグラフが、音を立てて崩れ落ちていく。
『協調性:0』
『道徳性:-100(評価操作の不正により)』
『総合評価:E(退学勧告相当)』
「やめろ……やめろよ!」
桐島がタブレットを床に叩きつける。
だがクラウド上のデータは消えない。
彼が村上から奪った「未来(推薦枠)」は、今、彼自身の悪意によって消滅した。
同時に担任教師や見て見ぬふりをしていた校長の管理画面にも、『管理責任不履行』による懲戒相当のマークが付与されていく。
これはハッキングではない。
学校が導入したシステムが「正しい入力データ」を与えられた結果、正常に機能して“不良品”をはじき出したに過ぎない。
「……見事な授業だ」
真壁はへたり込む校長を見下ろして言った。
「あなた方が作ったシステムですよ。匿名性を剥ぎ取り、隠蔽されたデータを入力すれば、こういう結果が出るように設計されていた。……違いますか?」
「あ、あくまでシステムの誤作動だ……法的措置を……」
弁護士が震える声で反論しようとするが、そのスマホにも通知が届いていた。
ネットニュースの速報。
『名門中学のいじめデータ流出。教師による隠蔽記録も』
もう隠せない。
教室の窓から生徒たちのどよめきと一部の生徒の泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
それは彼らが村上想太に与えた絶望が、そのまま反射して返ってきた音だった。
真壁は校長室を出た。
廊下のスピーカーから無機質なチャイムが鳴り響く。
この学校の権威は地に落ちた。
教師たちは職を追われ加害生徒たちは「いじめの記録」というデジタルタトゥーを背負って生きていくことになる。誰も手を下していない。
ただ沈黙していた評価システムが、真実を語り始めただけだ。
中庭に出ると、ブルーシートの脇に場違いなほど鮮やかな黄色い花が一輪だけ置かれていた。
供花ではない。
小さな鉢植えに入った、生きている花だ。
「……そうか」
真壁は花を見つめ納得したように頷いた。
管理者権限でのログイン。
サーバー設定の変更。
外部からのリモートハッキングにしては、あまりにも侵入が深すぎると感じていた。
奴はここに来ていたのだ。
この中庭に立ち、学内LANの電波が届く範囲で、あるいは物理的にサーバーへアクセスしてシステムを掌握した。
そして去り際にこの花を置いた。
それは「死への手向け」ではない。
無機質なコンクリートの上で、必死に根を張ろうとする小さな命へのエール。
真壁は校舎を見上げた。
学校とは本来、人間のエゴが渦巻く場所だ。
生徒たちは相対的な評価の中で競い合い、時に高め合い、時に落とし合う。
学校側はそのエゴを管理するために「相互評価システム」という道具を導入したが、それは悪意ある者たちによって、弱者を踏みにじる武器として悪用されていた。
奴はそのシステムを破壊したのではない。
嘘で塗り固められた入力値を、「真実」へと正しただけだ。
正しい数値を入れればシステムは仕様通りに、不適格者を排除する。
奴は歪められていた道具を、本来あるべき正しい形に「校正」して去っていった。
「……死ぬなよ」
真壁は病院のある方角を見つめ、短く呟いた。
腐った教室はもう更地になった。
お前を陥れたシステムは、今や悪を裁くための剣として正しく機能している。
だから――戻って来い。
真壁は手帳を取り出しペンを走らせる。
『木曜日:聖ローリエ学園事案、終結』『被害者:生存』
最後の一行を書くときペンのインクが微かに滲んだ気がした。
「……次は、どこだ?」
真壁の問いかけに応えるように、風が黄色い花を揺らした。
明日は金曜日。
この一週間の「校正」もいよいよ大詰めを迎える。
(第8話完)
第3部「追跡者の校正」をお読みいただきありがとうございます。
本作に至るまでの「修正」の記録を、以下のアーカイブよりご確認いただけます。
■ 第1部:『マニュアルキラー』
https://ncode.syosetu.com/n4289lo/
設備屋として潜伏する織部悟。彼は、社会の誤植(悪意)を赤ペン一本でデバッグする「伝説のエディター」だった。すべての始まりとなる第1シリーズ。
■ 第2部:『マニュアルキラー Ⅱ —校正なき改竄—』
https://ncode.syosetu.com/n4641ls/
論理パズルを愛する男・三谷と、システムを免罪符にする「ルール」との死闘。織部が「仕様」を悪用する巨悪をいかにして葬ったかを描く、緊迫の第2シリーズ。




