第7話「沈黙の評価」
木曜日の朝。
都内の名門私立中学校「聖・ローリエ学園」の正門前は異様な緊張感に包まれていた。
「昨日の事件について、一言お願いします!」
「生徒が飛び降りたというのは事実ですか!」
詰めかけるマスコミに対し、警備員たちが頑として門を閉ざしている。
その脇を抜け、真壁凛は校地内へと足を踏み入れた。
校舎は美しい煉瓦造り。
中庭には手入れの行き届いた薔薇が咲き誇っている。
だがその一角、コンクリートの渡り廊下には、まだ新しい血の跡を隠すようにブルーシートが敷かれていた。
「……ここか」
被害者は中学二年生の男子生徒、村上想太。
十四歳。
昨日の放課後、校舎の三階から転落した。
幸い植え込みがクッションとなり一命は取り留めたが、現在は意識不明の重体だ。
真壁は校長室へと通された。
重厚なマホガニーの机。
そこに座っていたのは、銀縁眼鏡をかけた初老の男、佐久間校長だった。
その横には、「スクールロイヤー(学校顧問弁護士)」を名乗る男が控えている。
「お忙しいところ申し訳ありません」
佐久間校長は深々と頭を下げた。
その態度は丁寧だが、完璧に作られた仮面のような冷たさを感じさせた。
「警察の方には全てお話しします。……あれは、不幸な事故でした」
「事故、ですか」
真壁は鋭い視線を向けた。
「ご両親は『いじめがあった』と訴えています。村上くんのノートには『死にたい』という走り書きもあったそうですが」
「ええ、存じております」
横から弁護士が口を挟んだ。
「ですが、学校側で調査した結果、いじめの事実は確認されませんでした。彼は成績のことで悩んでおり、発作的に窓枠に登り、足を滑らせた。あくまで『自損事故』というのが学校側の結論です」
弁護士は一枚の報告書をテーブルに滑らせた。
『第三者委員会設置前の初期調査報告書』。
そこにはクラスメイトへのアンケート結果や、担任教師の所見がびっしりと記されている。
『仲の良いグループだった』
『ふざけ合いの延長』
『悩んでいる様子はなかった』
「完璧な報告書ですね」
真壁は皮肉を込めて言った。
「事件から半日足らずで、これだけの証言を集めたのですか」
「当校には危機管理マニュアルがございますので」
佐久間校長は淡々と答えた。
「生徒の心のケアを最優先し、迅速に聞き取りを行いました。その結果、いじめという客観的な証拠は出なかった。……警察としても、証拠がない以上、事件性は問えないはずですが?」
その通りだ。
学校という密室の中で、全員が「いじめはない」と口裏を合わせれば、警察はそれ以上踏み込めない。
だが、真壁の刑事としての勘が告げている。
この学校は何かを隠している。
もっと陰湿でシステム化された何かを。
*
真壁は校舎を出て病院へと向かった。
ICUの待合室。
村上想太の母親は、やつれ果てた顔で椅子に座り込んでいた。
「……学校は、何も認めてくれないんです」
母親は絞り出すような声で言った。
「想太は言っていました。『ポイントが足りない』『評価が下がる』って……」
「ポイント?」
「この学校独自の制度です。『相互評価』システム。生徒同士がお互いを評価し合い、その点数が内申点やクラス分けに直結するんです」
真壁は眉をひそめた。
相互評価。
聞こえはいいが、それはつまり「クラス内の人気投票」で序列が決まるということだ。
「想太は、クラスのリーダー格の生徒たちから、組織的に低い点数をつけられていたんです。挨拶を無視されたとか、空気が読めないとか、言いがかりのような理由で……。点数が下がれば、進学への推薦がもらえない。だから、彼らの言いなりになるしかなかった」
「パシリにされていた、ということですか」
「はい。でも、学校に相談しても『それは生徒間の自主的な評価活動です』って取り合ってくれなくて……。想太は、システムの中で殺されたようなものです」
あの佐久間校長の顔が浮かぶ。
彼は帰り際、こう言ったはずだ。
『相互評価は、生徒たちの自己肯定感と社会性を育むための、教育的意義のある制度です』と。
善意だ。
学校側は本気で「良い教育」だと信じてシステムを提供した。
だが、そのシステム(マニュアル)通りに運用された結果、一人の少年が合法的に底辺へと追いやられ、死を選んだ。
昨日のカード会社のAIと同じだ。
誰も手を汚していない。
ただ仕様が人を殺した。
「……刑事さん」
母親が震える手で、一枚のタブレットを差し出した。
想太のものだ。
「これを見てください。学校が導入している連絡アプリです。パスワードがわからなくて中が見られないんですが……通知だけが、ずっと止まらないんです」
真壁は画面を見た。
ロック画面に次々と通知がポップアップしてくる。
『クラス連絡網』からのメッセージ。
『村上くん、大丈夫?w』
『自損事故って聞いたけど、迷惑かけないでね』
『明日の評価入力、忘れないでね。マイナス押しとくから』
『生きてるだけで減点対象なんだけど』
意識不明の生徒に対して、無邪気な悪意が降り注いでいる。
彼らは知っているのだ。
自分たちが安全圏にいることを。
学校が「いじめはない」と定義してくれたおかげで、彼らの行為はただの「評価」として正当化されている。
「……酷すぎる」
真壁が呻いたその時だった。
突然タブレットの画面が明滅した。
ロック画面のパスコード入力欄に、見えない指が触れたかのように数字が打ち込まれていく。
「え?」
母親が声を上げる。
『ロック解除』
ホーム画面が開き、学校指定の『相互評価アプリ』が勝手に起動した。
奴だ。
真壁の背筋に、あの冷たい気配が走る。
奴が、この閉ざされた教育現場に侵入した。
画面の中で、カーソルが滑らかに動く。
開かれたのは想太の「評価履歴」ではない。
『管理者権限でログイン』
『サーバー設定:評価ログの全件抽出』
奴は被害者の端末をバックドアにして、学校のメインサーバーに潜り込んだのだ。
そこに保存されているはずの、隠蔽された「悪意の数値化」データを引きずり出すために。
個人の復讐ではない。
この学校が誇る「教育システム」そのものの嘘を、白日の下に晒そうとしている。
真壁はスマホを取り出し、校長室への直通番号を調べ始めた。
止めることはできない。
だが、見届けることはできる。
この歪んだ教室のルールが外部からの強制介入(校正)によって破壊される様を。
アプリの画面に全校生徒分のデータが滝のように流れ始めた。
誰が、誰を、どのように陥れたか。
教師がどの生徒を贔屓し、どの生徒のSOSを「評価対象外」として黙殺したか。
全てが可視化されていく。
真壁は呟いた。
「……ホームルームの時間だ」
沈黙の教室に、終わりのチャイムが鳴り響こうとしていた。
(第7話完)
第3部「追跡者の校正」をお読みいただきありがとうございます。
本作に至るまでの「修正」の記録を、以下のアーカイブよりご確認いただけます。
■ 第1部:『マニュアルキラー』
https://ncode.syosetu.com/n4289lo/
設備屋として潜伏する織部悟。彼は、社会の誤植(悪意)を赤ペン一本でデバッグする「伝説のエディター」だった。すべての始まりとなる第1シリーズ。
■ 第2部:『マニュアルキラー Ⅱ —校正なき改竄—』
https://ncode.syosetu.com/n4641ls/
論理パズルを愛する男・三谷と、システムを免罪符にする「ルール」との死闘。織部が「仕様」を悪用する巨悪をいかにして葬ったかを描く、緊迫の第2シリーズ。




